第9回 道徳授業を終えて

1組 いじめの無い社会

 私は今日の授業をお聴きして、「いじめ」を防止するためにできることを深く考えました。私は小学生の頃、ある一人の子に無視をされていました。周りの子は普通に接していてくれましたが、『無視』についてはみんな、見て見ぬ振りをしていました。結局、卒業するまでその関係は続きましたが、中学生になってからはその子を見かけることもなくなりました。たった一人の子に無視されただけでも、当時の私はとてもショックを受けていました。もし、これがクラス全員だったらと思うと、背筋が凍ります。今思えば、私に非があったのかもしれませんし、向こうの勘違いだったかもしれません。私自身、見て見ぬ振りをすることによって、自分自身を守っていたのかもしれません。しかし、あの時、勇気を出して強引にでも話し合っていれば、今も良い関係が続いていたかもしれません。いつ、だれが、いじめの被害者、または加害者になってもおかしくありません。現実を受け止めて、賢い解決策を見つけ出せる力を身につけたいです。私はイライラしているとき、質問をされても答えなかたり、答えたとしても一言、二言で終わらせてしまいます。何も知らない人からして見れば、わざとではないにしろ、私がされた「無視」と変わりません。これで、私が相手を傷つけてしまったのならば、私は深く後悔すると思います。そんな思いをしないためにも、イライラの処理方を学ぶ必要があります。これから感じる多くの感情をコントロールできる立派な人間になるために、がんばりたいです。


2組 働くことの意義

 「人は何のために働くのか」ということを、私も既に社会の一員でありながら、きちんと考えたことはありませんでした。
 山田先生が、「働く」の語源、「傍(はた・他者)」を「楽」にする、ということの例えとして、「電車が動くことで私達も楽になっている」と、おっしゃっていましたが、今まで「電車が動かなくなったら・・」などと考えたことがなかったので、今、当たり前に便利で豊かな生活が送れているのは、働いてくれている社会の全ての人のおかげだと改めて感じました。
 今回の道徳の授業では、特に石工の話が印象に残りました。一人目の石工は、お金のために働いていましたが、それも大事ではあるけれど、人のために働いた方が目標を高く持って努力できる、と分かりました。
 私は将来、父のような医師になりたいと思っています。私の父は、都立病院の勤務医ですが、常に患者さんのことを考えていて、一人一人の患者さんと一生懸命向き合い、とても多くの患者さんに慕われています。私も父のように多くの人の役に立つようになりたいです。将来の夢は医師になることですが、医師になってからお金のために働くような人にはなりたくないと思っています。お金のために働くようになってしまうと患者さんときちんと向き合えなくなってしまいますし、患者さんの病気を治した時のやりがいや充実感も感じられなくなると思うからです。
 14の労働価値のうち、私は一人一人の能力を活かすことで良い仕事ができると思ったので、最初は@の「能力の活用」が大切だと考えたのですが、ディスカッションをしてみると、たった4人の中でも意見が分かれ、それぞれの理由を聞くことで、とても悩みました。その結果、ディスカッションを通して自分の中の考えが変わり、それまでは全く考えてもいなかったGの「ライフスタイル」も大切だと思うようになりました。ディスカッションをすることで、様々な意見や考えを知ることができ、とても有意義な時間でした。先生の話や、ディスカッション、とても楽しかったです。

                     

3組 礼儀について

 今回は、「礼儀について」というタイトルでしたが、私はこのタイトルを見た時、「もしかしたら私が一番苦手な事かもしれない」と思いました。なぜなら、今は少し良くなりましたが、小学生の頃は目上の人に対して敬語を使わなかったり、人と会っても挨拶をしなかったりする事が多かったからです。また、私は冠婚葬祭などの儀式に参加した事が無いため、「礼儀」の意味や必要性を知りませんでしたが、私は中学生になって少し「大人の世界」が見えてきた気がするので、今までの、「礼儀知らず」から抜け出したいと思います。
 ところで、私が江戸取に入学し、一貫生と話して一番驚いたのと同時に尊敬した事はなんだと思いますか?正解は挨拶です。なぜなら、私の小学校の大抵の人達は教室に入って一番最初に発する言葉が、「ねえねえ!昨日のテレビ見た?」とか、「〜ちゃん! 旅行どうだった!」などと、挨拶をせずに本題に入っていたのですが、江戸取では、「○○さんおはよう!」などと言ってくれて挨拶って良いなと思ったからです。そして、その環境のおかげで私も最近あまり親しく無い人にも挨拶ができるようになり、嬉しく思っています。私は、礼儀とは難しい事だと思っていましたが、貝原益軒の、「人に礼法あるは、水の堤防あるが如し」という言葉から、礼儀についてあまり堅苦しく考えず、礼儀作法によって正しい道を行く事ができると言う事が分かりました。よって、江戸取への苦情である、交通機関での迷惑行為や、ふれあい道路での横並び、ぶつかっても謝らないなどは直接自分に関わりの無い方には、公共心と公徳心を持って生活をしたいと思います。これらのように、人を思いやる気持ちを身につけ、行動に移していけたら良いと思います。ですから、私は江戸取生として、何かをしてもらったら礼を言う、目上の人には敬語を使う、生活環境を整えるなど、基礎的なことをしっかりこなし、将来は細かい作法などもできるようにしたいです。
               

