第14回道徳を終えて


1組 

 私は今回の授業で改めて、日本に生まれてよかったと思いました。日本の歴史にもっと興味を持ちました。私は「文化」と「文明」については父に問われて考えたことがありました。私は日本の文化が花開いたと言われる平安時代が大好きです。だから、来月に行く博物館でもしっかり見て学びたいです。私は平安時代が含まれる中世を選びました。私が今回受けた授業でも主な食文化、衣文化も平安時代にできたものが多いと感じました。私は国語である作文を読みました。その作文の一部に日本が、ヨーロッパ文化を取り入れすぎてしまったことによるデメリットがありました。そのデメリットとして挙げられたのが、ヨーロッパのしっかりと研究されなかった文化を取りいれてしまったこと。日本の価値のあるものを見落としてしまったことです。私もヨーロッパの文化がおかしいとか劣っているとは思いませんが、全てが正しいとも言えないと思います。逆に、日本の文化にも全てではなくてもいいところがたくさんあると思います。だから、自分の国に、自信を持つことはいいことだと思います。これからグローバル社会にもっとなっていき、たくさんの文化が取り入れられると思います。そこで自分の国をアピールし、もっとたくさんの人に日本という国を知ってもらうのはいい機会だと思いました。そして、日本の文化が廃れないように私たちの子孫にも代々受け継いでもらう必要があると思いました。そのためにユネスコや博物館、記念館などがあるのだと思いました。戦争などの忘れたい思い出も、人の命について考えさせられるきっかけとなりました。良いことも、悪いことも、すべてが文化となり、すべてに意味があると思いました。これからも日本の文化を色々な国に広め、大切にしていきたいです。

    

                 


2組 

  今回の授業を受けて、働くことについて考えました。私は、働くこととは、「経済的に良い生活をして、人のためにはたらき生きる価値を得たり、良い環境で仕事をして自分の望むライフスタイルで生きたりするためのこと」だと思います。私は、「することのない」時間が嫌いです。忙しい方が生きている意味や価値を得られると思うからです。生き甲斐のある仕事はとても良いと思います。人に求められているなら頑張ろうと思うこともあります。自分のために働くより、困っている人を助けるために生きる方が人生を楽しく過ごせると考えるからです。また、やる気にもなれます。全ての仕事には何かしら人の役に立つことがあると思います。そしてその人のために努力をして結果を残したいです。医師は具合の悪い患者さんのために頑張ろうと思って努力することができると思います。人のために働く人はかっこいいです。やりがいを見つけてそのために働ける人になりたいです。働くということについて考える機会がなかなかなかったので良かったです。私は、山本先生がおっしゃっていた「日本理化学工業」について調べてみました。日本理化学工業の社員の方の70%以上が、知的障がいのある方だそうです。5S(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ)に安全を加えた6Sを重視していて、障がいのある方も班長などになっていて引っ張っていけるような環境になっているそうです。障がいのある方を社員とする会社が少ないなか、環境が整った会社はすごいと思いました。これからもっとこのような会社が増えて欲しいと思います。

                       

  


3組 

 私は、今回の道徳の授業を受けて、自分に対する自信が上がったと感じました。自信が上がったきっかけ、言葉が三つあるので、それぞれを述べていきます。まず最初に、一つ目は、『がんばらない練習』に書かれている、「もし自分の欠点が全部なくなってしまったら、そんなものはもう自分ではないだろう」という言葉です。私は事前アンケートに、自分のことが嫌い、自分に自信がない、と回答していました。それは、欠点だらけの私なんて、何の役にも立てないと考えていたからです。しかし、この言葉のおかげで、欠点だらけの私は私であり、個性だから、受け入れて欠点を少しずつ減らしていこうと、前向きに考えることができました。二つ目は、事前アンケートの問一、二の結果です。私は、自分に自信がないために、自分のことを好きになれなかったのですが、アンケートの結果をみると、特別自分に自信があるという人は少なく、自分が好きという人も多くはありませんでした。ですので、普通はみんな、自信があるというわけではないので、努力すれば、私も自分に自信を持てるのではないかと思いました。最後に三つ目は、「私は私の人生の最高責任者(CEO)だ」という言葉です。この言葉は、だれに何を言われようと、最終的には決めるのは自分自身だ、という意味なのではないかと、私は考えました。ということで、これからは自信を持って、自分の人生を、他人に決められずに、自分の意志で行動しようと思いました。最後に、まとめを述べます。この道徳の授業を受けたおかげで、自分と向き合って、自分の強み、自分の個性、自分の好きなところを見つけ、自信を創出して人の役に立とうと思ったので、これからは、自信を持てるように行動します。

