平成30年度 中等部1学年 道徳感想文 第11回 12月10日

 
1組 「福祉社会」
 私は今回の道徳の授業を受けて「福祉社会」について考える事が出来ました。
 山田先生のお話の中に「身近な福祉」があったので、私も「身近な福祉」について考えました。私の通っていた小学校では「通学路クリーン大作戦」というボランティアを全校生徒で行っていました。このボランティアはいつも通る通学路で事故がなく安全に学校に通えることへの感謝の気持ちを表すため、通学路の清掃活動をするという行事です。私はこのボランティアを善のボランティアだと思っています。なぜなら、地域の人からの「ありがとう」を求めている者ではなく、日々安全に過ごせていることへの感謝の気持ちで行っているボランティアだからです。また、「ボランティアをしているのにありがとうの一言も言ってくれない」という人もいるという話を聞いたことがあります。しかし、このような気持ちでボランティアを行っている人は偽のボランティアであって、「ボランティアをさせて頂いてありがとうございます。」というような気持ちでボランティアを行わないといけないことが分かりました。また、身近にあるバリアフリーについても考えました。私は通学にバスを使っています。そのバスには、カタカナや英語で「ノンステップバス」と大きな字で書かれていました。そこで、もしもバスにステップがあったらというように考えました。私は小学生の時、社会科見学や遠足などでステップのあるバスに乗ったことがあります。このバスはノンステップバスに比べて地面との高低差が小さく、乗り降りしやすいと思います。しかし、車いすなどを使っている人にとっては段差が新たに出来てしまうので、ステップがあると余計に乗り降りしづらくなってしまうと思います。
 障がい者が私達との生活に支障が出るということを減らすためには、無意識の差別をふせぐため、バリアフリーなどで自然な工夫をすることが大切だと思いました。私も障がい者を一般の人と同じように接することを心がけたいです。

 

      
2組 「礼儀について」
 今回の道徳で私は、礼儀というものについて深く考え学ぶことができました。今まで13年半生きてきた中でも、礼儀を必要とする場面はたくさんありました。社会に生きる私たちは、常に礼儀の心をもっていなければなりませんでした。その中でどう行動するのが適切なのか悩むときも多々ありました。礼儀という概念を行動に変えるのに答えはありません。そのようなとき私はいつも、「どうすれば相手のためになるか」「どうすれば相手が過ごしやすいか」を基準にして、自身の行動を決めてきました。いわば相手を思いやっていたのです。 さて、礼儀というものを考えるにあたって、まず礼儀を種類分けしました。授業の中で先生は、形式ごとに分けていらっしゃいましたが、私は「何に対しての敬意か」ということに着目します。まず、先生や先輩など目上の人。次に、他人。そして、友人など同等で親密な人や家族。さらに、場所そのものや国、社会など目に見えないもの。最後に、自分です。 人に対しては、挨拶をする、話を聞くなどがあり、場所や自分に対しては、校門の一礼などがあります。とは言うものの、これらの境界線は曖昧です。たとえば、食事の前後の挨拶は、その食事ができるまでに携わった人々や、食材そのものに敬意を込めています。また「礼儀」を辞書で引くと、「尽くすべき敬意表現と、超えてはならない言葉の壁」とあり、前者は目上の人に対して、後者は親しい人に対してより強く意味を持つと思います。ここまでの話を踏まえて、礼儀正しくあるためには何に気を付ければよいのか、そのコツとも言えるものを書き出してみます。まず、人を思いやることです。冒頭で書いたとおり、相手に自分がどう影響しているかを想像し、良い方向に動かしていくことが必要になります。次に、人や物事に感謝の気持ちを持つことです。こちらの方が先かもしれません。人からの思いやりを意識することができるようになれば、自ずと自分も誰かを思いやれるようになれると思うからです。そして、三つ目に、一歩前に出てみることです。これは何かというと、自ら進んで挨拶してみる、行動してみるということです。これらの行動は、誠実さを体現しています。礼儀と勇気というと、合わないようにも感じますが、初めての場面で臨機応変に対応することは、不安を伴うものです。、その一歩を踏み出す気持ちを大切にしたいと思います。以上、この三つのことを念頭に置いて、これからも礼儀正しく生活していきたいと思います。

 

        

 

 





3組 「いじめの無い社会」
 今回の道徳は「いじめの無い社会」というテーマで, 青野先生のお話をお聞きしました。「いじめ」とは, あってはならないことだと思います。「いじめ」が起こることで, した方もいい気持ちにならないし, された方も良い気持ちになれません。授業の中で, 「大津いじめ事件」についてのお話を聞き, まずいじめが起こってしまうことがいけないのだけれど, まわりにも気を配り, その様子に気づくことも大切なことなのだということを学びました。
 「クラスの仲間が不登校になる前にできることは何か」ということを考えてみて, 私の解決策として, クラスの空気が少しでもおかしいと思い, その様子に異変を感じるような人がいれば, その生徒に話しかけるという方法でクラスの空気を戻すということです。まわりのことも考えられるような気持ちを持ち, 自己中心的な考えを控えめにして, 冷静に解決できるようになりたいです。
 いじめに向かわないためには, 「常に他者を大切にする」ということを知って, 生きていく上では何をするにも「利他の心」が必要なのだということを改めて感じました。私がとても大切だと思ったことは, 「自分の存在と他者の存在を等しく認め合う」ということです。等しく認めることができないと, 人を見下してしまうことがあり, 「いじめ」へと繋がっていくのだと思いました。

