中等部23期九州修学旅行 


 

1組

異文化学習と平和学習はつながっていることを実感

 九州修学旅行の中で、自分にとってとても印象深く感じられたのは、立命館アジア太平洋大学(APU)の留学生との交流と、長崎平和学習についてです。
 APUでは、多くの異文化と触れ合う機会をいただきましたが、国によって、様々な文化、風習があり、その多様性に大変驚きました。普段、自分の周りは、皆日本人で、多少の風習は違っても、みんな同じという単一的な世界で生活してきたので、外国の文化には、非常に驚かされたのだと思います。
 今、世界は、グローバル化に向けて進んでいます。それは、日本も例外ではありません。恐らく、自分が社会人になる頃には、外国人が日本の仕組みの中に、今よりももっと深く入り込んでいることでしょう。APUにての異文化体験学習は、グローバル化社会の中で、如何に社会貢献できるかということを考えさせてくれました。自分は、英語はあまり得意ではありません。グループリーダーであった留学生の話も、ゆっくり話してもらわなければ、まるで何を言っているかわからないという状態でした。しかし、これは、自分に対しての試練なのだと思います。これからは、意欲的に英語を使い、聴く能力や話す能力を向上させていきたいと思いました。
 長崎では、原爆資料館の見学を通し、また原田先生の平和講話に耳を傾けることで、原爆や戦争の恐ろしさや自分の原爆や戦争に対する認識の甘さを痛感しました。自分は、小学校2年生まで大阪に住んでいました。大阪の学校では、毎年夏になると、戦争や原爆のアニメが流されました。その当時は、それを怖いだけと感じていて、自分はあまり見たくないと思っていました。なぜこのような怖いアニメを流すのか、その当時の先生を恨んだりもしていました。それ以来、自分は毎年夏に放送される戦争のドキュメントを見ないようにしてきました。自分にとって怖いと感じるものであったので、戦争や原爆が起こった事実から目を背けていたのです。今回の平和学習も、最初、自分にとっては、あまり気乗りする話ではありませんでした。しかし、実際に、平和学習をしてみると、原爆の恐ろしさから目を背けてはいけないと感じるようになりました。また原田先生の被爆体験のお話をお聴きしたことで、この恐ろしい事実をもっと世界に広げていかなければならないと思うようになりました。
 九州修学旅行を終えて、一番成長が実感できたのは、この異文化体験学習と平和学習がつながっているということを感じ取ることができたことです。「違いを尊重し合う」これは異文化学習で学んだことですが、この言葉が、平和への一番の近道なのだと感じられました。また核の恐ろしさを唯一体験した日本から、核の恐ろしさを世界に伝えるには、やはりグローバルな視点で物事を考えることが大切だということを感じ取ることが出来ました。
 最後に、キリスト教徒が多く住む長崎に、同じキリスト教であるアメリカが原爆を落としたという事実は、とても複雑な思いを胸に抱かざるを得ませんでした。
 

 

平和がずっと続きますように・・・

 私達23期生は、11月1日から5日まで、九州修学旅行に行きました。家族と行く旅行とは違い、規律・校則・マナーを守った上での修学旅行となりました。この旅行は、多くの人達の愛によって大成功となったものです。お金を払って、笑顔で自分を見送ってくれた両親、私達の為に数ヶ月も前から準備をしてくださった先生方、最高の修学旅行にしようと各自の調べ学習をしっかり行った仲間達、現地の方々などの愛です。私は、その方々に対して、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。
 この修学旅行で、たくさんのことを学ぶことができました。まず、集団で行動することの意味です。3年1組でも遅れてしまった班が一つありましたが、クラス全員がそのことを深く受け止め、行動を改めることができました。もちろん失敗はない方が良いですが、まだまだ考えが浅く、未熟だった私達には、必要な失敗だったのかもしれません。集団で行動することで、輪を崩さないことが如何に重要であるかについて、身をもって体験しました。
 次に、異文化についてです。私は、APUで、インドネシアのディディさんと交流しました。日本では頻繁にジュースを飲むことに衝撃を受けたそうです。インドネシアでは、常温の水以外のものはあまり飲まないからです。国によって考え方、文化、言葉が違って面白いなと思いました。言葉が違えば、自分の伝えたいと思っていることが伝わらないと考えていた自分は、まだ幼かったようです。自分から積極的に話すこと、身振り手振りでも良いから諦めずにコミュニケーションをとろうとすることで、相手も分かろうとしてくれます。私は、言語を越えて、お互いを分かることができ、素晴らしい経験だったと思います。
 最後に、平和の大切さです。今、私達は、平和な日々を当たり前のように過ごしています。しかし、66年前の日本は、そうではありませんでした。8月6日には広島、9日には、長崎に世界で唯一、原子爆弾が投下され、今も尚、その後遺症で苦しむ方々がいます。「NO MORE JAPAN」を訴えてきた戦争経験者を前にして、再び日本は、放射能の恐怖に脅かされています。それは、今年の3月11日の大震災による福島原発の放射能漏洩により内部被爆した方々の問題があったからです。しかし、この二つには、大きな違いがあります。天才は防げないものです。でも戦争は、始めるのも止めるのも人間です。人が人を殺してしまうことほど、悲しく愚かなことはないのです。二度と戦争を起こさないこと、平和な日々を後世に届けることが私達の使命であると感じました。また再び放射能の危機にさらされた人々と向き合い、自分達は大丈夫だから、と忘れることなく、支援を続けることが私達にできることではないでしょうか。
 今回の修学旅行で、太宰府天満宮に行きました。そこで、自分の幸せだけでなく、被災地の方々や家族の幸せも祈ってきました。日本に平和が戻ってきますように、その平和がずっと続きますように・・・。
 

 

 

大切な人の本当の大切さを実感できた修学旅行


 今回の修学旅行はとても内容が濃く、感動するものがたくさんありました。特に私が一番心に残ったのは、平和講話です。最初、慣れないところでの生活や長時間の移動などの疲れでバスの中でも寝てしまっていた時間があったので、1時間という長い時間の講話で寝てしまわないか心配でした。しかし、実際の講話はとても心打たれるもので、時間を忘れて聴き入っていました。
 講話の中で原爆によって幼い息子を亡くした母親の息子に宛てた手紙が紹介されました。母親は、8月9日の朝、大豆ご飯を炊き、大豆ご飯が嫌いで嫌がる息子を仕方なく叱って食べさせました。学校へ行く為、家を出る時の「行ってきます」という声が母親が聞いた、息子の最後の声になってしまいました。息子に白いご飯を炊いてやることも、思い切り抱きしめてあげることも、もう叶わないのです。なぜ、あの日、叱ってしまったのだろうと後悔しても、どうすることもできません。私たちは今、戦争のない時代に生き、友達や両親などの大切な人が近くにいることが、半ば当たり前のように生活しています。もし、明日急に多くの大切な人がいなくなってしまったらと想像しても、今の私にはとても想像することができません。大切な人を失う悲しみや悔しさは自分が想像する十倍も百倍も大きなものだと思います。大切な人の本当の大切さというのを実感することは当時に比べればとても少ないでしょう。しかし、そんな時代だからこそ常に感謝するということが大事なのだと思います。両親と些細なことでけんかになったり、友達を傷つけてしまったりすることもあります。謝りたくても意地を張って先延ばしにしてしまうこともあります。そんな時、急に大切な人がいなくなってしまったら、きっと、とても後悔します。大切な人を傷つけてしまったと思ったら素直に謝り、なるべくなら傷つけないように日頃から感謝し、大事に思うことが大切だということを平和講話から学びました。
 また、今回の修学旅行でクラスの友達ともさらに仲良くなることができました。観光先や食事、部屋内でもとても楽しく生活することができ、中学3年生の忘れられない思い出がを作ることができました。今回の修学旅行はクラスの友達、旅行の費用を出してくれた両親、本当に一生懸命用意してくださった先生方、その他協力してくださった方々のおかげで成功することができました。たくさんの貴重な体験ができ、とても楽しく笑顔の絶えない最高の修学旅行をありがとうございました。
 

 

