『火垂るの墓』演劇鑑賞 感想文 |
1組 私はミュージカル「火垂るの墓」を観劇できるのをずいぶん前から首を長くして待っていました。私は幼稚園生のとき、祖母に火垂るの墓の絵本を買ってもらい、幼いながらに戦争の意味を理解しようとしたのを覚えています、中学二年生になった今、戦争という醜く、残酷な出来事について改めて考えてみると、いまこうやって生きているのさえとても幸せに感じます。ただ単に「生きる」ということでさえ、当時の人々には、私達には計り知れないほどの苦しみや悲しみ、憎しみがあったことでしょう。私は今回の 演劇を観て、生きるということの大切さや幸せさを改めて感じることができました。 私は劇の中で一番印象に残っているシーンは今と昔の食卓の違いの場面です。私達は普段、特に何も考 えることもなく、食べられないと言ってご飯を残し、捨ててしまいますが、そのご飯を一口でも分けてもらえるだけで笑顔になれる人々もいるのです。それだけで幸せだと言って感動する人もいるのです。そのような人々を考えると簡単に、食べられないから捨ててしまおうという発想はとても贅沢で幸せすぎることなのだと私は思いました。 「平和」それは世界中の人々の永遠の誓い。当時の人々の苦しみや悲しみを受け継ぎ、これから先二度と世界戦争などという出来事が起こらないようにしたいです。 今回、観劇して学べたことがたくさんあったので、このような機会があって本当に良かったです。
劇団ポプラさんの演技は素晴らしく感動しました。「戦争と平和」という難しい内容だったのに役になりきっていて尊敬しました。私は今回の演劇からたくさんのことを学びました。身振り手振りがとても大きくて何をしているのかとても分かりやすかったです。そして、第二次世界大戦時代と現代と
の生活の違いが目に見えてわかりました。役者さんたちは4・5役やっていたのに役の特徴や性格にあわせて、語調も変化させていてまるで別々の人がやっているみたいでした。役者さんの演技が上手で劇に見いり泣いてしまいました。
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2組
僕は初めて,戦争に関わってきた人々の話を聞きました。その中で亡くなった,節子や清太が全力で生きようとする姿にとても感動しました。 今の時代は食べ物が多くあるので,食べ物の大切さは今の時代よりも戦争をしていた時代の方が大切だと思っている人が多いと思います。劇で出ていた節子がドロップス1粒であそこまで喜ぶ理由が分かりました。 両親のいない子供は,誰にも相手にしてくれず,差別されて生きてきた人もいます。清太や節子はその中でも母親の親族の人に差別され,最初は温かく見守られてきましたが,最後ではまともな食料を分けてもらえず,空腹の日々に耐えていました。このことが僕にとって戦争で両親を失った子供達があっている 現実なのだということが分かりました。 次に分かったことは,戦争で生き残った人は亡くなった人の分も生きていくということです。最後のシーンで清太と節子が出てきて,勝ちゃんに生き残った人の役割を教えたところがとても悲しくなりました。けれども最初から考えてみると,日本が無駄な戦いをしなければ,多くの戦死者は出なかったと思います。このことを考えると日本は国民の命よりも戦いを選び,負けました。自分の国がそのような考えをしているとは思いたくありませんでした。今に思えば戦争は日本のいろいろな顔を見せることが多いということが分かりました。 最後に,戦争では,いろんな人たちが亡くなり,残された人々の生活が今回の劇で分かりました。そして残された人々の受ける,差別がとても苦しい思いだと分かりました。もう二度と戦争が起こらないことを祈れる気持ちになる、悲しくも平和であることの素晴らしさを実感できるミュージカルでした。
僕は,今回劇団ポプラの方々が演じて下さった「火垂るの墓」は,既にテレビで見たことがありましたが,それは何年も前で,記憶が薄れつつあったので,このミュージカルを見て,いろいろなことを思い出すことができました。 最初に,清太と節子の母が空襲によって死んでしまったときは,とても悲しい気持ちになりました。戦争とは,罪のない人までも巻き込んでしまうものなので,決してあってはいけないものだと思います。 節子と清太が西宮にいるおばさんの家から出て行ったときは,びっくりしました。なぜなら清太はまだ14歳で,節子は何と4歳だからです。4歳と14歳で家を出て行って2人で生きていくことは今の世の中でもとても大変なことですが,この時代は食料もなく,いつ空襲がきてもおかしくない時代なので,とても勇気がいることだと思い,感心しました。 2人が出て行って,とても楽しそうに暮らしていましたが,そんな日は長くは続かず,4歳の節子が栄養失調になってしまったのでとても残念な気持ちになりました。 そして,とうとう節子の栄養失調の症状が悪化し,清太が闇市で薬を手に入れたにも関わらず,節子が最終的には死んでしまったので,悲しい気持ちになりました。 僕はこの作品を見て,一番印象に残ったことは,戦争の恐ろしさです。戦争が起きると,罪のない人まで巻き込まれますし,食料を十分に手にすることができないので,人々もつらかったと思います。この作品はとても悲しいお話ですが,感動する話でもあります。戦争を体験するするということは,現代の僕たちにとってもつらいことなので,これ以上世界のどこでも戦争が起こらないようにして,平和を維持できたらいいと思います。
