第13回 道徳授業を終えて

1組 家族について考える

 私は今回の道徳の授業を聞く中で、前回の遠藤先生の道徳テーマである「命の尊さを知る〜命のバトン〜」のお話を思い出して、改めて家族の大切さ・ありがたさを知って感動し、また悲しくなって、泣きました。前の授業で紹介があった「がんばれば幸せになれるよ」の本は、とても悲しくなる話でしたが、同時に「生きていたい」という強い気持ちで、余命よりも長く生きた山ア直也くんをとても尊敬しました。今の私の年齢より幼い9歳という年齢で、私より大人な考え方をしていました。今回の「ゆりちかへ ママからの伝言」は、どんな形でもいいから娘に伝言を残したいという母の強い気持ちに圧倒されました。私は自分のお腹の中に宿っている子供の命と自分の命のどちらを優先するかと聞かれたら、自分の命と即答すると思います。たぶん、テレニン晃子さんが少し特別なだけで、他の方は自分の命を優先するのではないでしょうか。(勝手な偏見かもしれませんが。) 私は前の感想文にも書きましたし、授業中でも手を挙げましたが、自分で自覚できるほどの反抗期で、親との会話が面倒くさくて時々無視してしまうほどです。でも今回の授業の話を聞き、また、母からの手紙を読んで、もっと家族との会話を増やそうと思いました。地震の話を聞いて、私もこれからは感謝の気持ちを言葉に表そうと思いました。学校の登校中に事故に遭ってしまった江戸取生の話を聞いてこれからはいつも以上に「行ってきます」を心を込めて言おうと思いました。また、悲しくなるような動画を見て目に涙が溜まっていたときに、母からの手紙を読んで涙が一気に溢れてしまいました。表面ではずっと親に反抗してしまっていましたが、本当は親のことが大好きなんだなと思いました。今度時間があったら母に、もちろん父にも、手紙を書きたいと思います。母に関しての問題で、私は11個しか正解できませんでした。これからはもっと会話して、今度やった時は全問正解できるように頑張ります。


2組 私たちはなぜ学ぶのか

 私は今日、竹中先生のお話をきいて、勉強とは様々な理由があってすることだと学ぶことができました。私が小学生のころは勉強を全くしていませんでした。しかし、中学生になってから医科コースにいるからには毎日勉強していかなければならないということを知りました。中学に入ってから私は何を思って勉強をしていたのかと考えてみると特に何も思いつきませんでした。強いて言うなら順位を高くさせるためです。ですが、今日竹中先生のお話をきいて学ぶことはとても幸せで、大切にしていかないといけないということを改めて実感しました。学びたくても学べない子どもが沢山いるのに、私たちのような学べるチャンスを持っている子どもが「勉強だるい」のようなことを言っていたら学ぶことができない子どもたちはどう感じるかと考えると、とても失礼なことだなと思います。私は折角、学べるチャンスをもっているのに今まで死ぬ気で勉強したことがないということに恥ずかしくなりました。これからは勉強を毎日死ぬ気でし、勉強時間だけでなく内容もより充実できるよう努力し続けたいと思います。竹中先生は授業で「世界で大変な思いをして日々を過ごしている人は沢山いて、そのような人たちに比べたら私たちのような毎日平和に暮らしている人たちの悩みはちっぽけだ」とおっしゃっていました。たしかに私は明日のご飯のことや明日の命のことを考えることは殆どありません。しかし、どんな悩みでも、大きい小さい、重い軽いではなく相談することが一番よい治療法なのだろうなと思いながらお話をきいていました。五科目を勉強する理由について考える時間のとき、竹中先生から「知識で視野が広がる」という答えを教わりました。竹中先生が実際に体験した理科の先生とのお話のように、私にも友達が楽しそうに話していても私が詳しくないのであまり面白さが分からないことがよくあります。知識をつけることでそのことに詳しくなり、少し歩くだけで今まで見えていた世界より面白く感じることができると思うと、知識を身につけることが楽しみになってきました。勉強のことだけでなく、竹中先生がおっしゃっていたバッグづくりや木材加工のように様々なことを学ぶことで日々を興味深くすることができることに驚きました。私も竹中先生を見習ってたくさんのことにチャレンジしていきたいです。素敵なお話ありがとうございました。

