演劇鑑賞「火垂るの墓」 |
1組 「今の幸せに感謝」 今日演劇を鑑賞しました。「火垂るの墓」は以前テレビドラマで拝見したことがあり、大まかな内容は分かっていました。ですから、ミュージカルと聞いて一体どんなものになるのかといろんな想像をしていました。演劇を 観て私は平和とは本当にすばらしいものだと実感しました。ついこの間まで好きなものを食べていたのにある日突然物不足になり、明日の食べるものも危うくなるなん て考えたことがありませんでした。私は特に食べることが大好きなので好きなものを食べられないというのはとても辛く感じます。私たちは戦争を知りません。ですから、実際の状況がどんなものかなどは想像を越えるものだと思います。劇の中の内容にもあったように戦争は何も残らない。残るのは人の悲しみや無念。そのことに私たちは戦争が終わってから気づいてしまったのです。もし、その当時戦争はやめておこうと 言えた人がいたならば運命は大きく変わっていたかもしれません。しかし、たくさんの悲しみや苦しみを知ったからこそ今の平和があるのだと思います。戦争は決してすべきではありませんでした。だからこそ今の幸せに感謝しなければいけないのだと思いました。 「平和の尊さ」
今回劇団ポプラさんの火垂るの墓を鑑賞しました。「火垂るの墓」は戦争で母を失い兄妹で力を合わせて生き抜いていく話でした。お金があっても街に食糧不足で食べ物が売ってないという状況でした。今は豊かな暮らしのおかげで何か食べたくなったらふらっと外のコンビニ等にいけば食品がたくさんあります。当然自分にこんな経験はありません。毎日その日を生きるために必死になっている清太たちの姿は感動的でした。 |
2組 「火垂るの墓」を観て 僕が「火垂るの墓」を観劇して思ったことは、戦争は人間から人間としての尊厳を奪ってしまう、ということです。 「火垂るの墓」の中で、戦後50年経った阪神・淡路大震災のときに、語り部の父が清太と節子のことを思い出して謝る、という場面に、僕は衝撃を受けました。語り部の父は生き残りましたが、50年間ずっと、自分だけは助かったことに罪悪感を持ち続けてきたのです。僕は今まで、友達や家族を失った人の悲しみについては考えたことがあっても、罪悪感については考えたことがありませんでした。悲しみ、憎しみ、怒り、罪悪感など、いろいろな負の感情が入り混じって、生き残った人の心の傷を、一生治らないほどに深くしてしまっているのだと思います。 また、節子が栄養失調で衰弱していく様子は、目を背けたくなるほど痛々しいものでした。節子は直接空襲で亡くなったわけではないので、空襲の犠牲者には数えられません。しかし、清太も節子も空襲の影響で亡くなっています。清太が三ノ宮駅で亡くなっているのを発見した人は、「今週でもう30人目だ」と言っていました。いったいどれだけの人が、空襲による食糧難や傷の悪化で命を落としたのでしょうか。それも含めた犠牲者数は、今言われている犠牲者数よりもずっと多いでしょう。 第二次世界大戦中、連合軍は日本に、日本はアジアに、それぞれ無差別攻撃をしました。相手国に圧力をかけて早い降伏を促すこと、労働者を減らして相手国の生産力を落とすことなどがその目的です。また太平洋戦争末期には、多くの民間人が兵隊として戦地に送られ、命を落としました。僕は、どんな理由があっても、このように罪のない人々を殺すことなど許されない、と思います。 人間は、一人ひとり違った「正義」を持っています。正義を掲げて行われる戦争もありますが、これは相手に自分の正義を押し付ける行為に他なりません。世界の人が平和のうちに共存するためには、自分の考えを暴力ではなく言葉で相手に伝え、同時に相手の意見に耳を傾けて、それを認めようとする態度が必要です。僕たちは戦争を知らない世代ですが、だからこそこの態度を身に付けることが大切だと思います。 「火垂るの墓」を観て 「火垂るの墓」のミュージカルを観る前に、予め配られているあらすじを読みました。