平成28年度 高等部1学年 道徳感想文 第5回(10月25日実施) 

1組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 今回の道徳では「なぜ私たちは学ぶのか」というテーマでした。主に学ぶ理由について考えました。この先大人になって働いて自立して生きていくためには、やはり教養というものは必要です。先生がおっしゃっていたように、人間はとても醜い生物です。他人の利益よりも自分の利益を優先するような人たちを相手にするには、知識不足では相手の思い通りになってしまうと思います。
 また、社会に出たときに物事を要領よく処理するためには、今やっている勉強の仕方なども役に立つと思います。そして当然ですが人生は成功だけではなく、むしろ失敗することの方が多いと思います。その失敗に向き合う際にどのような行動をするかという応用力も学ぶことによって得ることができると思います。
 次に勉強する姿勢ですが、勉強を好きだと思っている人は少ないと思います。私もこれまで自分から知識を求めるようなことをしなかったので、どうしてもやらされているという思いしかありませんでした。しかし今回の道徳で勉強する際に最も大切な心構えを学ぶことができました。
 興味・関心を広げることでモチベーションは上がります。毎日の勉強の中でこれはおもしろいな、気になるな、という発見をしていくことでどんどん楽しくなっていきます。
 興味のない人は無知な人であると先生はお話ししていました。これはいわゆる食わず嫌いと同じだと思います。ある物事に対して、「どうせおもしろくない」「どうせ役に立たない」と何もしないで投げ出すことは損なことだと思います。これから多くのことに興味・関心を持って生活したいと思います。


  
 




2組 「公共心・公徳心を養うために」
 私は今回の授業を受けるまで、「規律を守る」というのは「規則を守る」こととほとんど同じだと思っていて、公共心や公徳心ということを考慮したことはありませんでした。しかし、よく考えてみると、規則を守っただけでは社会の利益や道徳に配慮した振る舞いができているとは言えないと思います。また、規律ある行動をとることにより、社会の一員として守るべき道を守ることができるということがわかりました。
 世界遺産への落書きの例では、そのようなことを日本人がしたということにまず驚きました。世界遺産のような世界の人々が見に来て、価値が高いと考えられているようなものを傷つけ、汚す行為は社会の公共の利益に反していると思います。また、この例では、公共心、公徳心が世界にまで影響を及ぼしているということが表れていて印象に残りました。また、タバコのポイ捨ての対策の例では、色々な対策をしても、結局現状は変わらなかったということが意外でした。タバコのポイ捨ては道路の外観を損ねるだけでなく周囲の人々の生活や環境にもよくなく、社会一般には不利益になって公共心や公徳心に反しているといえると思います。しかし、条例を出し、罰則を設けてもまだ件数があまり減らないというのは、その問題にはもっと根本的な解決すべきことがあるということだと思います。そして、私はその根本的な問題は、たばこを吸う人の一人一人の意識が低いことだと思います。
 どちらの例にしても、結局は一人一人が規律を守ろうとする意識、姿勢を保つことができれば解決することだと思います。だから、自分でも普段の行動からある程度の公共心、公徳心を持って生活していきたいと思います。また、規則ではなく規律を重視し、その場の状況に合った正しい行動を選択できるようにしたいです。

 

      

 

 





10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 今回の道徳の授業では、自分の勉強への姿勢について考え直すことができました。
 勉強は大きく分けると2つに分類できます。一つは直接的で必要不可欠なものです。これは自分の将来に直接関わってきます。例を挙げると読み書きや計算のような勉強です。私達日本人は字を書いたり、読んだりすることが常識だと思っています。しかし、世界には、そういった私達が一般的だと思っていることができない人がたくさんいます。もし、世界が100人の村だったら、20人は本が読めず、そのうち13人は女で、26人は電気が使えず、18人はきれいで安全な水が飲めません。そして28人が子どもで、そのうち4人は労働し、12人は小学校へ行っていないそうです。私はこれを聞いたときにとても驚きました。そして今当たり前のように勉強できる環境は当たり前ではなく、大切にしなければならないものなのだと思いました。
 もう一つは間接的な、自分の生活を豊かにするための勉強です。例を挙げると、主要5教科以外の教科、美術や音楽や道徳のような勉強です。これは無理して学ぶ必要性はありませんが、勉強すると自分の将来の選択肢を広げることができます。私は一つ目に述べた方より、後に述べた方が大切だと思います。もちろん、直接的な勉強も大切です。しかし、こういった一見必要なさそうな勉強は、数学や国語を学ぶという以前に、人間としての本質を育てるという意味で重要だと思うのです。勉強は成績のためだけにやるものなのか、いやそうではありません。確かに成績を上げるということも大事です。しかし、その先、自分の将来を見据えた勉強をするということが最も必要だと思います。これは直接的な勉強、間接的な勉強のどちらにも共通することです。
 勉強の目的として、将来の選択肢の幅を広げる、世の中を生き抜く力を身に付ける、仕事に役立てる、興味関心を広げる、判断できるようにするなどがありました。私は何を学ぶにしろ、こういった勉強の目的を忘れず、将来につなげられる勉強をしたいです。そして、毎日を消費するのではなく、一日一つでよいから日常の中から何か新しいことを学び、吸収できるようにしていきたいです。