経験という名の財産

 今回の修学旅行の第一の柱である異文化体験学習の相互理解活動において、僕の班は、香港出身のホムラさんとの交流でした。ホムラさんは、「日本人は、親切で、時間を守る人種である。」と話してくださいました。そのことを僕は誇りに思えました。また、日本は自然が豊かで、日本で初めて温泉を経験したお話をして下さいました。その時、僕は、その自然がもたらした8ヶ月前の東日本大震災が思い浮かび、彼はこの震災をどのように受け止めたのか、知りたい気持ちになりました。僕が日本人として外国の文化に触れた時、改めて日本をどれだけ好きになれるか、興味が湧き始め、留学してみたいと初めて思いました。午後のプログラムからは、自分自身の英会話の未熟さをまざまざと思い知らされる事になり、結果的にわからないことがたくさんありました。言葉が通じないことの不自由さを痛感させられ、恐らく彼らも日本に留学した当時は、とても不安な生活の中で、戸惑い、病気にすらなれなかったとうい心情を察することができました。グローバル化社会に向かっている中で、これからの医師とは、日本人だけでなく、日本語をよく話すことの出来ない外国人の病状をきちんと聞いて、治療ができる医師でなければなりません。僕の将来の夢は、医師になることですが、その為に僕は、語学の壁を破らなければならないと強く反省しました。
 第2の柱である平和学習においては、原爆による悲惨な状況に衝撃を受けました。原爆で亡くなられた人々の叫び、悲しみが聞こえてくるようで怖くなりました。同時に、平和を祈る強い思いも、感じることができました。ベクレルが放射能を発見した時、彼自身の発明が、人殺しの武器になることを望んではいなかったはずです。人間の愚かで、醜い心が戦争を生み、原子力の悪用へと繋がってしまいました。人間の脳は、賢いけれど、その賢さの方向を誤ってはいけないのです。平和への願いは、今、こうして生きて命を継ぐ僕達が、必ず次世代へと語り、この悲劇と向き合い、核兵器を持つ国々と、どう関わるべきかを常に、意識すべきであると強く感じました。
 最後に、修学旅行を通して、3年前に学んだ道徳の14項目について、見つめ直し、反省する機会にもなりました。「友人の多様性を受容する難しさ」「自由と責任の違い」「ルールと規律を守ることの意味」を、特に考えさせられた団体行動と班行動でした。社会に出て、心豊かなリーダーな人材となれるように、中1では道徳授業を受け、また3年間LHRで心の教育を受けてきました。それなのに、少しだけ時間にルーズになってしまった時があったことを深く反省しています。改めて、道徳授業で学んできたことを含め、これまで学んできた多くのことを実行し、学び修める旅行が修学旅行であったことを実感しました。集団において、たった一人のミクロの動きが、マクロの動きとなって、惨事を起こす事が、東日本大震災時、東京で起きた帰宅困難で取り上げられていた事を思い出しました。
 心豊かなリーダーを目指すという高い理想を掲げて指導していただいているというレベルで考えた時に、まだまだ自分自身への甘さがあることを反省するチャンスももらうことになりましたが、今回の修学旅行での全ての体験を自分自身の財産にすることができました。準備していただいた先生方に、とても感謝しています。ありがとうございました。
 

 

 

2組

九州修学旅行を終えて

 私はこの九州修学旅行で、本当にたくさんの様々な体験をさせていただきました。その上、九州に行くこと自体初めての私にとって、全てのことが初めてでした。

 まず、2日目の立命館アジア太平洋大学では、異文化理解という大きな問題について様々な意見を知り、自分の考えをまとめるきっかけになったと思います。初めのうちは「何をしゃべればいいのだろうか」と少し緊張してかたくなってしまっていましたが、あれこれとお話をお聞きしているうちに「違いを知ること」の楽しさや面白さが分かってきたように思いました。また、ミレニアムホールでケニアの歌を合唱した時は、会場中の異なる国から来た人たちが1つになり、まるで世界が1つになったような気がして、とても嬉しかったです。

 そして、大学の方々が温かく出迎えて下さったこともあり、世界がとても身近に感じられるようになりました。でも、まだまだ私が知らないことはたくさんあります。だからこそ将来、自分で世界中を旅してそれぞれの国の文化や雰囲気、観光地などを自分の目で見て、そして心でたくさんのことを感じたいと思います。また、実際今までこんなにも深く、近く世界を感じたことがありませんでした。だから、今回こうやって異文化理解やグローバル化について考えられただけでも、自分が少しでも変わり、一歩前に進むことができた、良い意味で成長できたと言えるのではないかと思います

 金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩の中に、「みんなちがってみんないい」という言葉があります。この詩のように、人と人の間にも国と国の間にも個性の違いがあってそれぞれに良い所があると思います。その個性は誰にも否定することや批判することはできないと思います。自分の心をより豊かで温かいものにする為にも、「あぁ、この国の人たちにはこういう考え方があるのだ」と理解して、新しい自分を見つけていかなければならないなと思いました。

 次に4日目の平和講話についてです。私は今回の平和講話をお聴きして、改めてというよりも初めて原爆を本当に恐ろしいと感じたと思います。原田さんのお話を伺って、今の日本は幸せであり贅沢すぎると言っても過言ではないと思いました。このように、実際に被爆された方から直接お話をお聞きする機会はとても貴重であると思います。また、原爆が投下された当時にその場で被爆された方の中で、今もなお強く逞しく生きていらっしゃる方もすでにご高齢になってしまっています。ですから、あと数十年もすれば実際に被爆された方からお話を聴くことができなくなってしまうのです。そう考えると、聴くことができた私たちはとても幸せ者であると思いました

 他にも、1日目の水郷柳川のドンコ舟では柳が川の両端にさがっていて、とても風情がありましたし、4日目の自主研修では長崎の町を存分に堪能できました。

 私にとっては初めての九州でしたが、5日間たっぷり満喫できました。たくさんの方々の温かい支えもあって、今では九州が大好きです。今度は個人的に旅行で九州に行きたいと思います。私達の修学旅行をサポートしていただいたたくさんの方々に心から感謝しています。本当にありがとうございました。そして、私はこの九州修学旅行で学んだたくさんのことを心に留めて、これからも過ごしていきたいです。

 

 

 

様々なことを学べた修学旅行

 

  私が一番心に残ったのは原爆についての原田さんの講話でした。私の祖父母の世代はほとんど誰もが戦争を経験していると思います。私は祖父から当時の食糧事情の厳しさや空襲にあった時などについて聞いたことがありました。しかし、被爆された方のお話を直接お聴きするのは初めてでした。私の祖父は広島に原爆が投下された時には徳島にいて、大きなきのこのような形をした雲が見えたと言っていました。しかし、原爆が投下された地で何が起こったのかは見ていません。ですから、原爆のお話をお聴きできたことは貴重な体験でした

 私がこの講話が心に残った理由としてもう1つ挙げたいのは私の祖母と境遇が似ていたことです。祖母は生まれてすぐの妹を栄養失調で亡くし、白血病で若い時に兄を亡くしたそうです。のような厳しい境遇の人もたくさんいるので、恵まれている私たちはこれからどう生きていくべきか考えていこうと思います

私は初日に続き、4日目の部屋長になった時もたった1日でたくさんのミスをしました。スリッパを履いたまま食事会場へ向かったり、ルームキーを部屋へ入れたままドアを閉めたり、同室の人がスリッパを履いたまま食事会場へ向かったりしました。まさか部屋長だった自分でもこんなことになろうとは思いませんでした。しかし、今となっては全てのミスもみんなとこうして5日間過ごしてきたことも含めて良い思い出であり、学びの糧となりました。これからこの5日間を踏まえて自分がどうしていくかが大切になってくると思います

 

 

 

修学旅行を通して学んだこと

 

今回のこの修学旅行は、私が中学三年生になってから、一番楽しみにしていた学校行事でした。でも、本当のことを言うと、私はハワイの方が行きたい、とずっと思っていました。しかし、阿蘇山に熊本城、長崎での平和学習やAPUなど、修学旅行の行程を一つずつ終えてゆくたび、その考えは変わってゆきました。日本国内だからこその良さ、というものが、この修学旅行でとても感じられました。今では、九州に行けて、あの三つのホテルに泊まることができて、とても良かったと心から思えます。

私が一番今回のこの修学旅行で楽しかったことは、実は部屋での友達と過ごした時間です。修学旅行は遊びではないし、単なる観光でもありません。実際、学んだことも得たこともたくさんありました。でも、普段は学校にいる間しか一緒にいることのできない友人たちと、心ゆくまで話したり、一緒にテレビを見たり、寝食を共にしたりするのは、とても楽しかったです

 そして、前にも述べたように、私は今回の修学旅行で様々なことを学びました。それは学習面にも生活面にも、どちらにもあります。今回一番心に残ったことは、何事にも余裕を持って行動することです。今回、三つ目のハウステンボスのホテルでの夕食のとき、私たちの班は一班だけ 遅れて、他のみんなや先生方に迷惑をかけてしまいました。班員の子が、一人間違えてスリッパを履いてきてしまったのです。そのとき、私達は「どうしよう。どうしよう。」ととても焦ってしまい、その結果最後になってしまい、三年生全員を待たせることになってしまいました。そしてなんと、その日の夜、班のみんなと「スリッパは履かない」と言い合っていたにも関わらず、次の日の朝また同じ失敗をしてしまいました。そのときはまだ来ていない班があったから良かったものの、その前日の夕食の遅れは、この修学旅行での一番の反省になったし、何事にも様々な事態を想定して余裕を持って行動する、ということを学ばされました。

