平成30年度 中等部1学年 道徳感想文 第1回 5月9日



 
1組 「友人の多様性を受容する」
 私は、今回の授業で人の見方が少し変わりました。今までは周りの人と違った意見を持っている人、周りの人と意見が合わないような状態に陥ったときの自分をあまり良いとは思いませんでした。どうしてこの人は空気が読めないのだろう、どうして自分はこんなに自分勝手なのだろうと思いこの人はこういう人だから、と勝手に自分の心の中で境界線を創っていました。しかし、それは人を人種や国籍で差別しているのと同じなのではないかと思いました。人にはそれぞれの個性、性格があるので意見の衝突が起こることは当たり前なのだと気付き、それぞれの多様性を認めること、自分の意見を積極的に発信していくことはとても大切なのだと思いました。
 また、今回の授業を通して自分がクラスメートからどのような人だと思われているのかがわかり、自分が思う自分の性格と一致したときは自分が「認められている」ということが強く実感できて嬉しかったです。人に認められるということが人類共通の幸せであるということが納得できたので周りの人をただ認めるだけではなくて、相手の良いところ、改善した方がいいところをできるだけ素直に直接伝えることができるような人になりたいです。そして自分の何気ない行動で幸せになる人が増えたら嬉しいです。
 人には多様性があり意見や考えの違いが生まれることは当然のことだけれど、周りのことを考えることや空気を読むことも大切なことなので、自分の意見を相手に伝える場面と、相手の意見を尊重する場面をしっかり自分でコントロールして周りの人と接していきたいです。また人を見た目で判断したり、先入観を持って接してしまう自分がいるのでそういうことが無くなっていくよう心がけ、正しく人と付き合えるような人間になりたいです。

       

2組 「自由と責任」
 私は山本先生の「自由と責任」という講話をお聴きして、自由を得た者の責任は、その自由を守ることだということを教わりました。また、駄目だ駄目だと否定的に考えず、肯定的に物事を捉えるべきだということも教わりました。
 今私には自由があります。学校に間に合うように登校するというような制限は多少ありますが、自由な時間に起きることができます。自由なものを食べ、休日は自由に町を歩いています。つまり、私達にも自由を与えられた者の責任が伴います。自由を守ると言っても、初めから大それた事を考える必要もなく、ただ周囲の人が手にしている自由をなるべく侵害しないことに注意すればよいのだと思います。一人一人が自分の自由を最優先して、他人の自由を奪い合ってしまうと、何人かの個人は満足するかもしれませんが、社会全体としては自由が失われた状態になってしまいます。他人の自由を侵害しないことは、すなわち個人を尊重することにつながるかもしれません。これならば、今からでも練習ができます。自由を守るということをこれから意識したいと思います。
 私が「自由と責任」という言葉を始めに聞いた時は、自由な行動の中でも自分の言動に責任を持ちなさいという内容かなと思いました。しかし、実際は話の論点が少し違っていて、こうして授業を受けた後で考えてみると、また違った視点が見えてきます。授業内で行ったディスカッションは、他人の権利や自由を侵害しない範囲で自分の自由を発揮するというものであったと思います。その他人の自由を侵害しないことを自由を守ることだとすれば、先ほどの私の考えも、今回の授業の内容に近いような気がします。
 先生もおっしゃっていた通り、自由というものは当たり前にあるようであって、そうではありません。今与えられている幸せを大切にし、この自由を守り続けることは、本当に大事な事だと思います。これから私は、まずは簡単なところから、自由を守ることを努力したいと思います。そして、肯定的な視点から,自由についてより深く考えていきたいと思います。 

    

 





