第1回 道徳授業を終えて

中等部34期 道徳年間計画 (クリックすると開きます)

1組 友人の多様性を受容する

私は現在、どんな部活動に入ろうか悩んでいます。入りたい部活がたくさんあって決められません。しかし、部活に入ることで、私の本分である学業が疎かになってはいけないと思いました。部活に入ることで「集中力」や「我慢強さ」を身につけて、学業にプラスになるように、しっかり選びたいです。今回のお話しをお聴きして、思いやりについて考えていた時、一つ思いつく出来事がありました。私は三姉妹なのですが、姉二人は頭が良く、名高い学校に入学しています。そんな姉たちを育てた母は、端から見るとすごい人と思われていました。母のママ友のAさんは、今年中学一年生となる、つまり私の同級生の子がいて、中学受験の時、私の母に相談をしました。しかし、母は「そんな、私なんかが教えることはない。」と遠慮をしました。その発言は、母にとっては自慢にならないようにAさんを思いやっての行動だったのですが、Aさんは「ライバル視」されていると受け取ってしまったようで、母と距離を置くようになりました。Aさんは親切な方だったので、私はこの出来事により一層驚きました。しっかりと思いやっていたにも関わらず相手を不快にしてしまうことなど、自分は経験したことがなかったのです。しかし、それは私が「相手が自分の考えと同じである」と、思っていたからなのではないでしょうか。Aさんがそんな風に捉えるなんて思ってもみなかったので「何事も簡単に想像を超える」とは、本当にその通りだと思いました。この出来事で、私はいかに相手を理解して思いやることが難しいかを知ることができました。そして、今回の授業の内容をお聴きして、一つ気づいたことがありました。それは、私はわがままと多様性の認識が曖昧になっていたことです。自分的には多様性を重要視しての発言だったとしても、実は人から見ればわがままだった、のようなことも今までにあったかもしれません。これからは多様性を求められる時代です。そんな時代を生き抜くためにも、多様性の意味を理解し、わがままなのかどうか見極められるようになりたいです。

        

2組 自由と責任

 中学一年生になってから初めての道徳はとても考えさせられるものでした。私は今まで「自由」の中に「不自由」があることに対して疑問を持ったことがなかったのですが、修学旅行の例を聞いて「確かにそうだな」と思いました。六年生の時、学級ではほとんど自由でした。しかし、私達は常に「自由の中にも規律あり」という言葉を胸に行動をしていました。この言葉は、担任の先生が毎回のようにおっしゃっていたので私達の心の中に完全に住みついていました。今日のテーマは「自由と責任」。私は山本先生のお話を聞きながら色々考えてみました。まず、自由とは何か、です。私が思う自由は何でもしていいよということではなく、自分で何をやるのか、果たしてそれは正しいのか間違っているのかを考え、成長できる大切な時間なのではないかなと思います。もちろん、していいことは限られていますがやるかやらないかは自分で決め、一つ一つの決心に責任を持つことが自由だと思うのです。つまり、自由を求めているのなら、自分自身(自ら)で意味(由)を考えられる力を持つ必要があると思います。自由と責任はセットなのが当たり前だと思っていた私は自由の中に不自由があることに対して不満はありませんでした。修学旅行など、中には自分で責任をとれない人がいる場合は、間違った選択をしないように先生方が自由の範囲をわざわざ決めて下さっているのではないかと考えました。クラスのホームページに書く内容を決めるとき、沢山の人が見てくれるのは何なのか、何か面白い内容ではないと誰も見ないなと思いました。私の班では、「テストの珍回答」でした。その意見を聞いたとき「あっ、面白い。」と思い、良いアイデアだなと感心しました。ディスカッションを通して私が感じたことはまだまだ学級としての雰囲気が固いなということです。普通に話すのには良いですが、いざ話し合いとなると黙ってしまう人が多くてこれでは話し合いにならないなと思いました。次の機会ではもっと話し合うことができるといいなと思います。表現の自由やプライバシーの権利といったものは人によって感じ方が違うと思うので難しいと思います。しかし、他人のプライバシーを勝手に外部に発信するというのは誰でもいけないと分かっていると思うので、ある程度は大丈夫なのかなと思いました。「自由」というのはどこまでが自由なのかと思ってしまいますが、表現の自由とプライバシーの権利は共に守らなければならない自由だということを忘れずに、日々生活して行きたいと思います。「自由と責任」の答えはよく分かりませんが、今日の授業を受けて「自由」において大切なことを学べて良かったです。素敵な道徳の時間を有難うございました。

