平成29年度 高等部1学年 道徳感想文 第5回(10月10日)

 
1組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 授業前のアンケートで私たちは普段何を学ぶのかについて問われた時、私は人間関係について学ぶという考えがありませんでした。しかし確かに私たちは人間関係について学び続けているのだと改めて気づきました。しかも人生の中でも人間関係を気にする時間はとても多くを占めていると思いました。道徳の授業の中で私たちは必要不可欠なものを学ぶという話がありましたが、まさに人間関係はほとんどの人にとって必要不可欠です。特に学校に通っている時や仕事をしている時などは人間関係はとても重要となります。場合によっては学校、仕事を楽しくしてくれるし、あるいはとても嫌な気持ちにするかもしれません。私たちはどのようにすれば自分、そして周りの人々が良い気持ちで過ごせるかを日々学んでいるのではないかと思いました。例えばこの人はこのような事をすると嫌がるからしないようにしようと思う事もその一つだと思います。多くの人々にとって勉強が嫌だったり、嫌な事があります。やりたくないことが全くない状態で生きている人はいないのではないでしょうか。そのような中で自分の好きな事があると嫌な事も乗り切れます。でも趣味を楽しむためにも知識が必要な事も多いので、好きな事を学んだりもします。私の趣味はトランペットを吹くことです。単にトランペットを吹くだけでは楽しくなく、演奏方法を考えて練習したり、楽譜や譜面などについて学んで努力を重ねたりして部活動に参加しています。このように私たちの生活の中にはあらゆるところに学びが活かされていて、その上に私たちの生活が成り立っているのだと思いました。これから先、もちろん教科的な勉強が最重要だけれども、今回のお話にもあったように様々な方向に興味を広げていき、多くの学びを得て自分が成長しているようにしたいと思います。

 

        

 




2組 「文化の多様性」
 今回、貝森先生に「文化の多様性」と題して、近年多く取り上げられるようになったグローバル化についての授業をして頂きました。このような話題でよく聞くのが、文化保護と国際協力の間に生じる矛盾です。これはよく分立と統合を同時に成すようなものだと思われがちなのではないでしょうか。前者の文化保護というのは、その国や地域、民族などの言語、生活習慣や伝統芸能を保護するという言葉通りのものですが、私が「国際協力」とした後者はグローバル化のことであり、国や文化の差異を超え、世界が一体化することであると言えると思います。恐らくここまでのことで違和感を覚えるとすれば後者後半部分の「一体化」ではないでしょうか。この言葉に「文化の多様性に関係無く統一化する」というイメージを持つことで、両立が不可能なのではないかという考えに至るのではないでしょうか。しかしグローバル化の概念というのは地球を一つの共同体、関わりの深く共同で行動する集団として考えるものです。文化の保護は十分に可能ではないでしょうか。むしろ自国に対する意識の低さなどの方が問題ではないでしょうか。日本人の中で「日本人とは何か」と訊かれ答えられる人は少ないのではないでしょうか。この問いに国民全員が即座に答えられるような国であればグローバル化の時代でもその文化のオリジナリティを失うことはないでしょう。日本が文化を守るために必要なのはまず、日本人である自覚を持つことではないでしょうか。

 

    
 





10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 今回、学ぶということはどういうことかについて考えました。世界には、学べていない子供たちがたくさんいます。特に日本は、識字率が99.8%と高く、ほとんどの人が学校という場で学ぶことができています。ギニアでは、全く学校に行くことができていません。だから、私達は、学校に行くことができていることを当たり前だと思わず、大切に通う必要があると思います。ギニアという国は、識字率が非常に低いです。それを改善するために日本人がギニアに対し、プロジェクトを行いましたが、失敗に終わりました。その理由には、ギニアという国では、男性の権力が非常に強かったからです。プロジェクトを成功するためには、まずその国の特徴をしっかり理解する必要があると思います。わからないまま進めてしまうと、逆に、その国を苦しめてしまうことに繋がってしまいます。また、興味というものを広げることで前例にあったように、国を助けることにも繋がり自分の考える幅も広げることができると思います。また、勉強に対しても同じように興味を広げることで、将来、自分のやることが出来る幅が広がります。そのためにも、今、5教科だけを一生懸命やるだけではなく、その他の教科が自分の人間形成に繋がると思います。これは、社会にでた時に初めてわかることではないでしょうか。今回、学ぶということについて考えることができてよかったと思います。

 

          

  

 

10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 僕が今回「学ぶこと」について思ったことは、ほかの国々との格差です。例として挙げられていた、ギニアのとある貧しい村に日本の慈善団体がその村の栄養状態を改善させるために大豆を与え、その栽培技術を教えて帰国しました。しかしその数年後、再びその村へ向かうと子供たちの栄養状態は変わらず厳しいままでした。その原因は、家族の長である父親が、大豆が街で高く売れることを知り、子供を使って大豆の栽培をさらに進めました。その結果、子供たちは学校に行くどころか一日中働きづめ、さらに、その父親は高く売れる大豆を子供たちには与えず、そのせいで、子供たちは栄養失調のままだったのです。聞けばわかる通り慈善団体の作戦は大失敗です。この失敗の原因は、ギニアの家庭では父親が絶対的権力者であることを把握していなかったこと、子供たちの栄養状態の回復という本来の目的を見失っていたこと、慈善団体が大豆をどのように使うかの教育、つまり「心の教育」が足りなかったのだと僕は思います。このような事態が起きないようにするには、ギニアの古い文化の改善、日本の異文化に対しての把握、理解の強化が必要だと思いました。今回のギニアのように貧しくなく、小・中・高と学校に通えていることを両親に対して素直に感謝し、日々学ぶことができる環境に感謝し、精進していきたいです。


