平成28年度 高等部1学年 道徳感想文 第7回(1月24日実施) 

1組 「ルールについて考える」
 今回の道徳のテーマは「ルールについて考える」でスポーツのルールや学校の法則、また法律が一体何を意味しているのかを改めて考えることができました。「ルールは不可欠なものだが窮屈なもの(束縛感)でもある」ということと、どんなにルール(法律)を厳しくしても犯罪は決してなくならないということから、ルールは絶対に必要だが、それは完全なものでは全くないので、依存してはいけないものだと分かりました。
 英語の例文に「There are no rules without exception」というものがありました。「例外のないルール(規則)はない」という意味ですが、僕はこれを見てとても興味深く思いました。これはルールというものが必ず例外というものを抱えている、つまりルールが完全でないことを表していたからです。
 ルールの中の例外を「穴」と呼ぶことにすると、この「穴」はものすごく危険であると思います。「穴」は抜け道と捉え方をすれば、いくらでもこのルールを悪用することができます。実際そのような事件も最近では多く起きています。
 人間は不完全なものです。そしてその人間が作ったルールが完全なはずはありません。しかし今の世界はその不完全なものを信じ過ぎていると思います。ルールを守ることは当たり前のことですが、逆にそのルールに騙されないことも重要だと思います。そしてそのためにもルールと、どう共存していくかを考えることも意味があると思います。



 




2組 「国際社会に生きる」
 私は今回この授業を受けるまで、あまり「国際社会に生きる」ということを考えたことがありませんでした。「国際化」という言葉は聞いたり見たりすることが多いですが「国際社会=英語が必要になる」と勝手に考えるだけで自分がこれからそういう社会で生きるようになるという自覚は本当になかったです。ですが、今回この授業を受けて、国際社会で生きるためには何が必要か学ぶことができました。自分達でも、どうすればいいのか考えましたが、一番大切なのは、先生がおっしゃっていたように「相手を知ること」や「日本はどういう国なのかを自分で見つめること」だと思いました。特に「相手を知ること」は今の私にとても欠けていることです。なぜなら、私は相手を知るために話を聞くことが本当に下手だからです。話し手も私のような人にはあまり話したいと思わないと思います。相手を知るためにも人の話を聞く力を身につけて、相手に興味をもつ必要があると思いました。また、「日本はどういう国なのかを自分で見つめること」も同様に欠けています。私は日本が好きで、良いところは海外の反応なども見て積極的に調べますが、悪いところは知りたくないという気持ちが出てしまいます。しっかり日本を見つめるには良いところも悪いところも両方知る必要があると思うので、悪いところにも関心を持つようにしたいと思います。
 今回、国際社会で生きるためには何が必要か学べたので、あとは自分次第だと思います。相手国・自国を知るために、新聞を読んだりニュースを見たり身近なものを最大限に活用していくことから始めていこうと思います。また、日本人にはあまり馴染みが深くない宗教について興味を持ったり、人種差別の現状を知ったりすることも重要だと思うので、そういったことについても自分から積極的に情報を得られるようにしたいです。人と人とのつながり合いということを大前提にこれから努力していきたいです。

 

  

 

 





10組 「ルールについて考える」
 ルールとは何かを考えてみると、類似の言葉が規定、規則、法律、条例などあり、その区別の付け方が難しいと感じます。日常では何気なく、とりあえず従っておけばよいという思いが私の中にはあったので、今回の授業で考えさせられた部分がいくつかありました。ルールとは守るべき決まりのことで、あくまで規定であると思っていました。だから、少しぐらいルールを破っても大丈夫だろうと勝手な行動をしてしまう人が出てきてしまうのだと思います。ルールは欲を抑えることができないワガママで自由な人を縛るためにあるものなのに、破ってしまってはルールのある意味が損なわれてしまうことを知りました。ルールは私達をただ締め付けるためだけにあるわけではなく、ルールが何事にも私達を守ってくれていることに感謝しなくてはなりません。ルールとはモラルです。私達人間がそれぞれ不快を与えず、また与えられずの関係をうまく保ち、不利益を生じさせないとても素晴らしいものであることに気づくことができました。
 今は、私は大きな社会にある小さな学校という集団に所属しています。何かに所属している限り、そこにはその集団なりのルールがたくさん存在していて、江戸川学園取手高校も他の集団と変わりありません。なぜこのようなルールがあるのだろうと感じてしまうことが多々あります。しかし、ルールのない世界を作るとしたら、それはなかなか安易に実現できるようなことではないのだと感じました。人間は何か縛りを与えられていてもそれなりに物を循環させていくことのできる唯一の生物であると思っています。「罰がないからルールを破ってもよい」ではなく、ルールがある中でどれだけ円滑に物事をこなしていくことができるかを把握し、高校生の内にルールについての教養を身に付けられるように努力していきたいと思います。

