平成29年度

中等部1学年 第5回 道徳感想文

6月26日実施

 

 
 【1組】 ルールについて考える

  今回の道徳の授業は前回に引き続き、社会に関係のある「ルールについて考える」という内容でした。
 まずは身近なルール、次に周りのルール、そして社会のルールについて考えました。この3つを比べてみるとやはり後になるにつれそのルールを破ったときの損害が大きくなっていました。周りのルールも社会のルールも破ってしまうと、個人だけでなく周りの人まで不利益を被ります。社会のルールは破ってしまうと多くの人に迷惑をかけることになります。
 また、社会のルールには明文化されている成文律と明文化されていなく、暗黙のルールである不文律があることを知りました。この2つを知り考えてみると成文律は守っていても不文律は守れていないことがあると思いました。友達と話しているのに夢中になっていて、周りの人に迷惑をかけているのに気付かなかったり、無意識にマナーを忘れてしまっているのかもしれません。明文化されていなくても、不文律はいつも守ることができるようになりたいです。
 また、なぜ人はルールを破るのかについてみんなで話し合うディスカッションもありました。この中で出てきた「人に流される」、「後先を考えない」というのは自分にも当てはまると思いました。この2つを特に注意して生活していきたいです。
 
今回の授業では、ルールとは自分、友達周りの人がお互いに気持ち良く過ごすためになくてはならないもので、この授業で学んだことをきちんと覚えておきたいです。また、成文律だけでなく、不文律も当たり前に守れるよう努力したいです。


 【2組】 公共心・公徳心を養うために
 
 家の近くや駅の周りで、道のあちらこちらにゴミが落ちていたり、沢山の人がいる中で平気でゴミをポイ捨てしたりという場面は、今まで何回も見てきました。そのたびになぜ公共の場でゴミを平気で捨てられるのだろうと思っていました。
 でも自分を振り返ってみると、ゴミのポイ捨てはしないけれどもバスや電車の中で、少しうるさくしてしまったことがあったかもしれない改めて思いました。自分を正していないのに相手のことは言えないとよく言われるので、今日からは周りのことにもっと気を配れるように、利他の心を持って行動したいと思いました。例えば公共交通機関でのマナーや言葉遣い、道を歩く時に広がり過ぎないようにし、他の人にも注意できるようになりたいです。
 最近、ポイ捨て禁止と書いてある看板があるのにゴミを捨てていく人や、電車内であるにも関わらず大声で話をしている人が大人でもいます。こういう人たちには公共心・公徳心が欠けているようにも感じられます。自分が社会の一員であるという自覚をもって、周りの人たちの気持ちや、ゴミを拾ってくれている人のことをもっと考えてほしいと思いました。
 私自身も、電車やバスでのマナーを守るために、もっと周りの人のことを考えられるようになりたいです。そして友達同士でも注意し合い、沢山の人が気分よく過ごせるような社会にしたいです。


 【3組】 なぜ私たちは学ぶのか

 今回、一番印象に残ったのは「わからない」という言葉で相手からの質問を済ませないということです。私は、深く考えずに思い浮かばない事柄にはすぐに「わからない」と言ってしまいます。この「わからない」だけだと単語で会話が成り立っていないということがわかりました。
 今回のテーマで私は学ぶ理由を見つけるのを難しく感じました。人間は他の生物とは違い、もともとある程度の知識を持って生まれるわけではありません。もともと多くの人は生まれた時から、社会には規律というものがあったと思います。注意され、間違えるから今の自分から一歩前に踏み出せるのです。つまり、学ぶことができます。礼儀や行儀については幼い頃から厳しく教育されています。厳しく注意されるから、社会人として認められた時に恥をかかずに済みます。
 学びや教育はより良い人をつくれる要となるものです。今回のギニアの国の問題も父親が悪いと捉えてしまう人が多いですが、これにも教育が関わっています。この世界中のどこを見回しても悪を欲する人は一人たりともいません。悪事を働くことには何かしらの理由があります。人は誰でも生まれたときから良心を必ず持っています。母親に抱かれた瞬間幸せだと感じる人は多いと思います。この場合の父親も正式な教育を受けていなっかたのだと思います。そうすると悪い人間は誰かと考えたくなります。しかし、それだと悪い点ばかり見ていることになり、指摘された方も心が傷つくのではないでしょうか。欠点を掘り下げるよりも、どう改善していくべきかを考える事の方が大切だと思います。
 道徳のテーマはどれも奥深い議題ばかりです。答えなど存在しません。私が今までで一番難しかったのが、「幸せ」とはなにかです。様々な問題に自分なりの答えがだせるようになりたいです。


