平成29年度 高等部1学年 道徳感想文 第1回(4月25日)

1組 「福祉社会」
 今の日本が福祉社会かどうかという質問について、そうではないと思っていた人が私しかいない事に驚きました。それは私が様々な点を注意して見ていなかったため、そう思ってしまったことに後で気づきました。
 夏休みに時間があったらボランティアに参加して、そこでのやりがいや新しい発見ができると良いと思ったので探してみようと思いました。そして今日の下校時にバリアフリーのために工夫されているところがないか、注意深く探しながら帰りました。まず見つけたのが「ノンステップバス」でした。段差がないので、足の弱い人でも乗り降りが簡単になるつくりをしていました。そして駅では普通の改札よりも幅の広い改札で、おそらく車いすでも通れるようになっているのではないかと思いました。(ひょっとしたら大きなスーツケースなどでも通れるようになっているだけなのかもしれませんが)と、もう一つエレベーターの中の鏡も一種のバリアフリーだと思いました。私はつい最近まであの鏡はたいして重要な意味はないと思っていました。身だしなみを整えるためのものだとおもっていましたが、実際には車いすの人が前進してエレベーターに入り、そのまま向きを変えなくても鏡で後ろを見てバックできるということに気づきました。このような事を考えたり、気づいたりしながら、大切にしていければ当たり前の優しさをどんな人にも向けられるようになって、必然的に今回の先生のお話の内容を実践できるようになっていくのではないかと思いました。

 

        

 




2組 「いじめの無い社会」
 今回は「いじめ」というテーマについて話をしていました。「いじめ」というのは、私たちの社会にあってはいけないと誰もが知っていると思います。それでも無くなることがないのが現状です。「いじめ」を無くそうと国をあげて取り組みが行われています。この取り組みを見習って、私たちも様々な対策をするべきだと思いました。以前、私が通っていた学校では、ある男子生徒が不登校になってしまいました。おそらく原因は「いじめ」だと思います。その男子生徒は少し太っていて運動神経もあまり良くなく、読書が大好きでした。そのことをからかうように周りの生徒が悪口を言ったり、本を取り上げたりしていました。それ以降どんどん学校に来る回数が減少していき、不登校になってしまいました。今思い返すと、生徒一人に対して一人がいじめているのではなく、一人に対して大人数でいじめていることに気がつきました。これは、今回の話の中にもあったように『一人でいるより無関心の人々が集まっている方が「いじめ」は発生しやすい』『いじめは無関心の人に相関する』ということに関係していると思いました。そしてこのようなことに似たようなことは私たちの学校生活にもあると思いました。例えば、体育で着替えが遅れてしまい授業に遅刻しそうな時に、「みんなと一緒だから大丈夫」という気持ちになってしまうことです。「個人ではなく、集団なら」という考えになってしまうのは良くないと思います。もし、周りにそのような人がいたら相手のことを思って注意すべきだと思います。私は、先ほどの男子生徒が不登校になってしまった時に、何もしてあげることができませんでした。その生徒の立場をよく考えて、相手の気持ちになり、相談にのってあげれば良かったと後悔しています。現在のクラスでは、生徒全員が仲良く生活していると思います。クラスメイト一人ひとりに個性があり、毎日を充実した生活にできることはとても恵まれていると思いました。以前のこともあり、人の個性を否定することは人としてすべき行動ではないと実感したので、お互いが受け入れて相手を尊重していけたらいいと思いました。

 

        

 

 