あらすじには、私の同じ年の少年、病弱な母、幼い妹について書かれていました。あらすじを読んだだけでも、とても感動していたので、今回、ミュージカルが始まるのがとても楽しみでした。 今までにミュージカルというものを観たことがなかったので、わくわくしていたのですが、実際に観てみると、それは戦争の恐ろしさ、悲惨さがよく伝わるものでした。戦争では、何の罪もない人々の尊い命が、たくさん失われていってしまいます。「お国のため」といわれても、父が兵隊となって戦争に行くのはとても心配だし、辛いです。戦争では、父だけではなく、母、兄弟、友達など、本当にたくさんの人を失ってしまいます。当時は、食べ物、衣服、住居、薬など、たくさんの物が不足していました。大切な人を失っているのに、さらに自分は何もすることができないというやりきれない気持ちを、誰もが持っていたと思います。戦争していたときと今を比べると、日本はとても良い国になったと思います。今は人が一人死ぬだけでもニュースで大きく報道しています。それだけ、人が死ぬということはありふれたことではないということです。しかし、当時は、人が死ぬのが当たり前で、そこら中に死体が転がっていました…… 私は小学生の頃、旅行で沖縄へ行ったことがありました。そのときに太平洋戦争に関する碑などを見たのですが、亡くなった人の数の多さに驚きました。日本、中国、韓国、アメリカと、一回の戦争で本当にたくさんの命が奪われました。住んでいる国、話している言葉、文化、肌の色が違っていても、世界中で生きている人はみんなが同じ人間です。同じ仲間同士で殺し合うなんて、この世で一番残酷なことです。今の日本は戦争もなく、平和ですが、世界には今も戦争をしている国があります。そして、何の罪もない命が失われてしまいます。「なぜ自分がこんな目に」と思っている人がたくさんいます。同じ仲間として、毎日辛い思いをしている人がいると思うと、悲しいです。「みんな同じ人間。同じ仲間」ということを、世界中にわかってもらえたら、二度と戦争なんて起きないと思います。戦争が終わってから約60年ですが、この戦争のことは、これから生まれてくる人にも、絶対に忘れないで欲しいことです。
戦争を体験したことのない私達は、今回のミュージカルで、改めて戦争の残酷さを感じることができました。世界中で二度と戦争が起こらないで欲しいと思いました。本当にありがとうございました。 |
3組 演劇「火垂るの墓」を観て 僕は今までに演劇というものを見たことがありませんでした。人が小道具を使って劇をするよりも、映画やテレビでもっと壮大にやったほうが面白いと思っていたのです。しかし今回初めて演劇を見たことで、演劇の良さが伝わってきました。映像で何回も撮りなおしているものよりも、演劇のように人前で直にやるものの方が迫力があり、登場人物の心情がとても良く伝わってきました。今回は「火垂るの墓」をやるということで、劇中の人物それぞれに、強い共感を抱くことが出来ました。 「火垂るの墓」はアニメーションやテレビドラマなどで何回かやっていますが、僕は今まで見たことがなく、戦争中のとても重い映画である、ということしか知りませんでした。 今回、実際に見てみて、劇とはいえ、戦争には何も関係ない人たちが、戦争の被害に遭い、時には食べるものが無く、衰弱死し、時には一瞬のうちに訳の分からないまま死んでいってしまう 現実を目の当たりにしました。 また、自分は生き残ったとしても、親しい人が死んでしまい、死よりも苦しい人生を送らなければならなくなる。また、戦争によって心が悪くなってしまった人もいる。戦争には何もいいことが無く、被害が多いのになぜ戦争をしてしまったのか、ということを考えさせられました。「火垂るの墓」を観ることによって、これからそんな悲惨な戦争を二度としてはいけないということを感じることが出来ました。 劇中には、戦時という暗い中でも助け合いを忘れていない人物もいました。それは、戦争中で心が病んでいる人たちの中ではとても輝いて見えました。