平成30年度 中等部1学年 道徳感想文 第13回 2月18日

 
1組 「家族について考える」
 僕は、今回の遠藤先生の授業受けて学んだことを思ったことがあります。
 1つ目はコミュニケーション能力の大切さです。医者になるためにはコミュニケーション能力が大切だと亀田総合病院の先輩がおっしゃっていました。人生で1番それを伸ばすとしたら僕は家族との会話が大切だなと思いました。僕は家でYouTubeや自分のことをしたいときに親は話していたら「うん、うん」 や「ふーん」と軽く聞き流していることを思い出しました。人生の中で家族といる半分の時間を使い切ってしまっていることに気がつきませんでした。なので、今日からはできるだけ人と会話をするようにしたいと思います。このように自分のできることをしていくことが一番だと思いました。勉強もそうです。勉強はいつでもできます。とてもありがたいことです。そのことを、日々の生活の中で身に付けていきたいと思います。江戸取生活でもたくさんのことを学んで行けたらいいなと思っています。
 2つ目は思春期についてです。自分は今思春期の中にいると思います。自分で言うのもどうかとは思いますが、そんな中で生きていくには大人に反抗をせざるをえないのです。とっても大事で大変な時期に入ってしまいました。しかし最近はおさまってきました。でも、まだ反抗は収まりません。大人になっている証拠ですが、さすがに行き過ぎたときは、自分をコントロールしていきたいと思います。少し難しいですが頑張りたいです。今回の授業は、SDGsに当てはまると思います。理由は簡単です。SDGsを未来に伝えるには、子供が必要。その子供を育てるのは大人の役割です、自分は今、大口を叩いていますが大人になったときはそれがどのようにひどいことがわかると思います。ですので、今、出来る限り親孝行していきたいです。それが子供の役目です。それが出来るような立派な人間になりたいです。また、人間の体に詳しくなって、患者さんを助けられるような立派な医者になりたいです。僕は患者を笑顔にできるような医者になりたいのでそれができるようにコミュニケーション能力を伸ばしていきたいと思います。

  

      
2組 「文化の多様性」
 今回の道徳で私は、文化というものについて深く考えることができました。文化というのは、私たちの中に根深く浸透しているものです。たとえば、五・七・五のリズムを美しく感じたり、畳の部屋にいると落ち着いたりします。そういうときは日本の古き良き伝統を肌で感じているような気分になります。また、具体的な芸術ではなく、社会的、精神的なことについても日本文化があります。たとえば、空気を読む、察するということに日本人は優れていると言われ、それが長所にも短所にもなります。このように、日本の文化は長い年月をかけて成長し、私たちに無意識のうちに染みついているのです。このことを、今回の授業で改めて感じました。
 さて、今回のテーマは「文化の多様性」です。私は、この「多様性」の種類を二つに分けて考えました。一つは「時間」という観点です。我が国日本には伝統的な文化がたくさんあります。時代によって様々な特色があり、今でも行われているものがたくさんあります。その一方で、現代的な文化というものも広まっています。アニメ・マンガ文化、携帯電話の普及、教育など社会システムのグローバル化、VRの発展とそれに伴った新スポーツの誕生など、社会は常に変化しています。時間が経てば経つほど、歴史が増えれば増えるほど、存在する文化の形もどんどん増えていきます。「昔」と「今」が混ざり合って多様化した現在、私たちは伝統を守りながら今を発展させていかなければなりません。
 もう一つは、「空間」という観点です。当たり前のことですが、世界には数え切れないほどの文化があります。そしてそれは時として矛盾し合い、衝突してしまうことがあります。たとえば、近頃問題になっているのが、ヌードル・ハラスメントです。文化や価値観の差によって嫌な思いをしたりさせたりということは多いです。これを解決するためには、まず互いの価値観のどこに違いがあるのかを見つけるため、互いについて知らなければなりません。そして、知った上で互いに妥協し、相手に向かって一歩踏み出さなければなりません。これは相手が文化の違う外国人の場合に限りません。
 ここまで、日本の「昔」と「今」、そして、「世界」と「日本」という二種類に分けて文化の多様性について考えました。理解というのはとても難しいことですが、今回学んだことを忘れず、これからも日々努力していきたいと思います。

 

        

 

 





