平成29年度 高等部1学年 道徳感想文 第7回(1月30日)

 
1組 「国際社会に生きる」
 今日の発表の中で日本人の良いところは相手の事を良く考えるところだという話がありました。また、今日の話にはなかったのですが、日本人は意見をあまり言わないところが良くないという話も聞いたことがあります。この二つの事はどちらも「国際社会に生きる」ということに関わってくると思いました。国際社会には日本人だけでなく、様々な地域の人々がいます。それぞれ育ってきた環境も違うので考え方が異なる事も多いと思います。それぞれが自分の考えのみを主張し続けていてはいつまでたっても協調しないし、余計な対立が深まってしまいます。相手と考えを合わせるには相手の事を良く考えることが必要だと思いました。国際社会ではなく自分たちの学校、クラスにおいても当たり前のことですが、相手の事を考えていかなければならないと思いました。例えば何か決めている時に一人欠席している場合でも、その欠席している人に不利益な事はないかどうかを考える事などもそうだと思います。そして自分の意見をしっかりと言わない事も良くない事だと思います。自分の意志・意見を伝えないと相手が自分の事をわからず、結果として自分にとって不利益なことになります。自分の意見を言わないと他の人が分かるはずがないのでしっかりと発信と受信をしなければならないと考えました。
 いずれ国際社会で生きていく身として、今は小さな社会の中で生きているので、より良くなっていけるように、日頃から意識していきたいと思いました。

 

        

 




2組 「命の尊さを知る」
 今回、遠藤先生の講話を受けて、その講話の題名にもあった「命の尊さ」について考える貴重な機会を頂けたことをとてもありがたく思います。この「命の尊さ」について深く考える機会というのは、日常生活の中であまり無いことだと思いますが、私は過去に「非日常」を経験したことで、このことについて少なからず考えさせられたようなことがありました。そのとき私は仙台市の小学三年生でした。突然の強い揺れに襲われ、立つこともままならない状態で、隣にいた友達が泣き始めていたことを憶えています。私はその前にも同程度の強さの揺れを経験したことがありましたが、このとき私はその地震の異常性に恐怖を感じました。揺れは収まる様子を見せなかったのです。これは私が生まれて初めて、身に迫る生命の危機を感じた瞬間であったと思います。私が津波を知ったのはその日の夜になってからでした。報道されていたのは巨大な津波が街を飲み込んでゆく映像でした。当時の私は衝撃のあまり呆然としていましたが、今になってその映像の中の見えない場所で誰かがその命を失っていたのかと思うと、あの日にどれほどのことが起こっていたのかということを思い知らされます。あれから7年が経とうとしています。あのとき沢山の人々が亡くなられましたが、一方で誰かに命を救われた人もいたでしょう。その日は、誰かの命を救うために、沢山の「命の尊さを知る」人がその命を賭して動いた日でもあったのかもしれません。救われた命、それを救った命、そして救われなかった命。私たちはそれを忘れて生きるということを許されないのだと思います。

 

        

  

 

10組 「国際社会に生きる」
 千葉副校長先生による、国際社会で生きていくためにはというお話でした。国際社会とは国境によって分断された国々が、交流を通して一定の地理的広がりのなかに成立している社会だそうです。そんな社会のなかで私たちが生きていくために必要なことを班で話し合った結果、相手と対等な立場であり気持ちの尊重や文化の理解が必要であるという意見がでました。ですがそんなに簡単なことではありません。世界には国や文化そして言語があります。それらを理解していくためにもコミュニケーション能力は必須となってきますが、私たち日本人は英語でさえ、できる割合は世界的にみても低いです。もちろん私もできません。2年後には東京オリンピックもあります。そこでは、今まで以上のコミュニケーション能力が一般人である私たちにも必要とされてきます。誰かが粗相をしてしまったら、それは日本人の行いという一つのくくりになってしまいます。それが繰り返されると日本のイメージダウンにつながってしまいます。ですが日本の文化を他国にアピールし、様々な国の色々な人種について知ることができるチャンスでもあります。いきなり英会話ができるようになるのは難しいですが、国民一人一人が、できることをすれば国際社会における日本の評価は格段にあがると思います。

