1組 「ルールについて考える」
 今日は江戸取で初めての道徳でした。今回はルールについて考えるということで、身近なルールについてディスカッションしました。これまでを少し振り返ると、私の出身中学は新設校で私が入学した年に開校したので、ルールはとても厳しかったことを覚えています。例えば、髪は肩についたら結ぶか切る、ハーフアップにしてはいけない、ピンは黒か紺で大きくないもの、カバンや筆箱にキーホルダーやお守りをつけてはいけないなどです。家でもルールがあります。勉強は2階でやる、お風呂は栓を抜く人と洗う人に弟と分担する。ご飯を運んだりテレビを見たりするのは順番になどです。また、私は中学校でバレーボール部に所属していたのですが、そこでも朝7時5分までに体育館に行き、10分にはネットを張り終える。先輩に会ったら挨拶をするなどです。それ以外にも暗黙のルールのようなものもあり大変だった記憶があります。江戸取もルールが厳しくて、特に挨拶には研修旅行でも意識したので、中学生の時よりも大きい声で挨拶ができるようになりました。また、私はこの制服を中学の時に見て以来憧れ、目標にしていたので、入学依頼、着こなしという点は毎日気をつけています。しかし、周りを見てみると守れていないと感じたことがありました。それは公共機関でのマナーです。静かにする、広がらない、席を譲るなど当たり前のことができていないのはとても悲しいと思いました。ディスカッショングループの中で出たように、そもそも何に対してのルールなのか明確にしていないことが1番の原因なのではないかと思います。今後、より良い方向に改善していくには、自分が気を付けることはもちろんのこと、マナー違反している人たちに対して注意をしたり、友達がしていたら止める勇気をもち、少しずつでも良い方向に導いていけたらと思います。さすがに江戸取生だねと言われるように毎日を過ごしていきたいです。




    




1組 「文化の多様性」
 文化の多様性の話を聞いて、〈日本特有の文化〉がたくさんあることや、〈文化とは?〉という質問へのみんなの解答を聞いて、文化について多くの人がイメージをもっているということがわかった。その中で私が一番良いなと思った意見は「その国の象徴」という意見でした。それを聞いて、とても驚きました。日本という集団の中にも、文化の違い(方言の違い、うどんの味など)東と西でたくさんの違いがあることがわかった。私は、前、兵庫県の淡路島に住んでいましたが、そのような文化の違いを実感したことはありません。これは、自分の住んでいるところに慣れると、それが普通に感じて、前いたところと少し違うかな?など少しも思わなくなるからだと思う。つまり、文化=日常生活であるということだと思う。
 文化には、2種類あり、〈目に見えないもの〉と〈目に見えるもの〉がある。〈目に見えるもの〉は、衣食住、季節の行事、伝統芸能など、日常生活に大きく関係するもので、〈目に見えないもの〉は、判断・行動の行事の基準など、人の性格、個性に影響するもので、人の性格、個性は、自分の育った環境の文化に影響されるものだと思う。人それぞれ、〇のイメージをもっていて、この〇についてのイメージは、本当のこともあるが思い込み、偏見が多く、〇についての正しい文化を考える分には邪魔であるということがわかる。せっかく、世界がつながってきたのに、変な思い込みや偏見によって世界で混乱が起きると思う。なので、世界がもっとつながるためには、思い込みや、偏見をなくして、もっと、みんなが個人を認めあっていければ良いと思います。 




    




