観劇会「火垂るの墓」 の感想 |
もったいないこと 1年1組 女子 主人公の清太は、私と年が二つしか変わりませんが、生活の様子が全く違います。清太は幼い妹の節子を病弱な母に代わり、世話をしながら、製鉄所に通っていました。敵の攻撃でいつ死んでしまうか分からないという恐怖におびえていました。しかし、前向きに必死に生きようとしていました。私は反対に世話をしてもらっている側で、平和な時代に生きています。これはとてもありがたいことだと思います。好きな時に好きな物を食べられるのは、とても幸せなことなのだと「火垂るの墓」を観て改めて思いました。清太と節子はドロップだけでも、あんなにうれしそうに食べていました。お腹が一杯になるだけでも幸せそうでした。清太と節子のことを思うと、食べ物を残すことが後ろめたい気がします。今は栄養失調で死んでしまうことは少ないと思いますが、戦争中は栄養失調で死んでしまうことは普通だったと思います。節子は栄養失調が原因で死んでしまいました。ダイエット中と言って食べ物を減らしたり、少しでも期限が切れてしまったお弁当などを捨てたりするのは、とてももったいないことだと思います。食べたくても食べられない人々がとてもかわいそうです。 戦争は無意味でただ悲しいだけだと思います。戦争中の人々は苦しみや恐怖で胸が一杯で、それでも必死に前向きに生き続けようとしていたのだと思います。今の私達は戦争中の人々に比べたら、とても裕福な生活です。戦争中の人々の思いを考え、戦争は無意味であるということを忘れずに生活していくべきだと思います。 学ぶことが大切 1年1組 男子
私は「火垂るの墓」を原作で読んだことがあります。原作を読んだ時も、幼い妹が食べるものが無く衰弱死してしまいました。正直言って、今の世の中、特に日本では食べるものがないということなどはまずありません。また、今は食べ物を残して捨てているような世の中ですから、食べ物で衰弱死することはまずありません。ですから、これを期に私達は食べ物を大切にしていくべきであると考えました。
まだ終わっていない戦争 1年2組 女子
今回「火垂るの墓」を鑑賞して戦争の悲惨さと、命の尊さを改めて感じました。原作にはない、原爆についても演じられていたので、より一層しみじみと感じました。
たくさんの尊い命 1年2組 男子 僕は、劇団ポプラの発表を見た時、「なぜだろう」と素直に思いました。日本はなぜこの無謀な戦争に挑んだのか、なぜ反対できなかったのかを思いました。「戦争反対」というのは確かに勇気が要ります。しかし、一人くらい戦争反対といって戦争を止めようとしてもいいと思います。あの頃は、狂気とも思える時代に戦争をしてもいいと思う人の中には、戦争に勝っている時はいいと思っていた人も少なくなかったと思います。しかし、敗戦が続いている時、国民全員が失望していたと思います。戦争で失われたものは多々あります。たくさんの人の尊い命です。
現実に起きていたこと 1年3組 女子
私は、今回の劇団ポプラさんのミュージカル「火垂るの墓」を観て、アニメーションで「火垂るの墓」を観たときとは、全く違う印象を持ちました。アニメーションよりも、ミュージカルのほうが迫力があって、昔にこんな事が現実に起きていたのだと実感できました。
地球の平和を守ること 1年3組 男子 僕は「火垂るの墓」を見て、平和の大切さを改めて感じました。今思うと、何故戦争をしていたのかと思います。第二次世界大戦末期にアメリカは、日本の広島と長崎に世界初の原子爆弾を投下しました。それによって、大量の人々が命を落としました。僕はこの出来事を他の本で見ているため、多くの死者を出していることを知っていました。第二次世界大戦末期の日本人の食事はおなかいっぱいに食べられるようなものではありませんでした。今のように、米が茶碗一杯にあるなんて事はほとんど無かったということです。そう考えると、今の日本人は朝起きて朝食を食べ、学校へ行き、学校から帰ってご飯を食べ、布団で寝るという幸せな生活を送っています。だから、今自分が普通に暮らしている事に感謝してこれから生きていきたいです。
悲しい過去 1年4組 女子 私達は戦争を知りません。社会の授業で、いつ、何があったということしか教わらず、人々の生活や気持ちは想像するしかありません。 ですが、この演劇を鑑賞して、戦争により人々が受けた心の傷を知りました。 このお話では、神戸の空襲を体験した父の話となっていますが、戦争を語る父の言葉の一つ一つがとても重く感じられました。また、こんなに苦しい状況の中でも生きる人々のたくましさを感じました。そして、戦争を体験した人達のお陰で今の私達は平和な日常を送れるのだと改めて実感し、彼らに感謝をしなくてはいけないと思いました。 戦争が終わって、戦争による悲しい過去は忘れ去られています。平和が当たり前のように保たれ、戦争の記憶は消えかけています。戦争を体験した人でなくては残せない貴重な資料を大切にしなくてはいけないと強く思いました。そして二度と戦争が起きないように、私達は努めなくてはいけません。 また、この演劇を通じて、もっと友達を大切にしようと思いました。