平成29年度 高等部1学年 道徳感想文 第8回(2月27日)
 
1組 「命の尊さを知る」
 今日の話には心が打たれる話が多かったのですが、特に最後の男の子の話には感動しました。私はいつも健康で楽しく暮らしているにもかかわらずあれほどの思いやりを持っていないと感じました。友達と一緒に過ごしたり、社会生活の中での最低限の思いやりは持って行動したりしていると思いますが、家族に対しての思いやりが欠けていると感じました。もし自分が重病になってしまい、辛い治療を受けているとしたら、他人への思いやりは全然できないのではないかと思いました。もしかしたら自分がそのような状況に陥ることによって初めて分かる命の大切さを感じ、相手に対してより大切にしようと思えることもあるかもしれないけど、それでも亡くなる間際まで私よりも小さな男の子が周りの人へ配慮できることの素晴らしさには感動しました。講話中も感動で泣きそうでした。私は父、母、弟への思いやりが足りていないと感じたので、まずは家族への感謝を言葉や行動にしたいと思います。そして徐々に周囲への気配りも深めていきたいです。今、私は多くの人に支えられて生きていますが、それ以上に周囲の人を支えていけるようにもなりたいと思うようになりました。
 私は何度も自分が生まれた時の話を聞いたことがありますが、改めて聞くと辛さや大変さなどよりも大きな喜びや嬉しさがあるのだという事が感じられました。私は他の人よりも陣痛時間が長かったことや、ずっと抱っこしていないとすぐに泣き出してしまったこと、アレルギーなどもあってとても手がかかったのだと思います。それでも今、ここまで健康に育ててくれた両親にとても感謝し、命の大切さを感じながら生きていきたいと強く思いました。

 

        

 




2組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 私は定期テスト前など、学校が嫌になることが、たまにではありますが、あります。しかし、この学校に入り、自分の夢に向かって必死に学べることは幸せなのだと思いました。世界には、字が読めない人は20%にもなり、学校にも行かせてくれない人がたくさんいるのです。また、仕事が自由に選べない国もあります。インドのカースト制は今はありませんが、人々の中にはまだ残っているのです。なので、今の私の環境を幸せに思い、少しでも多くの人を救える医師になることが必要なのだと思います。また成績を上げるためだけに勉強することは将来困ることが出てくるのではないかと思いました。例えば英語を学んだとして、テストが終わってそれを忘れては、受験だけでなく将来、外国人と話すことができません。そのようなことも考えて勉強することが大事なのだと思いました。そして五教科以外の教科は受験には出ないだろうけど、大人になって或いは日常生活で必要なことがたくさんあるのだと学びました。例えば、家庭科が出来なければ一人暮らしが難しくなるでしょう。保健が出来なければ、医師としてもちろん、医師でなくても万が一のことがあっても動く事は出来なくなります。このように受験で使わなくても、生活する上で使うことはたくさんあると思います。また、受験で使っても、生活する上であまり使うことはないものもあると思いました。例えば数学です。数学の高度な分野は生活する上で使うことはないでしょう。このように、必要か必要ではないかはその人の生き方や、価値観などによって変わってくるのだとも思いました。私はこれから、自分の道を広げるためにも、様々な学習をしてみたいと思いました。そして将来少しでも豊かに生きられるよう、1日1日を大切にしてこの学校生活を送っていきたいと思いました。そして今ある状況に、不満を言わず、その中でベストを尽くしていきたいです。

 

        

 

 



10組 「命の尊さを知る」
 私は、今回の道徳の授業で「命の尊さ」について学びました。命を大切にするとはどういう事なのかを考えさせられた道徳でした。自分の赤ちゃんの時の写真、命名した理由、生まれた時に思ったことを親が書いてくれました。私は本当に感動しました。そして、ここまで育てて来てくれたことに感謝しています。私たちは、とても恵まれています。世界のどこかには、日本みたいに裕福には暮らせていない所もあります。そういう事を考えると、そんなに長い間苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは小さな事などで根をあげているようでは全然ダメだと思います。日本には、お金もあるし、募金活動だって出来ます。だから、そのような制度を利用すれば長くは続かず、短い期間で終わるはずなのです。ただ、皆の命が繋がらないから、速く終わらないのです。日本にもまだホームレスや充分に暮らせない人がいます。命1つ1つを大切にすれば、そのような事はなくなるのです。私は命とは何なのか、とても深く考えました。命とは、人生を生きることであり、人生とは、命を導くことなのだと思います。無論、命を大切にすることはこれに値します。だから、命を大切にするということは人生をどのように生きてくのか、どのようにして充実した時を送るのかが、重要だと思います。そして、正しい人生を歩み、初めて命を大切に出来るのだと思います。