 学習面では、APUでの活動が最も大きなものとなりました。私は英語が得意ではないし、外国の方と英語で話すという経験は初めてだったので、行く前は不安で一杯でした。しかし、APUのリーダーのみなさんは。お互いに国など関係なく接していて、また、私達に対しても時には日本語をまじえたりしながら、分かりやすく、優しく接してくださいました。直接の大きな英語力の変化はありませんが、みんなで協力して何かを作り上げること、国が違ってもみんな同じ感情を持っているということなど、学んだことはたくさんありました。これからのグローバル化社会での大きな力となってゆくと思います。

 この修学旅行は一生の思い出です。そして、将来に役立つものとして行きたいと思います。

 

 

 

3組

修学旅行 

                       

川のせせらぎ、歴史の重み、自然の力強さ、人間の無力さ。九州修学旅行での行く先々で感じたことです。友達の大切さ、チームワーク、日常という名の平和。その5日間で学び取ったことの一部です。限られた時間の中での自分の変化を追っていきたいと思います。

 1日目の昼過ぎ、ドンコ船に乗りました。狭い橋の下を鼻歌交じりに進む船の中で、修学旅行の興奮が落ち着いていることに気がつきました。静かな波が心の乱れを中和してくれたのでしょう。その後の行動にけじめを与えてくれました。

 問題もなく2日目に至りましたが、APUでは一つ心残りができました。それは、積極性に欠けてしまったことです。班長としての立場からコミュニケーションができるのかという不安もあり、話が通じる喜びを知り始めた時は、既にプログラムも終了近くになっていました。再認識できた自分の弱点は克服するとして、江戸取代表者の英語力には舌を巻きました。阿蘇の山の如く、高みにいて、英語に熱く燃える仲間を見て、自分も努力しなければと思いました。

 3日目には、その阿蘇の大自然に触れるとともに、熊本城へ行きました。立派な城の最上部の高さは、思わず下にいる江戸取の生徒に手を振ってしまうほどでした。そこでは、その時代の世を生きるための設備と覚悟のようなものを感じました。

 このような建築物が大切に残るよう、写真撮影中の武士の方にもお願いしました。

 4日目の平和学習において印象的なのは、11時2分で止まった時計でした。

 家族との時間、公園に響く子供たちの笑い顔、愛する人との会話。全てを数秒間が無きものにしてしまったという現実。お話をして下さった先生も時を奪われた一人です。

 過去を失くしてしまうことなど誰にも出来ないけれども、たった1日の経験で平和を語るには重過ぎることだけれども、現実の上に立ち、平和への意志を胸に生きていこうと思いました。自主研修が行えるという平和を噛みしめつつ、約4時間を有意義に過ごすことができました。

 感じたことは、皆が今の平和を感じ取っていて、大切に一歩一歩を踏みしめているように見えました。ですから、自分勝手な行動も無く、班行動、ルールを守るなどの行為で、心配する要素はありませんでした。

大宰府天満宮では、祖父母を元気付けるためにも学問成就の願い事をしました。自分が持って帰る朗報を楽しみにしてくれている人達のためにも、頑張っていこうと決意を新たにしました

 こうして最後の日程を終えた今、感謝の心が芽生えてきました。まず、ホテルの方々には大変お世話になりました。良かったのは全てです。3つのホテルは、最高の修学旅行を彩ってくれました。支えといえば、先生方は気持ちが傾きそうになった生徒を愛あるこぶしであるべき状態へと戻してくださいました。親は常に心の中にいて不安や緊張を取り払ってくれました。支えがあるから、立って歩くことが出来る。それに気づき、感謝することが出来るようになった自分の変化に気づきました。
 

 


修学旅行を通して                      
 

今回の修学旅行で私の心に強く残ったことは2つあります。 1つは、立命館アジア太平洋大学での異文化交流です。ここでは自分の視野が広がるのを実感することが出来ました。まず、私は留学生の方から、日本へ来て驚いたことを教えていただきました。

私のグループの担当リーダーは中国の方でした。その方は「日本では女性は16歳、男性は18歳で結婚できて、成人式は20歳でする。結婚できる年齢が成人式の年齢よりも低いことにとても驚いた」と、おっしゃっていて、私はそれを聞いてとても驚きました。私が当たり前だと思っていて、不思議に思わなかったことが、当たり前のことではないことに気づかされたからです。違いに気づくことによって、視野の広がりを実感することが出来ました。そしてパネルトークでも自分の視野を広げることが出来ました。最近の若い人は周りと違うことを恐れる人が多いと言われています。それは私も同じでした。しかしパネルトークで違いを経験することで、新しいものが見え、成長できるという言葉を聴いたとき、「違い」は恐れることではないと確信することが出来ました。思い返すと、グループのリーダーの方との交流は、「違い」があったのに恐れはありませんでした。私は今回の異文化交流で違うということから新しいものが見え、自分の視野が広がることを実感しました。また、今まで試験に必要だから、と漠然と英語を学習してきましたが、今回留学生の方とコミュニケーションをとる時に、自分の伝えたいことが、なかなか伝わらずにもどかしい思いをしたことで、英語を学習する理由を明確に意識できるようになりました。それは将来働くようになった時に、自分の思っていることを相手にきちんと伝えられるような英語を身に付けるということです。自分を表現できなければ「違い」は分かりません。「違い」からより良いものを生み出すためにも、英語を意識して勉強すること、違いを恐れないことが重要であると感じました。

 2つ目は平和学習です。今まで私は、学校の教科書や本などで原爆の資料を見て原爆について、どこか他人事のように感じていました。しかし実際に溶けたガラスのビンに触れ、様々な資料を見たことで身近に感じることが出来ました。そして平和講話をお聴きし、なぜもっと早く戦争をやめることが出来なかったのだろうと、やるせない気持ちになりました。戦争のことを経験者から直接聞くことのできる世代は、恐らく私たちが最後です。後の世代にも正確に戦争の恐ろしさを伝えるために、まず私たちが正確に知り、心に焼き付ける必要があると感じました

 今回の修学旅行では多くの新しい体験をしました。それらを今後の生活に役立てて生きたいと思います。
 

 

 

九州修学旅行に参加して                   

 

 111日から5日間、九州へ修学旅行へ行ってきました。いつもとは違う場所で様々なことを学べ、とても良い機会となりました。

 水郷柳川のドンコ船では豊かな自然と昔からの営みを感じることが出来ました。そこには可愛い鳥がいて、見ていて癒されました。

 2日目は、立命館アジア太平洋大学へ行き、異文化について学びました。行く前は英語を上手く話せるかどうか心配でした。しかし行ってみて、上手く話せるかどうかが重要なのではなく、どれだけ相手に伝えようとするかが大事なのだと分かりました。パネルトークでは「異なる」とはどういうことなのかということを話し合い、違うからこそ学ぶことがあるのだと、気づくことができました。普段は同じように生活している人としか接していないので、余り考えたことは無かったのですが、一人ひとり違うということを踏まえて考えてみると、新たな発見が出来るということも、学ぶことが出来たことの一つです。それによって成長できたり、新たな世界観や視野を広げられるのです。このような経験を重ねていくことで、社会に出たときに、「自分とは違う」と相手を否定するのではなく、自分とどこが異なるのかと一歩下がって考えてみるという姿勢が持てるのです。また、 1つのことをあらゆる視点から見ることができるのです。これらに共通して言えることは、互いに理解しあうということです。相手を認めるという行為が、異文化を理解することへの最初の一歩となると学んだ一日でした。

 3日目には阿蘇山火口に足を運び、様子を見ることができました。黄緑色の湖のようなものがあり、とても綺麗でした。水前寺公園では、桃山式の優美な回遊式庭園が見られました。コースを散策したときに、道が曲がりくねっていることに驚きました。熊本城で印象に残っているのは、石垣です。熊本城の石垣は、上に上がるにつれて傾斜が急になっていき、ネズミ返しの造りになっていました。戦の相手が侵入できない造りにしていて、当時の戦の激しさを物語っているようでした。

 4日目の平和講話では、実際に被爆された原田さんのお話を聴くことが出来ました。今の、何も不自由の無い平和な生活が送れることの幸せさを改めて感じました。また、話の中でぞっとしたことは、人が人を殺そうと考えるのは、人の心だということです。人が人を憎む戦争において、敵国の人をどれだけ殺すのかを考えるからだと思います。敵国の人を多く殺すことは、当時は名誉だったかもしれません。しかし、戦争で犠牲となった方々の多くは、弱い立場の人々でした。今回の講話をお聴きし、二度と戦争をしてはならないと心にしみて感じました。