                     

3組 家族について考える

 今回、家での役割をもう一度確認してみると、いかにお父さん、お母さんが働きながらも、私や弟のために色々してくれているのかと考えると、感謝の思いでいっぱいになりました。私や弟も手伝っているつもりでしたが、お父さん、お母さんに比べると、まだまだだなと思いました。これからも、出来る範囲で、お父さん、お母さんの手伝いをしていきたいと思います。家での役割の中でも、誰がその役割を担っているのかよく分からない役割がいくつかあったので、家族の行動をきちんと見て、知っていきたいと思いました。
 私は、大学生や社会人になって、一人暮らしを始める事を考えると、とても不安になります。なぜなら私は、家事全般をあまりした事が無いからです。それだけ、親が家事をこなしてくれたという事ですが、逆に私は、料理もほとんど出来ず、洗濯機の操作方法も、よく分かりません。小学校の友達や同級生では、家族の為に、朝ご飯を作ったり、お弁当を作ったりしている人もいて、すごいなと尊敬しました。私も、家族の為に、料理や洗濯をしようとするのですが、逆に手間をかけさせてしまうので、嫌になってしまいました。ならば、それ以外の事をしようと考え、靴を綺麗に整頓したり、弟と一緒に料理、洗濯以外の事を終わらせたりしていました。手伝いを終わらせた後、家に帰って来たお母さんは、「ありがとう。すごいね。」と、褒めてくれ、私達も、「もっと、手伝いをしよう。」と、思えるので、みんなが幸せで、時間にも余裕が出来るので、学校であった事の話が出来たり、家族団らんの時間が設けられたりするので、物事がとても上手く進んでいく様な気がします。私はこの状態が、毎日続く様な家庭になって欲しいと、思います。その為に、日々、両親に感謝し、積極的に手伝いをしていきたいと思います。
               

4組 働くことの意義

 私たちはまだ中学生で、夢を模索したり、見つかった夢の実現に向けて勉強しているところなので、働く意義の答えをすんなり見つけるのは難しいです。ずっと子供でいられたら一番ですが、いつかは大人になります。だから、大人になって働き始めた時に、その仕事が自分に合っているのかを考えられるように、先生のお話を心に留めました。やりたい仕事がお金を稼げるものでなくても、その仕事をすることで充実を感じられたら、仕事をしている時間は楽しい時間になり、自分にとって価値のある時間になります。また、その仕事を通じて人の役に立てたり、喜ばれたり、褒められたりされたら、とても嬉しいと思います。
 「あなたがいてくれたから」「ありがとう」「すごく助かったよ」の素直な言葉を人から言ってもらえたら、仕事で疲れたりしても、また頑張ろうと思えるからです。今はコロナ禍で、医療業界で働く人たちがとても不安で大変な仕事をされていますが、それでも引き受けて、一生懸命に患者さんを助けてくれるのは、たくさんの「ありがとう」に支えられているからとニュースで聞きました。人の役に立つこと、必要とされている実感をとても感じられる状況だと思います。防護服の長時間の着用はとても苦しく、逃げ出したくなることが多い環境の中で、世の中の人からの応援やお話をした患者さんの感謝の気持ちに勇気づけられていることと思います。それが充実感であり、やりがいを感じるということにつながるのだと思います。
 逆に、とても高いお給料をもらえる仕事であっても、自分に合っていなければ無理を重ねることになり、仕事の時間を楽しいと感じなくなると思います。結果的に、心も体もボロボロになり、うつやストレスからの病気になってしまう社会問題もあると聞きました。また、好きなものも毎食で食べていたら、飽きてしまいます。同じように、楽しいことだけをしていても、飽きてしまう日が来るので、やっていて楽しいだけでなく、充実感を感じられたり、役に立てている実感や感謝される嬉しい気持ちが大切なのだと思いました。私はいくつになっても新しいことに挑戦したり、学んだりしていたいと思っているので、楽しくて充実感を得られる仕事を見つけたら、その仕事の知識をさらに深く学んだり、考えたり、改善する工夫を持って続けられたら良いと思います。