       

10組 「命の尊さを知る」
 僕は今回の授業を通して命の大切さを改めて実感することが出来ました。今回の授業で印象に残っているのは、東日本大震災後の中学校で行われた卒業式の答辞です。答辞をしたのは気仙沼市の中学校に通う梶原裕太君で、僕はこの人の力強い言葉、決意を聞いて、あんなにも大きな津波が来て家族や友達を失っているにも関わらず、とても前向きな発言をしているところに感動しました。また、今回の授業で東日本大震災後の写真集を見せてもらい、絶対に忘れてはいけない出来事だったということを改めて実感させらました。そして、もう1つ今回の授業で印象に残ってる話があります。それは24時間テレビの作品にもなったもので、5歳の少年が10万人に1人の病にかかり、5度の再発、7度の手術の結果、9歳という若さで死んでしまった実話です。この少年はとても家族思いの優しい子で、死ぬ間際でも弟の好きなものを買ってあげてほしいと最後の気力を振り絞って言ったというのを聞いて、生きたくても生きられない人がいるのに、死にたいなんて言葉を軽々しく使ってはいけないと痛感させられたのと同時に、今普通に生活できていることが幸せだと実感しました。また、命の大切さ以外に両親に自分の名前の由来や生まれた時の感想を事前にプリントに書いてもらい、僕は自分自身の名前の由来を初めて知ることができ、この名前をつけてくれた親に感謝の気持ちで一杯になりました。これをきっかけに親に感謝の気持ちを伝えられるようにしたいです。


 





11組 「なぜ私たちは学ぶのか」
  「私たちはなぜ学ぶのか」、このことについて考えたことがある人は多くいると思います。また、子供のときにこのことについて心から言える答えを見つけることが出来た人は少ないのではないでしょうか。他人に言われてわかっているつもりでも実際にその立場に立たないとわからないことは沢山あると思います。この、「私たちはなぜ学ぶのか」ということに対しての答えもその1つであるのではないでしょうか。
 今はよくわからなくても、私は将来答えを見つけることが出来た時に、あの頃の自分にはあれが精一杯だったと言えるように学んでいきたいです。
 私は今回の道徳で、竹中先生のお話を聞き、学びたくても学べない人が多くいる国があるということを知り、日本の人達は学ぶことが当たり前になってしまっているように感じました。日本では子供を学校に行かせることが親の義務となっているため、日本で育ってきていたら、学ぶことが当たり前だと思ってしまうのは仕方がないかもしれません。しかし、もっと世界に目を向け、色々な日本と他の国との違いをしり、学べない人がいることを知る必要があると思います。知ったところで何も出来ないかも知れませんが、そのことを知ることが大切なのではないかなと思います。
 これからは、学べることに対して感謝しながら、様々なことに目を向けて学んでいきたいです。

   