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3組
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4組 「火垂るの墓」はジブリ作品のひとつで今回、劇団ポプラの皆さんが演劇をしてくれました。火垂るの墓は周知の通り、「戦争」をテーマにした映画です。戦争とは、どちらかが死に、どちらかが生きる、とても悲しい行為です。しかし、それは軍人にとってのことで一般市民にとってはただ生活が苦しくなるだけのことです。劇中でも清太と妹の節子は栄養失調で死んでいます。だからこそ、人類は真の平和がくることを祈っています。しかし、平和は人間にとって不自然な状態です。だから、平和は自分たちで作っていかなければなりません。そうしなければ、平和はやってこないし、続きません。そう、平和は歩いてはきません。人々がお互いに歩み寄るしかないのです。そうしていくうちに、いつかは世界はすこしずつ平和に近づいていくでしょう。そして、その平和という意思を次の世代の子供たちが受け継がせ、その子供たちがその次の世代の子供たちに受け継がせ、といったふうに意思を受け継がせ、平和という状態を継続しなければいけません。そのために、「世界を変えるのではなく、ありのままの世界を残すために最善をつくすこと。他人の意思を尊重し、自分の意思を信じられる意思」が必要です。平和がある世界になるまでいくつかの混乱があるでしょう。その中でどのように生きるのか、様々な情報に惑わされずに自分が世界とどう接していくか、それらはすべて自分の意思で判断しなければなりません。それができる意思を手にするために人類は自分自身を変えていかなければいけないと思います。
私は、「火垂るの墓」を鑑賞して改めて家族の大切さが分かりました。空襲で、兄妹の清太と節子は母を失います。父も、海軍の軍人でいません。二人は親戚に身を寄せますが、意地悪なおばさんに嫌気がさし、家を出て行きます。私は、おばさんにとても腹が立ちました。なぜ、子ども二人を見捨てられるのだろうか。しかしそれは、仕方なかったのだと思います。当時、日本は極限状態にありました。きっと、普段は優しい人たちも自分の家族を守ることに必死で冷たくなってしまったのだと思います。今の日本なら、国が子どもを守ってくれます。しかし、もしまた日本がこのような状態になったとき、果たして国は守り続けてくれるのでしょうか。もし国に見捨てられたとき、人々はそのような子たちに手を差し伸べられるのでしょうか。このように考えてみると、本当に家族は大事だと思います。家族ならきっと最後まで助け合うことができるからです。これからは、今まで以上に私の家族を大切にしていきたいと思います。
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5組 10月26日に劇団ポプラのみなさんによる「火垂るの墓」を見ました。僕は、自分の小学校に劇団ポプラさんが来てくれまして、「オズの魔法使い」を演じて下さいました。「オズの魔法使い」は童話のお話であり、とても愉快で大変面白かったです。今回の「火垂るの墓」は、第二次世界大戦中のお話であり、中学3年生の清太と妹の節子が母を亡くしながらも、二人で懸命に生きた物語です。 この作品では「この無謀な戦争に、なぜ反対できなかったのか」ということを訴えています。戦争によって得るものより、失うもののほうが大きいのではないでしょうか。戦争は、国の政治の利益はありますが、国民一人一人は家族などの自分にとってとても大切なものを失ってしまうものなのではないでしょうか。広島・長崎には、原子爆弾の投下により、多く人の命が犠牲となりました。今でもその障害が残っている人や、家族を見捨てたことによって、心の傷を負っている人がいるようです。戦争は国民を不幸に陥れます。これからは、戦争を憎み、平和を愛することが大切だと思います。 今回で、劇団ポプラのみなさんの演劇を見るのは2回目となりました。2回ともとても面白かったです。これからも、演劇をたくさんの人に見せていただけたらいいなとおもいました。