          

   

  

3組 文化の多様性

 私は授業を聞き、今まで様々な文化文明ができたから現在のような便利な世界を人間はつくることができたのだと思いました。私は中世や近世の文化が好きです。刀を振ってみたり着物を着てみたいです。現在は世界各地へ技術や言語が伝わっていたり、どこへでも行けるようになり、たくさんの国の文化を知ることができます。日本の昔の文化は授業でもあったように、和服や和食ですが、例えば同じアジアでも中国と比べると中華料理や漢服などがあります。飛鳥時代や奈良時代は中国から文化が伝わったこともあり、少し似ていると思いました。ヨーロッパのイタリアでは、ドルガーリという民族衣装、イタリア料理などがあります。イタリアではトマトやオリーブオイルを料理でよく使います。しかし、日本にはどちらもありません。これは気候に違いがあるからです。このように、国が違うと文化も違い、気候によっても違ってくるということが分かりました。 
 現在、世界各地にたくさんの人が行けるようになり、日本にもたくさんの観光客や留学生がいます。「多文化共生社会」と言われるように様々な文化を持った人が日本中にいます。そこで差別をせず、お互いを認め合って共存していかなければなりません。今、アメリカ、イギリスなどで黒人の差別に対して反対するデモが起きています。私は「白人は黒人を人間だと思っていないのか」と思いました。白人が黒人を差別するのは、何百年か前に黒人を売っていたことなどの理由があるそうです。それは、白人の文化といえると思います。人間が世界各地へ行くことができる社会であるからこそ人種差別、外国人への差別をなくさなければならないと思います。私達が大人になったらもっと外国人が日本にいると思います。その時に、差別的なことを自分がしない、他人にさせないために世界中の国々の文化を知ることが大切だと思いました。副校長先生の授業を聞き、日本だけでなく世界の文化についても興味がわきました。これから社会で世界史の授業を受けることになると思うので、文化のことについて積極的に調べていきたいです。

             

4組 社会の一員として

 私は今まで、「社会」に参加するという事は、大人になって自分の行動に責任をもって行動をする事だと思っていました。しかし、今日の話を聴いて、誰かが自分のことを考えている時、自分は社会に参加しているのだと知りました。自分のことを考えてくれている人がいるとき、それが自分の悪いところであるにせよ、良いところであるにせよ、自分以外に「私」という存在を認識してくれているという事で、そのことがとてもうれしいです。また、成長するにつれて、自分の属する社会の種類は増えて、一つ一つが大きくなっていきます。その一つ一つの中で、皆が気持ちよく過ごせるように、相手の話や考えをおろそかにせず、最後まで聴いて、その「社会」がより良い方向に発展できるように、私は潤滑油のような存在になりたいと思います。みんなの意見を聴いて、陰からでも、日向からでも、「社会」をよりよくできるように、主体的にサポートしたいです。そのためには、まず、自分がルールや礼儀をきちんと守れる人間になります。私は、予習復習をきちんと終わらせる、忘れ物をしないなどの事がたまにできていません。予習復習をやる箇所をメモしたり、忘れ物をしないように毎日チェックしたり、当たり前のことを完璧にできるようにしたいです。また、礼儀として、自分が特に誇れるというところもあります。それは、挨拶です。挨拶だけは、地声が大きくて、割と物怖じしない性格を生かせるところです。上にあげた自分の性格が短所になってしまう事も結構ありますが、自分の性格が短所になってしまう場面では、改善できるように、活かせるところでは思い切り活かしたいと思います。それから、どれだけ社会が広がっていっても、いつも帰っていくのは家族という一番小さな「社会」です。元気で、ごく普通にいることをとても喜んでくれる両親や、しょっちゅうけんかするけれど、いつも仲直りしてくれる妹を大事にしたいです。自分のことを思いやってくれる分以上に自分も相手を思いやりたいです。相手のことを考えようとするとき、押しつけがましくならないように、私はその距離を計りかねているところが多いので、さりげなく距離を探って、ちょうどいいところを探したいです。先生の話を聴いた今から、自分が「社会」にもういるという自覚を持ち、責任をもって行動をすることを心掛け、新しく広がっていく世界の前で、臆病にならず、積極的に、主体的に新たなことにチャレンジして、新しい世界に飛び込みたいです。