                    


4組 

 今回は、「国際社会に生きる」という大きいテーマで、難しいと思いました。しかし、班の皆で話したら、皆似たような意見で、意見交換はスムーズにできました。私は、今回の授業を受ける前までは、「国際社会」ときいても、「社会の授業で少しやったことあるな」としか感じませんでしたが、今回の授業を通して、「国際社会」に生きるということは、他国についての理解や知識を深めることが大切だと思いました。「国際化」というのは、他国の文化を取り入れた上で自国の文化と他国の文化を、バランス良く保つことだと思います。自国の文化だけを信じてそれだけを大切にするのではなく、他国の文化をしっかり取り入れて、自国をさらにより良い方向に発展させることが、今私たちが行うべきことなのではないでしょうか。私の班では、みんながこのような意見で、「他国の文化を取り入れる」ことや「他国の文化を学ぶ、理解する」ことがどれだけ大切なことなのかがよく分かりました。最近は、駅や電車やテーマパークでよくアナウンスが日本語の後に、英語・中国語のように放送されているので、その点に関しては、国際化してきていると感じます。あと日本に足りないのは、まだ言語などは対応できている(国際化している)としても各国にいるそれぞれの民族の文化やルール(宗教のルール)などには対応できていない(国際化していない)ということだと思います。イスラム教徒の人に対応した、礼拝所のような部屋が備えつけられている施設がありますが、その数もまだ少ないので、たくさんある必要はないですが、ある程度はそのようなものを備えつけるのも大事だと思います。色々な文化を自国の文化が薄くならない程度に取り入れ、尊重しながら、生活していくことが大切です。

  

                  


5組 

 今回の道徳はルールについて考えるということでした。私はこれまでルールというものがなぜあるのかということや、その役割についてきちんと考えたことがありませんでした。今回の授業でそういったことを考えるきっかけになりました。
 まず、始めにルールは必要かどうかということについてお話がありました。ルールは必要であるかどうかを考えると、私は必要だと思います。 例えば交通に関しても細かいルールが決められています。それは人の命を守るためであり、みんなが安心して道路を通行できるようにするためのものです。社会でもみんなが好き勝手なことをしていたら社会生活が成り立たなくなってしまいます。みんなが安心して生活するために、ルールは必要だと思います。そしてただルールがあるだけではなく、それをみんなが守っていくことが大事だと思います。私も時々、人に迷惑をかけなければ少しくらいルールを破ってもいいのではないか、と思ってしまうことがありましたが、そのようにみんなが少しずつルールを破っていたら、結果としてどんどん秩序が守られなくなってしまうと思います。ルールはみんなで守らなければ意味がないので、まずは自分がルールをきちんと守っていこうと思いました。
 不文律についてのお話もありました。法律などの明文化された決まりだけでなく、モラルやマナーといったものも社会生活をスムーズに営むために必要なものだと思います。みんながモラルやマナーを大切にすることは、安心で気持ちの良い生活を送ることに繋がると思います。しかし、最近はそれを知らない人も増えてきているので、まずは自分が率先してモラルやマナーを大切にした行動をしていきたいと思います。
 ルールとは、自分の行動を制限したり、拘束したりするものだというイメージもありますが、結果的には自分たちを守ってくれるものでもあると思います。そのことをみんなが理解し、みんながルールを守る社会になればいいと思います。そのためにも、規律ある進学校である江戸取の生徒として、恥ずかしくないような気持ちをもって行動できる人間を目指していきたいと思います。


  
                

    