  
11組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 僕は今回の講話で改めて学ぶということについて考えることが出来ました。まず、学ぶということは「読み・書き・計算力」を身につけるということだと話の中で出てきました。確かに学ぶということは「読み・書き・計算力」を身につけることだと思います。しかし、自分の中では学校に行きしっかりと授業を聞くことだけが学ぶということではないと思いました。友達とのコミュニケーション、先生とのコミュニケーションなど他人との関わりを増やすことも学ぶことの1つだと思います。相手とコミュニケーションを取ると、社会に出た時に恥ずかしがらずにコミュニケーションを取ることが出来ると思います。そんなことから、学ぶというのは、「読み・書き・計算力」を身につけるだけでなく、相手とのコミュニケーションも大切になると思います。
 次に、学ぶということの意味についてです。まず、自分の考えとして、将来のため、良い職に就くためなど、将来のことだけを考えていました。しかし、学ぶということの意味は、自分の理解力を広げたり、興味関心を広げたり、判断力・行動力を身につけるという意味がありました。僕が授業を受けている時、たまに興味が湧かなかったり、つまらなくなったりすることがありました。その理由として先生は、自分が「無知」だからだと言っていました。確かに、思い返してみると、そのつまらなくなってしまった授業などは、聞いていても意味が分からず、何を話しているのかが分からなかったです。自分がもし、色々な知識を持って授業を受けることが出来たら、毎日の授業が楽しくなり、物事が面白くなると思います。自分の知識を上げることで、色々なことに対して、興味関心が湧き、学ぶということの意味に繋がると思います。なので僕は、これからの生活の中で、たくさんのことに挑戦し、色々な知識を得ていきたいと思います。
 





12組 「福祉社会」
 私は今回の道徳の授業を受けて、考えたことがありました。「今の社会は、本当に誰もが幸せに暮らせる社会なのか」と。私は首を縦に触れませんでした。たしかに今の世の中どんな人でも便利に生活できるような設備やルールなどが作られて、物理的・法的に感じる苦労は最近になって格段に減ったと思われます。しかし精神面、人間関係面ではどうでしょうか。我々人類、とりわけ日本人は集団と違うものを拒絶する傾向にあります。いくら環境が整っても、その環境の中で生活する人間がまだそのように考えていては誰もが幸せに暮らせる社会なんていつまでたっても出来るわけがない。今回の授業でそう思いました。
 私は前に「聲の形」という映画を見たことがあります。元は漫画なのですが、あらすじを話すと、主人公の男の子は小学生時代に転校してきた両耳とも聞こえない女の子をいじめていました。高校生になって男の子はその女の子と偶然再会し、男の子が過去と向き合いながら、もがき進む物語です。劇中に筆談や手話、補聴器の描写があります。そしてそれらを使い、周りと明らかに違う彼女をいじめるという描写もあります。今回の道徳の授業を受けながらこの映画を思い出して、今の社会を象徴しているなと改めて感じました。しかも映画より現実は残酷で、より陰湿なものへと変わっていきます。
 これからはこのような事態への対応が必要になってくると思います。人間は弱い生き物なので、このようなことが完全に無くなることは残念ながらないでしょう。しかし、何も始めなければ何も変わりません。誰もが平等に平和に、幸せに生きていけるよう、一人ひとりがきちんと意思をもつべきなのです。

 

  

 

12組 「福祉社会」
 今回は、福祉社会について授業を受けました。僕は、「日本は福祉社会である」と考えていましたが、今回の授業を受けて「日本は福祉社会ではない」と考えが変わりました。なぜなら江戸川学園取手高等学校にはありませんが、僕がいた小、中学校では、障がいがある人は「特別支援学級」というクラスに隔離されていました。現在は、考えていませんが当時は、そのような障がいを持った人を自分たちとは、違う人と、勝手に決めつけて差別していました。そういう差別がある限り日本は福祉社会にはならないと思います。ですが、老人に対しての福祉は、凄く進んでいると思います。例えば、年金や介護、老人ホームなどです。最近は特に老人ホームの発達が進んでいて、入居者が楽しく最期の時を過ごせるように、様々なスポーツができる施設が付いてくるなどといった老人ホームが増えてきています。僕のおばあちゃんも老人ホームで最期の時を迎えましたが、おばあちゃんに会いに行くといつも笑顔で老人ホームのスタッフさんには、優しくしてもらっていると言っていました。福祉は、している人もされている人も笑顔になることができるのですごいなと思います。僕達の身近にも福祉は、たくさんあります。その中でもボランティア活動などは誰にでも出来る福祉なので、自分も参加していきいなと思います。これからは、少子高齢化が進み老人の方が増えていくので今まで以上に老人や障がい者のために福祉をしていくことが大切だと思います。