 多くのことを感じ取れた修学旅行で、たくさんの人々に支えられて生きているのだと思いました。支えてくれている人たちに感謝する気持ちを忘れないようにしたいです。

 

 

 

4組

学びの修学旅行

 

 11月1日の朝は快晴でした。楽しみのあまり、2時間弱の羽田空港への道のりは、ほんの数十分の出来事のようでした。そして、福岡空港へ向かう飛行機から見た景色がとても綺麗であったことを覚えています。

 この様な幕開けからの4泊5日の九州修学旅行で、私の観念が変わったことが2つあります。

 1つ目は、修学旅行2日目に行われた、APUでの異文化学習です。私は事前準備の頃から、日本以外の国の方とコミュニケーションをとることに不安でいっぱいでした。けれども、だんだん時が近付くにつれ、腹が据わってきて、「ちゃんとした文でなくても、ある程度コミュニケーションはとれるのではないか」と思う様になり、以前ほどの不安を感じることなく当日を迎えることができました。APUに到着すると学生の方々がとても気さくに挨拶して下さったりして安心しました。けれども安心したのも束の間、グループでの相互理解活動の時、私は自分の英語力の低さに気付かされました。相手の話している英語が断片的にしか聞きとれない、もしくは、聞きとれた単語の意味がわからないのです。APUリーダーの方はタイの方で、英語は母国語ではありません。私達と全く同じ状況です。それなのに、APUリーダーの方は英語を習得して、日本という異国の地で英語を話して学んでいらっしゃいます。私達と歳もあまり変わりません。私はこのことに悔しさを感じました。この悔しさをバネに、これからもっと英語に触れて、学んでいこうと思いました。

 2つ目は、4日目の平和学習です。原爆資料館や平和講話での原爆の悲惨さは私の想像をはるかに超えるものでした。原爆によって兄弟、家族をなくすことがどんなに辛いことか想像するだけでも嫌です。その中でも私がはっとさせられたことがありま した。それは、今でも長崎の地面の下には原爆で被害を受けた方の遺体がある、ということです。この事は全く見当がつかない訳ではありません。ただ、改めて言われたことで、「そうなのか」と思ってしまいました。しかし、数こそ違いますが、日本で戦争があったという事実がある以上、地中に今だ埋まっている遺体は日本全国にあるのです。そのことを忘れてはいけません。戦争という惨事によって当時の人はそれぞれに悲しみを抱えていたに違いありません。その人々の悲しみを無駄にしないためにも、もう二度と戦争 をしてはなりません。

 修学旅行の柱である異文化学習と平和学習はつながるのではないかと思います。なぜなら、戦争を二度と起こさないようにするためには相手と上手くコミュニケーションをとる必要があります。その、相手と上手くコミュニケーションをとるためにあるものが異文化学習ではないかと思うからです。私達は修学旅行で学んだことを将来に生かすべきです。そのためには、世界の共通語である英語を学ぶことは基本だと思います。そして、今、私達が聞いた戦争という惨事を次の世代に伝えなければなりません。だから、私達は勉強というもの以外でも学ばなければいけないことが沢山あるということに気付かされた修学旅行でした。

 

修学旅行を通して学んだこと

 今回の修学旅行を通して、私が学んだことは主に2つあります。それは言語の壁と平和の尊さです。

 APUでの研修で自分が今生きている、または生活している世界がどれだけ狭いかを思い知らされました。APUを訪れるまでは、APUの方々とコミュニケーションがとれるのかとてもとても不安でした。そして、私にはもう1つ不安な要素がありました。それは江戸取の学校紹介の英語スピーチです。私はとても発音が苦手です。だから英語がペラペラな人達の前で私の下手な英語でスピーチをすること が不安でたまりませんでした。不安による緊張をなくすためには、ひたすら練習するしかありませんでした。そこで、私の下手な英語を少しでもよくするためにY君とK君に手伝ってもらいました。2人には朝、昼、放課後と更にはわざわざ休みの日にまで学校に来てもらって、練習に付き合ってもらいました。2人の手伝いがなかったら、はっきり言って今回のスピーチはなかったと思います。だから、2人には感謝の念でいっぱいです。2人とも自分のことで忙しかったはずなのに、時間を削って私の練習を見てくれました。たくさんの「ありがとう」を彼らに伝えたいです。APUの研修に来て驚いたのは、APUの方々みんながとにかくユーモアあふれる人達であったことです。APUの方達とコミュニケーションがとれるのだろうかという不安は、実際に会ってみて吹き飛んでしまいました。しかし、挨拶など最低限のコミュニケーションはできましたが、やはり言葉の壁がありました。APUリーダーの話していることは理解できました。しかし、その話に対して自分の英語力のなさによって、自分の意見や思ったことを表すことができませんでした。せっかく、他国の人達と意見を交換することができる機会であったのに、とても残念でした。また、ひどくもどかしく感じました。だから、もっと自分は英語の勉強をしなければならないと感じました。試験のための勉強ではなく、使える英語の勉強をです。今、自分が思っているより、世界はもっと広いはずです。私は知りたいのです。世界中の人達が何を考えているのか、思っているのかを知りたいです。APUでの研修を通して、自分の小ささを知りました。世界を知るためにもっと勉強しなければと強く思いました。

 次に平和の尊さです。まず私は原爆資料館を訪れた時、怒りの情が湧きました。戦時中の米大統領が「何万人、何百万人のアメリカの青年たちを救うために原爆を投下した。」と説明したそうです。だったら、日本の罪のない子供達や老人や女性は死んでもよかったのでしょうか。原爆投下は終戦に必要だったと言われています。しかし、如何なる理由があっても、原爆は投下すべきではなかったと私は思います。別の方法を探すべきでした。原田先生による平和講話で、私は聴いているうちに体の芯から指先まで冷えていく感じがしました。講話の内容はとても怖かったです。私達の平和で幸せな生活は多くの犠牲の上に成り立っています。この生活を維持していくには、次世代に平和の尊さとこの国で昔、何があったのかを伝えていかなければなりません。それが今の時代を生きる私達が果たすべき責任であり使命だと思いました。

 

 

 

修学旅行を終えて

 

 江戸取に入学してから初めて、こんなに自由で楽しい旅行を味わうことができたと思います。部屋内でテレビを見てよかったり、長崎では自分たちの好きな様に回れたり…と新鮮でとてもおもしろかったです。1日目は柳川で「ドンコ舟」に乗り、船頭さんのお話をお聞きしたり、友達とお喋りしたり、写真を撮ったり…驚いたのは、あんなに多人数で舟に乗ったのに、舟がまったく揺れなかった点です。また、移動中のバス内では、行く場所行く場所の名産品、有名な場所、山々などをガイドさんがお話して下さり、とても知識が増えました。2日目は別府にある立命館アジア太平洋大学で1日を過ごしました。グループリーダーと仲良くな り、昼食中もたくさん話ができて楽しかったです。海外の人と交流してみて思ったことは、日本の大学生より物事をしっかり考えていることや祖国にいる両親のことを大切に考え、祖国で、大学で学んだことを生かすという志を持っていることなどです。日本人は恵まれた環境で育ちすぎたせいで、物事を自分で考え、意見を言ったりしなさすぎると感じました。私の知らなかった世界がその大学にはありました。日本にはそういう大学がたくさんあるんだろうと思ったし、英語がもっと話せるようになりたいと思いました。

3日目は阿蘇山に行き、水前寺公園を見学し、熊本城を見るという行程でした。阿蘇山では有毒ガスが途中で発生してしまいあまり見られませんでしたが楽しかったです。水前寺公園では、ガイドさんのお話をお聞きしながら歩いて、とても興味深いものでした。熊本城では、2回目の班行動ということで、はぐれず行動できました。ホテルでも、部屋内、食事中のマナーに気をつけながら、楽しく過ごすことができました。

4日目は平和学習ということで原爆資料館を見学した後、平和講話をお聴きして、爆心地公園に行きました。資料館では、原爆の悲惨さを目の当たりにしました。講話も2度と聴けないような貴重な体験となりました。今からそう遠くない昔、66年前の日本で、原爆によって罪のないたくさんの人々が無差別に殺されていったという現実。そういうことがあったから、今の日本があるのだということを決して忘れてはいけないと思いました。

 核とはとても恐ろしいもの、しかし今もなお、世界では核兵器が作られている。人が人を殺す道具を作っている。唯一の被爆国の日本が核の恐ろしさを伝えていくのが使命だと思います。また、自主研修では、グラバー園や亀山社中などに行き、坂本龍馬について学ぶことができました。ハウステンボスのホテルは夜景がとても美しく、食事も一番おいしかったです。今度は大人になってからもう一度来て、ホテルの外も見てみたいなと思いました。とても楽しい5日間になりました。 そして、貴重な体験をこれからの生活に生かしていきます。