火垂るの墓は、「二度と戦争はしてはならない」というメッセージだけではなく、私たちが忘れかけている大切なことを思い出させてくれたように思います。特に私が強く心に響いたのは、助け合う心です。私はラストのシーンよりも、兄弟が助け合って生き延びていくシーンで涙が出ました。それはきっと私にも2人の兄がいて、自分と重ね合わせながら見ていたからだと思います。私の上の兄は、自分の時間を削ってまで私に勉強を教えてくれます。下の兄は、いつも笑わせてくれて、たくさん構ってくれます。私は2人とも大好きです。兄たちが私を助けてくれるように、清太も節子を守ろうとして、必死で頑張っていました。自分だって大変なのに、助け合って生きていました。今の世の中、「自分さえ良ければいい」と考える人が増えているように感じます。イジメだけでなく、ポイ捨てや約束違反だって、そういった考えから生み出される行動です。「みんなのために」という気持ちも心のどこかにあるのに、自分勝手な気持ちが大きくなってしまうのです。確かにその時は満足かもしれないけど、悪いことをすれば後で必ず自分に返ってきます。お話の中でカッチャンが後悔していたように、自分が辛く大変な思いをすることになります。今この時世だからこそ、今まで以上に助け合っていく必要があると思います。
他にも、この舞台を見て、食べ物の大切さや、平和が当たり前なことではないこと、命の尊さなど、大切だけどそのありがたさを忘れている、たくさんの事を学びました。このような機会与えてくださって、ありがとうございました。
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6組 10月26日に火垂るの墓のミュージカルを観ることができました。日頃ミュージカルなど観ることのできない私にとって、また演劇部員としてとても感動しました。火垂るの墓の脚本は現代と過去を繋げていて、現代と過去を比較する事ができました。例えば節子と清太がつらい思いをしている横で食べ物を残す語り手のシーンです。私はそれを観ながら私もレストランや夕食で料理を残すことが多いなということ、またそれをあまり気にしないこと、どちらからも今の日本が豊かだということと、残すということはいけないことだということを実感しました。このように劇を観ながらいろいろ考えさせられました。また、脚本以上に演技力や大道具、照明、音響など、とても感動しました。照明や音響もタイミングがぴったりで、とてもすてきでした。また役者さんは、ミュージカルということで歌や動きにとても迫力がありました。とくに始めの方の赤い布に陰として映る、逃げ惑う人達の動きなどかっこよかったです。大道具や舞台構成なども驚くことばかりで、プロは本当に凄いんだなと観ていて何度も思いました。今回こんな素敵なミュージカルを観させていただいて、とても感動しました。役者さんはとても歌も演技も上手でまた脚本も素晴らしくて、とても楽しかったです。
10月26日水曜日、演劇団による演劇『火垂るの墓』が上演されました。『火垂るの墓』とは1945年(昭和20年)の兵庫県神戸市近郊を舞台とし、親を亡くした幼い兄妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わず悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語です。僕は、この話を聞いたことはありましたが、詳しくは知りませんでした。戦争というものもどういうものか、分かりませんでした。ですから、この話を見る時には、期待と恐さが入り交じった気持ちでした。しかし、公演間もなくは、まだあまり戦争の恐ろしさについて語られていませんでした。二人の兄妹、清太と節子は14歳、4歳とまだ若すぎました。それなのに二人は明るく、そしてたくましく生き抜いていました。もし僕が二人の立場なら無理だと思います。昔の人々は、食糧難で食糧がほとんど手に入らない状態でした。それなのに今はどうでしょうか?食糧が身近に余り、余ったものは捨てていっています。昔の人から見たら、絶対に許されぬ行為だと思います。今は身近に溢れ余っている食糧がなかったせいで、昔の人は死んでいったのです。そういうことをこの演劇で伝えたかったのだと僕は思います。今も昔も戦争はいけない事です。戦争をすれば人はどんどん死に、食糧難に陥るということも皆わかっているはずなのに、何故こうも繰り返されるのでしょうか。戦争をしても良いことなど何も無い、そういうことをこの演劇で改めて考えさせられました。ですから、この演劇や映画、本、アニメを見た人はこういう事を後世に伝えるべきなのだと僕は思いました。 |
7組 私は、「火垂るの墓」をアニメーションやテレビドラマなどで見る機会があったので、内容は知っていましたが、ミュージカルで見ることは、初めてだったので、迫力やその時の状況などがとてもよく伝わってきて、とても驚きました。戦争をしている時代は、遊ぶことや好きなものを食べることができず、ましてや、おなかいっぱいになることさえ困難な時代であったのを知り、とても切なくなりました。そして、これからは食べ残しやもったいない事をしないようにしようと思いました。私たちは戦争を経験したことや、関わったことがありません。しかし、今回のように戦争を題材とした作品を読んだり、見たりしてやはり戦争というものはとても怖く、そして残酷なものなんだろうと私は思いました。 戦争は一瞬で幸せだった時間を壊してしまいます。戦争をしても誰一人として喜ぶことはないと思います。また、戦争にあった方は、一生その時の、そして今でも抱えているかもしれない苦しい、悔しい思いを心の中に留めていかなければなりません。世界に目を向けると、戦争をしている国があります。そのような国と異なり、現在の日本は食べるものは手に入るし、勉強も好きなだけできる国になっています。私は、そのような国に生まれて良かったと思っています。与えられた恵まれた環境を生かし、今ある自分に感謝の気持ちを持って今後の生活を営んでいきます。そして、全世界が平和で、争いごとのないように祈りたいと思います。
