5組 いじめの無い社会 |
今回の道徳の授業について、私はいじめについて深く考えました。いじめの無い社会にするために、相談できる友達や家族がいることがまず大切だと思います。相談ができることで、一緒に考えたりしてくれる人もできて、少しは心が軽くなるのではないかと私は思います。また、一人一人が自分の行動に責任を持つことも大切だと思います。自分の安易な行動や発言で、いじめにつながるかもしれません。そして、相手の短所だけで何事も傷つけるのではなく、長所を見ていくことも大切だと思います。私も、人と関わることで、長所を見ているといいところがたくさんあるのに、短所だけがよく見えてしまってなかなか長所を見ることができなくなってしまいます。自分にも短所があるので、相手ももちろん短所があるから自分と合わなかったりすることも多いと思います。ですが、人間一人一人には個性があり違いがあるからこそ、意見がぶつかることもあると思います。相手を理解する心も私は大切だと思いました。 教室や、クラスの環境を整えることがまず一番先にできることだと思います。最近、授業中にうとうとして寝そうな人もいたりします。朝学習の時間が時々さわがしくなってしまうのも、環境を変えなくてはならないことだと思います。環境が崩れてしまうのは、心の乱れがあるからだと思います。学校で生徒として過ごすことに最近は慣れてきて、教室が少し仲の良さから騒がしくなることはいいことですが、切り替えも大切だと思います。 いじめにあったら、相談できる人がいることで少しは違うのではないかと思います。いじめを止めた人が今度はいじめられることもある、そんな心配が心の中にあると思います。ですが、見ているだけではいじめをやっている側と同じことであり、何も変わらずにエスカレートしていくだけだと思います。自分は別にいじめているわけではないからといって関係ないと思うのではなく、まず自信を持って「やめなよ」ということが、いじめが起きた時に止められる一歩なのではないかと思います。一人一人が言動に責任を持ち一人一人の存在を確かなものにすることが大切だと思いました。 |
6組 私たちはなぜ学ぶのか |
私は平野先生のお話をお聴きして、とても納得したところがありました。まず、「人は自分にとって都合が悪い時には理由を求めようとする」というお話では、私も楽しい時には、「どうしてこんなに楽しいのだろう」とは、ほとんど考えることがありませんが、反対に、嫌なことがある場合には、「どうしてこんなことをしなくてはいけないのだろう」と考えてしまうことが多いということに気づきました。 福沢諭吉の『学問のすすめ』についてのお話では、衣食住を得て、得意げになるのは誤りであり、そのようなことはアリでもやっている、誰もが衣食住を得るだけで満足しているのならば、文明は発展してこなかったはずだとおっしゃったことについても、なるほどその通りだと納得しました。確かに、衣食住を得ることはアリでもやっているにちがいなく、人間はそれだけではいけないのだと思います。 「人間は教育によって初めて人間になることができる」という言葉には、教育を受けることによって人はどのように成長していくのか、改めて考えることができ、教育の重要性を実感しました。 「人はなぜ学ぶのか?」という問いに対する答えの一つとして、平野先生は絶対的な答えはないが、「自由を手に入れるため」であるとおっしゃっていました。車で自由にドライブすること、海外旅行をして自由に観光することなど、自分の好きなことをするために学ぶ、そして、満足できる人生を送るために学ぶと先生はおっしゃいました。この言葉に感銘を受け、私も好きなことをするために、勉強をしっかりしようと思いました。 私は将来、英語だけでなく、様々な外国語が話せるようになりたいと思っています。まだ夢は決まっていませんが、多くの外国語を話せる人を見ていると、とても憧れます。今までは勉強をしたくないと思う時もありましたが、学ぶことで、将来やりたいことを自由にできるようになるために、真剣に、そして、楽しみながら自ら進んで勉強をしていこうと決心しました。 |
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7組 家族について考える |
家族というのは、それぞれ一人一人の人生の中ではじめのほとんどを一緒に過ごすものです。そんなかけがえのない存在であるはずの家族と嫌な関係のまま死んでしまうなんて、絶対にあってはならないことだと思っていたので、はじめの話を聞いたときは、ものすごくショックでした。僕は、いままであまり親とけんかをしたことがありません。悪いのは自分だし、言い争ったところで勝てるはずもないからです。しかし、時々、イライラして、親に当たってしまうことがあります。そういったときは必ず叱られますし、でも後悔します。どうしてこんなことを言ってしまったのだろうと。このような状況のままで親か自分が死んでしまうのは絶対に嫌です。僕は、親にしっかりと「ごめんなさい」と言っておきたいし、親を悲しませたまま死ぬのは子どもとしてどうかと思うからです。そのように思う中、親が急に倒れたり、津波などの天災によって親が死んでしまった人の話を聞くと、いたたまれなくなりました。例外なく、人は死にます。しかし、その中でもその命を途中で終える人がいます。また、命を全うしたとしても、自分のまわりには必ず死が訪れます。親の死や、祖父母の死などです。いつか、自分のまわりに来る死に覚悟をもって生きていかなければならないなと思いました。 先生に見せてもらった動画の中に、母の日テストというものがありました。東大の入試よりも難しいと言っていたので、何事か、と思いました。しかし、少し考えただけで驚きました。僕は、母の星座や干支どころか、誕生日すら知りませんでした。自分はこんなにも、自分のことを育て、愛してくれた人に疎いのだなと感じました。よく思い返してみれば、普段の会話で、母のことを聞いたことがありませんでした。正直、あまり興味もありませんでした。しかし、僕の母は、僕の誕生日、星座、干支、食べ物の好き嫌いなどさまざまなことを知っているのだと思います。これでは、母から僕へと一方的なものになってしまいます。ですから、僕はこれから、母のいろいろなことがらを知っていき、ともに話し合えるほどにまでなっていきたいと思います。最後に、今回の、「家族について考える」の授業の中で見せてもらった動画の中のもうひとつ「ゆりちかへ」についてです。僕の母は、よく体調を崩します。僕も昔は、よく風邪をひきました。風邪をひいたときは必ず苦しい思いをしました。それよりも苦しい状況で、自分の子どもか自分かを選ぶとき、どちらを選ぶかわかりません。ゆりちかのお母さんは、そんなときしっかりと判断をしました。ぼくも、そんな状況に置かれたときに、判断がきちんと出せる人になりたいです。 |