10組 「福祉社会」
 私は、福祉社会に関するお話を聞かせていただき、福祉社会の存在は大切だと、改めて思いました。なぜなら、福祉社会は、多くの人が豊かな生活を送るために、欠かせないものだと分かったからです。私は、福祉社会の実現のため、次のことを取組んでいきたいと思います。それは、ボランティア活動です。今まで私は、ボランティア活動を、ほとんどしたことがありませんでした。しかし、ボランティア活動をすることによって、笑顔になる人がいると分かりました。さらに、話を聞くだけの、傾聴ボランティアにもあるように、ボランティア活動をすることは、難しいことではないと分かりました。また、ボランティア活動は、福祉社会を実現するために、私達がまず身近にできることの一つだと思いました。なので、これからは、できるだけ多くのボランティア活動を見つけて、実践していきたいです。募金活動も、私達が、身近にできることの一つだと思いました。募金では、1円や5円といった金額でも、それらが多くのことに使われて、多くの人が豊かな生活を送ることにつながるのではないかと、思いました。福祉社会を目指していくためには、私達一人ひとりの心がけが必要だと思いました。なので、これからは、身近なことから、変えていきたいと思います。私は、福祉社会に関するお話を聞かせていただき、福祉社会の存在は大切だと、改めて思いました。なぜなら、福祉社会は、多くの人が豊かな生活を送るために、欠かせないものだと分かったからです。

 

        

  

 

10組 「福祉社会」
 今回の道徳で、私には思った事がある。それは、この社会には二種類の人間が存在するという事だ。その二種類の区別は、「無意識的共存意識」の有無である。この世の中には障がいのある人とない人がいる。そして、その間には色々な壁がある。その中の一つに「障害」という言葉の存在がある。自分を含めた今の時代の人達が「しょうがい」という音にマイナスのイメージを持っている。だから「障がい」と表記する事で、イメージダウンを防いでいるのである。しかし何か変わっただろうか。否定するわけではないが、人々の心はそう簡単には変えられないと思う。人というのは、周りに流されやすい生物だ。だから、子供の頃から、障がいという言葉に「個性」という意味をすり込むべきだと思う。そうする事で、障がいのある人に対して「かわいそう」だという気持ちが芽生えないと思うのだ。しかしどうだ。今の世の中にそんな流れがあるだろうか。私にはないように思える。これからの日本は、この無意識的共存意識、つまり、「障がいのある人を悪い意味で区別するという考えが存在しない」という考え方を重視すべきだと思う。もう人一人の問題ではなくなってきているのだ。しかし、やはり区別する為にも壁は必要があると思うのだ。しかしその壁は「偏見」や「慈悲」で出来ている高く厚い壁ではいけない。今の日本が本当に必要としている壁は、「個性の有無」だけで出来ている、低く、薄い壁なのである。


 





11組 「いじめの無い社会」
 私は今日の例を何度も経験しました。A、B、C全ての立場を経験済みだったのでより深く考えさせられました。話し合いの中で「Aが弱い」と出ました。でも私の経験上Aは周りが思っている以上に焦り不安を感じています。一人になってしまうという不安で何も手に付かなくなる程です。逆にB、CはAの心の変化に全く気付きません。私も今まで通り普通に接しているつもりだったのに傷付けていた事がありました。Aが本心を相手に伝え元に戻るのが理想ですが、なかなか伝えづらいのが現実です。だからといってB、Cに気付いて対応しろというのも難しいでしょう。そこで、私は当事者ではない第三者が変化にいち早く気付き優しく対応するのが最も良いと思います。客観的に見る事で分かる事も多くあります。常に周りへの気配りを大切にコミュニケーションを取り友達の変化に気付く事が不登校や自殺等を減らす事へ繋がるのではないでしょうか。無関心な人を減らし常に周りを見て気付ける人を増やす事で、いじめを起こさない雰囲気を作り、いじめを種から撲滅する事が出来ると思います。今回の道徳でいじめは当事者だけでなく、第三者も大きく関わっているという事を再確認出来ました。

 

      

 