   

                     

5組 ルールについて考える

 今回、例としてあげられた典明さんは生活習慣が悪かったため事故が起きてしまいました。私は普段はあまり自転車に乗りませんが自分の生活習慣を見直したいと思います。
 私は朝四時に起きて、六時に朝食を食べます。そして六時四十分に家を出て、二十一時くらいに寝ます。改善する点は、私は寝るのが皆と比べて早い点です。そのため、勉強時間が四時間くらいと足りないと思います。私には十九時から二十時までスマホ、テレビ、マンガ等の自由時間があります。この時間を三十分減らして、勉強に使いたいと思います。事故を起こさないための方法としては、生活習慣を変えるだけでは私は無理だと思います。見通しが悪いところでは一旦止まり、周りを見渡す、そして歩く。このようなことも気をつけなければならないと思いました。
 私は学校のルールの中で、特に「いじめ」に関することが一番重要だと思います。陰口も間違いなくいじめです。私がバスに並んでいるとき「同じクラスの○○ちゃんってウザいよね」「そうだよね」という陰口を聞いたことがあります。本人がいないからといって、そのようなことを言うのはどうなのだろうと聞くたびに思います。私は最初のうちは、いじめはしないと思っていても何年もしていくうちに「本人にばれなければいいか」と思いはじめてしまい、陰口が多くなっていくのだと思います。それは気がゆるんでいるとも言えます。私は小学生のとき裏で陰口を言われてとてもショックだったことを覚えています。私はその子達を友達だと思っていました。言っている子達は私がその話を聞いたことを知らないので、私が話しかけても平然としていました。私はたとえ大きくなってもいじめのようなことは絶対せずに、もししている人達がいたのなら注意できるようにしたいです。もちろん今からでも気をつけていき、人として恥ずかしくないように行動したいと思います。
               

6組 国際社会に生きる

 僕は貝森先生の授業をお聞きして思ったことがあります。一つは、国際化についてです。国際化とは「世界の人々が協力しあいながら、どんなことがあっても世界の人々みんなで、それを乗り越えていくことである」と思いました。先生は、「国際化とは地域を超えて、世界規模で結びつきが深まることなので、情報化社会に不可欠な交通網やマスコミ、ICT技術などは、これからますます発達していく。」とおっしゃいました。実際、現代ではマスコミを通して世界各地のニュースをすばやく知ることができるようになっています。
 しかし、国際化もよいことばかりというわけではなく、「メリット」と「デメリット」の両方があります。メリットは、先ほど書いた通り、交通網やマスコミなどの発達によって、情報がすぐに、そして簡単に手に入るようになることです。もう一つは、文化の交わりにより技術や文化が発展することです。世界中の様々な文化を吸収し、それを自国の進歩に活かすこと、そして、独特の日本の文化もアピールし、よりいっそう日本という国を理解してもらうことが重要だと感じました。
 一方、デメリットは、宗教や文化の違いから国家間でトラブルが起きてしまう恐れがあることです。自国の文化を主張しすぎるあまり、「自分たちの国の文化を知って理解してもらう」ことが、かえって反感や対立感情を生み、争いやトラブルになってしまうことは十分起こりうることです。もう一つは、自由に簡単に国と国との行き来ができてしまうことによって、今回の新型コロナウィルスのような感染症などの拡大につながってしまうことです。
 文化は、日本にも数え切れないほどあり、日常にもたくさんの文化が存在しています。「文化とは日常生活そのもの」といっても過言ではありません。海外の国々の文化を広い視野で理解するとともに、自分の国の文化を正しく知ってもらうことが国際社会に生きる上で大切なことだとわかりました。


   

                    

