平成29年度

中等部1学年

第3回 道徳感想文

6月5日実施

 

 
 【1組】 なぜ私たちは学ぶのか

 今回、竹中先生による「なぜ私たちは学ぶのか」というテーマの授業をお聞きして、感謝の気持ちを持つことの大切さを感じました。私の周りにいる人は全員が読み・書き・そろばんを学べていて、私と普通にコミュニケーションがとれる能力を持っています。それが当たり前のことだと思っている私にとって、今回の授業は衝撃的でした。
 私が今、江戸取生として勉強できているのは、受験時代に多くの支えがあったからです。私は、小学5年生のときから受験を始めていて、姉や兄も私と同じように受験しています。そのため、受験をすることのできる環境は珍しくありませんでした。しかし、全世界で5700万人の子どもが学校に通っていなく、必ずしも全員の子どもが私の周りの人のような生活を送ることはできていないことを知りました。勉強できない環境に置かれていることに衝撃を受け、中学受験がいかに贅沢だったのかを実感しました。
 また、今回の授業では「なぜ学ぶのか」についてお話がありました。その中で私は、将来の選択肢が広がるということに共感しました。このことは、中学受験に当てはめても考えられます。勉強をして偏差値を上げれば、受験することのできる中学は多くなり、いくことのできる大学の選択肢も増えるかもしれません。自分の努力次第で選択肢を増やせると思うと、勉強が楽しく感じ、やる気になります。世界には勉強をしたくてもできない人がたくさんいることを自覚して自分のできることをきちんとこなしていきたいです。
 最後に多くの人に常に感謝の気持ちを持ち、日々勉強に励み、自分の進む道を全力で切り開いていきたいです。


 
 【2組】  命の尊さを知る
 
  今回の道徳の授業では、遠藤先生に命の尊さについて聞かせていただきました。
 この授業では、遠藤先生のたくさんの言葉が心に残っています。例えば「あなたたちは、生まれたときから幸せを与えていた。」、「生かされた人は美しい。」などです。それらの中でも特に印象に残っているのは、「お母さんが経験したこともない痛みを耐え抜いて生んだのですから、君たちに会えたときにすごく感動したはずです。」という言葉です。本当にそうだなと僕も思いました。以前お笑い芸人が、海外にある機械を使って陣痛を体験するというテレビ番組を見たことがあります。その芸人は、陣痛を経験する機械のスイッチを押された途端にギブアップしてしまいました。それを見て僕は、こんなにも痛いのかと思い、痛みを我慢しながら僕を生んでくれたお母さんにとても感謝しています。
 また遠藤先生は「生かされた人はとても成長する」ということを教えてくださいました。東日本大震災では、両親を失っても周りの人のために行動した6歳の子供がいたそうです。もし僕が大切な人やものを失ったら、悲しみに暮れてしまいます。ですが震災直後には僕より年下の子が、ご年配の方々に食料を配っていたと知り、生かされた人は、誰かのために生きようと成長するのであると思いました。命があってこそ様々なことができるので、命を大事にしようともう一度しっかりと意識し始めました。
 世界には様々な境遇の人がいることを認識し、自分を生んでくれた母に感謝します。そして時間をただ過ごすのではなく、色々なことをよく考えて動くよう心掛け、楽しい時間を過ごし、楽しい人生だったと思えるように努めていこうと思います。

 
 【3組】 友人の多様性を受容する

 最初に岡室先生に「人間の多様性とは何か」と質問された時に、私はすぐに答えられませんでした。しかし、先生の話を聞いているうちに、話を理解しました。肌の色や人種、性別、宗教など様々な違いが世界中にあります。
 研修旅行の行きのバスの中で、松永先生が地域によって同じ遊びでも呼び方が違うという話をしてくださいました。同じ国内で違いがあるのだから、世界で考えた時、違いは大きくなり数は増えるということに気づきました。だからこそ今回のお話しのテーマであるように「友人の多様性受容する」ことやお互いに相手のことを理解し認め合うことが大切だと実感しました。
 また、「ジョハリの窓」では、自分が知らなかった自分をみつけることができました。盲目の窓にあてはまるものが一番多かったです。自分のことも知る事ができましたが、それと同時に私が紙を書いた相手、友達のことも考えることが出来ました。この人はこういう人だな、いいところがたくさんあるなとか、今まで話していて気づかなかったことを知り、この人はもしかしたらこんな人なのかもしれないと思いました。友達のことについて深く考えることができたので、今回の道徳で友達との距離が縮まったような気がしました。
 この先、ますますグローバル化が進んで海外の人と話すことが増えていくので、その時は相手をよく観察して違いを見つけたらそれをお互いに認め合って話をするようにしようと思いました。また、世界で人種差別やテロがたくさんおこっています。世界中の人々がこの授業を受けて違いについて理解し、よく考えるようになれば人種差別は減るのではないかと思いました。そして、私も友達と接する時などは、人のことを考え、多様性を受容できる人になれるように努力しようと思いました。


