平成29年度

中等部1学年 第7回 道徳感想文

9月4日実施

 

 
 【1組】 国際社会に生きる

  私は、今回の道徳の授業を受けて自分が将来活躍したいと思っていた国際社会について考え直すことができました。これまでは国際社会と言われても漠然としたイメージしかありませんでしたが、
今回の話を聞いて国際社会とは世界の人々のつながりだと思いました。自分と異なった文化を持つ人々と関わり合う、そのつながりこそが国際社会だと思います。これでは辞書的な意味と変わりませんが、私の中ではイメージが鮮明になってきました。自分が他国の人々とお互いの文化を尊重しながら楽しく会話する様子が頭に浮かんできます。また、江戸取ではそのような事の土台となるようなことをやっているので,積極的に参加していきたいと思います。また、英会話の授業などで、ネイティブの先生の発音を意識しながら授業を受けたいと思います。
 私はまだ自分が思うように話すことができません。人前で英語を話そうとすると緊張してしまいます。だから、発音に自信をつけて将来に繋げていきたいと思います。私の目標である医師は英語とドイツ語を勉強すると聞きました。英語でも苦戦しているにドイツ語の勉強が入ってきたら大変なことになるので、今から英語の勉強に熱心に取り組まなければならないと改めて思いました。
 班でディスカッションした時には外国の人たちと関わるときに気をつけることを考えましたが、班の人の意見を聞いていていると新しい発見がありました。また、他の班の人の意見もとても参考になりました。私たちの班が気付かなかった宗教的なことを考えることなどもありました。
国際社会で生きていくうえで大切なことは、相手を理解する努力とそれを実行することだと私は思います。自分の努力次第で国際社会での自分の立場は変わっていくと思います。他の人を受け入れて、助け合うという人として当たり前の行動を当たり前にすることです。まずは、学校という1つの社会で努力をして国際社会で活躍することを目指して頑張っていきます。


 【2組】 社会の一員として
 
 今回の道徳の内容はとても興味深く、面白いと思いました。特に私が一番興味を持ったことは「人間は生まれた時から社会の一員である。」ということについてです。最初に山田先生が話されたときはよく理解ができず、困惑しました。しかし先生の授業を聞いていくうちに、その意味が分かりました。私たちは生まれた時、また母のお腹にいる時から家族の一員であります。また日本や世界の一員でもある一方で、学校に入るとクラスや係、部活動など様々なグループの一員であるという事を知りました。また自分が成長するにつれ、どんどん「社会」が大きくなるという所が面白いと思いました。今の私にとっての役割は学級での係活動と家での家事のお手伝いが身近なものと考えました。私は周りの人との関係によって生かされているという事を忘れずに、これからも自分の役割を果たしていきたいと思いました。
 また山田先生は「ルールは必要であるか。」という問いを私たちに投げかけてくださいました。勿論、私は迷うことなく「必要である」という意見に手を挙げました。しかし反対の意見を持つ人の話を聞いて、なるほどと感心してしまいました。元々ルールは存在していなかったにも関わらず、暗黙の了解で成り立っていた社会が乱れていったことによってルールが増えていったと知り、少し残念な気持ちになりました。私はルールがあるのが当たり前な社会で生活していたので、ルールがない社会が本来の目標であることを知りました。だからこれからは、ルールがなくても自分でしっかり物事を考え、行動していきたいと思いました。グループワークでは「江戸取生の一員として、どういうことを自覚し、実践していくべきか」について考えました。私のグループでは、ふれあい道路を横並びで歩かないことや、自分の行動や言動に責任を持つということが意見に挙がりました。この話し合いを通じて、今後は新たなルールを増やすことがないよう、自分のことを丁寧にやっていきたいです。
自分の行動がクラスに良い影響を与えることがある反面、悪い影響を与えることもあるということを頭に入れ、自分の行動に責任を持って生活したいと思いました。


