平成29年度

中等部1学年

第1回 道徳感想文

5月1日実施

 

 
 【1組】 友人の多様性を受容する

  今回、岡室先生による第1回「友人の多様性を受容する」の道徳の授業を受けて、他者を受け入れること、他者を認めることの大切さを学びました。
 道徳の授業の中で、世界共通の夢は「幸せになりたい」ことであるというお話がありましたが、幸せになるということは、何かを考えてみました。例えば、特に今までそのようなことはなかったのですが、自分のことを否定されたり、自分の意見を述べたときその意見を理由もなく否定されたら、いやな気分になると思います。これは授業の中でもありましたが、「幸せとは人から認められること、居心地の良さ、安心して過ごせる雰囲気」であるということを改めて学び、考えさせられました。
 また,授業の中では、ジョハリの窓というものを作りました。私のジョハリの窓では、盲目の窓の数が14個もありました。その結果を見て私は、自分の知らない自分が沢山いるのだということに気付きました。逆に、本当に、それは自分なのか疑ってしまうものも正直ありました。そこから自分が他の人を見るときに、こういう人だと決めつけるかもしれないということを、深く考えさせられました。こういう人だと決めつけてしまうと、第一印象とは異なった性格があるのに誤解を生んでしまいます。そのような誤解が生まれることがないように、よく相手を知るようにしていきたいと思いました。また、今回、ジョハリの窓の盲目の窓から自分でも知らない自分がいるのだと気付くことができたので、自分をより客観的に見ていかいないといけないなと感じました。そして、授業の中でもありましたが、「自分を認め、受け入れられる人が他の人を受け入れられる」ということは、まさにそうであると思いました。
 これからの6年間の中で「自分を認め受け入れる」ことと「他の人を受け入れる」ことができるような人になって自分や周りの人のことを幸せにできる人になりたいと思いました。


 
 【2組】  自由と責任
 
  僕は小学生のころ、道徳が大の苦手科目でした。その理由は、「自分には、人の気持ちを理解することができない。」と勝手に思い込んでいたからです。しかし5月1日の道徳の時間に江戸取生として初の道徳の授業を受けてから、道徳に対する気持ちや思いなどが大きく変わりました。
 小学校の道徳というと、先生が話をされて、自分の考えを発表する単調で少し重い雰囲気のもとで行われていました。また授業内容は「〜の気持ちについて考えてみよう。」という話題ばかりでした。しかし江戸取の道徳は、先生が話をされ、与えられたテーマでディスカッションをし、最後に班長が発表する、というとても分かりやすくて楽しい授業です。
 
今回の授業では、「自由と責任」というテーマから個人情報の扱い方を例に考えていきました。そこで僕がこれからの生活で気を付けなければならないと思ったことが2つあります。
 1つ目は、「自由には必ず責任が伴う」ということです。僕の家のルールでは、スマートフォンを使用して良い時間が制限されていません。つまり「自由」という状態です。だから僕自身が「責任」についてよく考えていないと、目が悪くなったりトラブルが起ったりする恐れがあります。
 2つ目は、「個人情報の危険性」です。日本では、マイナンバー制度が設立されました。一見便利にも感じられますが、危険な部分も持ち合わせていると僕は考えます。1つの番号で、全ての個人情報を記録できるからです。だからとても厳重に扱わなければならないと思います。僕は、第1回目の江戸取の道徳を受けて、苦手だった道徳が好きになりました。

 
 【3組】 国際社会を生きる

 今回私は2つのことを学びました。
 1つ目は、支え合うことです。授業で国際社会という単語の意味を辞書で引いたときに、国際社会とは、多くの国や人々がお互いに関わり合って生きていくことだと書いてありました。1人では「社会」とは言えず、他の誰かと関わり、支え合うことが国際社会だということをそこで学びました。また、江戸時代の話で戦わなくなった武士を支えていたのは、10人の農民だという話を聞き、自分もこの武士の様に、たくさんの人に支えられて生きているということを感じ、支え合うことの大切さを学びました。
 2つ目は、国際社会での人との接し方です。前にSHRで先生が話されたタイとミャンマーの話や、研修旅行のバスの中での地域によって遊びの名前やルールが異なるとい話で、国内でも違いがあるのだから国が違ったらもっと文化や考え方の違いは大きくなるという話を聞いて、世界には色々な宗教やルールがあるから自分の国のルールを押しつけるのではなく、お互いに理解し合い生きていくことが大切だと改めて実感しました。
 授業中の班での話し合いで私たちの班は、国際社会で他の国の人と接する時は、接する相手の国の意見や文化を学び、認め合い、支え合い差別がないように相手を尊重して接するという意見になりました。今もまだ肌の色で差別する人がいます。しかし、これからの世界はもっと1人1人が支え合って生きていかなければならないと思います。だから、差別をなくして接することが大切だと思いました。そして、同時に英語も頑張ろうと思いました。お昼休みのイングリッシュカフェに行ったり、学校が取り組んでいる留学などの活動に積極的に参加しようと思いました。