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8組 僕は今回の、ミュージカル「火垂るの墓」の劇を見させていただいて、戦争は絶対に起こしてはいけないと思いました。それは、直接戦っている人たちだけではなくて、今回の劇の中の清太や節子のように、何の罪もない小さい子どもたちの命さえ奪っていってしまうからです。そして、そんな戦争が僕たちの知らない国や地域で続いていて、今この瞬間も清太や節子のように家族の命を奪われたり、直接戦いに巻き込まれて、本人が命を落としたりしていると思うと、今自分が平和で何事もなく健康でいることがとても恵まれていることなんだと改めて実感することができました。また、清太は僕たちと同じ年代の人だとは思えないくらい「大人だな」と思いました。まだ若いのに、時には節子を叱ったり、冗談を言ったりして節子が悲しい思いをしている時に落ち着かせているところがさすがだなと思いました。僕も清太のような、心の広い人になれるよう努力したいと思いました。またこの劇は、戦争の持つ悲惨さやむなしさというものを、多くの人に見やすい形で表現した良い作品だと思いました。それだけではなく、家族愛や兄弟愛なども強く感じることも出来ました。日頃の僕は親や兄弟に冷たく対応しがちです。この作品の登場人物を参考にし、もう一度家族に対してのあり方を考えてみようと思います。
私は10月26日に火垂るの墓の演劇を見ました。私は以前からこの物語を知っていましたが、ミュージカルとして見るのは初めての事だったので、とても楽しみでした。この物語は昔の日本で起こった戦争の話なので、自分では体験したことのない世界の話です。未だに戦争をしている国があるということはとても悲しいです。そのようなことを考えながら見ると余計に悲しかったです。また、この物語に登場する主人公の清太はその当時中学3年生であったので、今の私とあまり変わらないということに驚きました。それに清太の場合、自分より幼い妹の世話をしなくてはならなかった為、二人分の命を背負い生活しなくてはいけませんでした。もし私が同じ立場にいたら、妹への気遣いなども出来ず、生きようという気にもならずに死んでいたと思います。今の私たちにとって衣食住はもう当たり前のことになっています。好きなときに好きな物が食べられるという餓死の心配などいらない生活です。私は今日、戦争中も大変だけれど、戦後も大変だったということを学びました。この頃の人々は生きているということだけで精一杯だったので、どんどん心が狭くなっていき、みんなが意地悪になっていくなかで、優しさを表せるというのは、真の優しい心の持ち主だと思いました。もう、私たちの国で戦争が起こることはないと思うけれど、先日もあったような大地震はいつくるかわかりません。そのときに、私は今回の「火垂るの墓」で感じ、学んだことを生かしたいと思いました
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9組 私は「火垂るの墓」のミュージカルを見て感じたことが2つあります。 1つ目が「戦争の恐ろしさ」についてです。「火垂るの墓」のミュージカルを見ていて、私は見ているから絶対安全なのにとても怖かったです。戦争ではたくさんの人が亡くなります。お互いに全く知らない人どうしが、「国のため」と言って殺しあいます。「火垂るの墓」のミュージカルでも、「国のため」と言う言葉が出てきたり、「戦争は、人を人でなくする」と言ってました。戦争は、人を殺すだけではなく、人間としての心も壊してしまうのだと思いました。 2つ目は、「食べ物と食べること」についてです。今の日本は食料自給率は40%ぐらいで、60%は、輸入に頼っています。そして、1日3食、食べるれることがあたりまえになっています。しかし、食料の60%は無駄になっているそうです。もし、その60%の食料が戦争をしていた時に栄養失調などで亡くなってしまた人たちのもとにあったならば、失われずにすんだ命があったのではないだろうかと、思うと、その当時の人たちに申し訳ないと、思いました。今の日本は、たくさんの物があふれています。そして、次いつ食べられるか分からないという心配がないので、食事を残すことをします。それは、とてもぜいたくなことです。普段あたりまえと思っている生活が幸せであるということにもっと感謝しなければいけないと、思いました。また、一生懸命生きようとして、それでも生きれなかった人たちがいたと、いうことを忘れないようにしたいと思いました。
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