8組 働くことの意義 |
僕は今回の山本先生の、「働くことの意義」についての授業を受けて、将来は自分の能力を活かすことができ、また働いていて楽しいと思えるような仕事につきたいと思いました。まず、なぜ能力を生かすことができる仕事に就きたいと思ったのかというと、最近僕は、自分の能力はなんだろうと考えるようになったからです。僕は、これだと言えるような能力を自覚できていません。なので、将来つきたい職業も定まっていません。別に今将来つきたい職業を決める必要はないと思いますが、自分の能力については、将来つきたい職業を決めるときのために早く自覚しておきたいと思っています。そして将来はその能力を活かせるような職業につきたいと思っています。 |
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1組 礼儀について |
私は、今回の千葉先生の講話をお聞きして、日本の礼儀の種類について学びました。 |
2組 福祉社会 |
僕は今回の授業をお聞きして、多くのことを学ばせていただきました。 一つ目は福祉・福祉社会の意味についてです。福祉とは公的配慮によって生活の安定を保つことができると言う意味で、福祉社会とは障がいの有無や年齢に関係なく全ての人が人間らしい生活を送ることができる社会という意味だと分かりました。この時に障害の「害」を障害者のために平仮名にした方が良いこともわかりました。 二つ目はノーマライゼーションの意味についてです。福祉社会の本当の意味である「何らかのハンデを負った人を差別するのではなく、共に行きていく社会に似ていて、障がい者と生活をするのが当たり前という意味です。僕はこのような考え方を持っていませんでした。何故なら障がい者と接することがあまり無かったからです。しかし、小学校のクラスメイトに一人、障がいを持った子がいました。彼は精神的な障がいを持っていました。短気であったり、しつこい性格でした。でも彼が薬を飲んで障がいを抑えていることを知って、大変だと思いました。そして僕は他のクラスメイトと違って、彼と話す方でした。それは共通の話題があったからです。彼と話す時はとても楽しかったです。なので僕はこれから障がい者だからといって避けるのではなく、積極的に話しかけていくなどして、共に生活するのが当たり前と思えるようになれれば良いと思いました。 三つ目はユニバーサルデザインフードです。ユニバーサルデザインが全ての人にとって使いやすい製品や建物という意味だということは知っていたのですが、UDF(ユニバーサルデザインフード)については初めて知りました。僕はUDFがとても凄いと思ったのでUDFのように障がい者の方でも普通に生活できるような街作りをしていければ良いと思いました。 |
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4組 福祉社会 |
私は今回の道徳の授業で福祉社会について学びました。私ははじめ福祉社会とは何か分かりませんでしたが、「今の日本は福祉社会だと思うか。」と聞かれた時は「思う。」と答えました。理由は、昔より良くなっていると考えたからです。私の場合は「今の」に注目しましたが、「日本は」で考えると、日本よりも福祉社会が進んでいる国があるので、まだ福祉社会ではないとも言えます。このようにいろいろな視点から考えることができるので、答えは一つだけではないということが分かりました。 私は、福祉社会になるためにはまず差別をなくす必要があると思いました。「障がいの有無や年齢に関係なくみんなが公平に暮らせる将来が来ればいいな」と思うことがありますが、今の世界ではネット上やSNSなどで差別の声が絶えず、精神的に追い詰められる人も多くいます。そして私が一番むずかしいと感じたのは、差別しているつもりはないのに差別につながることもあるということです。例えば、私は「かわいそう」という言葉が差別につながるという障がいを持った方の話を聞いたことがあります。「かわいそう」という言葉は確かに、「普通の生活ができなくて大変そう」という、健康な人との差別のようにも聞こえます。そのような無意識な差別をなくすためにはどうしたらよいか考えてみました。そこで大切なのは、障がいを持った人々をただ「かわいそう」や「大変そう」と見ているのではなく、障がい者スポーツなど、障がいをもっていてもみんながんばっているということを理解することだと思います。そしてその人達に不便なことがあった場合は気遣いをし、手助けをしてあげたいと思います。そしてお年寄りなども同じように気遣いをして、安心して暮らせるようにしたいです。 福祉社会に必要なのは、多様性をしっかり理解し、知ること、差別をなくすことだと思います。私はこれからオリンピックだけではなくパラリンピックについても学び、いろいろな障がい者スポーツを知りたいです。また傾聴ボランティアなど、コロナウィルスがおさまったらお年寄りの人々とも交流してみたいです。私は一人一人が多様性を理解することでよりよい福祉社会になると思います。私もその一人として様々なことを学んでいきたいです。 |
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