 

 【4組】 自由と責任

 私は今回の「自由と責任」という講話を聞いて3つ学んだことがあります。
 まず自由というものは何事も好き勝手にして良いということではなく、その自由には責任が伴うということが理解できました。今は未成年で責任をとることができませんが、年齢を重ねるにつれて自由が拡大します。一方で、自由に活動するとともに責任の範囲が増してきます。身勝手な行動が与える周囲への影響について考えることができました。
 2つ目に、グループワークでは「ホームページをつくろう」という活動をしました。ここでは個人の表現の自由とプライバシーを守る権利の兼ね合いについて学びました。ホームページに載せたいという気持ちと載せられる側の守られる部分について考えることができました。
 3つ目に私たちが築いてきた自由というものは元々あったものではなく、先人たちが勝ち得てきたものであるということです。それらを勝ち得るためには長年血のにじむような努力があったはずです。私のことにあてはめれば、この江戸取で学びたいという自由を得るために一定の努力をしました。そして素晴らしい環境で学ぶ機会を頂き、そこでは守るべきルールがあります。ルールを守る責任をしっかりと果たす続けることでこの自由を守り抜きたいと考える事ができるようになりました。
 これまでの努力を無駄にしないよう、これからも様々な事に積極的に挑戦していきたいと強く思うことができました。

 
 【5組】 国際社会に生きる
 
 今回の道徳の授業を受けて、江戸取の異文化交流の回数の多さに驚くとともに、これからの英語の学習に対して身の引き締まる思いがしました。なぜなら、異文化の人々と交流するためには、英語の学習に力を入れる必要があると思ったからです。また、異文化の人々と交流する上で重要なことを考えてみました。まず必須となる部分として、相手の文化を理解し、偏見を無くすことが挙げられると考えました。具体的には、相手の文化を知り、その文化の自分の文化と異なる点を否定するようなことはしないということです。それは相手の文化を自分の文化と同様に認めることです。
 次に、異文化の人々と交流を深めるための方法を色々考えてみました。一つ目に、自分の文化を詳しく紹介する方法があります。ここでポイントとなる点をグループで考えた結果、自分達の文化の特異性を主張しすぎないことが重要です。例えば、「この文化は皆さんの文化の〜によく似ています。」と相手の国の文化との共通点に触れることで聞き手の興味を引くことができると考えました。このように、相手の文化を知り、理解する上で、自分達の文化と見比べてみて、共通点や相違点を見つけることが大事だと思います。二つ目は、自分達の文化を体験してもらったり、相手の文化を体験させてもらったりする方法です。ここでポイントとなることは、自分達の文化を体験してもらう場合、作法や礼儀にこだわりすぎて堅苦しくなりすぎないことです。また、相手の文化を体験する場合は、真剣に相手の説明を聞くことです。
 江戸取では異文化交流をする機会がとても多いので、世界の色々な風習や文化を知ることができると思うと、とてもわくわくします。しかし、異文化の人と交流する上で大切な英語は今からこつこつと鍛えていく必要があると思いました。