4組 私たちはなぜ学ぶのか

 私も小さい頃、なぜ勉強しないといけないのだろう?勉強しなくても昔の人は生きていけたではないか、と思っていました。それが中学受験やいろんな勉強をしていったときに、楽しい、嬉しいと思える経験をすることで苦手だった教科が、ガラッと好きな教科に変わったり、得意な教科になったりするようになりました。例を出すと、私は国語が好きになったきっかけかもしれないと思うことは、学校で習った漢字がニュースに出てきて読めると実感したことや、中学受験の時の先生が小説や説明文で、いろんなお話をしてくださり、そのお話がとてもおもしろいと思って聞いていたことがあることです。また、中学に入ってから初めて英語を習いましたが、とても楽しいです。特に、今まで聞いたことはあったけれども本当の意味を知らなかった言葉の意味を改めて知ったときや、習った言葉をテレビや街中でみると、とてもうれしくなります。
 このようにして、あまり最近はなぜ勉強するのかと考える機会は少なくなりました。その代わりに勉強の意味ではなくて、勉強した先で何をしたいのかは考えるようになりました。ふんわりとしたイメージで国語ではたくさんの本を読んで、沢山使える言葉を増やし、自分の考えをしっかり伝えることができるようになりたい、人の心を考えて大切な人に寄り添える人になりたい。英語では話したり読んだり、書いたりすることができるようになって、有名な作品を自分の耳で感じ、いろんな人とコミュニケーションを取って、自分の考えを伝えられるようになりたい、というようにです。平野先生がおっしゃっていたように楽しさ、喜びを知ればあまり学ぶ意味について考えなくなると思います。私は考えなくなるほど喜びを感じられるようになったときに、なぜ学ぶのかという問いの答えが自分の中で見つかるのだと思いました。沢山色々なことを知って、考えて、ずっと学んで、誰かになぜ学ぶのか、と聞かれたときに、自信を持って自分の中での答えを出せるようになりたいと思います。また、学んだ先で自分が何をしたいのかを考えるのは大事なことだと自分では考えています。そのことが自分の中での自信になったり、モチベーションになったりすると思います。
 私はいま、やりたいことを探している最中なので、色々なことを学んでいきたいです。私は、英語以外のたくさんの言語を使えるようになったり、数学などの難しい問題を解いてみたいと思ったりします。学んだことが全て無駄になることはなく、必ず将来役に立つと私は思っています。



                    

5組 家族について考える

 今回は二回目の遠藤先生の授業ということで、一回目の「命の尊さを知る」という授業から楽しみにしていました。遠藤先生の授業はとても内容が心に入り、涙ぐんでしまうくらい、沢山考えさせられたからです。今回の授業も、「家族について考える」という中で、大学生が母親に対する質問に答える「母の日テスト」の動画を見て、その質問に対して自分自身も時間をとって考えてみた時に、半分くらいしか答える事が出来ませんでした。つまり、私は全然母の事を知らない、理解できていないということになります。母の誕生日がもうすぐなので、これを機に沢山聞いてみようと思います。私は今まで、これといって自分の身の回りに被害が出てしまうような災害や出来事に直面した事がないので、正直なところ、本当に深く考えることはなかったのですが、朝、家を出て、家族に会えなくなってしまった女の子の話を聞くと、私にもこの先あるかもしれないと思い、最近は家を出る時に、母に「行ってきます。ありがとう。」などと言って駅に向かいます。
 二本目に見たガンにかかってしまった赤ちゃんとお母さんの動画で、お母さんが書いた本の中でゆりちかちゃんに向けたメッセージが私や、私と同年代の女の子達の胸に響く内容で色々と考えさせられました。特に心に残ったのは、友達関係というタイトルのページにあった人と比べてはいけないというような内容でした。そのお母さんはきっといいお母さんになったのだろうなとその時考えていました。私の母から、今の時代ガンになる確率は二人に一人という話を聞き、恐怖心を抱くと共に、健康管理をちゃんとしようと思いました。今の私がいられるのは健康に産んで育ててくれた母と父のおかげだということ、母と父なしでは今の生活はできないということを自覚し、沢山の人から信頼されるような人になりたいです。