そのように、これからの日本にどのようなことがあっても、自分を見失わずに、他の人たちと助け合い、太平洋戦争という過去の過ちを繰り返すことなく、正しい道を切り開いていきたいです。そして輝かしい未来を築いていこうと思います。 「火垂るの墓」を観て 今回私は劇団ポプラによるミュージカルの「火垂るの墓」を観劇しました。 「火垂るの墓」という作品は著者の実体験を基にし、神戸大空襲の被害を受けた清太と節子という兄妹の物語です。 これは今までにもアニメ化やテレビドラマ化されるなど、とても有名なお話ですが、私がこの作品に触れるのは、今回が初めてでした。 また、ミュージカルということで、演劇としても興味深く、現代と過去がリンクしている場面があるなど、「今」と「昔」の比較が多かったので、生活の習慣の違いや戦争のむごさを強く感じました。 どの場面もたくさんのことを考えさせられる内容でしたが、私は特に印象に残ったものも二つありました。一つ目は広島に原爆が落とされ、人々が赤い炎の中、「熱い。痛い。」と悲痛な叫び声を上げながら逃げまどう場面です。教科書やテレビ番組などで原爆の恐ろしさをいくらか知っていたつもりでしたが、原爆によって亡くなってしまった人々が、死んでしまう直前まで、「熱い。痛い。」と助けを求め続けていたかと思うと胸が痛み、本当の恐ろしさ を目の前に突きつけられたような気がしました。 二つ目は、無事に生き残った少年が年を取り、戦争によって命を落とした清太たち兄妹に再び会うという場面です。そこで、そのおじいさんは2人に、「私は助かったんじゃない 。君たち2人が見ていられなくなって逃げたんだ。」と言います。そして自分が生き残ってしまったことを悔やみ、謝罪します。それを見て戦争がいかに人々の心に大きな傷を与えることになったのかを思い知らされました。 この劇を通して、私は改めて戦争というものの恐ろしさと、平和であることの尊さ、ありがたさを痛感しました。
この先、いかなる理由があっても、戦争はしてはいけないと強く思いました。 |
4組 「火垂るの墓」を鑑賞して 僕は今回の演劇「火垂るの墓」でとても多くのことを学びました。 1つ目は、戦争の悲惨さについてです。戦争中は食べるものもあまりない、病気になっても薬が高すぎて買えないなど、様々なことがありました。そのこと自体は、知識としては知っていましたが、何かの形で目にするのは初めてでした。なので、今回その大変さがとてもよくわかりました。また、そのことが原因で爆死や戦士などしなくても亡くなってしまう命があることを改めて実感しました。食糧不足や薬代が高すぎて買えないなどは今の日本では考えられません。しかし戦争中はそれが当たり前でした。当たり前が時代と共に移り変わってきた証拠です。良い方向に「当たり前」が変われば良いですが、世の中には悪い方向に「当たり前」になってしまったことがたくさんあります。僕は江戸取生の一員として自分の中の「当たり前」が悪い方向に向かわないように日々精進していきたいです。 2つ目は、人への振る舞い方についてです。主人公の清太と友達になる人は、清太と清太の妹の節子の前ではいつも強がっています。しかし清太と節子が見ていないところでは、兄弟もいないため、一人で清太と節子の楽しそうな様子を見て、とても落ち込んでいます。しかし、自分が悲しい顔を見せたりすると、清太と節子も不安になってしまうことがわかっていたため、無理やり笑顔でいました。このことは、今でもとても大事なことで、自分の感情で周りに不安や悲しみ、怒りなどの感情を抱かせないことへの応用が効きます。それが、今回の演劇鑑賞を通して、とてもよく理解できました。もし、不安な顔や悲しい顔を清太と節子に見せていたら、彼らも将来に不安を感じてしまったでしょう。しかし、そんなことが無かったために、彼らは生きる希望を持ち続けることができました。このことからも人への振る舞い方はとても大切だと思いました。 僕が好きなアーティストの曲で「25億秒の使い方」という曲があります。この25億秒というのは人間が80年生きていたら、と仮定した際の秒数です。