 

 

 

5組

修学旅行を終えて

 

  修学旅行の中で私はAPUでの学習と、長崎の自主研修が特に心に残りました。

APUでの学習では、初めて留学生の方々とコミュニケーションをとりました。私たちの班は、台湾の女性の留学生の方がリーダーを務めて下さいました。始めは外国人の方と全て英語で話す、ということに不安を抱いていました。語彙も少なく、文法力もあまり無い中、どうしたら伝わるのだろうと緊張もしていました。最初に留学生の方と話をした時、しどろもどろになりながらも一生懸命英語で自己紹介をしました。留学生の方は真剣に話を聞いてくれたし、沢山話題を広げてくれました。お互いの好きなアーティストの話になると、一層話が弾みました。この人の名前は? あなたが好きなメンバーは誰? この人はとても綺麗ですよね、など、とても単純な話ばかりでしたが、話していくうちに不安や緊張は解け、お互い笑顔になっていました。その後、グループディスカッションで「異文化」について話し合い、まとめ学習をしました。異文化とは何か、頭に思い浮かぶ単語をいくつも書いていきました。留学生と共に異文化という大きなテーマを考え、そして話し合うことができました。異文化及びグローバル化社会の中で私たちが生きていくには?という問いに対し、主体性を維持し、文化の違いを楽しむ、という結論を出すことができました。このように、APUでの学習では、「異文化」について本当に深く考えることができました。しかし、一番勉強になったのは、やはり留学生たちとのコミュニケーションでした。コミュニケーションによって、もっと英語を話せるようになりたいと強く思いました。留学生に伝えたいことがあっても、どうしてもスムーズに伝えられなくて、とてももどかしい思いを沢山しました。だから、英語を沢山話せるようになって、留学生の方々とはもちろん、色々な外国人と話せるようになりたいと心から思えました。

長崎での自主研修では、仲間の大切さをより一層感じることができました。時間があまり多くなく、そして思ったより道が分からなかったりしました。そういう時は班の誰かが時間配分を考えたり、コースを考えたりと、一人一人が皆のことをリードしていきました。グラバー園ではレトロ衣装を皆で着て園内散策を楽しんだり、眼鏡橋では橋の迫力を感じたりと、充実した時間を過ごすことができました。一人や二人では絶対に味わうことのできない、仲間の団結力や行動力を感じることができました。

このようにとても充実し、楽しい修学旅行を送ることができたのは、沢山の人々のおかげだということも心から感じました。両親をはじめ、先生方や友達、ホテルの方々など、多くの人々に感謝の気持ちを伝えたいと思います。そして、これからも感謝の気持ちを忘れずに、毎日を過ごしていこうと思います。

 

 

 

修学旅行に行って

 

 僕にとって、今回の修学旅行はかけがえのない思い出になるとともに、観光旅行ではできない貴重な体験ができたとてもいい旅行でした。この体験で一番印象に残っているのは、修学旅行の二本柱であった「APUでの異文化理解」と「長崎での平和学習」です。

 まず、APUについてですが、僕はAPUに行く前は、APUがどんな所なのか全く分からず、外国人と話せるほど英語力に自信がなかったので、正直に言うとあまり行きたくはありませんでした。しかし、いざ行ってみると、APUの学生の方々はとてもフレンドリーで優しく、すぐにコミュニケーションがとれるようになりました。そして、心配だった英語についても、日本語を交えながら易しく分かりやすく教えて下さったので、恥ずかしがることなく話すことができました。また、APUで学んだことはほかの文化にあまり触れたことがない僕にとって驚きの連続でした。そして、僕がこのAPUでの学習を受け一番感じたことは、「一歩踏み出す」ということです。国、人種、宗教、言葉の違いはいわば仕方のないことで、大切なのはお互いに理解し合うことです。そのためには、まず恥ずかしがらずに行動するということが大切なのです

 次は、長崎での平和学習についてですが、そこにあったのは目を背けたくなるような惨劇と、言葉では言い表せない悔しさです。さらに、これに三月十一日の大震災の惨劇が重なり、見学するにつれやるせない気持ちが増してきました。また、僕は広島の原爆資料館、平和公園にも行ったことがありますが、実際に原爆を体験された方のお話をお聴きするのは初めてだったので、とても貴重な経験となりました。そして、原田さんは、当時の状況を実際に体験された方でないと話せない目線で話して下さり、お話の中には耳を 塞ぎたくなるようなこともありました。また原田さんは最後に「もう二度と戦争をしてはならない」とおっしゃっていました。僕も全くその通りだと思います。僕はこのとき、戦争・原爆の恐ろしさを後世に伝え、もう二度とそのような惨劇が起こらないようにしないといけないと強く思いました。

 今回の四泊五日の修学旅行は、僕の15年の人生の中で 1、2位を争うぐらい有意義で楽しいものでした。そんな中で一番大きかったのが友人の存在です。今回の旅行は班行動がメインでした。そんな中、班員同士が協力できず、自分勝手なことばかりやっていたのでは、今回の修学旅行は成功しなかったと思います。また、僕たちはこの修学旅行を通して真の友となることができました。このことは、これからの学校生活、人生に必ず活きてくると思います。

 僕にとって一生に一度の中三での修学旅行は、かけがえのない友人と貴重な経験ができ、とてもよい修学旅行になりました。

 ありがとうございました。

 

 

九州修学旅行

 

 私達中3生は、11月1日より4泊5日で九州へ修学旅行に行きました。そして、この5日間で学び、得られたことはたくさんありました。

 まず1日目には水郷柳川でドンコ舟に乗り、その後北原白秋生家記念館へ行きました。ドンコ舟の時には、すれ違う他の学校の人たちとの少しの会話を楽しんだり、福岡の町並み、自然をとても満喫することができました。

 2日目は、丸1日立命館アジア太平洋大学(APU)での活動でした。私は、ここで江戸取の行事紹介を英語で行いました。これはとても緊張しましたが、大学のホールで発表するというなかなかない機会を与えていただいて、本当に嬉しかったですし、発表も成功できて良かったです。また、グループごとの活動ではリーダーであったステラさんと、とても楽しく会話をしたり、他のグループのリーダーの方ともたくさん会話をすることができました。ここで会話を楽しむことはできましたが、もっと英語をきちんと話せるようになりたいということも感じました。そして、その後のパネルトークやグループディスカッションでは、「異文化理解」ということについて様々な面から学ぶことができました。

 3日目には阿蘇山の火口から始まって、水前寺公園、続いて熊本城と、観光の1日でした。阿蘇山では有毒ガスの危険もありましたが、私達が行く時にはその心配もなく、予定通りの観光ができて良かったです。また、水前寺公園や熊本城では、とてもきれいな庭園を見たり、日本の歴史に触れながらの観光ができました。

 4日目は、午前中は今回の修学旅行の目的でもある平和学習でした。原爆資料館を見学した後には、長崎で実際に被爆した原田さんによる平和講話をお聴きしました。私達は戦争のこと、原爆のことを教科書で見て知っている程度のものでした。しかし、今回の平和講話では本当の戦争や原爆の恐ろしさを身にしみて感じることができました。また、世界で唯一の被爆国日本にいる私達が果たすべき役割は何か、そして今でも多くの核兵器が残るこの世界とどう向き合っていくべきかということを、改めて考えることができました

 この日の午後には班別の自主研修が行われました。ここでは長崎市内の町並みに触れるのと共に、名物である長崎ちゃんぽんを食べたり、グラバー園や大浦天主堂、眼鏡橋といった名所を楽しむことができたりしました。

 最終日は、学問の神様菅原道真が祀られている太宰府天満宮に行って参拝し、九州を発ちました。

 今回の修学旅行では異文化理解と平和学習をはじめ、様々な経験をさせていただき、また新たな発見もありました。これからもこの修学旅行で得た経験を生かせる生活をしていこうと思います。

 

 

 

修学旅行を終えて

 

  はじめにAPUでの体験について、次に平和学習について、そして最後に修学旅行で感じたことを書こうと思います。

 まず、APUで体験したことについてです。僕たちの班についてくれたリーダーはミャンマー人の方でした。その人に簡単な英語で話しかけてみるとわかってくれて嬉しかったです。 1日を通じて日常のコミュニケーション程度なら既に知っている単語で間に合うと感じました。しかし、少し深い話になるとまだまだ単語、熟語の知識が足りないと痛感しました。また、最後のクラス代表による発表では、 1人だけ英語ではなく日本語を話した僕が「一番多く拍手されていた」と複数の人から言われました。それは、とても嬉しかったのですが、その後すぐに日本語を使った僕の話が皆に伝わっただけだと気づきました。あのようなスピーチではまず聞く人皆に理解される内容にする事が大事だと感じられました。また、APUでの体験について後悔したことがあります。それはミャンマー人の生活、特に食文化について尋ねそびれたことです。本やインターネットではなく、生身の人間から得られる情報はリアリティに溢れて、その国をよく知るのにとても便利です。それができずに残念でした