 【6組】 社会の一員として

 
自分と他の人は同じ人間であっても別。私はそのことが今回の授業で強く印象に残りました。
 この世界で生きていたら、必ず社会の中で生活することになります。社会では自分とは違ったいろいろな人たちと一緒に支え合っていかなければなりません。つまり、他人と関わらない人生なんてないのです。もちろん自分の意見や価値観を相手に押しつけることをすれば、嫌がられます。だから、
相手の意見をよく聞いて相手の価値観や考えを受け入れることができる柔軟性が必要なんだと思いました。他の人が違った考えを持っているということを「違うんじゃないかな」と否定するのではなく、こう思っている人がいたのかと面白く思ってみればより良いのだと思います。
 そのためには相手の本音を聞き出すことが大事になってきます。本音を聞き出すには、まず自分から自分の意見をはっきりと言って、相手が本音を言いやすい雰囲気を作れれば、興味深い意見が聞けるのではないかと思いました。
また、聞く方も相手の価値観を受け止めるトレーニングが要ると思いました。それは読書です。本には筆者の気持ちがストレートに書かれています。それを積み重ねていくことで初めて相手の考えを本当に興味深く思えるのだと思いました。
 次に、私は他人の多様性について考えてみました。社会で生きる人たち全員がまるで自分のクローン人間のようだったら、その社会はきっと成り立ちません。人間一人ひとりにはいろいろな特長があります。例えば、面白い人、数学が得意な人、他人とコミュニケーションをとるのが苦手な人。そのような人たちが自分の良い特長を生かして、それぞれの役割を果たすことで、誰かが支えられ、誰かを支えていくという関係が成り立ち、社会というものは初めてできる集団だと思います。
私たちは社会で生きていくためには自分と違ったほかの人を受け入れないといけません。そのためにも自分たちは受け入れる努力や相手の気持ちを考える想像力を養う必要があります。
 これから本格的に働くことになる自分はこの6年間で学ぶことがたくさんあります。そのためにも何事にも尽くせる強い心をここで磨き上げたいと思いました。

 

 【7組】  ルールについて考える
 
 青野先生の「ルールについて考える」の講話をお聴きして、まず学校のルールについて考えました。
 江戸取のルールの中で「携帯電話は使用しない」というものがあり、なんで使用してはいけないのだろうと疑問をもっていました。電車の中で使っている大人や中学生、高校生がいるのにと思っていたのですが、「理由のないルールは存在しない」という言葉を聞き納得しました。なぜなら、「携帯を使わない」ということにも理由があったからです。もし、学校で携帯を使ってもよいことになったらどうなるかを考えてみました。まず、バスの中や電車内でゲームやSNSをしている。降りたとしてもそれは継続されるでしょう。そうすると歩きながらスマホや携帯をいじってしまい、事故に繋がるケースも考えられる。これらはとても危険だし、江戸取生のイメージがとても悪くなってしまうと強く感じました。
 次にスポーツのルールについて考えました。僕は今卓球部に入っています。卓球は個人で行うスポーツですが、練習は相手がいるからこそ成り立つスポーツだと思います。したがって、練習の時は相手に常に感謝の気持ちを持ち、練習に励んでいきたいと思いました。また、組織の一員としても同級生、先輩に迷惑をかけないように行動に気を付けます。
 最後に、ディスカッションのテーマにもあった「人はなぜルールを破るのか」については、視野が狭かったり、自分さえよければという自己中心的な感情から破ってしまうのだと思います。

 

 【8組】 公共心・公徳心を養うために

 私は今回貝森先生の講話をお聴きして、規律や社会について学びました。
 まず規律については、私はただルールを守ることを規律を守ることだと思っていましたが、先生のお話や最後の話し合いにより、規律というのはただのルールとは少し違って、人などの正しい行いや、その元となるきまりのことなのだと新しく知りました。また、規則との違いも、規則は聞いただけだと縛り付けのように思いますが、規律は人間関係に基づくきまりのようなものなので、同じきまりやルールでも、実際に使ってみると意外に意味が違って思えるものなのだなと驚きました。このことから、やはり日本語というものは言葉が少し違うだけで意味が違ったりすることがあるので、うまく使い分けることが大切だなと感じました。
 次に社会については、私が今まで思っていたこととは違い、結構身近にあってびっくりしました。私は社会というのは大人が頑張って働いて世の中で生きていくことだと思っていたので、身の周りの身近にある集団が社会なのだとは思いつきませんでした。だからこれを機に自分も社会の一員だということを自覚した上で、公徳心や公共心を身に付けていきたいと思います。
 私は人見知りなので、自分と関わりのない人に声をかけてあげたりすることは少しハードルが高いですが、友達と一緒にいる時や困っている人がいる時には、頑張って声をかけてみたいと思います。そして、心を鍛えてどんな人にでも積極的に声をかけられるようにし、気持ちよくこの社会で生きられるような立派な人間を目指し、今日から実践してみようと思いました。