   

10組 「国際社会に生きる」
 先日の講話において、外国と日本は文化の違いが数多くあり、外国と日本のそれぞれの異なった文化を伝えあっていくことが必要だとうかがいました。例えば、時間の面においては、日本は時間の管理が徹底しており、衛生面においては、他国より感染症の抑制につとめているという所があります。日本人の性格においては、自分のことよりも他人のことを優先する習慣があるということです。このように、日本には他国に伝えていくべき良い面があるように思われます。1つの考えによりますと、これは日本独自の教育スタイルのためだということです。しかし、私が授業において思ったことは、自国の良いところを伝えていくのと同時に、外国の良い面や良い文化も取り入れていく必要があるということです。
 また、外国人から学ぶということは、自分の世界観を広げることにもつながるのだと思いました。私は、外国の書物を読んでいきたいと思います。そのためには、英語やその他の言語を知ることが欠かせません。タイトルにもあるように、現在グローバル化が進んでいる中、国際社会の中で生活していくという意識をもっていきたいです。特に、自国の文化の発信、価値観の多様性の理解、さらには外国の文化を理解していくことが、これからの私に求められていることだと思います。


 





11組 「命の尊さを知る」
 今回の道徳では、「命の尊さを知る〜命のバトン〜」という題で講話を受けました。まず、事前に配られたアンケートについて考えました。今までにも同じような話を聞いたことはありましたが、年齢が上がった分、小中学生の時とは少し感じ方が変わっていたり、聞いたことのない話が聞けたりと自分が生まれた時のことについて知る良いきっかけとなりました。そして次にあったのは、約7年前自分がまだ小学校3年生だった時に起こった東日本大震災についてでした。東北から少し離れた所にいた私でも、未だに鮮明に覚えているほどの大きな災害でした。講話では、当時の一変した東北の姿をみて、突然襲いかかる理不尽な災害への恐怖を改めて感じました。自分以外の家族を失いながらも懸命に生きている人や最後まで人のために働き通して亡くなっていった人など、目に見えること以外にもあの災害がもたらした被害は計り知れません。自分では経験したことのないような悲しみを乗り越え前に進む人達の話を聞くと、今自分が抱えている悩み1つ1つがとても小さなものに見え、こんなことで挫けてはだめだと上を向くことが出来ます。特に、講話で紹介された気仙沼市の中学生、梶原裕太君の「命の重さを知るには大きすぎる代償」という言葉は、とても胸にささりました。本当にその通りで、でもだからこそ現地の人達だけでなく、全国の人達が改めて災害の恐怖や命の尊さを学ぶことが出来たのだと思います。こんな大きな代償を無駄にしないためにも、この災害を忘れず、これから起こるかもしれない災害への対策をしっかりすることが大切だと思いました。最後に、ある男の子についての話を聞きました。私は、この男の子のことは以前テレビで知りました。まだ5歳という幼い男の子を襲った病気はあまりに重く、つらいものだったと思います。それでも彼は、弟や両親を心配し、最期まで人のことを考える優しく強い心を持っていました。学校に行きたくても行けず、自分がつらくても人の心配をする、そんな彼の生き方を聞いていると、自分の生き方に自信がもてなくなります。だからこそ、今自分が不自由なく過ごせていることがなりよりも幸せであることを自覚し、恥のない自信がもてる生き方をしたいと思います。

 

    
 