2組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 高校一年生最初の道徳。メンバーは7人。テーマは題名の通りである。早速本題に対する大半のメンバーの答えの共通点は、「将来役に立つから」である。私も結果的にはこの意見になる。というのも、私と若干名の意見で「適応力を養う」が、挙がったからである。適応力があれば今後どのような問題に直面しても解決に導ける、辿り着けるということだろう。さて、勿論少数派、反対派も居るわけである。その中でも「全て不要」という意見は強烈だった。幸せや将来に関して勉学は全くもって不要!!と。確かに生存というだけならある程度可能かもしれない。だが、長く、何より楽しく無いのではと感じた。人は、知識を増やし、記録し、存続させるのが人としての意味でもあろう。
 サブテーマは「不要な教科はあるか」。これは他のグループも含め、様々な意見が出た。そこで、道徳、という意見も出て、今自分が受けている授業を否定する人もいるんだなぁ、と思った。これには、大串先生の意見もあって、「教科は色であり、一つでも抜くと見える世界が減る」、つまりあらゆる勉学は繋がっていて、その一部を欠かすことは...ということだろう。
 最後に。私は学ぶとは、世界を面白く生きるためにするのだと考えている。そしてこの世は「何故?」に満ち溢れてる。どこかの何故?が自分を変えてしまうかもしれない。いつかその時を見て、今私は学びを繰り返している。
 




 




9組 「ルールについて考える」

 今回の道徳の中で提示された「生徒はなぜルールを破るのか」について、生徒がルールを破るのは、そのルールに納得がいっていないからだと思います。江戸取は周りの学校よりも厳しいため、他校では許されても江戸取では許されないことに、他校がうらやましくなりルールを破ってしまうのだと思います。また、学内では先生方が注意して下さるために緊張感を持てますが、校外に出るとその緊張感が緩んでしまい、ルールを破ってしまうのではないかと思います。私の場合は兄が江戸取に通っていたため、江戸取がどういう学校なのかをよく知り、理解した上で受験をしました。そのため、江戸取が厳しいと思ったことはありません。ルールについてもう一つ、家庭内でのルールを紹介します。私の家では自分の部屋にスマホを持って行ってはいけません。特に寝る前は絶対にダメです。これは夜、自分の部屋にスマホを持ち込むと寝ないからという理由があります。私としては、スマホを持ちこんでもちゃんと寝るのにと思っていますが、このルールは私たちのことを考えて作ってくれているルールなので、とても嬉しくありがたいことだと改めて感じています。





 




9組 「ルールについて考える」
 私の中学校では、変わっているルールがありました。これは一年前になくなってしまったのですが、運動部に入っている人は毎朝三キロメートル走らなければならない「走ろう会」というルールでした。雨の日であっても体育館で走り、毎日やっていたのでとても辛かったのですが、時々土手を走ることがあったときは楽しかったことを覚えています。「生徒はなぜルールを破るのか」について、班では「好奇心が旺盛だから」や「他校の高校生がやっていることにうらやましいと思うから」という意見が出てきて、自分が持てていない意見を聞くことができ、ディスカッションが面白く感じました。私の意見としてはまず、テレビやインターネットの影響があるのではないかと思いました。テレビやインターネットで見る高校生のイメージを持ったまま、自分たちが高校生となり、そのイメージの内容が校則に違反する内容であっても、それまで描いてきたイメージ通りであるから破ってしまうのではないでしょうか。また、電車やバスでのマナーは守る前に、それを実践して教えてもらう機会がなく、そもそも身についていないため破ってしまうのではないでしょうか。




 




10組 「文化の多様性」
 文化が個人の性格を作り上げることはあるが、個性まで変えるものではないのだと思った。また、異文化をお互い理解しようとしない限り、紛争や戦争はなくならないとは思うが、では逆になぜ自分たちは違いを受け入れないのだろうとも考えた。まず、日本人は特に多いと思うのだが、自分たちは周りと違う行動をすることに対して恐れを持っていることが原因だと思う。自分が違いを受け入れても、周りの人達がそうしなかったら、自分だけ少し浮いたように感じて嫌になるだろう。常に周りに合わせてばかりなのが、多様性を阻止しているように私は感じた。またもう一つ挙げるとしたら、これは日本人に関係なく誰でも自分が一番正しいと考えて行動してしまうからではないか。自分の文化が一番良くて最高だから、それ以外はダメと無意識に決めつけてしまっていると思う。文化の多様性という観点ではもちろんだが、普段の生活でもやはり自分が一番だと決めつけ、変なプライドを持つのは危険だと思った。これからいろいろな人と接していく上で、異文化を受け入れる場面があると思うが、その時に今日の考察を活かしたい。