 

    
4組 「礼儀について」
 私はもともと「礼儀正しい」ということはとても大切なことだとは思っていましたが、そこまで自分の行動に礼儀正しさを意識することはありませんでした。「誰かに会ったらあいさつすればいいや」みたいに適当に考えていました。しかし今回の授業で私は、ただただ適当に、人に聞こえるようにあいさつをするだけではいけないと感じました。あいさつにより、気持ちの切り替えや相手との仲など、さまざまなものができ、良い気持ちでいられることができます。また、私も相手にあいさつをされる時、きちんとしたあいさつをしてもらった方がうれしいです。今までは面倒くさかったこともあり、小さな声であいさつをしていましたが、これからは相手の目をしっかりと見て、おたがい良い気持ちになれるようなあいさつをできるように頑張りたいです。また今回私は、はじめて礼儀と作法の違いやマナーとルールの違い、そしてマナーとエチケットの詳しい意味を知ることができました。今まであまりそういうことをきちんと調べたことがなかったので面白かったです。それと同時に自分達の身の回りにはさまざまな礼儀があるということを学びました。時間厳守や感謝の気持ちなど、今でも考えればたくさん出てきます。ということは、そのような基本的な部分をもしかしたらどこかで忘れている可能性があることがわかりました。だから、これからは普段の自分の行動1つ1つにおいて相手を思うように意識し、責任をとれるようにしたいです。また、社会のみんなが気持ちよく過ごせるようにマナーやルールは絶対に守っていきたいと思いました。それとともに自分がやられたら嫌なことなど相手の立場に立って考えて行動し、相手を不快にさせない心配りが常にできるようにしたいと思いました。


 





5組 「いじめの無い社会」
 私は今回の道徳、「いじめのない社会」の授業を受けて、改めていじめというものはしてはいけないと感じました。まず、文部科学省が提示したいじめの具体的な形についてです。私はこのいじめの具体的な内容を聞いて少し戸惑いました。なぜかというと以前、冷やかしやからかいなどをされている人を見たことがあったからです。その人はいつも笑ってごまかしていましたが、つらいと感じていたのかもしれないと思いました。やられている本人がいじめだと感じていたのかもしれないと思いました。やられている本人がいじめだと感じていたらいじめだということはこういうことなんだと気付くことができました。今後は、ひやかしやからかいなどをされている人をみたら見て見ぬふりをせず、無関心にならないように気をつけたいと思います。次に無関心の実験についてです。私はこの集団でいたほうがいじめは起きやすくなるという結果を聞いて納得しました。人間は1人では生きていけないので必ず集団になります。そうして、集団の中の人数が多くなればなるほど気の合わない人がでてきます。それは当たり前のことだと思います。でもそのことを悪く捉えるのではなく、1人1人の個性があると考えてたらどうでしょうか。おそらく、自分と合わないからいじめるという考えはなくなります。このように私は、個性を否定するのではなく、認めることが必要であると思います。最後に班でのディスカッションです。私たちの班では、ケーススタディの女子編について考えましたが、班で一番多くのでた答えはDさんがAさんに話しかけてあげられなかったのかということです。DさんはAさんに教えるだけでした。そのときDさんがAさんの相談にのってあげられなかったのでしょうか。ショックを受けているAさんと話してあげることはできなかったのでしょうか。なので、他人のことだと思って、無関心でいることはいじめをしている人と同じことだと思います。このように、現在はまとめでもあったようにお互いの心理的距離が近づいてきています。なので、この道徳の機会があったおかげで今一度自分の行動、言動を振り返ることができました。他の人達も今一度自分の行動などについて反省し,客観視することでいじめを減らすことができると思います。

 

      

 