                    

5組 礼儀について

  私は今回の道徳の授業で実践したいと思ったことが二つあります。
 一つ目は誰に対しても「君・さん」付を徹底することです。私は小学校や塾が同じだった友達などにはあまり「さん」付ができていません。「君・さん」付をすることは礼儀を表すだけでなく、乱暴な言葉を抑止することにもなることがわかりました。なので、これからは親しい人や学校外の人にもきちんと「君・さん」付をすることを心掛けたいです。また、私は「君・さん」付をする人としない人がいるのは人によって接し方を変えているのと同じだと思います。人によって接し方を変えるのはよくないと思うので、きちんと皆に「君・さん」付をしてどんな人にも平等に接することができるようにしたいです。
 二つ目は敬語をしっかり使うことです。私は尊敬語、謙譲語、丁寧語がうまく使い分けられていませんでした。特に尊敬語と謙譲語の違いがよく分かっていなかったです。でも、今回の授業で違いや使い分けなどが前よりも少し理解できたと思います。これからは、場面にうまく対応し、適切な敬語が使えるようになりたいです。そのために、国語の便覧などで、もっと詳しく敬語について学んでいきたいです。
 授業の話し合いの時に、礼儀の一つとして年賀状があげられていました。私も毎年、友達や親戚など、たくさんの人に年賀状を送っています。最近は、メッセージ等のやりとりだけで、年賀状を送らない人もいるそうです。でも、年賀状を出すほうが気持ちが伝わり、礼儀正しいと思います。したがって、これからも年賀状を私は毎年出したいです。また、千葉先生が前回の道徳でおっしゃっていた「文化」にも年賀状はつながると思います。年賀状を出すという文化がなくならないようにするためにも、これからも年賀状を出したいです。食事の前後に言う「いただきます」「ごちそうさまでした」のあいさつも文化、そして礼儀の一つとしてきちんと言いたいです。このあいさつは、食事を作ってくれた方や生き物への感謝の気持ちを伝えるための大切なものだと思います。今回の授業で外国ではこのようなあいさつをせず、食べてしまうことが多いことを知りました。日本人の文化、そして感謝の気持ちを示すこのあいさつはとても大切なものだと思います。これからも、食事前後には感謝の気持ちを持ち、きちんとあいさつをするようにしたいです。

               
6組 福祉社会
 今回は山田先生による「福祉社会」についてでした。
 最初、「今の日本は福祉社会であるか」と聞かれ、私は「福祉社会ではない」と思いましたが、クラスでは意見が半分に分かれていました。私は急な坂や階段、歩きにくい場所が多く整備されていないので福祉社会とは言えないと思いました。しかし、「今の」という言葉に注目すると、確かに「昔に比べて、住みやすくなっているのではないか」と思います。
 学校についても車椅子の生徒が生活するのは困難なのではないか(階段が多く、エレベーターを見かけないため)と感じていましたので、バリアフリーが遅れていると思っていましたが、手すりの設置など、少しずつ、生活しやすいようになってきているのだと気づきました。
 私はこの授業で2つ心に残ったことがあります。
 1つ目は「福祉社会」という言葉の意味です。私は「老人の方が、より住みやすい世の中になる」ということだと思いました。しかし、本当の意味は少し違っていて、「すべての人が人間らしい快適な生活ができる社会」という意味でした。つまり、「今、ホームレスになっている人がいなくなる」というのが「福祉社会」に入っていくことであると学びました。すべての人が平等に、最低限の生活が保障されることを私も願っています。
 2つ目は、「身近な福祉」についてです。これには、バリアフリーやボランティア活動、ユニバーサルデザインなどが含まれます。私はまだ、ボランティア活動をしたことがありません。しかし、今回、先生の話をうかがい、興味を持ちました。ですから、自分ができること(今、校内で行われていることでいえば、「使い終わったカイロを回収ボックスに入れる」)をしていきたいと思います。ユニバーサルデザインは「シャンプーとリンスーで印が付いている」ということしか知りませんでした。しかし、他にも牛乳パックなど、身近なものに、ユニバーサルデザインがあることがわかりました。
 以上のようなことを学ぶことができた今回の道徳の授業を通し、「今の日本は、福祉社会である」と、私も思うようになりました。