 

 【4組】 社会の一員として

 今回の道徳の授業をお聞きして、特に印象に残ったことがあります。
 まず一つ目は「社会」についてです。僕は「社会」という言葉は知っていたけれども、実際の意味は分かっていませんでした。けれども今回の授業をお聞きして、「社会」というものが何となく分かりました。「社会」というのは職場の中などでの人間が相互に関わり合う場であり、また人間は生まれた時から社会の一員であり、成長して行くにつれて「社会」というのはどんどん大きくなっていくということです。社会が円滑に営まれるためには、人間それぞれの特徴、人間それぞれの役割が大事だということも学びました。
 二つ目は社会で生きていくために必要とするもののことです。衣食住以上に、人を思いやる心・人とのつながりということも社会では必要になってくると分かりました。僕はなるほどと思いました。そうすると、人間関係を円滑にするためのコミュニケーション能力も社会の一員としては必要不可欠になってきます。今から社会の一員であることを自覚し、思いやりのある人格を自ら築いていき、他人のために力を尽くすことができる人になりたいと思いました。

 
 【5組】 ルールについて考える
 
 私はこの「ルールについて考える」の講話をお聞きして、ルールとはどのようなものか改めて考えてみようと思いました。
 最初にスポーツのルールについて話してくださいました。私はスポーツのルールについて聞いて、スポーツはルールが無いと成り立たないと思いました。なぜならルールが無いと観客も競技者もスポーツを楽しめなくなってしまうからです。
 次に社会のルールについて話してくださいました。私は社会のルールがあるからこそ、人が安心して暮らせるのだと思いました。なぜなら社会のルールは一人一人を守るためにあるものだと思ったからです。次は学校のルールについて話してくださいました。小学校の頃は右側通行をする、廊下を走らないなどのルールがありました。これらのルールは子供の安全のために決められたルールで、とても大切なものだと思いました。江戸取にもルールがあります。どれも大切なルールですが、私にとって最も大切だと思うルールは、「五つの心の誓い」にもある「人として正しくない行いをしない」ことです。これは具体的には明記されていませんが、全世界共通のルールだからです。
 最後に成文律と不文律について話をしてくださいました。私は成文律が具体的に示されているのに対して、不文律は一般的に示されたもので、人の解釈によって変わってしまうものだと感じました。このため、「私はそう思わないからやってもいい。」という気持ちが働いてしまい、結果的に不文律は守られにくいのだと感じました。この講話をお聞きして、私はルールは共通して人を守るためにあるのだと感じました。しかし、不文律のように明文化されていない(しにくい)ルールに関しては、人により解釈が変えられるため、どのように守ることができるかが非常に難しいで。私は不文律のルールを守れるように、自分に甘えることなく普段の生活でも心がけていきたいと思います。また不文律も自分の心の中で成文律に変えていくことが大切だと思いました。
 【6組】 公共心・公徳心を養うために
 
