令和元年度
高等部1学年 道徳感想文
第5回(10月29日)


テーマ:いじめについて

私は無関心は自分を守るための鎧だと思いました。他人に危害を加えなくてもいじめていることになるというとがよくわかりました。A子さんのように自分の居場所が見つからないと言う気持ちもよく理解できます。休みが続いたA子さんが頑張って登校したときに、みんなは関わらないようにしたのではないでしょうか。自分がトラブルに巻き込まれないように保身だけで動いていたのだと思います。よく3人組はうまくいかないと聞きます。どうしても2対1になってなりやすいからです。そこに応援団がついてしまうと、さらに複雑になります。伝言ゲームをすると、最初の言葉が最後の人に伝わるときには全く異なった言葉になってしまうことが多いです。多くの人がこう言っていた、ああ言っていた、とどんどん尾ひれがついて問題が大きくなってしまうのだと思います。A子さんは頑張って登校したのです。何を頑張っていたのか考えてみました。クラスの仲間の間に入ろうとしていたこと、自分の悪口を他の人たちが言っているのに耐えていたこと、B子さんとC子さんが、自分を仲間外れにしたために疎外感を感じていたこと、などいろいろ考えられます。悪口を言ってしまった自分を恥じていたのかもしれません。自分がやらなければいいと言う利己的な考えは、無関心や他人への攻撃として現れます。よく人を助けると自分が狙われてしまうというケースが話に出てきます。悪党と言う言葉はあっても善党と言う言葉はないと聞いたこともあります。悪い人は群れると言う意味だそうです。私は相手の立場に立って考えられる人になりたいです。自分がされたら嫌なことは人にはしない。自分さえよければと思わず、見て見ぬふりをしない集団の中で生活していきたいです。勇気がいりますが心がけなければいけないことだと改めて思いました。



テーマ:いじめについて
私は今回の道徳を通して、無関心、悪気がない行為をしてしまうことが1番いじめを助長する原因になると思いました。だからこそ一見何も悪くないように見える無関心、悪気がない行為が1番強く1番無責任だなと思いました。先生も授業でおっしゃっていたように、無関心である人たちがいるために、いじめの件数が急激に増え、その人たちがいじめまで発展させてしまう直接的な原因になってしまうのだと思いました。私は周りで起きていることに関心を持ち、無関心になりたくないと思いました。私は今友達にかけている言葉について考えました。少し度が過ぎていることを言ってしまっているかもしれないと思うことがあったので、これからは気をつけようと思います。いじめの定義が昔より広く、より多くのものに当てはまるようになってきているのは、それほどいじめによって心病む人、自殺する人が増えてしまったことが1つの原因に挙げられると考えました。自分がいじめの原因にならないようにも、相手にそのような思いをさせないためにもお互いを尊重し、自分はいじめていないとはっきり言い切れることができるようにしたいです。ないとは信じていますが、身の回りでいじめに該当するような行為があったら気づいて、いじめを受けている人を助けられるような行動をしたいと思います。また周りのことに積極的に関心を持ち、周りの変化に気づき、いじめにも気付けるようになりたいと思います。私はいじめは絶対にあってはならないことだと思いますし、いじめが常にどこかで起きている日本の現状は、とても恐ろしいことだと思います。いじめのない社会は当たり前であってほしいですが、実現する事はとても難しいです。ですから私は少なくとも私の周りは常にいじめのない社会になるようにしていきたいと思います。私の周りにおいていじめのない社会を実現するために、まず私がいじめの原因になりうる加害者や、無関心な人にならないようにし、それを社会全体に広げ、いじめのない社会が実現できるようにしていきたいです。

 

   

 

 



テーマ:ルールについて考える

今回の道徳は、大串先生の「ルールについて考える」でした。今回の道徳では、改めてルールにはいろいろな見方があることを実感しました。自分はルールと聞いたら、まず初めに窮屈という言葉を連想します。ルールというものは、何をするに対しても必ずくっついてくるものだと思います。例えば今回の道徳でもあったように、スポーツや社会など全く立場が違うものでも、ルールというものは存在しています。個人的にスポーツのルールは、選手はもちろんのこと、見る人にも楽しめるように作られており、どちらかと言えばプラスのイメージがあります。それに対して社会のルールは、社会に出たら絶対に守らなければならないというように義務的なものという印象がとても強く、個人的にはマイナスのイメージがあります。ですが、自分は道徳の授業で大事なことは「なぜそのルールがあるか」ということを知ることが大切なのだと気が付きました。だからこれからは、なんでこんなルールがあるのだろうと思っても、頭ごなしに否定せず、「どうしてそのルールがあるか」考えて生活していきたいです。また今回の道徳の授業で先生がおっしゃっていた、「意味のないルールは無い」と言う言葉を聞いて、ルールの意味は自分で考えていくことが大切だと思いました。自分で考えて、答えを出せるなら、本当に一人一人が主体的にルールを守る世の中になるのではないかと思います。最後に先生がおっしゃっていた、「自分自身と他者を守るため」ということに尽きるのではないかと思います。なぜならルールを守ってさえすればトラブルに巻き込まれることはなくなり、また気がつかないうちに他人を傷つけるということがなくなると思うからです。自分もきちんとルールを守り、きちんとした生活を送れるようにしたいです。