7組 自己肯定感を高める

 私は竹中先生の道徳授業「自己肯定感を高める」を受け、自分は自分のことをよく知らないのではないかと思いました。私は自分を高く評価したことがあまりありませんでした。どんな時でも自分で自分をほめられず、他人からの評価が全てでした。いつも「〇〇が得意ですか?」「〇〇に自信がありますか?」と問われても、期待に応えられなかった場合や答えが嘘になってしまった場合を恐れ、自信を持って「はい」と答えることができませんでした。しかし、今回道徳の授業を受け、自分がどれだけ自分を信用していないかがわかりました。
 今回、先生は国枝選手の「俺は最強だ!」と「自分の心の中の自分」の二つの話を基に授業をしました。まず、国枝選手の話。国枝選手のことは小学校の道徳の授業でも考えました。教科書の内容を読み、私は、「自分に自信を持ち、自分に言い聞かせることでこんなにも変わるのか」と思いました。私は、今まで「自分はまだまだ実力が劣っている」、「レベルが低い」と心に言い聞かせて、自分自身を低く評価し、「自分はまだまだ未熟。だからこそ努力をし、実力を上げ、下からはいあがるのだ。」と己を鼓舞しようとしてきました。一方、国枝選手は自分自身を高く評価し、「自分は強いのだ。最強なのだ。」と言い聞かせ、自分が目標を達成しているかのように振る舞い、現実もそれに近づけていきました。国枝選手は私とは正反対の考え方によって車椅子テニス界でトップクラスの実力を身につけました。私は、今までの自分の考え方が間違いだとは思っていません。しかし、国枝選手の話を読み、自分に自信がなかったのだと気づきました。そして、もう一つの「自分の心の中の自分」で「あなたはこの状況をどう思いますか?」という質問。私は、最初は「人から親切にしてもらって礼を言わないのはどうか」と考えましたが、だんだん「主人公もおばあさんもただ求めているだけなのでは」、「主人公は心のどこかでは、人から礼を言われるあたたかさを欲しているのでは」とも思いました。今回の道徳の授業で私はもっと自信をもつべきだ、自分を信用すべきだと思いました。信用を得るには時間がかかります。それは他人にも自分に対しても同じことです。私はこれから、心の中の自分を信用し、互いを認め合う努力をしようと思います。

               
8組 命の尊さを知る

 今回、遠藤先生のお話をお聴きして、改めて命の大切さを実感しました。6月29日現在でコロナウイルス感染症の感染者が一千万人、死亡者が五百万人もいることに驚きました。そして今日(7月1日)の東京で感染者が六十人以上見つかったと聞いて、少しずつ感染者が増えてきたので、危機感が増しています。自分のためにも、周囲の人のためにも、自分が一番できる手洗い、アルコール消毒を徹底していきたいと思います。私は今まで誕生時の写真を見ることが少なく、誕生時の話もあまり知りませんでした。だから、今回プリントにコメントを書いてもらい、誕生時の話も聞けたので、とても良い機会でした。また、誕生日は自分が生まれためでたい日という考えでしたが、お母さんが命がけで私を産んでくれた日でもあると聞いて、これからは自分の誕生日にお母さんに感謝の気持ちをしっかりと伝えたいと思います。そして私が生まれたときのことを忘れずに誕生日を過ごしていきたいと思います。
 今回、山崎直也君のお話を聞いて、今こうして元気に過ごしているときに私が急に病気になったら、直也君のように治療を頑張ろうと思えないし、前向きに生きようと考えられないと思います。また、今こうして元気に過ごせる環境を作ってくれている両親などにも感謝しなければならないと思いました。私は破水してから産まれるのに3日もかかり、へその緒を三重巻きにしていたので、お医者さん達にも感謝しなければならないと思います。そして簡単に死にたいや、死ねなどの言葉も言ってはダメだと改めて思いました。今、私は元気に過ごしていますが、世界中に元気に外で遊びたいけど遊べない人達がいると自覚して過ごしていきたいと思います。道徳の教科書に載っていた話を読んで、すぐにあきらめずに希望をもって物事に取り組み、何事も全力で取り組んでいきます。また、命は長さでないと言われ、確かにそうだと思いました。少し話が戻りますが、5歳になる前に死んでしまう子が年間六千万人いると聞き、ここまで育ててくれた両親に感謝し、この命を大切にしなければならないと思いました。また、今の自分にSDGsなどでできることはないのかHPなどを見て、調べたこと、わかったことなどを自分なりにまとめ、できることを実践していこうと思います。今回のお話で、いろいろな人に感謝しなければならない。そして自分で実践できることは実践し、命を大切にしていきたいと思いました。