 





11組 「文化の多様性」
 今回の道徳の授業は「文化の多様性」というテーマで行いました。授業冒頭に日本の文化として思いつくものを挙げました。私が日本の文化として一番初めに思いついたものは「あいさつ」でした。私は中学生の頃、合宿で海外に行きました。英語も会話ができるほどよく知らず、話した事がない日本人や現地の人がたくさんいて、最初はとても心細く大変でした。しかし「とりあえずまずはあいさつだ」と思いあいさつをしてみるとすぐに打ち解け、仲良くなることが出来ました。現地の人ともわからないなりに話すことができ、とても充実させる事ができました。ですが、ある一人の外国人の方に「日本の文化、誇れる所は何?」と聞かれ、上手く答えることが出来ませんでした。日本にずっと住んでいて答えられなかったのは悔しかったし、恥ずかしかったです。日本の文化を外国人に説明できる程知っておくことは大事だと思うし、日本人として必要な事だと思います。2005年「文化的表現の多様性の保護と促進に関する条約」という条約が結ばれたそうです。現在、世界が一体化するグローバル化が起きています。グローバル化は、文化を繋いでいくという意味ではあまり良くないと思います。国の文化や地域の文化、慣習はそれぞれの場所の特徴を生かしたものなのに一体化で薄れてしまってはいけません。日本の文化は、昔から受け継がれてきて、現代を生き未来へと繋がれていく「完成系がなく、進化し続けているもの」です。日本の象徴でもあります。私たちは、今まで受け継がれてきた文化をさらに発展させ後世へと伝承し各々の文化の違いを大切にしていかなくてはならないのではないでしょうか。

 

        

 

11組 「文化の多様性」
 「文化」今回の道徳の授業ほど、この言葉の意味を考えたことはありませんでした。文化とは何なのか、正確な答えを見つけ出すことは難しいと思います。しかし、今回の授業を通じて文化とは「先人たちの築き上げた、生活の様式の数々。」という、一つの答えに気づくことができました。昨今、世界がグローバル化へと進む中、文化は新しく生まれ数が増えたり、逆に合わさる・消滅するなどして数が減ったりということが多々あります。このような出来事について、グループディスカッションを重ね班の中で意見を共有し合いました。その結果、人の考えと自分の考えの違いを知ることができました。自分の文化の増減・対立に対する考えは、「世界がグローバル化し、一体化されていくにつれて自然と統一されていくもの」だととらえていました。しかし、班の人や先生の話を聞く中で、文化が統一されることは、望ましいことばかりであるとは限らない、ということに気づきました。文化は意見の数だけあって良いもので文化一つ一つが存在しているだけで尊いもので、それが統一されていくことは本来残念なことである、ということです。このことは今後の世界においてもとても大切なことだと思いました。いま世界では自分たちと違う文化を「悪」とみなし敵対視する状況が多くみられます。それはとてもひどく悲しいことです。しかし似たようなことは身近にも起こりうることです。その時に、自己の考え・文化を大切にすること、その重要さを今回の授業で学びました。
 





12組 「国際社会に生きる」
 「日本人とはなんですか?」と、もし私が聞かれたならば「穏やかで人の気持ちを考えて行動する人です」と答えると思います。2020年のオリンピックの開催地を決める会議で、滝川クリステルさんの「おもてなし」のスピーチがありましたが、それこそが日本の心だと思います。もちろん、全員が全員そのような人とは限りませんが、私の思う日本人とはそういった思いやりの心をもった人です。私は人として何より一番大切だと思うことは人の気持ちを考えて行動する、ということだと思います。人は他人に自分の気持ちをわかって欲しいと思って話をします。それは当たり前です。だからこそ、聞く側も気持ちを分かろうとして話を聞きます。また、時には言われなくても相手の気持ちを察して、行動できる能力も大切だと思います。「言わなくては分からない」「言われなくては分からない」というのが世界の常識かもしれませんが、日本人には「言わなくても分かる」「言われなくても分かる」という部分があります。国際化が進んでいくからといって、全てを世界の常識に合わせるのではなく、このような日本人の持つ考え方や文化の素晴らしい面は大切にしていくべきだと思います。日本人として私は誇りを持ち、人の気持ちを考えながらこれからも生活していきたいと思います。

 

            

 

12組 「国際社会に生きる」
 今回の千葉先生の講話をお聴きして、国際社会というワードに関して一から考え直させられた。今まで国際社会というと多くの国と地域が互いに関わり合って形成する社会だと思っていたが、違う考え方もあるのだなと思った。またそもそも国際社会とは何なのかという問いに対して悩んだ。自分なりに考えた国際とは、国と国とが互いに理解することだと思う。国際協力、国際問題など国と国とが協力をする、互いの問題を解決する。この両方は互いの国を理解することが前提になっている。今、世界では色々なことが起こっている。未だに紛争が絶えない地域、飢餓で苦しんでいる地域。自分たちに直結する問題としては北朝鮮のミサイル問題、それに対してのアメリカ、韓国の対応。これらは国と国とを態度、行動で攻撃し合っている。まずは北朝鮮が核で戦うという姿勢をやめるべきであると思う。不測の事態になった場合、誰も喜ばないし、それどころが犠牲になってしまう人も出てしまうだろう。またアメリカも一部の人は対話の姿勢にあるが、一部が挑発に乗ってしまっている現状にある。しかし、対話で決めるのが一番だと思う。次は社会についてだ。社会とは少なくとも二人以上で生活をすることである。しかし、良く考えてみると一人での生活でも現代を生きているという意味では社会に入るのではないかと思った。今後の日本に必要なことは、震災や痛ましい事件にも立ち向かえるような日本をもっと作り、未来に繋いでいくことだと思う。