6組 「文化の多様性」
 今回、「文化の多様性」についての授業を受けて、今まであまり考えたことのなかった「文化」について学ぶことができました。これから私が気をつけていこうと思ったことがあります。カナダの文化について考えた時、私が考えたカナダの人々の印象は金髪などでしたが、実際のカナダの人々は私達が思うような人ばかりではなく、アジア系の人達も多くいて、びっくりしました。そこで先生が仰っていた「思い込みをし過ぎると偏見になってしまう」という話を聞いて、今回カナダ人のことを考えた時のように、私達はたくさんの思い込みをしているのではないかと思いました。思い込みが偏見になってしまわないように気を付けなければならない、と思いました。それから、国によって文化が違うことを、この授業を受けて改めて実感しました。ですので、色々な国の文化を調べて他国の文化を学ぶことが、この世界でみんなが共存していくために必要だと私は考えました。そして日本の中でも地域によって方言があったり、その地域の特産物があったりと、日本国内でも地域によって文化が違うので、まずは日本の色々な地域の方言や祭りなど、それぞれの地域の文化を学ばなければいけないと私は思います。また、「グローバル化」や「グローバル社会」という言葉があります。各国には色々な文化や宗教、考え方があるので、見たり聞いたりしただけで批判するのではなく、受け入れることも大切だと考えました。
 





7組 「家族について考える」
 僕は今回の遠藤先生の「家族の大切さについて考える」という道徳の授業から自分なりに考えたことがいくつかあります。
 まず1つ目に、「家族の大切さ」についてです。自分は最近家族にどうしても少し反抗的というか、「あまり自分のことでガミガミ言わないで欲しい」と言う思いから少し強い口調で反抗してしまうことが多々あります。しかし、授業の中で、東日本大震災で両親をなくしてしまった人たちの話の中で、「失ってから気付くことが多すぎる」と言っていると授業の中でおっしゃっていました。このことから人は常日頃から周りの人たちへの感謝の気持ちを持たなければならないと思いました。「家族」「友人」「先生」など感謝しなければならない人はたくさんいます。でも僕は、心から周りで自分を支えてくれる人たちへの感謝の意を表していると言う事はあまり多くはありませんでした。これから、ますます自分の人格形成が求められていると思います。そのために今からでも、日々の日常で感謝したいと考えました。
 次に、この機会に個人的にですが「人はなぜ率直にありがとうという言葉が言えないのか」考えてみました。人は思春期になると、どうしても「幼い頃とは違う?」と言う気持ちから、クールで良いと思ってしまい、家族に対してもどうしても冷たく当たってしまう、本当の心の奥底では「ありがとう」の気持ちはあると思います。しかし、「どうしても言えずにいる人がいます…」でも感謝の気持ちを1秒でも早く持った方が良いと思いました。なぜなら世の中には生きたくても病気で生きられない人たちもたくさんいます。その例として「ゆりちかへ、ママからの伝言」という例を先生が紹介されていました。僕はこの動画を見て感じたことがありました。このママである晃子さんはとても強い人なのだと思います。自分の命があと何日何時間もつのかも危ない時であるのに、ゆりちかさんのために、最高の愛を注いでいました。今の僕ではこのような事は絶対にできません。なぜならまだ僕は、「感謝」の気持ちをまだあまり持てていないからです。このようなことから僕が考えた事は、「日々の日常の何気ないこと1つ1つに感謝している人は強い」と思いました。これからは、1つ1つの事柄に感謝していきたいです。また、僕は両親やお世話になった人たちを悲しませることだけは絶対にしないと心に決めたいと思います。そして、これからの日々、晃子さんのような素晴らしい人格になるために日々の道徳・LHRや学問においての教養を深めたいです。

 

          

 

8組 「働くことの意義」
 私は大串先生の話を聞くまでは「はたらく」とは、大人が家族を養うために、仕事をすることだと思っていました。けれど先生の話をお聞きした後は、社会のためや他の人の幸せのためなど、「はたらく」ことの意義たくさんあることを学びました。社会は誰かが誰かの役に立つことで成り立っていることを実感しました。皆が皆はたらかなくなってしまうと、物を売る人や工事をする人、会社に勤めている人、警察官、消防士、医者、先生などもいなくなってしまうので、社会が停止してしまいます。でもただはたらくとやる気を失ってしまうと思います。それを防ぐために自分の本当にやりたいことをみつけてその本当にやりたいことにあった仕事につくことが大事だと思います。その仕事をみつけるためにあせらずに例えフリーターになったとしてもいいからその仕事につけばいいと思います。その仕事が自分にあわなかったら転職をしていいと思います。簡単なことではないと思いますが、自分の人生の半分はたらくので、後悔しないようにしたほうがいいと思います。自分がはたらくことで社会を支えていて、なおかつ他人を幸せにできると思えば人は仕事にやりがいを見いだせるのだと思います。人が幸せなところを見ると自分も幸せな気持ちになります。なので「はたらく」ことが人の幸せを生むことになるので、自分も幸せになれるのではないかと思います。もし自分の人生の半分が人に幸せを与えることができるなら、自分も幸せに人生の半分を過ごすことができます。このように社会全体が思えるなら、社会全体が幸せになれるのだと思います。しかし実際は社会全体ではそう思えない人がたくさんいます。それは自分が働くことで、人が幸せになっているのを目にしていないからだと思います。自分が働くことで人が幸せになっているのを見れば、社会全体が幸せになれると思います。