3組 「家族について考える」
 今回は家族について考えました。私の家族の構成は、核家族です。私の近所に拡大家族の人がいますが、クラスには拡大家族の人が少なく、とても驚きました。最近、虐待がニュースで取り上げられていて大変だと思ったため、虐待について考えてみました。児童相談所などへの連絡先が書かれているカードが小学校の時によく配られていました。私の学校では虐待の問題はなかったけれど、担任の先生はよく「何かあったら電話をかけるように」と言っていたような気がします。私は、日頃からみんなの様子をうかがって異変に気づいたりすることが必要だと思います。児童相談所に電話するのも一つの解決策だと思いますが、周りの人が普段から周りに目を向けることが大切だと考えました。家族のみんなで協力しあえば虐待などは起きないと思います。先生が言っていた「家族を創って行く」とはこの事かなと思いました。
 この道徳の授業が終わってから、私は「理想の家族像」について考えてみました。班員の意見も聞いた上で、私は「笑いが絶えない家族」が一番いいなと思いました。笑いが絶えないのは、みんなが楽しんでいる証拠だと思います。私は、自分の家族が「笑いの絶えない楽しい家族」になってほしいと思います。私は、今回の道徳で家族は大切にしようと改めて思いました。自分の家族も笑いが絶えないでほしいと思いました。そのために私ができることは、自分からお手伝いをしたり、朝自分で駅まで歩いて行ったりするなど、親の負担を減らしてあげることがではないかと思いました。親への負担を減らすことができれば、多少は笑顔を増やすことができると思います。クラスメイトにもこのような家族になってもらいたいので、私も普段から周りの様子をうかがって、少しでも手助けができるような存在になりたいです。

  

    
4組 「働くことの意義」
 最後の道徳テーマは、「家族について」でした。今回の道徳で家族がより一層大切に思えました。僕の家族は、核家族で親二人と子供一人以上の核家族です。僕は、今回の道徳で家族は時代や社会により変化していく事を知り将来は三世代家族にしたいと思いました。僕は気になって三世代家族と三世帯家族の違いを調べてみました。三世代家族と三世帯家族の違いは、生計が一緒ならば三世代家族、そうでないのは三世帯家族と言うそうです。三世代家族が理想的だと僕は、思いました。理想の家族について班の人と話したら、このような意見がでました。「自分の意見を尊重してくれる」、「互いを尊重し合う」などです。僕は、温かな家庭であればそれだけで十分だと思います。自分が家族を作る立場になったら、ここで出た事や道徳で学んで来た事を生かして行きたいと思いました。今回の道徳で家庭環境は人格形成へ影響する事を知り、これからは家族と過ごす時間、家庭内での生活を大切にしようと思います。家族と沢山話し兄弟関係を良くしようと思いました。家庭の外部化が進行しているので、外食ばかりではなく家で食べたりして家族との時間を大切にし、家で食べる事を勧めようと思います。今回の道徳で家族について改めて考える機会となりました。


 





5組 「福祉社会」
 私は、今回の「福祉社会」という山田先生の授業をお聴きして、次のようなことを考えました。まず、ボランティア活動についてです。私はこの授業にあった帰りに高校生がおこなっていた募金活動に募金しました。私は今まで小学校の頃は緑の羽、赤い羽がもらうことができるので募金をしていました。でも、募金に参加して気付くことがありました。それは、募金に参加すると、自分も人を救うお手伝いができて、他の人々のことを救うことができるかもしれないという、とても幸せなことがあって一石二鳥だということです。これからも中高生がおこなっている募金活動には積極的に募金していきたいと思います。
 次に、無意識の差別についてです。私は、「両手があっても人間です。両手がなくても人間です。」が無意識の差別に関わっていることが全くわかりませんでした。ということは日常的に無意識の差別に相当する、発言、思考をしているということです。例えば、「目が見えないのに真っ直ぐ道を走れるってすごい」と思うことです。先生がおっしゃっていたように眼鏡をかけていることは、義足や義手をつけていることに変わりはないと思います。だから、これからは、義手・義足・車いすなどを使っている人達を差別することはやめようと思います。その人達に差別してしまっていたことを謝りたい気持ちです。
 最後にプリントでやった世の中にある様々なマークについてです。私はテストで10問中、4問しか答えることができず、全くマークについて理解できていないことに気付きました。これからはしっかりとマークにも興味を持とうと思います。前にあげたことをしっかりと実践していこうと考えております。

 

       

 