 次は、平和学習についてです。僕はこの平和学習を通じて、日本という国ではアメリカ人などの外国に比べ平和教育が徹底していると思いました。そして、このような平和な日常を作ってくれた先人たちに感謝の念がわきました。もちろんそれは平和講話をして下さった先生に対してもです。平和で楽しい日々を過ごせているのは素晴らしいことだと強く感じました。

 では、最後に修学旅行について感じた事を書いていきます。この修学旅行が終わりに近づくにつれ、僕の心は感謝の気持ちでいっぱいになりました。最後にバスガイドさんに感謝の気持ちを述べると少し感動しました。本当に「ありがとうございました」と思うことができました。また、この旅行に携わった全ての方々に感謝しています。先生方、ホテルの従業員の方々、バスのドライバーさん、友達、そして両親、皆に対してです。そして、帰宅し感謝の気持ちを父親に伝えると、父親 には「子どもに体験させるのは親として当たり前だ」とだけ言われました。とても嬉しかったです。僕もこのような人になりたいと思いました。修学旅行は本当に有意義で楽しかったです。僕の一生の思い出になるでしょう。そんな思い出をくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

6組

修学旅行を振り返って

 

 長崎には二回行ったことがありましたが、人類の過ちの跡といえる、その地には未だ行ったことがありませんでした。恐ろしいですが、やはり、人間として知っておかなければならないことだと思っていました。そして、今回の修学旅行の四日目に、原爆資料館と平和公園に、実際に訪れました。短い時間で見た資料だけでも十分に原爆の恐ろしさが分かりましたが、その後伺ったお話はその比になりませんでした。実際に被爆された原田先生は、当時まだ幼い子供だったそうです。私が何も考えず無邪気に遊んでいたあの時と同じ年頃に、とても重い経験をなさった方々もいるのだと思うと本当に胸が痛みます。それは、その年の子には耐え切れない衝撃、戦慄、悲愴だったに違いありません。年齢、性別関係なしに容赦なくこれらをもたらす戦争には怒りを覚えます。何故戦争が起こってしまうのか、あんなにも凄惨な過去を知りつつも何故未だ戦争がなくならないのか、この問題を解決し、「戦争のない平和な世の中をつくること」は、人類の課題だと思います。また、今、私が平和であることをつい当たり前だと思ってしまうことを、当たり前ではなく、とても幸せなことなのだと再認識させてくれた原田先生に最大の感謝をしています思い出したくない記憶であることは確実なのに、敢えて人に伝えて後世に残す、本当に素晴らしいと思います。その涙ぐましい努力を受けた私達の使命は、もう二度とあんな惨劇を繰り返さないことです。その防止に尽力しなければなりません。

日にちが前後してしまいますが、二日目のAPUでは日頃味わえない貴重な体験をしました。異文化に触れてこそ、日本の文化を改めて知る、そんな面も多くあったと思います。今まで人とコミュニケーションを取るには言語が重要なのだと思っていましたが、その考えは今回のAPUでの体験で打ちくだかれたように感じます。人と会話する時に大事なのは、言語より何より伝えようとする「心」です。いくら言語能力があっても、「心」がなければ何も伝えることはできないでしょう。これは何に対しても言えることだと思います。能力よりもまず「心」。「心」がこもっていれば、ちゃんとそれは相手に伝わります逆に言えば、ないがしろにした「心」を能力でカバーすることなどできないということです。しかし、だからといって言語が全く通じなければ、やはり意思疎通は難しいことでしょう。より広い可能性を掴むためにも、英語の勉強に励みたいです。また、楽しい時間を与えてくれたAPUメンバーには感謝でいっぱいです。

今回の修学旅行では、楽しみながらも多くのことを学べました。楽しい仲間達と質の高い時間を送ることができたと思います。この修学旅行をより良いものにしてくださった方々には、迷惑をおかけした時も多くあったと思いますが、この場をお借りしてお礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました。

 

 

 

修学旅行で学んだこと

 

今回の修学旅行で様々なことを学んだと同時に、九州でしか体験できないこともたくさんありました。

初日は、北原白秋ゆかりの地である柳川のドンコ舟に乗りました。趣ある景観を進みながら、北原白秋の生い立ちについて知ることができました。三日目は、阿蘇山と水前寺公園、熊本城を訪れました。大自然の雄大さと日本人の美の意識を肌に感じることができました。五日目は、太宰府天満宮と九州国立博物館を訪ねました。人類の文化の発展に心を馳せることができました。

二日目は、今回の修学旅行の目的の二つの柱の一つである、立命館アジア太平洋大学での異文化交流でした。僕たちの班のリーダーであるブライアンさんはとても面白い方で、楽しく交流することができました。パネルトークでは、「違い」ということがテーマでした。その国にはその国の文化が あるので、他の文化と異なる点があることは当然のことです。それを比較して、どちらが良いとか悪いとかという話ではなく、それぞれの良い所を組み込んで、より良い文化ができることが大切なのだと思います。それに付随して、グループディスカッションでは「グローバル化とは」というテーマがありました。「グローバル化」とは何かと尋ねられた時に、僕は「one for all, all for one」という言葉を思い浮かべますここでの「one」は一つの国を指し、「all」は世界の国々を指します。一つの国の長所は世界の国の文化を発展させ、世界の国々の多様な文化は一つの国の文化を発展させますこれが理想の「グローバル化」の形だと僕は思います。APUでの体験を通して異文化理解という形に繋がりましたが、身近に異文化に触れ合う機会がないので、非常に貴重な体験になったと思います。

四日目は、修学旅行の目的の二つ目の柱である、長崎平和学習でした。太平洋戦争末期の原爆の、広島、長崎への投下は歴史の教科書に載っています。しかし、そこには一九四五年の八月六日に広島に、九日に長崎に投下されたという客観的事実しか載っていません。したがって、原爆資料館で平和講話を聞いた時は衝撃的でした。僕には空襲を経験した八十歳の祖父がいますが、原爆は経験していません。非常に貴重な体験となりました。

江戸取に入学して以来、中一の福島への研修旅行、中二の茅野への体験学習、八月の箱根への勉強合宿と、何度も学年単位での宿泊を行っていますが、その全てに共通していることは、「他の人々の努力があって成り立っている」ということです関東鉄道をはじめとする各バス会社のガイドさんや運転手さん、行く先々のホテルの方々、食事を作ってくれている方々など、様々な人の支えがあって成り立っています。今回の修学旅行も例外ではありません。特に今回は、日数も多く、移動も多かったので、たくさんの方々に感謝しなくてはなりません。今回の修学旅行で学んだことを活かせなければ、支えてくださった多くの方々に示しがつきませんこれからの生活をどのようにしていくのかをしっかりと考えて日々の学校生活を送りたいと思います。

 

 

 

修学旅行を通して

 

今回の修学旅行では書ききれないほどたくさんのトピックスがありました。その中でも印象的だったAPUの方との交流についてお話します。

私たちの班を担当して下さった方はインドネシアから来られた女性のアイさんでした。アイさんは落ち着いた雰囲気を持っていて頭には淡い青色のスカーフを巻いていました。その頭に巻いているスカーフは普段めったに見ることはないけれども、アイさんにはとても似合っていて私は引き付けられました。私はインドネシアの文化について知らないことが多いので、そのスカーフのことを聞くのは失礼なのではないかと思い、聞けませんでした。しかし、アイさんの母国であるインドネシアについてもっと知りたかったので、家で調べてみましたあのスカーフは「ジルバブ」と言われ、イスラム教徒の方が多く被られているようです。また、この「ジルバブ」を被っている方は厳格なイスラム家庭で育ったと思われる傾向にあるようですが、「ジルバブ」を被るかどうかは個々人の判断に委ねられます。ただし、「ジルバブ」を被るということは、神様に対して約束することに等しく、一度被ると決めたら、一生被らなければならないそうです。私は驚きました。私の日常生活において宗教と関わりはほとんどありません。例えば、お正月には家族で初詣に行きます。受験の時は合格のお願いに行きました。修学旅行では、観光で太宰府天満宮に行きました。そう思い返してみると、私は宗教に触れる機会は少なく、一生の約束ではなく、苦しいときの神頼みとして触れる機会が多い気がします。もしかすると、日本ではこのような考え方のほうが多いのかもしれません。日本には「八百万の神」という言葉があるように、その頼みに見合った神様たちが数多くいます。例えば、水の神様や火の神様、狐の神様などです。「多くの神様は自然の中に存在して、人間もまた共に生かせてもらう」という考え方があるのではないでしょうか。