    




10組 「文化の多様性」
 今回の貝森先生の道徳授業で日本の文化について深く考えることができ、また深く理解することができました。日本の文化は、他人を尊重する気持ちがある文化なので、今後生活していく上で、相手の気持ちを意識して公共心、公徳心を持っていきたいと思います。
 文化というのはある集団・社会の人が時間をかけて発達させた生活様式の全体で、短くまとめると日常生活であることが分かりました。そして文化には、目に見えるものと、目に見えないものがあり、目に見えるものとしては、衣食住や伝統芸能・季節行事があります。目に見えないものとしては、判断や行動基準があり、これは個人の生活や個性に影響するため重要なものだと思います。
 外国の文化についても学び、僕たちの思い込みが先入観・固定観念となって相手を縛り付けているのだと思うと申し訳ないと思います。だからこそ、他人を尊重する、相手の気持ちを考える日本の文化が大切なものになると思います。このことから、日本の文化だけでなく、他国、他の地域の文化を尊重し、相手のことを思いやることが大切なのだと分かりました。




 




11組 「私たちはなぜ学ぶのか」

 私は、今回の道徳で『なぜ学ぶのか』や、『自分の幸せとは何か』ということを深く考えさせられました。今まで、全ての教科を学ぶ意味が分からず、正直、自分の中での優先順位をつけて授業を受けていた気がします。こんなことを学んで何になるんだと、反発したことも多くありました。しかし、いざ改めて考えてみると、自分の将来の選択肢を広げることの出来る大事な一歩なのだと気づきました。もしかすると、私がこれまでに必要ないと切り捨ててきたものの中にも、もう一度自分自身に問い直してみると、その本質的な意味が見えてきたりするものがあるのかな、と思いました。そう思うと、これから出会う一つ一つと、真剣に向き合っていこう、という気持ちになりました。『なぜ学ぶのか』この問いに、まだ自分なりの明確な答えは見つけられていません。けれど、学ぶ理由は人それぞれだし、そのときそのときで変わってくるものなのだと思います。それならば、私は、自分の選択した人生の中で、ゆっくりと見つけていきたいです。また、今学ぶことで将来の選択肢が増え、進める道の幅が広がることで、自分の夢を叶えられる。つまり、幸せなのかな、と思います。ただ、ゲームをしたり、寝たり、そんな日常が幸せだと感じる瞬間があります。今の私も、そんな楽な幸せを優先させてしまっています。自分の人生の幸せ、その一点だけを見つめ、幸せを履き違えないようにしたいです。 





    




11組 「私たちはなぜ学ぶのか」
 僕は大串先生の道徳の授業を受けてなぜ自分達は学ぶのかということに対して三つ自分の意見を持ちました。一つ目は、自分が幸せになるためには学ぶ必要があるということです。僕にとっての幸せは自分の好きなことができたり、将来の夢がかなったり、友達や家族と仲良くすることです。このどれも知識が必要です。自分の好きなことをするためには時間の使い方を学ばなくてはいけないと思います。将来の夢をかなえるためには、その夢について学ばなくてはいけないと思います。二つ目は、学校で学ぶ教科はすべて必要だということです。五教科はもちろん、自分の行きたい大学へ進学するために必要不可欠なので必要です。技能教科は、自分の将来の選択肢を増やす上で役に立つと思うので必要です。道徳も人との関わり方を身につける教科だと思うので、将来様々な人と関わる時に役に立つので必要です。三つ目は自分の将来の夢を見つけ、それに向かって様々なことを学びたいと思います。僕は将来の夢を見つけられていません。研修旅行で色々な先生が将来の夢という大きな目標を掲げ、その目標を達成させるために小さな目標をたくさんたて、それを一つ一つこなしていくことが大切だと言っていました。だから、その大きな目標を見つけるためにも学校の授業や行事などで様々なことを学んでいきたいです。僕は今回の道徳の授業を受けたことで学ぶことへの見方が変わった気がします。