               
6組 働くことの意義
 今回、この道徳の授業で考えたことは4つあります。
 一つ目は二人の石切職人の話です。この物語は教会を作る2人の石切職人の心境を尋ねるというものです。この時、一人の職人は「忌々しい石を斬るのに悪戦苦闘している」、もう一人の職人は「人々の心の安らぎとなる教会を作っている」と言います。僕はこの時、後者の人のような心持ちになりたいと思いました。理由は山本先生の「仕事の向こう側に何を求めているか」という言葉にある通り、仕事だけでなく、何かをする時にその向こう側を見るということは、勉強と同じで大切なことであると思ったからです。これからは僕も、勉強するときは、その先を見ることを意識しようと思いました。
 二つ目は何のために働くのかということです。僕はお金のために仕方がなく働くのかと思っていましたが、大切なことは、仕事をすることによって、充実感があるのかどうかということです。充実感がないと仕事もおもしろくなく、やりたくなくなってしまうし、何より仕事の向こう側を見られないからです。
 三つ目はピーター・ドラッカーの卓越した仕事をするための三箇条というです。これは、@強み、A仕事の仕方、B価値観というものがあるのですが、僕が一番大事にしようと思ったのは、Bの価値観(自分が大切にしたい信念を明確にする)です。なぜなら、生活をしているとき、周りに合わせて引き下がることがあったとしても、自分が決めた信念だけは守り貫き通そうと思ったからです。
 四つ目は、「情けは人の為ならず」ということです。これは何か人のためにすることは、巡り巡って最後は自分に返ってくるということです。けれども、これだけを大事にすると、人を助ける代わりに、対価を求めるようになってしまうことになりかねません。これは注意しなければならないことです。
 最後に全体を通して思ったことは、何かをするときには、「何のために働くのか」を考えながらおこなっていくことが重要であるということでした。


  

 

7組 礼儀について

  今回は礼儀について話し合いました。そこで改めて礼儀について考えることができました。礼儀とは何なのかを考えたとき、私は一つしか思い浮かびませんでした。しかし授業が終わった後に改めて考えてみると、校門での一礼や、職員室に入るときにクラスや名前を言うことなどといろいろな礼儀が思い浮かびました。これらは学校内での礼儀という共通点が見つかり、このような意見を授業時に出すことができなかったことが恥ずかしいです。そのため、今までの自分の学校生活を振り返ってみることにしました。今では学校に慣れてきて、君さん付けをすることを忘れてしまうこともあります。この事はすぐにでも直していかなければいけないことだと思います。これからも君さん付けを忘れないように意識して、友達を不快な思いにさせないようにしたいです。千葉先生は、江戸川学園取手中学校では、君さん付けを指導しているのは、相手に対して親しみを表すと同時に乱暴な言葉の抑止を狙っているとおっしゃっていました。これを聞いて、試してみると確かにそうだなと共感することができました。そして、江戸川学園取手中学校では挨拶を心がけることが求められています。私も一度文化祭に行った時、みんなが挨拶をしてくれて、とても嬉しい気持ちになったのを覚えています。また「この学校は挨拶をみんなしてくれて、みんなが笑顔になれる」と思いました。挨拶をしてくれたのに返さないというのは、相手を不快な思いをさせてしまうと思います。逆に挨拶を積極的にすることで、相手を笑顔にさせ嬉しい気持ちにさせることができると私は思います。これだけでも学校の評価が変わっていくと思うので、これからも人が通ったときには笑顔で挨拶をしたいです。

        

8組 福祉社会

 今回の道徳の授業を受けて学んだことや感じたことは障がい者などの社会的弱者への差別をなくそうという考え方が広がっていることです。授業の中でも言っていたように、街中で障がい者を見かける機会はあまりありません。竹中先生のおっしゃっていたように、家の中に閉じこもってしまっていたり、施設にいることが多いからなのかもしれませんが、私は障がい者の人や高齢者の方にも優しい取り組みが増えているので、外出を楽しんでもらいたいと思いました。そして、私の考える理想の世の中は、いじめや誹謗中傷など相手を傷つける行為のない世の中です。ネットを自由に使えて、だれでも情報を発信出来る今の時代、誹謗中傷など、見知らぬ人同士のネットの中でのいじめがすごく増えてきています。ネットの中でのいじめだと、警察の人が調べて、持ち主が分かったとしてもアカウントを乗っ取って発信している可能性があるため、なかなか捕まえることが出来ないらしいです。だから、せめて学校などでいじめが起こらないようにするために、今、私に出来ることをしていきたいです。
 私が授業で初めて知ったことは、牛乳の紙パックにも目の不自由な人のための配慮がしてあるということです。牛乳の開け口のへこみは、紙パックを閉じるときにつく跡だと思っていたので、そのへこみが他のジュースの紙パックと異なっていることや、開け口と反対側についていて開け口が分かるようにしてあるというというのは初めて知りました。スロープなどがバリアフリーだけでなくユニバーサルデザインであるということも知りました。無意識にベビーカーや買い物カートなどで使っていましたが、車いすの人用に作られたものだと思っていました。ユニバーサルデザインがあることで、障がい者や高齢者だけでなく、すべての人に使いやすくなっていると思いました。障がいのある人も同じように生活出来るように、もっと「ノーマライゼーション」の考え方が広がっていくと良いなと思いました。