6組 「礼儀について」
 今回の道徳では、身近にあるようで普段あまり考えない礼儀について改めて考えることができました。授業の中で行った礼儀についてのディスカッションでは、身近にある礼儀にはどんなものがあるか、そして、自分が挨拶をしたのに相手が返してくれないと不快な気持ちになるのはどうしてなのかということを考えました。
 まず、礼儀とはどんなものがあるのかについてです。私たちは最近テレビや新聞などで取り上げられていた「電車やバスでの礼儀」について考えてみました。それには、混んでいる時には荷物やバッグを下ろす、お年寄りに席を譲る、人が迷惑に感じるようなことをしない、などがあると思います。先生は「そもそも礼儀とは対人関係であり、気配りのことである。礼儀があれば人は不快にならない」と、仰っていました。ですので、礼儀に気をつけ、周りの人が不快にならないように気を配りたいと思います。
 次に自分が挨拶をしたのに相手が返してくれず、不快になったのはどうしてかということについてです。私たちは、挨拶をしたのに相手が返してくれなかったため、無視されているように感じたからだと思いました。私は挨拶も礼儀の中の一つだと思います。しかし、私は知らない人が苦手で今までの学校の中ですれ違った先生などに挨拶をあまり積極的にすることができませんでした。しかし、これからは自分から積極的に人に挨拶をすることができるように心がけたいです。
 今回の道徳で先生は、礼儀は形式を整えるということはなく心が大切だと仰っていました。ですので、私もただ形ではなく、気持ちを込めようと思いました。私ももうすぐ二年生になり、後輩が入ってきます。私は、礼儀が「対人関係での気配り」であるのなら、困っている人を助けるのも礼儀だと思います。私も困っている時、先輩に助けてもらったことがあるので、今度は自分が後輩にできるように頑張りたいです。
 





7組 「いじめの無い社会」
 僕は、この江戸取に来ていじめを見たこともやられたこともありません。しかし、もしかしたらはたから見ればいじめと捉えていないだけで、いじめが起こっているかもしれません。
 授業の例であった、悪口やからかいなどは、ふざけあっているときに多く起こっていて授業でやったE君のような子が出てもおかしくない状況もありました。大津の事件を聞いたとき先生が助けていたらという思いや、つらい時は学校に行かなくても良かったと思いました。もし万が一そういう人が出たら相談できる場所をもっと作ったほうが良いと考えました。いじめは一回でも起きてしまったら、先生や大人に注意しても終わりません。いじめられた子は、クラスの子から遠ざけられ、その後、先生も口出しできないようになってしまいます。だから、いじめを許してしまうような空間を作らないことが大切だと思います。なかなかいじめが起きたときに止められる同級生は多くいません。それにいじめを受けるほうも、やられたら大人や先生や児童相談所すぐに言ったほうがいいと思いました。いじめに加担していなくても、見て見ぬふりをしたり無関心だったりすることは大津のように子供だけではないかもしれません。今でもパワハラなどが、会社で多く存在しています。そのようなことを見聞きすると、大人になってどのように社会に出て、どうすればいいのかわからなくなります。
 大勢の時はいじめを無視してしまうかもしれません。それは大勢で、無視をしたり、見て見ぬふりをすれば少ししか罪悪感を覚えないからだと思いました。でも一人だけで見過ごしたり無視したりすると罪悪感が大きくなり、後悔しそうになるから助けるのだと思います。いじめは大きな問題だと思います。しかし、いじめはどんな人にも止めることはできます。直接止めることはできなくても優しく接し、話を聞いてあげられるようにしたいです。自分の行動や言動を客観視して友達に信頼される、相談してもらえる人格者になりたいです。社会全体で、今よりずっといじめが無くなるようにしたいです。

 

           

 

8組 「文化の多様性」
 文化の多様性についての授業を受けて、今世界各国は文化の多様性についてどのような考え方を持っているのかについて考えました。
 まず、日本の文化から考えてみると、日本の文化は中国から入ってきたものが比較的多く存在するという特徴があります。お互いに影響を受けながら文化が創られています。日本にも独自の文化があるように世界各国には様々な文化があります。その様々な国の文化を尊重するべきであると多くの人が認識して生活していくことが大切です。グローバル化とこのようなことを表現することがありますが、グローバル化を画一化と考えてしまうとそれらは全く違うものであり、グローバル化は異国の様々な文化を尊重しながら、異国の文化と触れることですが、画一化は強引に一つにまとめてしまっていてそろっている状態ならよいという考えになります。画一化の考え方は、文化の多様性を尊重するという考え方には反してしまいます。
 グローバル化は異国の文化に対して独断や偏見を持たないようにし、お互いの文化を尊重し合うという方針のことであり、今後はグローバル化をいかに進めていくかということが、大切なのではないかと思いました。
 私たちの具体的な偏見の例として欧米人は目が青くて髪が茶色いというイメージを持っている人も少なくないと考えられます。しかし、人々がイメージしている欧米人はテレビなどで放送された内容の一部の情報からによる思い込みに起因するので、迂闊に鵜呑みにせず自分自身で考えることが大切になってくるのではないかと思いました。
 今後は、文化の多様性を受け止めてお互いの文化を尊重していこうと思います。