 私は今回第一回目の道徳の授業ということで、小学校ではただ教科書を読むだけのつまらない授業というイメージがあったのですが、中学校ではどんな授業をやるんだろうと思っていました。実際に今回道徳の授業を初めて受けてみて、ディスカッションなどがあって面白いし楽しい授業というイメージを持ちました。今まで深い意味や本当の意味を知らないまま何となく話を聴いてきたけれど、そのようなことを一からもう一度考えさせてもらえる時間というのが道徳の時間なのかなと思いました。
 今回は主に『「規律」と「規則」の違い』についてディスカッションしたりして考えましたが、確かに規律と規則の違いは分かりにくいものです。今回は初めてだったからかもしれませんが、ディスカッションを行ったとき、なかなか意見が出てこなくて静かになってしまったのが私の中であまりよくなかったと思っています。だから、今回は先生方からのアドバイスをもらったりしたので何とか意見をまとめることができましたが、これからは少しずつでもいいので、自分たちで話し合いを進めることができるようにならなければいけないなと思いました。また、改めて学校に対する苦情がどんなものなのかを具体的に知って、「確かにそうだ」と納得することができました。特に道路の横並び歩行などは私も毎日注意していることでした。私はいつも3、4人で登下校をしています。最近はよく歩いて登下校をしています。毎日、登下校中に話が盛り上がっていたりすると、同時に列も横に広がってしまっていることに気がつきます。いつもみんなで「ほら、ここは一列だよ」などと言い合うようにはしていますが、つい広がってしまうこともあるので、それは直さなくてはならないことだなと思っています。
 次に『「公共心」と「公徳心」について』です。私はこの授業を受けるまで、「公共心」と「公徳心」という言葉を聞いたことも使ったこともありませんでした。この二つの言葉も区別するのが難しい言葉です。また、どちらの言葉にも関係している「社会」というもう一つの言葉も教科の社会でないことはわかっていても、言葉で説明するのは困難な言葉です。私はこの一回の道徳の授業の中で様々なことを学びました。一番心に残り、感じたことは「言葉を言葉で表し、説明することはとても難しいことである」ということです。ほかにも
公共心、公徳心を養うためにはどうすればよいのか、規律を守るとはどういうことかなど、いろいろなことを考えました。今回考えたことを忘れずに、これからの生活に生かせるようにもっと深く考えてみようと思いました。

 

 【7組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
 私が竹中先生のお話をお聴きして、一番心に残っていて印象深かったことは、日本と外国の識字率の差です。私は生まれて物心ついた時にはひらがな、カタカナ、数字が分かっていて、不自由することがありませんでした。文字の読み書きができることが当たり前になって生活していましたが、インドは識字率が58%ということで、ほぼ40%の人達は文字が読めない上に字が書けないということで、不自由で不安な暮らしをしているのだということにとても驚きました。字が読めない上に字が書けないというのは、外国に一人で置き去りにされているような気持ちになると思います。私が物心ついた時から文字の読み書きに関して不自由をしなかったのは、その時に必要な教育を受けてきたからだと思います。
 「なぜ私達は学ぶのか」が今回の道徳の授業のテーマでした。それは私達が生活上必要不可欠なものを学ぶためだそうです。私は社会に出て役立つことを学ぶためと考えましたが、結局は考え方は竹中先生と同じです。その生活上必要不可欠なこととは、読み、書き、そろばん(計算力)です。読み、書き、そろばんが出来ていれば、確かに生活をしていくことができます。ですが、その生活上必要不可欠なこをさえ学ぶことが出来ない子供が世界にはいるそうです。全世界で5700万人もの子供達が小学校に通うことが出来ていません。この5700万人という人数は、日本の人口の約半分ほどです。そう考えると、小学校と中学校は義務教育という日本の教育制度はとてもすばらしいものだと改めて感じました。何かを学ぶ時に、「このことにはあまり興味が無い」と思うのは、自分が無知だから興味を抱くことができないのだということが分かりました。
 
これからは日本で安全に学べる幸せを実感して、何事もよく学んでいきたいと思います。

 

 【8組】 命の尊さを知る

 誕生時の写真を見て、とても小さく幼いと思いました。お母さんは私のためにとても辛い思いをして産んでくれ、そして健康に育ってほしいと願ってくれたことを本当に感謝しています。もしお母さんが私のことを産んでくれなかったら、ここに私はいなかったはずです。大変な思いをしても生んでくれたことをうれしく思います。
 2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。地域の人にために一生懸命呼びかけた遠藤未希さんが、自分の命のことを気にしないで最後までマイクを持っていたことはすごいと思いました。そのアナウンスのおかげで多くの住民の方の命が救われたのです。
 生かされた命に感謝したいです。死にたくないのに津波にのみ込まれた人たちがいたことを考えると、生きていることは幸せだと思います。
 気仙沼市立階上中学校の梶原裕太君の答辞はとても立派だと思います。「苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことが私たちの使命です。」と言う内容はすばらしいと思います。災害があって大事な友達が亡くなってしまったのに、天を恨まず運命に耐えることが自分達の使命だという覚悟が感じられました。