11組 「命の尊さを知る」
 僕は、今回『命の尊さを知る』〜命のバトン〜という道徳の授業を受けました。この道徳では、親からの手紙を読んだり、自分の名前の由来、まだ幼い頃の写真などを見たりし、その当時の親の気持ちを聞いたりすることで、やはり、僕が生まれてくる時には、親がとても大変な思いをして支えてくれていたということを知り、この年になり年々薄れていた親への感謝の気持ちというものを思い出すことができました。なかなか、日々の生活の中で直接親に感謝の言葉を言うことはないと思いますが、これを機に感謝の気持ちを伝えてみようかと思いました。
 また、多くの命が失われた東日本大震災の話も聞きました。もうすぐ、あの震災から7年が経ちます。当然のことですが、震災の報道もだんだんと減ってきて、今では、震災のことがほとんど記憶にないという人もいるのではないでしょうか。しかし、あの震災は日本人である限り、絶対に忘れてはいけない出来事であり、僕たちの世代も、そして、次の世代にも受け継がなくてはいけない、語り継がれなくてはいけない記憶だと思います。生きたくても生きられない人達がいるからこそ、最近の中高生の中で、いじめを原因とした自殺が多いということに納得ができません。それは、自殺した人が悪いとは言えなく、まわりのいじめている人達が問題です。そういった人には命の尊さというものを1度考え、僕たち中高生世代を中心に、いじめというものがなくなってくれればいいと思います。

 





12組 「文化の多様性」
 今回私は道徳の授業で「文化の多様性」というテーマで授業を受けました。最初に日本の文化とは何かと尋ねられ、何も思いつかず自分の順番を飛ばされてしまいました。私のクラスメイトは同じ質問に対して難なく日本の文化を挙げていきました。その時、私は自分の国の文化に対して無知である事を自覚しました。私はよく性格が日本人らしいと言われることがあります。世界には本当にたくさんの国があります。その国ごとに異なる文化や伝統、生活様式があります。その国が持つ独自の文化が我々の性格を変化させているのだと思います。つまり、我々の文化が我々の心を育むのです。つまり、我々が日本にいる時点で、我々が日本に生まれた時点で、文化というものを感じているのだと思います。自国の独特の文化を知り、感じ、そして世界の国の文化も感じる、これこそが文化の多様性でありグローバル化に必要不可欠なものだと思います。グローバル化と聞いただけで世界の中心を担っているように思えるアメリカや、世界共通語である英語が念頭に思い浮かぶ人がいます。私も以前はグローバル化と聞いただけでアメリカや英語が思い浮かんでいたのですが、今回の授業を通してその考えは変わりました。私はグローバル化において最も重要なものは協調性だと思います。今もなお、異文化同士の抗争が起きています。まずはそれを解決することから始めるべきだと思います。つまり、互いに少しずつ譲り合いながら皆が納得できる世界を作り出すことがグローバル化の一歩になると感じました。私も日本だけではなく、外国の文化も感じてみようと思いました。

 

            

 

12組 「文化の多様性」
 今回の講義では、文化という視点から、日本固有の文化や文化の本質を学び、そこからグローバル化における文化面の課題について話し合いました。この授業を通して改めて感じたのは、日本がとても独特で特徴のある文化を持っていることです。数年前、世界で和食ブームがありましたが、その最前線にいたのが寿司であったと思います。寿司が何故このように注目を浴びたのか考察すると、外国人にとって、生の魚を食すことはとても珍しいことだったのではないかと思います。海外では魚は調理して食べるのが主流です。このように島国国家として周りの影響をうけずに発達した日本文化は海外の文化との大きな違いがあったことで日本文化は注目を浴びたのだと思います。次にグローバル化における課題ですが、まず大切なことが、他人の文化を尊重することです。これは講義中にもありましたが、インドでは左手が汚い手とされていて、右手で食事を食べたり、左手でお尻を拭いたりする習慣があります。これは日本人からすると抵抗があると思いますが、インドの文化では当たり前のことです。したがって僕たち日本人は、このインドの文化を尊重することができます。要するに、他文化を知っていればいるほど、その文化を享受することが容易になり尊重できるようになるのです。次に、このグローバル化社会を生き抜くために必要な事は、自分自身が所属している文化がどんな特徴を持つかを把握していることだと思います。何故かと言うと、グローバル化社会の中で、僕たちが海外の文化を知ろうとしているのと同時に、外国人も僕たちの文化を知ろうとしているからです。しかし、 その際に説明ができないようでは、相手は自分を理解し尊重するのに時間を要したり、自分の文化を誇っていないのかと疑われてしまうでしょう。