 【4組】 命の尊さを知る

 私は最初プリントで命とは何かという質問に一つしかないものと答えましたが、実際は答えがわかりませんでした。
 遠藤先生の話の中でとても心に残った話は、「頑張れば幸せになれるよ」という本の話でした。この本の話は、まだ幼い男の子が亡くなってしまうというものでした。しかし、その男の子が亡くなるまでにしたことがとても小さい子とは思えない程素晴らしく、もし私が同じ立場だったらこの男の子と同じようなことはできないのではないかと思いました。弟や母親、父親の事を思いやり、優しい子だと思いました。
 生きたくても生きられない人がいる。最初にも私たちはお父さんとお母さんが、環境を整えてくれているが、それでも亡くなってしまうことがあるのだと知り悲しくなりました。
 私は当然のように学校に通い、毎日を過ごしていますが、それは当然ではなくとても恵まれていることなのだと知りました。「命の尊さ」とは何かを今回いろいろな話から学び、知ることができました。頑張れば幸せになれるよという言葉は忘れられません。

 

 【5組】 友人の多様性を受容する

 私にはたくさんの友達がいます。当たり前ですが、みんな一人一人個性があって、全員同じというわけではありません。これを多様性というのだと思います。私としては、一人一人に個性があったり特徴が人それぞれあることはすごく良いことだと思うし、同じ人間なのだから差別したり、区別して避けたりということはあまり良くないと思います。なぜそういう差別をしたがるのか私には分かりません。でも人は自分と合わないものをなくそうとする性質があります。どうしようもないことなのかとも思います。しかし、そんな考え方があることがまずいけないと私はやはり思います。人は誰もが平等で、対等に扱われる権利があるから、自分と相手との違う所はきちんと受け入れないといけないと思います。一人ずつ、あの人はあれが違う、この人はこれが違うという風に考えていったらきりがないと思います。私はこれからもちゃんとみんなの個性を理解し、大事にして、認めることのできる人でいたいと思います。また積極的にコミュニケーションをして、いろいろな人と仲良くなっていきたいです。
 そして人類共通の夢である「幸せになりたい」とは、きっと誰もが思っていることに違いありません。マザーテレサの名言に「自分が必要とされていないと思うことが最大の不幸である」とありますが、その通りであると思います。自分が誰からも必要とされていない、存在しないものとして扱われるのは耐えられません。誰かが自分を必要としてくれる、愛してくれることはとても幸せなことであり、ありがたいことなのだと感じました。

 
 【6組】 自由と責任

 
私は今まで自由というと責任のないことだと思っていました。今回の道徳の授業で自由を守るという責任があり、それを守らなければならないと聞きました。
 自由と聞くと、自由時間とか自由行動とかいろいろな「自由」がつくことがあります。確かに自由時間や自由行動は時間や範囲を守るという責任があるとも考えられます。話の中に出てきた父と息子の例で、私は父が努力して稼いだお金をたくさん使ってしまったからだと思いました。けれど、よく考えてみると、父は息子のためにお金を貸したのであって、つまり自分から、自分の意志であげたのだと考えました。また、クラスのホームページを作るということでは、私はクラスの休み時間の過ごし方についてやればいいと思いました。そうすることで、「休み時間に今流行っているもの」や「女子・男子の間で大人気中」など、見ているだけで楽しむことのできるコーナーなどがたくさん自分たちで提案しながら作れるので、とても良いと思いました。そして、それを見てこの江戸川取手中を受験しようと考えている人などからはもちろん、家族や友人、そして、一般の人にも楽しんで見てもらうことができるかもしれません。
 私は小学校の時の遠足で同じ班の子と夢中になりすぎて、自由時間を過ぎたことに気づかずに遊んでしまったことがありました。その時、先生方に見つけてもらい、「自由は必ず守ってください」と怒られました。その後、私たちは読み聞かせの本で「守るという責任がある」ということを伝える本を読んでもらいましたが、その時の私には特に何も感じませんでした。しかし、今回の道徳の授業で私はやっとあの時先生方が伝えたかったことがわかりました。私はあの時の反省を生かして、約束の時間にはなるべく間に合うようにしています。私は昔の人たちが努力して大切にしてきた自由を大切にしていきたいと思います。