     

  

 

10組 「ルールについて考える」
 今回の道徳の授業を通して、普段はあまり意識せずに生活をしていますが、僕達はルールによって安全に生活でき、それは公の場で生活するのには不可欠であると思いました。身近なものとして、スポーツや法律などがあります。もし、ルールがなかったら試合が成り立たなかったり、犯罪が多発したりしてしまいます。また条約など国家間の決まりを設けて、紛争、戦争の防止をしたりしています。このように、ルールは様々なところに存在していて、とても重要なものであると思いました。
 しかし、そのルールのほとんどは、人として守るべき行為の基準であるので、絶対的に必要なものではなく、ルールが明文化されていなくても、秩序が守られていることが理想的であると思いました。ルールは生活する上で不可欠なものですが、それは束縛感があり、時には窮屈にもなります。だから、ルールを設ける際は、話し合いに基づいて、相互の理解の下決めることが大切であると思いました。今回、改めて学んで気づいたルールの大切さを頭に入れ、これからの普段の生活に活かしていきたいです。


 





11組 「国際社会に生きる」
 今回の道徳の授業では、国際社会に生きるというテーマでしたが、国際社会に生きるというのは、単に英語が話せるかといった事だけでなく、人と人とのつながりがとても大事だということを実感しました。国際社会では、違う国の人やいろいろな宗教をもつ人がいて、コミュニケーションを取ったりするのは難しいとは思いますが、今の国際社会でよりより関係を築いていくためには、相手の国の文化や歴史、そして考え、また私自身の国の文化や歴史を知る必要があると思いました。他の国と自分の国の違いなどを知ることによって、相手の言っていることなどをもっと深く理解することができ、また自分の考えをあまりしつこく相手に押し付けなくて済みます。自分の考えを相手に主張するのは大事なことだとは思いますが、それだけではなく相手の考えもよく聞いて、理解し、取り入れて行くことも、とても大事だと思います。日本という狭い枠にとらわれず、広い視野を持っていろいろな人と交流を深めて行こうと思います。そして、国が違ったとしてもお互い助け合いの精神を持って接していくことも大事だと思います。今、世界にはNGOやNPOなどといった、困っている人を助けたり支援したりするための団体があります。そういった団体などで、お互い助け合いの精神を持って、貧しい方々などを支援することにより、国同士の信頼や結び付きなどが深まっていると思います。他の国の人と接するときに、差別や偏見を持たず、相手の事をよく理解して、お互い助け合うことが大切だと思います。私は今まで、知らない外国の人と接したりすることがあまりなかったのですが、大人になったら外国の人と接する機会も増えると思うので、積極的に話していこうと思います。

 

     

 

11組 「国際社会に生きる」
 今回の道徳を受けて、今自分が暮らしている日本は、どのような国なのかということを改めて見直すことができました。国際社会では、今まで自分の生きてきた社会とは違う社会で生きてきた人と話したり、違う文化と交流する機会もより一層増えていくので、もっと国際社会で生きるための方法が必要だと思いました。交流を持つ相手の国のことをもっとよく知り、受け入れて互いに譲り合うことが国際社会で互いに嫌な思いをしない為に必要不可欠ということを学びました。
 最後に国際社会を生きるために注意する事、という題で話し合いをしたとき、班の中やクラス内から自分とは違う観点での国際社会についての意見をみることができました。他の国の事を理解し、その国の人の文化やマナーなどを受け入れるという点は同じでしたが、色眼鏡で見ない、差別をしないなどの自分と相手との距離や、自分の偏見に関する意見に触れ、たしかにそうだなと思いました。現代は国際化が進んでいますが、まだ人種差別や、地域差別の問題が残念ながら残っています。まだ国際社会に偏見や差別が残っているので、今回の国際社会について考えることは私たちにとってだけではなく、世界全体にとっても重要で必要不可欠なことだと思いました。私は世界にこれから必要なものを取り入れなければならないと思いました。国際社会では今まで自分の生きてきた社会とは異なる社会で生きてきた人が沢山います。今までの自分がしてきたコミュニケーションや日本の文化、マナーにとらわれず、相手の国の文化を知り、理解して受け入れることや、自分の国の文化を相手に受け入れてもらい、お互いの利害関係をより一層はっきりとしていくことが、これからの国際社会を生き抜くために必要だと思いました。 
 