このように、インドネシアと今私がいる日本の文化の違いを短い時間でも数多く見つけることができました色々な宗教があり、色々な考え方がこの世界にはたくさんあります。その中の少しでも、今回他の文化に触れ合えたことで私の中の世界観も広がったような気がします。「それぞれが別々でもそれらに優劣はない。」という思いから、『みんなちがって、みんないい。』という金子みすずの詩が思い出され、APUの方の温かな笑顔が心に浮かびます

この修学旅行を通してAPUで学んだことはもちろんですが、友達と一緒に笑いあい、一緒に行動できたからこそ、思い出に残るよい経験となったと思います。この修学旅行でお世話になったホテルの方や先生方に感謝して、私の一生の思い出にしたいと思います

 

 

 

7組

九州修学旅行

 

 今回の修学旅行は、4泊5日で九州に行きました。大きなテーマとしては立命館アジア太平洋大学での異文化体験と第二次世界大戦、太平洋戦争で原爆が投下された長崎での平和学習です。

 まず、初日は飛行機で福岡へと飛び、バスで水郷柳川へ行き、川下りを体験しました。

 向かう途中でバスガイドさんが本当の川ではなく昔そのあたりに城がありその堀を船頭によって進んでいくものだと話をしていました。僕達が行った日は明治時代に多くの詩や童謡を残した北原白秋の白秋祭の日で、装飾等が祭仕様となっていました。川沿いには柳が垂れており、綺麗でした。

 次に2日目はAPUです。僕達の班のリーダーの方はパキスタンの人でした。日本とパキスタンの違いについていろいろと教えてくれました。自分達にとってはごく普通の日常的なことも、外国人達の目からは奇妙なことがある。そういう違いがあることをとても面白いなと思いました。もちろん、奇妙に感じることだけではなく、共感できたこともありました。僕達の班のナヒードさんは日本の敬語や相手を尊敬する姿勢が好きだと言っていました。外国の人から自国をほめてもらえると嬉しいし誇らしい気持ちになりました。まずは互いを認めることが大事だと思いました

 APUは予想していたよりも大きくとても良いところでした。学生の半分が留学生ということで、あちこちで英語が飛び交っていて外国に来たのではないかという程でした。また、明るい人が多かったのが印象的できた。笑いながら話しかけてくれたり、笑わせてくれたりしました。初めはちゃんと話せるのか、ちゃんと通じるのか、と心配でしたが安心しました。今後世界のグローバル化が進む中で明るく積極的にコミュニケーションを取っていく姿勢はとてもヒントになったと思います。もっと英語を頑張って高2のカナダへの旅行では現地の人と話してみたいです。

 4日目の長崎では、原爆資料館で戦争や原爆の悲惨さを改めて感じました。投下後の写真を見ると、爆心地に近いところは、焼け野原になっていました。その後、被爆者の原田さんの貴重なお話を聴きました。直前に資料を見ていたり、「火垂るの墓」の劇を観ていたこともあって頭の中で鮮明に光景が浮かびました。

 まだ世界には多くの核兵器があります。それも広島、長崎の何十倍、何百倍というものです。唯一の被爆国として訴えていかなければいけないと思います。日本も真珠湾や東南アジアでひどいことをしてきました。結局武力で解決することはできないのです。そのことを分かって欲しいと思います。今回は様々なことを感じたので、今後に生かしていきたいです。 

 

 

 

修学旅行を通して

 

 私がずっとずっと楽しみにしていた4泊5日の九州修学旅行は、あっという間に終わってしまいました。とても充実した5日間で学んだことも多くありました。修学旅行は毎日が最高に楽しかったのですが、特に私が印象に残っている活動が2つあります。

 1つは、2日目に行ったAPUでの活動です。私はこのAPUでの活動で重要な任務を任されていました。それは、江戸取の学校紹介の英語でのスピーチです。2週間前先生からこの任務を頼まれたとき、学年の中の5人に選ばれたのだと思う嬉しい気持ちと、みんなの前に立つことが苦手だなと思いとまどう気持ちの両方がありました。しかし本番直前では、ここまできたのだから、江戸取の中等部23期生の代表としてすばらしいスピーチをしようと強く心に思いました。壇上に立つと、顔がこわばり足が震え、自分の鼓動が鮮明に聞こえる程緊張しました。読んでいる最中は必死で頭が真っ白でしたが、あっという間の4分間でした。読み終わって礼をすると、大きな拍手が私を包みました。私は言葉では言い表せない程の達成感を覚えました。舞台裏に帰ると、相当ほっとしたのか、涙があふれました。英語の発音はネイティブにはまだまだ遠いものでしたが、自分の精一杯を出せたので良かったです。また、この経験は自分を成長させる良い経験になりました。自分の知らなかった世界がまた1つ見えた気がします。何事も経験することが大切だなと思いました。そして、こんな貴重な機会を与えてくださった先生方に感謝したいです。

 また、APUで過ごした1日を通して、「グローバル化」について深く考えることができました。人間は誰しも他人と違わないでいたい、違うのが怖いと思っています。特に私たち日本人はそういう仲間意識が強い方だと思います。しかし今回、歴史、文化、風土、マナーが自分たちとは違う人と関わっても、私は全く怖くありませんでした。むしろそういう違いに興味や新鮮さを感じました。グローバル化を目指すには、自分たちから知ろうとする、お互いに理解し合おうとする姿勢が大切ではないかと思います。そして、これからグローバル化社会に飛び込んでいくにあたって、自国に誇りを持つことを忘れないでいたいです

 2つ目は、長崎平和学習です。原爆資料館を見学し、平和講話をお聴きして当時の状況を正しく認識することができました。目を塞ぎたくなるような惨劇でしたが、私たちは決して目を背けずしっかりと事実に向かい合わなければならないと思いました。人と人とが憎しみ合い、それに巻き込まれた弱い子供や老人が次々と亡くなっていくなど絶対にあってはなりません。これから未来を引っ張っていく私達が果たすべき役割は、原爆や戦争の脅威を世界に伝え、未来から戦争というものを消し去ることです。これはすごく難しいことですが、まず私たちは今ある平和を大切にして、当たり前になってしまった幸せを噛みしめて生きていきたいです。

 今回の修学旅行全体を通して、「心配り」というものを学ぶことができました。今回、一般客の方々と過ごすことが多かったので、心配りを気にする場面がたくさんありました。私はいつも周りが見えていなくて、周りの人に迷惑をかけることが多々ありましたが、修学旅行を通して全体を見る目というものが少し養えた気がします。これからもこの素晴らしい経験を生かして、江戸取の生徒としてふさわしい行動をとっていきたいです。

 

 

 

修学旅行を終えて


 私は今回の修学旅行で色々なことを経験し、学びました。まず一つ目は、2日前のAPUでの大学の生活です。私は正直、2日目のAPUは憂鬱に思っていました。英語でコミュニケーションなどとったことがないし、どうすればよいのか分からなかったからです。しかし、実際にAPUに行ってみると、リーダーさんが日本語で話しかけてくれたので、とても安心しました。そして、「不思議の国日本」では、日本はやはり時間やマナーに厳しい国である、と感じました。 そのため初めて外国人の方が日本に来た時に住みにくいと感じてしまうのではないか、と思いました。しかしマナーや時間が厳しいからこそ住みやすい国になっている面もあるのだな、と思いました。次に日本は皆がリーダーの意見に従うということです。確かに、日本はリーダーの意見には絶対服従という面があります。もしメンバーの一人がリーダーの意見に従わなかったら、他のメンバーに白い目で見られるという空気があります。私はそれは窮屈だなと思いました。なぜならリーダーだけの考えでは 生まれないものがメンバーが互いに意見をぶつけ合うことによって生まれることがあると思うからです。そこは日本の短所だと思いました。次は人と違うことは怖いこと なのかと言うことです。私は 「人と違う=仲間はずれ」という意識が強く、自分が本当は思っていなくても人に意見を合わせてしまうことが多いです。しかしこれは自ら自分の個性を否定し、他人の違いを受け入れることを拒絶しているのです。これでは新しい考えや物は生まれません。だからこれからは人と協力しながらも自分の考えをしっかり持って、物事に取り組みたいと思います。今回、グローバル化で 大事なことはまず他人の自分との違いを受け入れ、認め合うことであると思いました。