3組 「国際社会に生きる」
 今回のテーマは「国際社会に生きる」ということでした。僕は、「国際社会」という言葉をテレビなどで聞いたことはありましたが、「どういう意味ですか?」と聞かれて答えることができませんでした。しかし、今回の講話でその意味が分かり、さらに気になることも増えました。
 また、江戸取に国際社会を意識した活動がこんなにたくさんあることを初めて知りました。僕が特に気になったのは、イングリッシュカフェです。コミュニティホールで昼食を食べる時に、英会話の先生が先輩方と会話をしながら食べているのをよく見かけるのですが、それがイングリッシュカフェだということを初めて知りました。これから英語を沢山学んで、日常会話レベルに話せるようになったら、英会話の先生とも話をしてみたいです。
 今回の初めての道徳は、LHRでの講話と違うことがいくつかあって少し戸惑いました。それは、思いのほか話し合いの時間が長かったからです。しかし、みんなで1つのテーマについて話し合う事ができるというのは、道徳の授業のとても良い点だと思いました。僕が班の代表になって発表に向けて準備をしている時に、他のみんなが意見を順番に一人ずつ言ってくれて、そしてどれも良い意見なので簡単にまとめられました。僕たちの班は、それぞれの文化を尊重し、そのためにはお互いの文化に触れ合う機会が大切だという内容の発表をしました。その他の班もとても良い発表をしていました。その中でも僕が興味を持ったのは、1班が「差別を無くす」という心の問題だけでなく、「絵だけの標識」という具体的な解決案を出していたところです。心の問題についてはある程度みんなが分かっていましたが、それをどう解決していくかについては、自分たちの話し合いではできなかったので、「絵だけの標識」という発想にとても感心しました。他にも、食事のマナーについて自分の文化を他の文化に押し付けないなど、良い意見が出ていてとても感心しました。
 僕はこの道徳の時間にいろいろ事を学びました。国際社会に生きるために必要な事や、国際社会の意味、そしてテーマについての他の人の意見など、いつも通りの生活では学べないことです。この道徳で学んだ事を活かして、江戸取が目標として定める「世界的人材の育成」に向けて積極的に努力していきたいです。

 

4組 「社会の一員として」
 今回の道徳のテーマ「社会の一員として」という言葉をお聴きしたとき私は、あまり意味がわかりませんでした。しかし、先生が社会とは、集団という言葉と同じような意味とおっしゃていて、「集団の一員として」に変えてみると、意味がわかりやすくなりました。先生は、人間は、生まれた時から社会の一員とおっしゃっていました。私は、社会の一員になるということは、大人になって働くようになってからだと思っていました。社会の一員として生活をしたりするということは、いじめなどの相手が嫌な思いをする言葉を使っては、いけないということです。もし、そういう言葉を使っている人がいたら社会の一員として注意をすることができるような人になりたいと思います。みんなが、それを意識しても、いじめが無くならないということがあれば、社会の一員である私がみんなに呼びかけてこの広い社会に貢献していきたいと思います。江戸取生や家族の一員であることも社会の一員であると先生は、おっしゃっていました。私は、家族の一員であることも、なぜか忘れてしまっていましたが、先生に言われて思い出したので、これからは、家族の一員として、もっとお手伝いをしたり家族のためになることをしたりしていきたいと思います。
 私は、社会で生活をしていくためにマナー、協調性が大事だと思います。協力することによって、みんなが一つにまとまり、いじめなどをなくすことにつながると思うからです。私は、これからも江戸取生の一員として班で決めた一人一人の個性を大事にして尊重することを心がけて、中等部と高等部の6年間の生活に生かしていきたいと思います。みんな一人一人に個性はあると思います。それを馬鹿にするということは、良くないことだと思うし、いじめにも、つながってしまうと思うので、相手のことも思いやれるようになりたいと思います。これからも社会の一員、家族の一員、江戸取生の一員として、しっかりとした行動をして楽しい生活を送っていき、みんなから尊重されるようにしていきたいと思います。

  

 