今までの道徳授業も含めて、自分を良くしていきたいです。 目の前の利益より平和を 1年4組 女子 戦争は、なぜ世界でまだ行われているのだろうか。私は不思議に思いました。 戦争は国と国との戦いです。でも、その国の人達全員が、戦いたいという気持ちなのでしょうか。相手の国に友達がいるかも知れません。親族がいるかも知れないのです。しかも、核戦争という言葉ができてしまうほどに、戦争はどんどん激しくなっています。しかも、戦争は終わっても、本当の終わりはありません。私は「火垂るの墓」を観て、これを強く思いました。 戦争が終わっても、食べるものが無く、人々は飢えます。また戦争に行った家族を待つ人々の気持ち、戦友や家族を亡くした人々の悲しみ、救いたくても救えなかった人への罪悪感、戦争は人々の気持ちを変え、心に穴を開け、悲しませます。たとえ、戦争が終わってもそうした人々の心の中ではまだ戦争は続いています。その心の中の戦争は、その人々が亡くなるまで続くと思います。その戦争はやめたくてもどうしてもやめられないものだと思います。 私達も、いつ、どこで、戦争が起こるか分かりません。その戦争で、何を使うかも分かりません。戦争がある限り、私達は身に何が起こるか分かりません。みんなは目の前の利益より平和を望むべきです。みんなが望めばきっと、何かが変わっていくはずです。 「火垂るの墓」を観た日に、アメリカで最後の大型核爆弾が解体されたとニュースで見ました。これでまた、平和に一歩近付いたと思います。
原爆の恐ろしさ 1年5組 女子
私は今回「火垂るの墓」を鑑賞して、戦争とはどういうものなのかということを改めて考えることができました。戦争とは、食べ物も食べることができず、家族と離れて避難しなくてはならないということであり、毎日がとても辛く、苦しい日々であるということを知りました。そして何よりも、たくさんの命が失われてしまうということです。1つ爆弾が落ちただけで、その辺りは焼けてしまい、とても多くの命がなくなってしまうということが、私はとても残酷だと思いました。「火垂るの墓」で私は清太と節子が戦争の中、諦めずに頑張って生きている姿にとても感動しました。自分たちの母親が亡くなったことが分かってからも、真っ直ぐに生きていこうとする姿は、たくましく立派だと思いました。清太と節子が死んでしまったとき、私は戦争というものはこの2人のように、若くて幼い子どもの命まで簡単に奪い去ってしまうのだということも知ることができました。それは原爆でも同じだと思います。私は今まで原爆についてよく考える機会がありませんでした。しかし、今回の劇を見て、原爆がどれ程恐ろしいものであるかということがよく分かりました。
1年5組 男子
今回の演劇「火垂るの墓」を鑑賞して、戦争は決してあってはならないものだと思いました。劇の最初は明るく、喜劇のような楽しい雰囲気だと感じていました。しかし、空襲警報が出されると、一変し人々が逃げ回るシーンに変わり、やはりこの時代は戦争の時代だったのだと感じました。それから、清太と節子が二人で遊んでいるシーンは楽しそうで、戦争のことを忘れてしまうようなシーンでした。その後の空襲で母が亡くなってしまったとき、清太はとてもかわいそうでした。母が亡くなったことをまだ幼い節子には言えず、とても苦しそうにしているのが分かりました。もし自分の親が同じように突然死んでしまったら、と考えると、とても悲しく、打ち砕かれてしまうでしょう。しかし、清太は母に言われたように、幼い節子が落ち込んでいるときは励ましたり、笑わせたりしていて、本当に妹のために必死で生きているのがとても印象的でした。栄養失調で弱ってしまった節子のため、盗みまでも犯すなんて、自分には到底できません。2人のために貴重な食料を持ってきていたあの青年も、自分の食べるものが無く、生活が苦しいはずなのに、他人のことを考えているなんてとても素晴らしい青年だと思いました。
戦争の悲劇 1年6組 女子 私は、この観劇会で一つ大切なことを学びました。それは、「戦争の悲劇は、決して風化させてはいけない」ということです。今の私たちは、正直なところ戦争の悲惨さや恐怖は全くわかりません。しかし、「二度とこんな悲劇を起こしてはいけない」ということだけは伝えていかなければならないのではないのでしょうか。授業等で学習する方法は、たくさんのことが伝わるけれど臨場感が足りません。その点、観劇という形はとても理解しやすかったように思いました。 悲しい人間への教訓 1年6組 男子 「火垂るの墓」とは、太平洋戦争のまっただ中の神戸での、中学3年生の清太と、その妹の節子が一生懸命、生き抜こうとする姿を描いた物語です。 僕は、戦争というものがどれだけ、たくさんの大切なものを消していくかということが分かりました。まず、人々の命です。僕は、一番、命が大切だと思います。それを、老若男女関係なく、奪い取られてしまいます。次に、家族との絆です。戦争でたくさんの父親や、若い男性は強制的に戦場へ行かされてしまいます。今回の「火垂るの墓」の清太の父親も海軍の軍人で最後は戦死してしまいます。 僕は、清太と節子の戦争を乗り越えようと協力しているところに心を打たれました。もし、僕が、当時に生まれ、まだ幼い妹又は弟を守れと言われたら、守れるか不安で、怖くなってしまいます。しかし、清太は妹を守ると決意したときはすごいなと思いました。この物語の中には、戦争中とは思えないような、コミカルな動きで、楽しそうな場面もありました。その時は、戦争で苦しいことばかりではないと思いました。 僕たちは、戦争を体験していません。僕たちの父母も体験していません。しかし、小説やミュージカル、アニメ、映画作品などを通して、戦争がもたらした悲しい人間への教訓をどんどん未来の子ども達に伝え、僕自身も、伝えていきたいと思います。