 
 【7組】 国際社会に生きる

 
今回のテーマは「国際社会に生きる」でした。国際社会の意味を辞書で調べると、どちらも自分一人ではなくたくさんの人々が関わっているということが分かりました。社会の中で生活している誰もが、何らかの集団に属していて一人だけでは生きていくことができないので、身の回りで私に協力してくれる人たちに感謝の気持ちを持つことが大切だと思いました。今の恵まれた環境を当たり前だとは思わずに生活をしていきたいです。
 江戸取には国際社会を意識した教育活動があるというお話を聞きました。普段授業でお世話になっている外国人の先生や、イングリッシュカフェなどほぼ毎日関わりのある活動があります。また、アメリカアカデミックツアーやオーストラリア短期留学など、将来に役立つことを経験できるのでとても良い機会だと思いました。世界の人々と交流を持つために必要な英語も毎日しっかり勉強して、読み・書き・話し・聞きをしっかりできるように頑張っていきたいです。
 今回は、「将来、外国人方々と生活するときに気を付けるべき点」について話し合いがありました。
私は、コミュニケーションをとろうと努力する姿勢が大切だと思います。班の中では、自分の国と相手の国の文化の違いを理解して、自分の国のことを伝えたり、相手の国のことも尊重するということが出ました。住んでいる国が異なるということは、言語も宗教も食事も異なった生活をしているということです。自分の国の文化を当たり前だとは思わずに、相手を受け入れることも大切だと思いました。また、他の班からは、言語を学ぶ・曖昧な言葉を使わないという意見を聞いてとても納得しました。
 
今から英語をしっかりと身につけ、将来たくさんの世界の人たちと交流を持って英語で話せるようになりたいです。そのために、毎日努力をしていきます。
 
 
 【8組】 社会の一員として

 今回の山田先生のお話を聞いて自分が社会の一員であることを改めて意識することができました。社会とは辞書で調べると、「人間が相互に関わり合う場」という意味だと分かりました。私たち人間は生まれる前から死んだあとまで社会の一員であるという話を聞いてとても納得しました。人間は生まれる前からも家族という集団に属しています。家族はお腹の中の子どもが生まれる前から、名前を考えていたり、洋服を用意していてくれたりします。初めに「社会」というワードを聞いた時は、「社会なんて今の私にはまったく関係ないし、大人になってから考えればいいや」と言う感じの私だったけれど、山田先生のお話を聞いて、自分も「社会」に属していると知り、とても身近なものに感じました。
 先生は「社会が円滑に営まれるためには多様性を理解することが必要だ」とおっしゃいました。「そのためには人間それぞれの役割が必要だ」ともおっしゃいました。確かに学校でも体育係や配り係など様々な係や委員会が存在します。一人一人がその係や委員会の仕事を意識して行わないとクラスの仲間が不自由なく過ごすことはできません。
 班でのディスカッションでは「社会」で生きていくために必要不可欠だと思うものとして、礼儀・常識・思いやりの心だと考えました。どの道徳の授業でも、伝えたいことの主旨は共通していると思いました。利他の心を持って行動していきたいです。今回のお話を「社会」の一員として忘れず、それを原点として行動したいと思います。他人が嫌がることや迷惑になる行為を絶対にせずに、毎日不自由のない学園生活を送れるように努めていきたいです。


 

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