5組 「ルールについて考える」
 私は、ルールについて学んで、普段なんとなく意識している決まりがたくさんあることに気がつきました。そしてなぜ、ルールがあるのか、なぜルールを守らなければならないのかを深く考えました。やはりルールは、誰もが気持ちよく公平に過ごすために必要なものだと思います。だから、ルールを一人でも守らない人がいると、自分自身に害を与えたり、他の人にも嫌な気分にさせ、迷惑をかけてしまいます。私は、ルールというものは、私達が最低限守るべきことであって、本当は、ルールを守ることに加えて、優しさや思いやりの心を持つということも必要であると考えます。自分ができていて、他の人ができていない時に、注意できなかったり、自分は理解しているけれど、行動に移せないというのは、まだ、意識が足りないということです。でも、友達だから指摘しづらいし、勇気が出ないという人も多いのではないでしょうか。また、どうしても自分に甘い人や、自己中心的な考え方の人などは、いずれ信用されなくなり、嫌われます。そうならないためには、もっと周りの人の事を考えなければいけません。また、明文化されていないから、罰せられないからといって、例えば、校則や公共のマナーを守らなくて良いわけではありません。罰せられても、されなくても、ルールを守らないと周りを困らせるという自覚を持つことが大切です。ましてや、法律などを守らないことは論外です。このように、ルールを守ることの意味を深く考えてみて、誰もが快適に過ごすためには、一人一人が意識を持ち、周りと欠けているところを補い合いながら、常に人としてどうあるべきかをよく考えることが大切だと感じました。
  
6組 「公共心・公徳心を養うために」
 公共心・公徳心を養うためにはまず規律を守ることが大切だと思います。私は今まで規律とは「ルール(規則)などを守る」「常に礼儀正しくする」ということだと思っていました。しかし、今回の授業で実際には規則と規律は別のものであり、規則は規律の一部なのだということを知りました。江戸取には色々な苦情が来ています。その中でも特に多い苦情は、「公共交通機関内での言動」「道路での横並び歩行」「ぶつかっても謝らない」という苦情です。私はこのような公共心・公徳心に反する行為・行動をしてしまうのは、ほかの人を気遣うよりも「自分が楽をしたい」という気持ちが勝ってしまうからだと思います。私は電車やバスなどの公共交通機関内で騒いでいたり、席・場所を広く取って周りに迷惑をかけたりしている人を、見たことがあります。私はなるべく周りの人に迷惑が掛からないように気を付けて行動していますが、私もバスに乗っているとき座れていない人もたくさんいるほど混んでいたにも関わらず、二人用の席を一人で使ってしまったことが何回かあります。私はこういう行為をなくすには「注意をしあう」「バスや電車に乗っているときは座席には荷物を置かない」というこの二つのことが大切だと考えました。しかし、一つ目の「注意しあう」ということをいきなり知らない人に対して実行するには、なかなかの勇気がいります。ですので、まずは友達がもし公共心に反する行為・行動をしていたら注意していきたいと思います。
 公共心とは「自分や身内など利害関係のある人のみではなく、社会一般の利益を図ろうとする精神」のことを言います。そして公徳心とは「自分が社会の一員であることの自覚に基づき、社会生活の中で私たちが守るべき道」のことを言います。私は,自分や友達、家族という利害関係がある人たちにだけでなく、特に利害関係のない知らない人たち、地域の人たちなどに対しても,常に気を配り,自分が社会の一員だという自覚をしっかりと持って生活していきたいと思います。そして「公共心」と「公徳心」の二つを兼ね備え、少しでも社会に貢献できるような立派な大人になれるように常に気をつけて生活し、努力していきたいと思います。

  

 