12組 「公共心・公徳心を養うために」
 今回のお話の中で、始めに規律や規則についてそれぞれの違いを確認し、規則は場所によって定められていてルールが異なりますが、規律はどの様な場所でも同じ様に守らなければならないものだと再認識しました。そして、他人に対する思いやりの心である「公共心」、「公徳心」を持つことはとても大切なことだと改めて思いました。他人への気配りの例として、公共心では「年配の方に席を譲る」とありましたが、これは当然の行動なのに、実際バスや電車では席を譲らない人が見られるので疑問に思います。仮に席を譲ろうとして声をかけても、断られることがありますが、それを恐れて無視をしていても気分は良くありません。やはり自分から譲る姿勢を見せる必要があると思います。また、人は生きていく上で様々な集団に所属するのだと、個人を始め、家族、学校、地域など考えてみると思っていたよりも多くの集団グループに自分はいるのだと気づきました。自分の知らない間に大勢の方々に支えられているのだと、感謝の心を持って生活しなければならないなと思いました。
 最後に、班でディスカッションをしましたが、公共物への落書きや、ごみのポイ捨てを平気でする人の心理はよくわかりません。それらの行動が他人に迷惑をかけているという自覚がなかったためにしてしまったのは確かだと思います。それでも、その場のノリや感情で失敗してしまうことは誰にでもあると思いますが、その後どうするかが重要になってくると思います。一度失敗しただけで多くの信頼を失うことになるので、万が一そのようなことをしてしまっても、冷静になって自分の非を認め、同じ事を繰り返してしまわないよう、常に誰かが見ているのだと意識して日々の生活を送ることが、公共心を養うことに繋がり、自然と感謝や思いやりの心を持つこともできるようになると思います。江戸取は規律ある進学校なので、普段の学校生活の中では、それをしっかり意識して生活していこうと思いました。

 

  

 

12組 「公共心・公徳心を養うために」
 僕は一年ほど前、江戸取の説明会に行った際、江戸取のことを「規律ある進学校」と説明されました。今回の授業では、貝森先生は、規律のことを、「定められていないが守るべきマナー」と仰っていました。僕も大方そのように思っていましたが、江戸取では、携帯や店への立ち寄りに制限をして規律を保っている部分が多くあります。しかし僕は、江戸取が学校であり、グローバル社会を生きるための練習の場と考えたとき、この学校は規律を学ぶことができる場だとも考えています。
 僕が江戸取に入学する前の高校のイメージは、授業中や合間にスマホをするような柄の悪い感じだったため、実際この学校には他にはない規律があり、生徒のための校則があると言えます。一方で、実際の公共の場では、規律が行き届いていない部分があることから、規律をルールだと誤解している人が多いという実態も伺えます。規律は様々な社会生活の場で必要とされるため、社会のことをよく考えて生活していきたいです。
 また、お話にあった事例の外国の歴史的建造物への落書きやタバコの吸い殻の件で、日本と外国との規律に差があることには、少し意外に思いました。歴史ある遺産に落書きをすることは、到底監督解任や停学で済まされるものではないと思ったからです。しかし、当人の誠意ある対応は、すばらしいとも思いました。例として学生の通っていた大学は、停学期間を二週間としていましたが、その期間が相手国への謝罪と改心のために用意してあげた時間だと考えると、その対応にも納得がいきます。
 相手のものを壊してしまったときに本当にすべきことは、損害賠償ではなく心からの謝罪であるように、相手の心を考えることが、人間としての規律なのかも知れません。規律が心からなるものだとすれば、江戸取であれば、多少厳しい校則があり、それを「校則だから」実践するのではなく、校則は当然であるように、表面だけでなく内面で守っていけるようになるのが、公共心であり、心豊かなリーダーなのだと思いました。