しかし、戦争で亡くなられた方々の中にはこの10分の1、更には25分の1にあたる1億秒すら生きることができずに亡くなられた方も大勢いらっしゃいます。しかし、この方たちのしかし、この方たちの犠牲があったからこそ、今の日本の平和があるとも言えます。人が人を殺すことはいかなる場合においても全く良いことではありません。それを分かっていながらも犠牲がでてしまい、その方たちのおかげで平和になったというのはとても悲しく、皮肉な話です。そのことをしっかりと理解して、二度とこのような過ちが繰り返されないよう、唯一の原爆が落とされた国の一国民として生きていきたいです。 演劇「火垂るの墓」を鑑賞して
演劇「火垂るの墓」を鑑賞し、私は改めて戦争の悲惨を痛感することになりました。「火垂るの墓」の粗筋はだいたい次の通りです。 |
5組 「火垂るの墓」を鑑賞して
僕は今回「火垂るの墓」を鑑賞するのをとても楽しみにしていました。「火垂るの墓」については、今までに本で読んだり、テレビで見たりして、内容は知っていたのですが、ミュージカルとして見るのは初めてです。そもそもミュージカルとして上演していることすら知りませんでした。 観劇会を通して学んだこと
私は観劇会で「火垂るの墓」を観ました。「火垂るの墓」は太平洋戦争の頃の神戸を舞台に必死に生きる清太と節子の兄妹を描いた作品です。
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6組 「火垂るの墓」を観賞して 私は、小学校低学年の頃に一度「火垂るの墓」のアニメーションを見たことがあります。その頃は、この物語の内容や意味が良く分かっていませんでした。また、この劇のパンフレットを見るまで題名を口頭でしか聞いたことがなかったので「火垂るの墓」ではなく、「蛍の墓」だと思っていました。初めて「火垂るの墓」だと知って私が思ったことは、「火垂る」とは、空襲で火が垂れる、火の粉が舞っているなどの様子を蛍の光に見立てているのだろうかということでした。 劇が始まってすぐの空襲のシーンで数名の劇団員が赤い布に映し出された演出がとても印象に残っています。少ない人数しかいないのに、ライトの当て方などの工夫で、何人もの人々が逃げ惑う光景に見えました。布を揺らすことによって、メラメラと燃え盛る炎の中に影が現れては消えていく光景が、とても怖く感じましたが、その技法に幻想的な雰囲気を感じ、劇に引き込まれていきました。式典や講話、総合学習などで使われるステージがこんなにも変化することを知って感動したからかもしれません。私が座っている席からはたいてい小さく感じるステージがとても大きく見えました。 「戦争が、悲しく、恐ろしいものだ。」ということは、小さい頃から何度となく聞かされてきたので知識としては知っています。ですが、自分が体験したことはないので、実際に戦争がどのようなものだったのか、戦争の被害者がどのような苦しみを背負っていたのかを想像することは容易なことではありません。それを、戦争を体験したことがない劇団の方々は創造し、素晴らしい演技で私たちに伝えてくださいました。空襲などに警戒しながら、必死に今を生きたいという当時の方々の気持ちがひしひしと伝わってきました。 今の私はお腹が空いても家に帰れば食べ物があります。コンビニエンスストアやスーパーで購入することも簡単です。私は本当の空腹というものを知らないのだと思います。例え、授業中にお腹が空いたとしても、すぐに何か食べなければ死んでしまうというような危機ではありません。自分より幼い節子は栄養失調が原因で亡くなってしまいました。私とちょうど同じ歳の清太は、幼い妹のために自分を犠牲にしてまで必死に守ろうとしていました。この時代に生まれ、こうして平和に生きていられることが本当に恵まれていることなのだということを忘れず、感謝していこうと思います。 また、戦争を生き延びた人の心にも決して消えない後悔や心の傷を戦争は残していくということを知りました。