11組 「いじめの無い社会」
 いじめはどんなところにも起こるものです。よく聞くのは学校でのいじめで自殺してしまうというものです。その理由が私にはわかりません。自殺をするほどなのかと考えてしまうのです。ですが、今回の授業で考え方が変わりました。いじめは食べ物や教科などの好き嫌いと同じようなものから始まるのではないでしょうか。また、テストの順位など学力もあると思います。学力は努力しても身に着かない人いるでしょう。努力と結果が比例しないのはとても辛いことです。それが点数や順位にあらわれ、それをイジる対象にされたら私もやる気をなくしたり、自殺したくなります。また実験では、一人でいる方が人を助けたりいじめが減ったりという結果でした。そうであるならば、みんなが一人でいれば、いじめは起きないと考えました。ですが、それは絶対不可能です。人と関わらないということはチームワークがなく、仕事など今は出来ていることが出来なくなります。このことから、人と関わらずに生きていくのは不可能であり、それはいじめをなくすことが出来ないとも言えます。ですが、方法は他にもあります。それは人の悪口を言うことをおさえることです。簡単なことですが、実際には簡単ではないでしょう。
 





12組 「ルールについて考える」
 今回の道徳を通して、私の周りには沢山のルールがあることに気が付きました。私は柏に住んでいます。柏ではパンザマストというチャイムがあり、その寂しい音が聞こえると家に帰らなくてはいけませんでした。他にも学校の校則があります。私の中学校では校則を守らない人が多くいました。とても厳しい校則であるのなら話は別ですが、その校則は社会に出てからは誰も教えてくれない当たり前のことばかりでした。そのため厳しいと聞いていた高校の校則も苦痛に感じませんでした。高校生は義務教育も終わりほぼ大人だと思います。私は日本の平均寿命で考えるとあと70年は生きることになります。生きていく中で、切っても切れないのが人間関係と社会とのつながりです。一人はみんなのために、みんなは一人のために生きていくためにはルールは必ず必要なものになります。そのため、これからは日頃からルールを意識していき、相手も自分も嫌でない気持ちの良い生活を送っていこうと思います。時々中学生のころの友達に会うことがあります。その子は個性がほしいと言っていました。そして高校に入学してからは、化粧をし、休み時間はDSで遊び、個性を手に入れたといっていました。しかしそれが個性だとは思いません。個性とは、一般的なルールなどを守っていく中で見つけていき、磨いていくものだと思います。そのため、ルールを守りつつ、自分の本当の個性を見つけていきたいです。

 

          

 

12組 「ルールについて考える」
 学校や団体など人々のまとまりには、あらゆるルールがあると思います。私の中のルールのイメージは、「堅苦しく、うっとうしいもの」です。だから、あまりルールの意味を考えたことがなく、肯定的にとらえることがありませんでした。だから、四番のようにルールの存在する意味や本来の目的を考えることで「守ろう」という気持ちが高まると思います。私の中学校は、ジャージの腕まくりが禁止されていなかったり、ジャージで登下校してよいなど、公立にしては自由な方でした。だから江戸取のルールを聞いた時、とても驚きました。私の思い描いていたJKライフは、寄り道をしたり、スマホで遊んだりというものでした。しかし、今考えてみると、とてもいいルールだと思います。もし、思い描いていた通りに進んでいたら、勉強ができず、楽しいだけの生活になっていたと思います。例えば、「携帯電話禁止」というルールです。通学の時の電車や休み時間に使わないことで、その時間を勉強や友達と話す時間に費やすことができると思います。規律があり、それを守ることで自分がやらなければいけないことが見えてくると思います。私は受験生の夏休みと冬休みは塾で毎日12時間勉強していました。周りからの規制や、校則のような罰則があることで集中してやり遂げることができました。しかし、大学生になったり、社会人になったりすると周りからの規制や罰則が大雑把になり自分で考えて行動しなければなりません。いきなり大学生や社会人になってから困らないために、今からできることはたくさんあると思います。私が今からしようと思っていることは、規制されている中でも自分で考え行動することです。ルールには意味があります。意味があるからこそ守らなければいけなく大切なのだと思います。日頃から意味を考え時間を有効活用します。