 

   

テーマ:ルールについて考える

私は今日のお話「ルールについて考える」を聞く前、ルールについて「あるから当然。」「守るべきもの。」「何かをする時必ずついてくるもの。」という認識しかありませんでした。しかしお話を聞き、友達と話し合ったところ、ルールはただ何の意味もなく存在しているわけではなく一つ一つのルールには意味があるのだからそれを再認識する必要があることと、ルールによって自分たちの意思がないがしろにされているわけではなく、ルールがあることにより私たちの意思が尊重されているということを認識しました。私は今まで自分の中では校則や日常生活の中での規則等のルールを尊重、守っていると思っていました。しかし今回のお話を通して、ルールを破ってはいなくてもそのルールがなぜあるのか、このルールによって人にどのような利益があるのかを考えなければ完全にルールを守っているとは言えないのではないかと思うようになりました。ただ守るだけでなく、自分なりに解釈し、納得した上で使用していきたいと思います。またルールがあることにより、いろいろな面で私たちの安全安心が守られていると思います。例えば今日のお話にでも出てきたラグビーです。今だからこそ盛り上がりを見せているラグビーですが、もしラグビーにルールがなかったらどうなるのでしょうか。ラグビーのルールの1つには、前にパスしてはいけないというものがあります。これが守られなかった場合、ラグビーとして試合どころか競技の特徴が失われてしまいます。また競技をやっている選手に対するルールだけではなく、観客にもルールは課せられています。もしこのルールもなかったなら試合に興奮してヒートアップした観客たちは選手との間にあるフェンスや壁を乗り越えて直接コート内に入ってしまうかもしれません。このように考えてみるとやはりルールは私たちを安心させ競技を楽しませるために必要なことがわかります。これからの学校生活や日常生活を送る上で、今回学んだルールの大切さを心がけながら過ごしていきたいと思います。

 

 



テーマ:働くことの意義

今回の副校長先生の道徳で、「働くことの意義」について深く考えることができました。働くことは人生においても大切なことであり、働くことで人生を豊かにできるということもわかりました。そして将来仕事をすると忙しくなりますが、好きなことを仕事にできたら、人生において生きがいになると思います。また、仕事をする意義について考えた際、仕事は目の前の幸福だけを考えてやるものではなく、未来を見つめて、未来の自分のためにやるべきものだと思いました。また、「働く」という漢字は、「傍」を「楽にする」という意味があることを知り、「働くこと」は誰かのために尽くし、やり遂げるべきことであるということがわかりました。また、ピーター・ドラッガーの3か条のうちの「価値観」が大切だと思いました。理由は、仕事を続けるうえで、楽しいことだけでなく、辛いこと、大変なことがたくさんあるけれども、最初に決めた信念を貫き、仕事をやり続けることが大切だと思います。そして社会で必要とされるような卓越した仕事ができるように、自分の長所を伸ばし、自分に合った仕事をし、誰かのために一生懸命働きたいです。自分が楽しめて、続けられる、そんな仕事に就けるように一生懸命勉強をします。だから、目の前の幸せだけでなく、未来の幸せのために努力して、楽しく、豊かに過ごせるようにしたいです。

 

 

 



テーマ:働くことの意義

「働くこと」それは当たり前のことですが、高校生の私たちにはただ漠然としていて、考えることもあまりないものです。何のために働くのか。お金のため?多くの人はそう考えていて、実際多くの大人はやりたいことよりも、お金のために働く人が多いと思います。しかし、それでは充実した人生は送れないと思いますし、これから何十年と働くのに、続かないような気がします。そこでどう仕事に意義を見つけるかが大切だと思いました。まず、私は、仕事は「自分の存在価値」を見出すものだと思いました。まとめで書いたように、「人に必要とされること」はとても大切なことだと思い、人に必要とされないことはとても悲しいことだと思いました。私は今までは「人の役に立つために働いているだなんて、そんなお人よしがいるのか?」と思っていましたが、授業で「14の労働価値」を学んで、「働くこと」についてポジティブなイメージを持つことができました。そして社会人になって働くと、困難にぶち当たることもあるかもしれません。その時に困難だけを見るか、最終地点を見るかでモチベーションが違ってくると思います。実際に、受験時の一日一日は大変つらいものでした。しかし、志望校の方へと視点を変えてみると、自然と頑張ることができたのです。先生のお話の中で、「お金だけを追求していると、”終わり”がある。一定のお金を稼げば、仕事のする意味を感じなくなる」というものがありました。それには大変納得させられ、お金以外に目指すものの大切さを感じることができました。それらが私たちの人生、仕事、人格を豊かにしているのだと思いました。そこで私が考えていた「人に必要とされること」は本当に必要なもので、当たっていたのだな、と思いました。今はあまり”必要””不必要”と実感することは少なく、比較的平等に接することができていて、当たり前になってしまってしまっていますが、将来はそうとは限らないと思います。そこで、自分の存在価値を得るためにも、社会的に必要とされる存在になりたいと思います。