悔いの無い生き方 1年7組 男子 先日、僕が劇団ポプラさんの「火垂るの墓」を見て、平和というものを改めて考えさせられました。僕はこの劇を見るまで、「火垂るの墓」のことを名前しか知らなかったので、とても楽しみにしていました。 僕が印象に残っている場面の1つ目は、清太の母が死んでしまう場面です。アメリカの大型爆撃機B−29が来襲してきたときに、清太は節子を背負い、母を防空壕に避難させました。翌日、清太が小学校の臨時救護室を訪れると、母は全身に包帯を巻かれた姿で死んでいました。特にこの場面で印象に残っているのは、母が死んでしまったことを知らない節子が、「お母さん、どないしたん。」と清太に質問するときに、清太が必死に、「お母さんは寝ている。」とごまかしているところです。 2つ目は、節子のバラードやドロップスの唄、市場です。3つともマイクを使っていないのに、とても大きな声が出せるのは、すごいと思いました。また、ドロップスの唄での踊りも上手でした。 3つ目は、節子が死んでしまうところです。母が死んでしまった後、清太と節子は遠い親戚の家に身を寄せます。しかし、家人が意地悪なので、清太と節子は近くの防空壕を住まいとします。やがて、8月15日。清太は日本が敗戦したことを知り、「連合艦隊は、どないしたん。」と老人に質問すると、「そんなもん、残っとらんわい。」と言われ、父が死んでしまったかもしれないと思い、悲しみに暮れます。また、清太は体がどんどん弱くなっていく節子に、なんとしても食べ物を食べさせようと、友人からもらったお金で市場に行き、卵や白身魚などを買いました。しかし、節子は飢えに耐えられずに死んでしまいました。 もし、僕が清太だったら、母も父も妹も死んでしまった世界では生きていけない思いました。だからこの平和な1日1日を大切にして、悔いの無いように生きていこうと思いました。 次の世代へと語り次ぐこと 1年7組 男子
僕は、演劇「火垂るの墓」で戦争中の人々の絆、戦争を体験して心に深い傷を負った方達の今も平和を訴え続ける強い思いを感じました。
平和の大切さ 1年8組 女子 私は、「火垂るの墓」という名前やジブリのアニメがあるのは知っていましたが、戦争のお話ということで、怖そうだという気持ちがあり、見たことがありませんでした。今回「火垂るの墓」を見て印象に残った場面がありました。
1年8組 男子 ぼくは、「火垂るの墓」の演劇を見てみて、自分は「火垂るの墓」のアニメを見たことがあったのですが、演劇で見てみるとアニメとは見た後の感じ方が少し違いました。まず、最初に思ったことは、演劇では本物の人が演技しているため、アニメの中より身近に登場人物の心情が伝わっていることです。例えば、節子が防空壕の中で、何も物を食べられずに栄養失調で弱り、死んでしまったとき、晴太の心情がどれほどつらく悲しい事だったがよく分かりました。また、戦争というものは人というものを変えてしまうという事が、母の死後行った親戚の人の態度でよくわかりました。その部分で子供相手に親戚の人が何らかの理由で差別をするところで大人げないと悲しくなりました。 次に思ったことは、晴太は心がとても強いという事です。空襲で母を置いて晴太と節子とが逃げ、晴太が火傷を負い死にかけていた母を見て本当はとてもつらいはずなのに節子の前では明るく接して、母が死んでしまったことを言わずに一人で耐えているところに僕は晴太はとても優しいのだなと感じ、もし自分が晴太の立場になったら、とても晴太と同じような行動がとれないと思いました。だから清太を見習って、これからは人に優しく、気遣える人になっていこうと思いました。 最後に差し入れを持ってきて東京に行ってしまった友達が歳をとったあと、晴太と節子の事を思い出して悔やんでいたら、晴太と節子が出てきて、晴太がみんな一生懸命生きたと言いました。これを聞いた時、自分はどうなのだろうと反省しました。本当にまじめに一 生懸命生きているかというと、自分の中に少しダレている自分がいるため、これではだめだと思いました。だから、これからはそのような部分を正して、一生懸命勉強したり、他の勉強したり、ほかの事もやり、なるべく昔の人と比べて恥ずかしくないような生き方をしようと思いました。 そして、この「火垂るの墓」の演劇を見て、昭和の戦争時代のおそろしさや、それに巻き込まれてしまった人々、平和の尊さ、生き方といったものを学ぶ事ができたと思います。 |