 【3組】 ルールについて考える

 私は青野先生の道徳授業を聞いて、多くのことを学びました。
 一つ目はルールとは多種多様という事です。例えば、日本の昔と現在のルールではまったく異なっています。その他にも市(地域)で使われている条例や、その場所の伝統のルールなどさまざまあります。
 二つ目はルールを守る責任についてです。例えば、スポーツに関してのルールです。試合中にルール無視や、意図的に反則を個人もしくはチームでしてしまった場合はその個人もしくはチームの評価を失ってしまうことになります。ですから、私はルールを破ることがないようにします。もし反則などを無意識にやってしまった場合は、まずは謝り、また家に帰ってから何が駄目だったのかじっくり考え同じことを繰り返さないようにしたいと思います。
 三つ目は、江戸取生はなぜ規則を破ってしまうのかという事を班で考えたことで、校則の意味ついて考えることができました。私が出した意見は下校で楽しさを求め過ぎてしまうのではないかです。例えば、勉強が好きではない生徒は学校で授業を受けさせられていると思い込んでしまったりして、学校外でストレスを発散しようとしているからそのような行動をとってしまったのではないかと思いました。そして、僕以外の意見にも自分のストレスを学校の規則を破って解消しようと考えていたからなどの意見がでました。
 四つ目は社会のルールについてです。社会のルールは成文律(紙に書いてあること)、不文律(紙に書いていないこと)に分けられます。そして、不文律とはみんなの常識規則に関してのことです。そして成文律とはみんなが知っている常識以外のものが書いてあることが多いです。そして私は今は江戸取の規則に慣れているが、私の友達が行っている学校と比較してみれば断然江戸取の方が厳しい(頭髪の長さなど)という事に改めて気づき、少々驚いてしまいました。しかし、
私は江戸取の様な規律が厳しい学校でないと自由気ままに毎日生活し、学力もまったく伸びていなかったと思います。そして、社会に出て生活するための色々な事を学べると思い感謝しています。ですから、僕はルールの厳しさによって人生が少し変動していくのではないかなと思いました。そして僕はこれから将来自分以外の人種の人や、個性のある人などと共に暮らしていくことになると思っています。なので、これからその場所に住む時は条例などのルール(規則)を守るようにするために、江戸取で欲などを我慢する力などをつけていきたいと思っています。そして、そういった力を身につけ、自分に余裕を持てるようになったらほかの人にもルールを教えていきたいと思います。

 【4組】 公共心・公徳心を養うために

 僕は貝森先生が話された「公共心・公徳心を養うために」をお聞きして思ったことがいくつかあります。
 まず一つめに、公共の場でのマナー違反をしないということです。これは当たり前のことだと思います。なぜそう思ったかというと、電車やバスには自分や友達以外の一般の人達も乗っているので、その人達に迷惑をかけないようにしないといけないからです。また、僕も電車やバスに乗っている時に他の学校の生徒がうるさくしていると、「うるさいな」とか「迷惑だな」と思います。電車の中で寝ている人もいるので、静かにするのは常識だと思います。
 二つめに江戸取生のマナー違反についてです。まず最初にふれあい道路における横並びですが、僕はこれは良くないと思います。その理由は、ふれあい道路は車も自転車もよく通ります。それなのに横並びをして歩いてしまうと、自転車が進めなかったり、前や後ろから歩いてくる人達にとても迷惑になるからです。僕も急いでいる時に前で横並びをしていたのでその先に行けませんでした。このように急いでいる人もいるので、ふれあい道路のような狭い道での横並びはよくないと思います。
 次にぶつかっても謝らないことについてです。僕はこのことについても常識が無いと思いました。なぜそう思ったかというと、
常識があればすぐにぶつかった人に謝ると思ったからです。これらのことから電車やバスの中、ふれあい道路などの公共の場で一般の人達に迷惑をかけないようにしようと思いました。 


 【5組】 なぜ私たちは学ぶのか

 今回の道徳の授業を受けて、なぜ私たちは学ぶのかというテーマに沿っていろんなことを知り、考えることができました。
 まず知ることができたのは、私たちがどれ程恵まれているのかということです。私たちはちゃんと学校に行けています。そして一日一日を生きています。日本はこれが当たり前です。けれど発展途上国などに住む子供たちの中には学校にも行けず、家のために働いている子もいるのです。中でも女子はどうせお嫁に行ってしまうのだから金をかける必要がないという理由で学校に行けないそうです。
その事実に私はとても驚き、同時に学校に行くということは決して当たり前ではないと知らされました。そこで、勉強したくてもできない人がいるのに、勉強をすることが嫌いになり、やめてしまうのは絶対駄目だなと思いました。
 次に学ぶ理由について考えました。私ははじめ、学ぶことは将来の自分のためだと考えていました。ですが、同時に学ばなくてもいいことがあるのではないかと思っていました。この世界には数え切れない程の職業があり、どれに就くかは個人が選びます。しかし日本では小中学校を義務教育として、最低でも9年間は学ばなければなりません。その中には自らの将来には関係ないものがあり、それは学習しなくてもいいのではないかと思っていたのです。
道徳の授業を受けて、学ぶということは将来につなげることだけではなく、日常生活で生きる術を学ぶことも理由に含まれていることが分かりました。これからはそのことをしっかり意識して学校で学習していきたいと思います。勉強をすることがたまに嫌になります。それは恐らく、解けない問題がある自分にいらいらしているからです。その文、問題が解けるとすごく嬉しいです。その嬉しさを忘れずに、これからも学習していきたいと思います。