     

     

 

10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 私は、今回の竹中先生の道徳で様々な良いお話を聴くことができました。その中で、特に印象に残ったお話は二つあります。
 一つ目は、なぜ私達は学ぶのかという理由の一つにあった将来の選択肢の幅を広げるためというものです。私達は、いつも平日は学校に通っています。しかし、自分自身がなぜ、どうして学校に通っているのかあまり考えたことはありませんでした。しかし、話の中に、自分の出身大学名によって、就職セミナーに参加することができたりできなかったりするというお話を聞くことができました。私はこの話を聞いて、高校生の間にしっかりと勉学に励み、より良い大学に進学できるように努力することの大切さについて知ることができました。これからは、私は今よりももっと勉強の量、質ともに増やしていきたいと考えています。そのようにやっていくことによって、自分の将来の選択肢を広げていきたいと考えています。
 二つ目は、私達がなぜ学ぶのかという理由の一つにあった、判断ができるようになるためというものです。私は勉強をすることによって、自分の成績以外にどのような自分の能力が上がっていくのかあまり考えたことがありませんでした。また、そのようなことを考えようとしたこともありませんでした。しかし、竹中先生のお話を聞いて、学校で様々なことを学んでいくことによって、自分の中の知識量が増え、例えば振り込め詐欺などでだまされなくなるなど、判断ができるようになるためにも、5教科以外の教科の授業もしっかりと頑張っていきたいと思います。
 その他にも様々な良いお話を聞くことができました。例えば、世界には学校に通えなかったり、満足な食事を食べられない人々が多くいる中、日本人はとても恵まれているというお話や、勉強をすることによって、自分の興味関心を広げていくことの大切さなどです。今回この道徳で学ぶことができたことを、これからの生活、そして人生に少しでも生かしていきたいと思います。


 





11組 「公共心・公徳心を養うために」
 今回の授業を受けて、公共心、公徳心がどのような物であるのかよく分かりました。これを受けて自分の周りだけでなく、もっと広い関係や、会ったことが無い人などにも目を向けていこうと思いました。今までなんとなく募金をしたり、なんとなく節電、節水をしたりすることはあっても、それが地域のためや世界の人々のためと考えながらしたことはありませんでした。しかし、目を向けてみると自分は会ったことも見たことも、名前も知らない人を助けていることが多いとともに、もしかしたら他の人に助けられていることも多いかもしれないと思いました。社会の中で公共心、公徳心をもっと重んじることは、自分ではなく、他の人を助けることなのだと分かりました。
 また最後の話し合いのテーマとなった落書きとポイ捨てのお話はとても面白く感じました。まず、落書きの話では日本人の感覚では厳しくて退学・解雇または賠償、謝罪。軽くても停学などの処分が妥当と思われましたが、イタリアでは処分なしと、落書きに対する認識が日本と大きく違うという点でとても意外でした。自分たちで処分を話し合った時に、イタリアのような処分なしという意見は全く出なかったので、落書きなどの社会のモラル、公徳心に反するようなことに対してとても敏感であると思いました。タバコのポイ捨てについて、日本人はとても軽視していて、落書きと同じように公共心・公徳心に反する事なのに対策を打っても残念ながら効果が無かったと聞きました。落書きの時は日本人の多くが謝っていたりネットやニュースで騒がれるくらい大事になっていたのに、なぜこんなにも違うのか不思議に思いました。公共心・公徳心をもっと養うことによって、社会のルールやマナーに反することを社会全体で防止していくことができると思いました。人と人とのつながりをもっと大事にしたり、見えないつながりを広げたりすることで、社会に対する公共心がもっと養われていくと思いました。他にも、周りに目を向けたり、第三者の目を自分の近くに持つことで公共心・公徳心もまた養われ、規律がある人や、落書きやポイ捨てなどをしないなどの社会のルールやマナーを守ること、地域や社会に貢献できる人が生まれてくると思います。まずは、自分の行動を1つずつ見直していき、自分自身を公共心や公徳心が養われている、よりよい人間にしていきたいと思いました。

 

        

 