7組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 私は第一回「なぜ私たちは学ぶのか」ということについて大串先生が講話してくださったことについて考えたことが2つあります。
 まず一つ目は、大串先生が最初にお話してくださっていた何を学ぶのかということについてです。生活上、必要不可欠なものはもちろん、それ以外にも趣味や好きなことなど自分に合ったものを学んでいくと心が豊かになり、生活上必要不可欠なものを学ぶときにも役立つと思います。学校で学ぶことは読み書きそろばんといい生活上必要不可欠なことをとても多く学びます。日本は昔から優秀で江戸時代でも識字率がとても高かったと聞きました。八十%ぐらいで世界有数の識字率でした。現在の日本の識字率は九十九%ぐらいで高いけれども私はなぜ百%ではないのか不思議でした。教育は義務になっているはずなので百%だと思っていました。しかし、九十九%なのは病気で勉強ができない子や学校に通っていない子がいるからだということを知りました。これから私は世界に関わる人となり識字率が上がるように努力していこうと改めて感じました。私たちは当たり前に学校に行き、勉強することができます。しかし、アフリカの人達は毎日生活するだけで大変で、勉強なんてなかなかできません。私たちは恵まれているという自覚を持ち、アフリカの人達の悩みを解決できるように、未来に向かって歩いていきます。
 二つ目は、最後にグループに分かれて「幸せになるために、なぜ教育が必要なのか」ということと「学校で学ぶ教科は全て必要だろうか」ということについてです。班では「学校で学ぶ教科は全て必要だろうか」という問いについては美術、音楽は必要ではないが、人生を楽しむために必要という結果が出ましたが、私自身の中で出た結果とは少し違いました。私は、一番初めは社会や理科もいらないのではないかと考えていました。しかし、グループのみんなと意見を出し合ったところ社会は地理など移動する時に使うことが多いし、必要だと私も同感しました。理科は、てこなど自分自身が普段使っていることも習うので不便になってしまうということで、私は納得しました。でも美術や音楽も心を豊かにするという大事な役割があるので全て必要です。

 

8組 「命の尊さを知る」
 今回は初の道徳の授業で「命の尊さ」について学びました。ですが、授業が始まる前、私は少し悩んでいました。なぜなら、事前にやってくるプリントの中の、「自分の持ち時間をどのように使っていますか?」という質問で、私の出した答えは、朝起きて、勉強して、朝食をとり、学校に行き、帰宅し、勉強してから就寝という、空き時間はほぼ勉強で埋まっていて、自分のための時間が全くなかったことに気付いたからです。あまり好きでもないものを四・五時間も強制されるようにやる、ということは本当に人生を自分だけの、価値あるものにできる事なのだろうか。チャイムの音を聞きながらそんな疑問を抱えていました。ですが私は、授業を受ける中で自分なりの答えを見つけることができました。それは特に「あい・をん」の話と、「自分を大切にする」、というお話、そして遠藤未希さんのお話からでした。まず一つ目の、あい(愛)から人は始まり、をん(恩)で終わるという話です。生まれた時から私はたくさんの愛を受け、育ってきました。だから「あい」で終わらないように、日々の感謝の気持ちを忘れずに、「ありがとう」を心がければ、人生を「をん」で終われる、誇れる人生になると思いました。そして二つ目に、「自分を大切にする。自分の周りの人も大切にする。周りの人の大切な人も大切にする」という言葉です。これは最終的には世界すべての人を大切にすることになると思います。そうやって、国や人種の分け隔てなく人を大切にすることができれば、戦争や差別はなくなり、みんなが笑顔で助け合うことも可能になるのではないか、と思います。そして最後に、遠藤未希さんのお話です。死が直前まで迫ってきても、自分よりも町の人たちの身を案じ、マイクを握り続けた勇気と愛は、万人が真似できるものでは到底なく、とても尊敬されるべき行動でした。しかし、ご家族は「生きていてほしかった」、「もう一度顔を見たい」とおっしゃっています。親御さんやご家族にとっての「一番大切な人」なのだな、という気持ちが切に伝わってきました。親にとって子供はかけがえのないものなのだ、と考えました。私は未熟で、よくわからないことのほうが多いです。しかし、親からもらった初めての贈り物、つまり自分の名前に誇りを持って、たくさんの人を大切に思う心も合わせ持ち、お世話になった人に恩を返していける、そんな人生にしていきたいと考えました。そして自分だけの、自分の人生の価値を見出していきたいです。