 
 【6組】 命の尊さを知る

 
私がまず命を大切にしなければいけないと思ったのは、プリントの小さい頃の写真を決めている時です。パソコンには、私の小さい頃の写真がたくさんありました。そこで私は「どうしてこんなに写真を撮れたの?」と聞いてみました。すると、「いつもカメラを持っていたんだよ。かわいくて、ずっとかわいい思い出をとっておきたかったからね。」と言っていました。それと同時に小さい頃(生まれた時)などの私の話をしてくれました。例えば、「小さい頃は夜中に熱を出して、家族みんなが車に乗って牛久から取手や土浦の総合病院まで連れて行った」、「一時期は毎日トイザらスに連れて行った」ことなど、その他にも色々な時のビデオが残っていました。私は母とこの話をしていて、「死にたいとか言ってはいけないな。命は大切にしなければだめだ。」と思いました。
 また、遠藤先生は命の大切さに気付かされる本や、東日本大震災についての話をしてくださいました。私は気仙沼市立階上中学校の卒業式の答辞を動画で見てみました。私が特に印象に残った場面は、「自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。」という答辞を言い終わったあとの梶原裕太君の涙と、下を向きながら歯を食いしばる様子です。亡くなった三人の友人に思いを馳せて流した涙、そして勝てなかった自然の猛威への悔しさのにじんだ表情は忘れられません。それでも「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命」と考えられるところが素晴らしいと思いました。
 
私は日野原先生の本を読んだことがあります。私はその時も「もっともっと命を大切にしよう。そして寿命という大きな器の中に色々なものを詰め込んでいこう。」と思いました。
 
このように私は今回命の大切さを学びました。だからこれからはもっと命を大切にしていこうと思います。そして何があっても簡単に「死にたい。」などと言ってはいけないと強く感じました。

 【7組】 友人の多様性を受容する

 今回の道徳は友人の多様性を受容するというテーマでした。私は、多様性を人で考えると最初に「性格」を思い浮かべました。でも、みんなが挙げた「習慣」や「性別」なども納得しました。辞書で「多様性」という意味を調べてみましたが記載されておらず、「多様」という言葉は記載されていました。多様とは「「様々である様子」という意味でした。
 今回の班の活動は自分の性格の公開・隠蔽を4つに分けてプリントにまとめました。私は自分の性格を3つ選びました。班の人たちは私の性格を5つ以上書いていました。開放の窓・盲目の窓・秘密の窓・未知の窓にまとめました。私は盲目の窓が13こもあり、とても多かったということがわかりました。開放の窓は1つ、秘密の窓は2つ、未知の窓は2つと少なかったです。未知の窓にあったのは、「センスが良さそう」、「根性がありそう」、でした。2つとも自分の性格にはないことだと思っていたのでこの結果に納得しました。特に、根性がないと自分では感じていたので、これからは今までよりも頑張ってみようと思います。
 私はこのように自分の性格をまとめたことがなかったので、とてもおもしろかったです。周りの人に性格の良いところを沢山教えてもらうことが出来てとても嬉しかったです。友達の性格を書いてみるのも初めてで少し難しかったです。
岡室先生は、「短所は力の入れ方を変えれば長所になる」とおっしゃっていました。私は頑固なところがあるので、この頑固な部分を意志が強いという性格に変えられるようにしたいと思いました。
 
 
 
 【8組】 自由と責任

 今回は山本副校長先生に講話していただきました。今回の道徳では自由と責任について学びました。新約聖書ルカ伝15章の中で、一人の息子が自由になりたくて財産をもらい、全てを使い切ってしまった話をしていただきました。これは自由に制限がかかっていなかった例です。自由は私も好きですが、制限はしなくてはならないと思います。制限をしないと自分で好き勝手にやってしまって、取り返しのつかないことになるかも知れないからです。
 中学校のホームページを作ろうというプリントでも自由と責任について考えました。もしも人の写真をホームページに載せるとしたら、色々な人が見るので顔は隠したりして載せた方がいいと思います。プライバシーはしっかり守るべきだと思います。顔をなにも隠さない状態で載せたとしたら、その写真が保存されてネットに載せられてしまうかも知れません。自由なのはとても楽しいけれど、安全性を考えた方がいいと思いました。他にも他人に知られたくない情報など、ぜったいにばらしてはいけないと思います。たとえばテストの結果です。成績が知られてしまったら恥ずかしいし、嫌な気分になってしまうからです。成績だけではなく家での姿、失敗したことなどをみんなの前で話したりするのはやめた方がいいと思います。成績を無理矢理聞くのもだめだと思います。悪い成績だったら悲しいし、落ち込んでいるのに無理矢理聞いたりするのはかわいそうだからです。
 
自由と責任はとても難しいと思いました。自由という実感を持ち、リスクも考えた方がいいと思います。
自由というものは責任を守ることで長い年月をかけて手に入れたものです。だからこれからも自由と責任のことをじっくり考えていきたいです。

 

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