11組 「公共心・公徳心を養うために」
 今回の道徳の授業を受けて、自分は社会の一員であるという自覚をしっかり持って、その場で正しい判断をして行動できるような人間になろうと思いました。これから、社会に出て働いたりするようになると、自分で判断して、行動していかなければならない時があります。そのようなときに、私は人として正しい判断をし、行動できるようになりたいと思っています。この学校にも校則など規則があります。それらの規則を、校則だから守る、というのではなく、守って当たり前のことだから守るというような意識を持っていこうと思います。そのように普段から、自分で正しい考えを持って行動することにより、規律のあるしっかりとした人間になれると思います。生きているうえで、全て正しい事だけをして生活するというのは難しいと思います。しかしどのような時でも、正しいことをするようにいつも心掛けておくことが大事だと思います。困っているような人を見かけたら、恥ずかしがったりせず堂々とすぐ助けてあげられるようになろうと思います。私は、困っている人を見かけてもなかなか自分から助けに行く勇気が無くて、そのままにしてしまうことがよくありました。少しの勇気を出せばいけたはずなのに、できないのが自分の欠点でもあると思いました。これからは自分に自信を持つことによって、積極的に人を助けたりすることもできるようになるし、充実した学校生活も送ることができると思います。勉強面などでもしっかりと頑張って、自分にしっかりとした自信をつけて行こうと思います。また、規律のある学校生活を送るために、どのような状況でも正しく判断できるような人間になろうと思います。また、挨拶なども堂々としようと思いました。
 





12組 「国際社会に生きる」
 まずはじめに、千葉先生が語って下さった江戸取の歴史が大変興味深く、とても面白く感じました。今回その歴史を知ることが出来て嬉しかったです。今、私は生活している学校は、私達の知らない時を刻み、たくさんの江戸取生を見守ってきたんだと思うと、なんだか心が温かくなりました。そしてテーマだった「国際社会に生きる」については、以前ロングホームルームで扱った時とは違った意見や考えが出てきました。例えば「不気味さや怖さは知らないから発生する」ということや、「日本(人)とは?」を考えること。後者について、私は「慈愛深い国(人)」という答えを出しました。外国の人々にも、慈愛を持って接すれば心は通じ、お互いをわかろうとすることでコミュニケーションをとることが出来ると考えるからです。自己中心的な考えを持つことは自分にも相手にも良いことはないと改めて感じました。
 また、今回のディスカッションはとても密な、内容の濃いディスカッションでした。国際社会でどのように生活していくかの他、その問題点、東京オリンピックにまで発展させてグループで話し合いました。その中でも一番深く考えたいのは「人種の壁、文化の違い」の問題をどのように解決していくかということです。その答えとして、私のグループでは「自分を基準にせず、周りを受け入れる順応性と柔軟性をもつ」ことを解決策の一つとしてあげました。+αとして、自分たちに出来ることも考えました。「文化の摩擦が起きないように」ということを一つのテーマに、二つ考えをあげ、各班の意見とも比較してみたところ、宗教面や言動の大切さ、日本人としてのイメージなど他にもたくさんできることがあるとわかりました。
 今の生活では、なかなか海外に目を向けたり、外国の人々と接する機会がありません。きっと大学に行ったら今以上に生活の幅が広がり、視野も広がるかもしれません。しかし、まずは来年の修学旅行、カナダで初めて本場の外国人に触れ、異文化に触れることで、新たな発見があることに期待しています。今回の道徳で思ったこと、考えたことを忘れずに充実した修学旅行にしたいです。

 

    

 

12組 「国際社会に生きる」
 近年、世の中全体のシステムの「国際化」「グローバル化」が進んできています。衣食住でも、職場や仕事でも、普段の町中でさえそうです。海外からたくさんの物を輸入し、その逆に日本からも海外に物資を輸出する事で日本の経済を支えてもらっています。仕事でも、海外に出張したり、外国人と一緒に働いたり、さらには同じ町に外国人が住むことだって珍しくないです。また、自分が逆に、外国に住む事になる可能性も零ではありません。しかし、そんな時でも海外にも日本人はいるし、日本人学校だってあります。もはや外国人と共に暮らすということは、何ら珍しいことではなくなっているのです。
 では、そんな時我々(日本人)はどういったことに気を付け、どの様に外国人に接していけばいいのでしょうか。まず、言語が違うので、それだけでコミュニケーションの手段はかなり限定されてしまいます。しかし、外国語の勉強をやっていれば、普通の会話でもコミュニケーションは可能になります。ちなみに、自分の近所に住んでいる外国人の方は、日本語をたくさん勉強して、すでに日本語での会話ができるようになってから日本に住み始めたらしく、さらに僕よりも日本で生活している時間が長いらしいので、その人とは日本人同然に会話しています。
 他に会話以外のコミュニケーションとしては、最近は看板や様々な物に英語や中国語等での文が記されていたり、文字を使わずに絵だけで示すものもあります。外国人とコミュニケーションを取るためにはもちろん一番は言葉を通じさせることですが、それが不可能でも、絵や身ぶり、その他様々なツールを使えば可能となります。それは、その相手の母国の文化や宗教、その人個人の個性にも気を配り、理解した上でこそ行うべきものだと思います。グローバル化があらゆる場面で進んでいる今、お互いに理解し合うことが最も大切だと思います。