戦争が奪っていくのは何も命だけではないということをこの劇を通して学びました。私たちは二度と戦争を繰り返さないと共に、戦争の恐ろしさを絶対に忘れてはいけないと思います。今、この瞬間にもどこかで、戦争によって罪のない人々が苦しめられています。私にそれを止めるだけの力はありません。ですが、亡くなっていった方々の思いを伝えることができます。どんな小さなことでも私にできることを実行して「平和」に貢献していきたいと思います。 「火垂るの墓」を鑑賞して 今回、「火垂るの墓」という演劇を見て、「戦争とは、何の罪もない人たちを何百人、何千人、何万人も殺してしまうものだ。」と痛感した。 原爆は戦争兵器の中でも一瞬にして広島と長崎の大量の人の命を奪った恐ろしい兵器である。しかし、戦争は原爆だけではない。戦闘機で空から爆撃を行い、日本各地の幼い子や女性、お年寄りの方も巻き添えにし、多くの被害と死者をもたらした。今現在でも、中東の地域では自国の領地を争って紛争が起きていて、多くの人々が命を落としている。 僕は、ミュージカルを見たことがなく、アニメの「火垂るの墓」を見たこともない。そのため、ミュージカル自体がどんなものなのか、「火垂るの墓」がどんなストーリーなのか楽しみだった。この「火垂るの墓」を見て、戦争の悲惨さが良く分かった。また、気持ちや状況を音楽に乗せて表現するため、より気持ちが心に響いた。 戦時中の食料は配給制で、食べられる食料の量は圧倒的に少なかった状況。なおかつ、労働をさせられたり、訓練をさせられたり、体力的にも厳しい。それは子どもであっても例外ではなく、過労と食料不足で命を落としてしまった子どもたちが多くいたと推測される。これまで、太平洋戦争において、爆撃された都市が沖縄と東京、広島と長崎しか知らなかったため、この劇中で、神戸などの都市も空襲を受けたことを知った。太平洋戦争は、日本の一部ではなく、日本全体を焼き尽くした惨い戦争だったことに悲しみを覚えた。 僕には、妹と弟がいるが、こういう場面に遭遇していたら、たぶん逃げ切れないで死んでいたと思う。清太のような兄になれたかどうかわからない。清太は妹のために必死に食料を探し求め、最期まで奔走する姿勢を貫いた。その姿に感動し、僕も普段から、家族のために何かできることはしようと思った。 第二次世界大戦で原爆が広島と長崎で落とされ、爆発によって亡くなった方々と放射能を浴びて亡くなった方々もいる。今も、原爆の後遺症で苦しんでいる人たちもいる。東日本大震災では、福島の原発から放射性物資が放出されていることが、世間で騒がれた。原発からできるだけ遠くに離れて暮らすことや、飲料水や農作物に放射性物質が含まれていないか検査することが毎日報道されているが、原発が大きな爆発を起こさなかったことを幸運に思いたい。
僕は、このような戦争を二度と起こしてはならないと思う。長崎と広島は、世界の中で特別な都市である。負の遺産として原爆を落とされたという歴史があるが、長崎には平和祈念像、広島に原爆ドームがある。もう原爆兵器を使ってはいけない、という強い気持ちが込められている。僕たちはこれを次の世代に伝えなければならない。そして、もう二度と太平洋戦争のような、国中の人々の命を奪ってしまうような戦争をせず、平和に暮らせる世界を築いていかねばならない。 |
7組 火垂るの墓の感想
この演劇を見る前には、戦争の話なので暗い話でいやだなと思っていました。本格的に演劇に入った最初の場面は、ただ遠くの方へ逃げているだけだったので、あまり戦争の大変さは感じませんでした。しかし、清太と節子がお母さんが生きていると思っている所で、僕はお母さんは死にかけていると分かっているので、いつも通り3人で生活できると思っているのがかわいそうでした。清太が母の死を知ったのに節子に言いませんでしたが、節子にいつそのことを言えるか分からないし、いつばれるかわからない不安を1人で抱え込んで大変だと思います。叔母の家に行っても碌な食事もできず、母の形見の着物と交換して手に入れた米の半分くらい叔母に取られてしまい、かわいそうでした。確かに叔母の言う通りに、清太と節子は世話になっている身だし、遊んでしかいないので、何も言い返すことができなかったと思います。何も言えずに悔しかったと思います。 「火垂るの墓」を観て