次に戦争の悲惨さについてです。私は長崎にいき、改めて戦争は本当にしてはいけない、人と人が傷つけ合い、数え切れないくらいの人が殺される。しかしその大きな代償を払って生まれる物は、人を含めた物質の破壊、残った人の持って行き所のない憎しみや苦しみしかないのです。原爆は二度とやってはいけない、しかし核開発は今も続いている。これは唯一の 被曝国である日本として核の全廃を訴えなければいけないと思いました。そして今も続いている戦争。戦争は大地にただ線が引いてあるだけで争い、皆同じ人間であることを忘れてしまう恐ろしいものです。今の平和があるのは私たちの先祖のおかげであることを忘れず、平和が続くようこの戦争の悲惨さを伝えなければならないと感じました

次に生活面では色々反省することがありました。私は周りへの思いやりや配慮が足りなく、自分の楽しさだけを求めてしまう所があると思いました。しかしそれでは自分だけが楽しみ、他人を不愉快にさせ、社会ルールが崩壊します。反省しただけで は意味がないので、学校生活では場の空気やその場に身を置いている人のことを考え、行動したいと思います。

 

 

 

8組

思い出深い修学旅行

 

今回の修学旅行では、1年生の時に行った研修旅行、2年生の時に行った体験学習では学べなかったようなことを体験し、新たに発見できた有意義な時を過ごせました。

 様々な九州地方の県を巡った中で特に印象強かった場所は、4日目に訪れた長崎原爆資料館でした。原子爆弾の恐ろしさを知らない私にとって、その事実を目の当たりにすることは大変心が痛みましたが、原爆によって日本が受けた被害の大きさや、また何も悪くないにも拘らず犠牲となってしまったたくさんの尊い命があったことは、将来自分も大人になった時に後世に引き継がなければならない、と強く心に決めました。特に平和 講話では、6歳の時に被爆体験をしたとおっしゃっていた原田先生からお話を伺うことができたのですが、今平和である日本に生まれたことに感謝をし、戦争は二度と人間の手によって起こしてはならないのだと深く感じ、思わず流してしまった涙を止めることができませんでした。同時に、3月11日に起きた東北地方太平洋地震の被災地の惨状とも重なります。今自分ができることに進んで取組むとともに、一刻も早く復興することを心より願いたいという気持ちを強くしました

 2日目に行った立命館アジア太平洋大学での異文化交流は、夏休みの短期留学でオーストラリアへ行っていたこともあってとても楽しみにしていたものの1つでした。私達の班のAPUリーダーはベトナム出身の留学生だったのですが、同じアジアでも歴史や風土、風習など文化の違いがたくさんあり、とても興味深く感じました。将来グローバル化社会で生きていく身として、今回のきっかけとして相手の意見や考え方を尊重し、自分の視野を広げられるようにしていきたいです。また、今回の意見交換は世界共通語である英語でやり取りをしました。ですから、自分を高めるためにも英語の勉強を頑張り、将来的に英語圏の人達や英語を第二言語としている多種多様な人たちと思った通りに意思疎通し、意見を交わせるようになりたいと思っています。

 九州はこれまで訪ねる機会の少ない地域だったのですが、色々な観光地を仲間と共に巡り歩いてみて、今まで興味の湧かなかった地理・歴史に興味を持ちました。関東地方に帰ってきた今でも九州のことをよく調べていて、また訪れる機会を楽しみにしています。

 また今回の部屋割で、普段あまり会話をしないクラスメートとも同部屋になったのですが、色々な人の意外な一面を見ることができ、またより深い友人関係を作る良い機会となりました

 

 

 

修学旅行へ行って

 

 今回の修学旅行は良い思い出となったと共に、2つのことを学び、考える事が出来ました。

 1つはAPUでの異文化との関わり方、グローバル化についてです。まず異文化との関わり方ですが、僕たちの班はガーナのポールさんが担当してくれました。僕にはガーナについての知識はあまりありませんでしたが、カカオ豆が有名なことくらいは知っていました。しかしポールさんが繰り返し言っていたのは「トマト」でした。ガーナではトマト料理が多く食卓に上るらしく、「日本ではトマトがなかなか出てこないのでもっとトマトが出てきてほしい」と言っていました。他にも日本とガーナでは異なる点が多いと言っていました。僕は日本と外国では食文化において異なる点が多いのだと思いました。食文化も含めその国の文化を否定することには意味がありませんし、交流を深めていくには相手のことを認め、受け入れることが必要なのだということに気付きました。また、知識は豊富な方が話す内容が増え、話していて楽しいと思いました。

グローバル化が今後より進むことは確実です。特に日本は資源が乏しい国です。日本で生活するには他国と貿易することが必要不可欠です。また、今は円高で日本の企業は多大な損失を負っているのが現状です。そのようなお金の流れも含めて調整することが大切なのだと思います。そのためにも、今後は外国の人々と話す機会が増えたり、会社に就職するためにTOEICなどで高い点数を取ることが 必要になるに違いありません。英語は理解できるようにしておくことは、将来のためにも必要であると思いました。

 2つ目は長崎で原爆資料館を見たこと、平和講話をお聴きしたことです。日本は唯一の被爆国です。そのことをしっていても今までは正直、そこまで深くは考えていませんでした。しかし今回そのことを深く考える良い機会になりました。また今年は東日本大震災により、福島の原子力発電所が壊れ放射 性物質が出てしまったということもあり、放射能問題について もより深く考えることができました。

 世界に戦争は必要ありません。人が死に建築物が破壊され、良いことなど1つもありません。また世界中に多くの核兵器がありますが、それも必要ありません。今はそれで互いに牽制し合っていることでバランスが取れて現状が維持できているのかもしれません。しかし、もしもある国が核兵器を使用した場合、報復措置として敵国も核兵器を使用することはほぼ疑いありません。結果的にはその繰り返しになるはずです。多くの人が死に、しかしそれでも得られるものは何もありません。もちろん、いきなり核兵器の全廃は不安に感じられ、不可能かもしれません。しかしそれぞれが少しずつ互いに信頼を築き、安心できれば核はいずれなくなるに違いありません。国際的に協力、信頼の関係を築くためにも、やはりグローバル化は必要だと思いました。

 

 

 

修学旅行を終えて

 

 僕は、修学旅行を終えて思ったことがいくつかあります。

 1つ目は「感謝」です。今回の修学旅行に行かせてもらうために、親にはとんでもない額のお金を 負担してもらい、また担任の先生や学年の先生、副校長先生にまで、多大な迷惑と心配をおかけしてしまいました。そしてなんとか修学旅行に連れて行ってもらえたので、とても嬉しかったです。そして嬉しかった気持ちと同時に申し訳ないという気持ちも少なからずあります。 ですからこれからは迷惑をかけることの無いように、普段の行動から改めていきたいと思います

 2つ目は「集団行動」です。僕はどちらかというと集団行動は苦手です。何故かと言うと、自分の失敗が班の失敗になるからです。班の失敗を作らないようにすると緊張するので集団行動は苦手です。しかし今回の修学旅行は、その修学旅行が5日間も続きました。まず、朝の集合時間です。いつもの学校の日と違って遅刻したら班、クラス、学年全員に迷惑をかけることになってしまいます。 したがって規定の集合時間より結構早く到着出来るような時間に家を出ました。結果迷惑をかけることもなかったのでよかったです。1日目〜5日目の行動班の際は、迷惑をかけないように動けたと思います。部屋での自由時間や大浴場の時間(大浴場は1、2日目だけですが)はとても楽しかったです。普段、家だと学校から帰宅したら1人なのでやっぱり友達がいると違いました。泊まったホテルもお金がかかっているだけあると思いました。有名なホテルだと出てくるご飯も他とは随分違って驚きました。朝食と昼食はあまり食べられませんでしたが、夕飯はたくさん食べることができたのでよかったです。しかし、夕飯を食べ過ぎると次の日の朝、体調が崩れ易くなるので、翌日そこまで崩れなかったことにホッとしました。

 3つ目は「これから」です。修学旅行が終わり、気持ちを入れ替えるには丁度いいタイミングだと思います。今までなんだかんだ言ってダラダラしていたので、今のような状況になってしまったのだと思います。普段の生活はもちろん、勉強面においても12月の頭に後期中間試験があります。前期の試験は 散々な結果だったので、後期はきちんと勉強したいと思います。そのため、まずは授業をしっかり聞かないといけないので、なるべく学校を休まないようにしたいです。

 最後に、今回の修学旅行はとてもいい思い出になりました。APUの発表のときにクラス代表の方々のスピーチがとてもかっこよく、「自分もあれぐらい出来たらいいな」と思いました。もちろんそれにはそれなりの勉強をしなくてはなりません。そして今回の修学旅行は、今までの悪循環を断ち切るいい機会になると思います。それを活かせるようにこれから改めて、考えて行動したいです