6組 

 私は、この道徳の授業で福祉社会について深く考えることが出来ました。学校の帰りにいろんなバリアフリーを調べることが出来ました。私の部活の友達が部活の練習をしていたら足をひねらせてしまい学校から一緒に帰るときに必死になって手すりを探しました。その時、階段の手すりや坂を緩やかにしているところと、駅の点字やエレベーターなどがどれくらい便利なのかが良く分かりました。そして駅のホームにある黄色い線がある理由を気になったので考えてみました。よくある黄色い線では、2種類の点と線で分かれているのでそれぞれに意味があるのではないかと思い、次にインターネットでいくつかの資料を参考にしてみました。それぞれ線状ブロックと点状ブロックに分かれています。線状ブロックの意味は、誘導対象施設の方向を案内するために道路や廊下に沿って設置されている点字ブロックのことで線状ブロックの意味では、曲がり角や交差点などの注意が必要な地点や誘導対象施設の到着地点などを示すために設けられている点字ブロックです。少し前にLINEのタイムラインに載っていて初めて知ったのがヘルプマークです。赤色と白色のハートと救急マークの書かれたバッグなどに着けるカードです。このカードは、電車などで外見からでは分からない障がいをもった人が使うものです。それについてインターネット調べてみたところトートバッグにヘルプマークのカードを着けている女性が優先席に座っていたら高齢者の方に叱られてしまったといいます。その理由は、高齢者の方がヘルプマークの意味を理解していなかったからでした。そう思うと、世の中いろんな「マーク」が存在していても知っていなかったら意味がないと思ったのでまずは自分自身がもっと積極的にいろんなマークを理解しそれを私が次の世代へといっていくことが少しでも共生に繋がってくれるといいですそしてそのヘルプマークを先週ぐらいにちょうど江戸川学園取手中学校から家に帰る電車で初めて見ましたが、やっぱり外見だけでは分からないものだなと改めて感じました。


               



7組

 今回のテーマは「いじめ」についてでした。そこで2015年に取手市であった「いじめ」のことを思い出しました。いじめられていたのは、当時中学校3年生の女子生徒で、クラスメイトから嫌がらせをされたり、悪口が書かれた紙を渡されたりしていました。そのようなことが原因となり、その女子生徒は自らの命を絶ってしまいました。言葉は人とコミュニケーションをとったり、楽しく会話したりすることのできる、とても素晴らしいものです。しかし、時には人の命を奪う凶器となることもあると思います。だから、そのことを意識することで、少しでも「いじめ」のリスクを減らせるのではないかと考えます。また、最近では直接相手と会話をせず、仲間やグループなど、いわゆる集団で文句を言える機能が発達しています。それはインターネット」です。インターネットは誰もが見ることができ、それこそSNSLINEなどのトラブルがもとで「いじめ」が発生しているケースがよくあります。それには一人一人が、自分がいじめをしているということにおいて、無自覚であることが原因の1つであると思います。もちろん、集団でやっているから「バレない」「知らないふりをしておけばいいや」と考えていることも原因です。いじめはどんどんエスカレートしていきます。しかしそんな時に、「見て見ぬふり」をした人たちがそれを止めて、いじめをされている人の気持ちに寄り添って一緒に戦ってくれる。そのような環境を築くことができたら、もっとより良い「いじめのない社会」を作ることができるのだと考えます。自分も一緒になっていじめられることが怖くて逃げているばかりでは後で自分が後悔することになる。そう思って助けてあげられる人はとても思いやりのある人に成長できるのだと思います。


            

 



8組

 私は、今回の家族について考えるという道徳で遠藤先生が紹介してくれた「ゆりちかへ」が心に残りました。私はクラッシーにあがっていた動画を見てとても感動しました。その動画は、自分と自分の大切な人との赤ちゃんの命のどちらをとるかで赤ちゃんの命をとり、もっと生きていたい、死にたくないと強く思う女性の姿が描かれていました。私がこの動画を見て思ったことは、いかに自分が恵まれているかということです。私は私立中学校に通っているということの前に家族がいること、そしてその家族が生きているということを改めてよかったなと思いました。また、私が「ゆりちかへ」の言葉「生きる希望」でその女性がゆりちかちゃんに与えられた希望で辛い時期を過ごしていたのではないかと思いました。私はもうひとつ遠藤先生の授業で心に残ったことがあります。それは書いてもらった母からの手紙です。私は前に何度か生まれた時のことは聞いたことがありましたが、生まれる前のことや出来事、私ができた時の気持ちは初めて聞いたので嬉しかったしとても感動しました。だから、これからは紹介して頂いた作文「かけがえのないもの」のように家族の大切さに気がついたからには日々感謝の気持ちや敬意を持って過ごしたいと思いました。
 しかしながら、今の私は少し反抗したくなることがあります。しかし口論はあまり好きではないないですし、時間がたてば大概は忘れ普通に接することができるのでこらえていることが多いです。そしてこの反抗期(第二次反抗期)は自立期であるということを学びました。私はプリントでもあった、あとどのくらい家族と過ごせるのかということで、本当にあと七、八年で一緒に暮らせなくなるかもしれないということを思いました。その残りの時間を感謝の気持ちや敬意を持って過ごしたいと思います。