  

 

7組 いじめの無い社会

 私は貝森先生の道徳をお聞きして、いじめは絶対行ってはいけないことだと感じました。
 いじめは相手の心にダメージを与えること、人が嫌がることをしてしまうことだと思っていました。いじめは誰1人良いことだと思う人はいないと思うし、学校でいじめのアンケートなどの対策をとったりしています。しかし、なぜかいじめてしまい、追い込んで、自殺してしまう人がまだこの世の中にはたくさんいます。このような悲しいニュースをこれから増やさないためにも、自分たちができることがあるのではないかと考えました。
 いじめは暴力や悪口、差別などいろいろ挙げられるけれど、相手が嫌がることをやり続けることが、自分は悪気がなくても、いじめになってしまうのではないかと考えました。先ほど挙げた、暴力や悪口、差別などをされたら私はとても傷つくし、嬉しいだなんて思う人は絶対いないと思います。このような心にダメージを与えてしまうことをなくすために、今の日本は「いじめ防止対策推進法」という法律が平成25年に施行したということを知りました。しかし、この法律ができる前はどのような対策をとっていたのかと疑問に思いました。
 平成23年「大津いじめ事件」の新聞記事を読み、とても衝撃を受けました。いじめがあったクラスの担任や教師たちは誰1人、助けようともしなかったからです。学校の社会的評価を下げたくないからだという理由から、何もこの問題を対応しなかった学校も悪いし、いじめてしまった生徒も自分の心の弱さで相手の気持ちを考えずに、小さな命がなくなってしまうという事実はとても悲しいものでした。学校の評価は今からだって変えることができるけれど、人間の命は取り戻すことができないという、他の班の意見を聞いて、とても心に刺さりました。いじめを見て見ぬふりをしてしまう人も、後々、自分が後悔しないように、今できることを考えて行動し、できる方法で助けてあげられる友達が1人でも多くいたら、いじめなど起きることはないと思います。
 今回の道徳の授業で「いじめ」について深く考えることができて、良かったなと感じました。

   

8組 私たちはなぜ学ぶのか

 「人は自分にとって都合が悪いときに理由を求める」という言葉を聞いて僕はこれは実に人間の性を表していると思いました。僕は剣道が好きです。小学校二年生から今でもしています。しかし僕は今までなぜ僕は剣道が好きなのか、するのかという疑問が浮かんだことがありません。でもいくら好きな剣道でも、他の予定と重なってしまったり、移動が大変だったりすると、なぜ僕は剣道をしなければいけないのかという疑問がどうしても浮かんでしまうのです。さて、今回の授業では前の山本先生の授業「働くことの意義」に似ていると思います。どの部分が似ているのかというと「先を見据えて働く」という点と「我々の仕事は自分が残したものを長く後世に残すことという点です。国語辞典的な意味でいうと「学ぶ」は「働く」に包摂されます。先生はなぜ学ぶのかというと自由になるためとおっしゃいました。僕の意見をまとめると大概は先生と同じです。でも先生とは違う意見もあります。「働くことの意義」の授業の感想では「誰かに認められたり、社会の役に立ったりすることに働くことの意義がある」と書きました。これは学ぶことの意義にも同じことが言えると思います。例えば、自分のテストの結果が上位者発表に載っていると、とても嬉しくなります。又、少々間接的にはなりますが今、学んでいくことで将来、社会の役に立てたり、何かのコンクールやコンテストで今でも社会の役に立つことができるかもしれません。そのため、今のうちから学ぶことが重要だと思います。自分が学ぶことで、自分が自由になるほかに、他人も自由になれるのです。僕は逃げるために理由を求めるのはいけないと思います。僕は英語で新しい文法や単語を習った後に、街中で英語で書かれた広告などの意味が自分で解るようになったときに嬉しくなります。剣道だって新しい技ができるようになったり。綺麗に素振りができるようになったりすると達成感を感じます。こうしてみると学ぶことに限らず、理由は求めないことがベストだと思います。