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8組 演劇「火垂るの墓」を観て 今回の演劇では、戦争がテーマになっている「火垂るの墓」を鑑賞しました。間近に迫った修学旅行で私達は原爆資料館に行きます。原爆資料館を見学するだけでなく平和講話等も聴いたりするのでその事前学習としてもこの演劇はいい機会だったと思います。 劇全体を観て私は「今と戦時中の生活の違い」を痛感しました。特に今の食料自給率の話になって兄妹2人が語り手の残飯をもらい喜んでいる場面では胸が痛くなりました。今私達は当たり前のようにご飯を食べることが出来ます。又、当たり前のように食べ物を残します。しかし戦時中は残すどころか充分に腹を満たすのさえも困難なのです。それを考えてみると、いかに私たちが恵まれた生活を営んでいるか、普段「当たり前」と思っていることがどれだけ幸せなのかを痛感させられます。つまり私達にとって「当たり前の生活」が一番の幸せなのです。これをずっと忘れてはいけないなと思いました。 又この演劇で戦争は恐ろしいものであることを改めて感じました。死と常に隣り合わせというのも勿論ですが、私が怖いと思ったのは「戦争は人を人でなくする」事です。今回の劇では日本で生活する人達の様子が描かれています。しかし戦争に駆り出された人も、捕虜を殺すように命令されたり、慣れてくると平気で人を殺してしまったりする、とテレビで見たことがあります。こんなこと、今では考えられませんが、紛れも無い事実だったと思うと、正直この時代に生まれてこなくてよかったと感じてしまいます。 今回の演劇を通じて私は様々なことを考えさせられました。これらのことは決して忘れてはなりません。そのためには私達が次世代へ語り継がねばなりません。大人達がつなげてくれた平和のバトンを私達も渡せるようにしていきたいです。 「火垂るの墓」を観て感じたこと 僕は火垂るの墓を観て、いろいろなことを感じることができました。まず1つは、清太の節子に対する優しさです。清太は空襲によって母が死んでしまったことを節子のために言わないであげたり、衰弱が進み寝たきりになった節子のために空襲の時に自分だけ他の家に入って食べ物を盗むことさえしている節子の姿に、とても感動しました。だから、よけいに節子の死が悲しかったのだと思います。 僕にも兄弟がいるので、清太と節子のような互いに協力し合いながら生きていけるような兄弟になりたいです。 そして、もう1つ感じたことは戦争の恐ろしさです。僕は戦争について考えた時、あまり戦時中の暮らしのイメージがわかなかったのですが、今回火垂るの墓を観て、毎日わずかな食物で飢えをしのいで、空襲に備えて緊張しながら寝ていたのだと思いました。 これまで、普段学校に通って、勉強し、時間になったらご飯を食べて、夜は寝るといった生活が普通だと感じてきました。しかし、戦争時に比べると、それがどれほど幸せなことなのかを実感することができました。僕はこれからは、勉強ができることにありがたみを感じながら取り組みたいです。 僕達3年生は今度九州修学旅行へ行ってきます。その時に実際に原爆を体験した方の話をうかがえる機会があります。その話を僕達の心の中にしっかりと受け入れて、それを僕達の子供の世代の人達に伝えることも、我々が果たすべき大切な役割なのだと、今回強く思いました。 戦争の被害者は何にも関係のない国民だと言うことをよく聞きます。もう2度と国民を巻き込まないためにも、1度戦争によって犯した失敗を反省し、子供の世代によく伝えることが大切だと思います。
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