平成28年度 高等部1学年 道徳感想文 第2回(6月14日実施) 

1組 「公共心・公徳心について」
 今回の道徳の授業を受けて、公共心、公徳心を守ることを努力していきたいと思いました。まず身近なところから始めていきたいです。例えば、ごみのポイ捨てなどをしないようにするのはもちろんですが、している人がいたら注意したいと思いました。それが公徳心というものだと思います。また、公共心については、電車の中で食べたり飲んだりする人に注意していきたいと思います。自分がしないというのは当たり前にするべきことなので、続けていきたいです。自分が過去にしてしまったことは、もう二度としないようしようと思いました。毎日の電車通学の時も、電車の中で立っているのがつらそうな人を見かけたら、声をかけていきたいです。
 江戸川学園取手高校は規律ある進学校としてとても有名です。なのに、近所の住民の方々からの苦情がやまないのは、一人ひとりの意識がまだしっかりしていないからだと思います。まだ公立の中学校のくせが抜け切れていない高入生や、江戸取に慣れてしまってつい気が緩んでしまう中入生も、もう一度改めて江戸取生としての自覚を再認識した方がいいと思います。人間はどうしても悪い所ばかり目についてしまうので、他人に席を譲ったり、ご老人の方を助けたりしている人もいるのに、少しはめをはずしすぎてしまったり、友人とふざけてしまったりしてしまうだけで、規律ある進学校の江戸取の評価が落ちてしまうのは悲しいことです。また、一部の人達のために、多くの人が「これだから江戸取生は…」と言われているのはつらいことなので、「さすが江戸取生!」と言われるように、地域の人に注意されないように、バレなければいいやではなくて、助けてあげられる人になりたいです。私の中学校でよく言われていた「助けられる人から、助ける人へ」全力で心がけて、江戸取生はさすがだと言われるようになりたいです。

 

       

 




2組 「ルールについて考える」
 私は、今回の道徳の授業を受けるまで、ルールというものは基本的に何かを禁止して秩序を保とうとするものだという認識でした。しかし、今回の授業で先生のお話を聴き、よく考え直してみたところ、ルールに対する印象が変わりました。具体的には、「ルールを守ることで自己の人間的成長につながる」という点です。色々な団体で決められているたくさんのルールは、行事や日常生活を送るために必要不可欠だと思います。ルールが存在しなければ行動に統一性がとれなくなるし、人間的な生活の基準となっているものだと思うので、それを守ることによって人間的道徳も守られているという点でとても大切なものであると感じました。
 また、ルールや決まりを自分達でつくってそれを実行できるのは人間だけで他の生き物にはできないと思うので、人として決められたルールを守るということは重要だと思いました。もしルールが無ければ、色々なところで弊害が起きると思います。例えば、法律で決められていることで「未成年の飲酒・喫煙は禁止」というものがありますが、このルールを守らなければ人としての成長を妨げる可能性があります。また、私が住んでいるマンションのルールで、「年に一回のマンション全体の話し合いに参加しなければならない」というものがあります。これを守ることで、色々な決め事を決めたり、問題を解決したりできるので、住民は快適に暮らすことができていると思います。これらのルールがあることにより、私たちは公平に秩序ある行動を取り、安全に生きることができるのだと感じています。また、常識や相手との関係を考慮して人間としての道徳を守って生きていこうとすれば、自然とルールを守ることにつながると思います。だから、私はこれからの学校生活で校則を守ることはもちろん、細かいことにも妥協せずに規律を大切にしていこうと思います。そして、ルールを守ることによって周りの人達とよい関係を築き、成長していきたいです。

 

   

 

 





10組 「公共心・公徳心について」
 私は、今回の道徳で、公共心・公徳心といった、社会の中で使われる精神について話し合いました。その関連として電車内でのルールが例として挙げられます。電車は通勤・通学で多くの人が利用する交通機関です。その中には、お年寄りや体の不自由な方、妊娠している方などがいます。その人には席を譲るといった精神が大事だと思います。また、大きな声で話をしないといった事も大事です。電車内以外でも、バス内、図書館、お店の中といった公共の場では、同じようなルールがあります。これを守ることで過ごしやすい環境になることに繋がっていくと思います。また、海外の方たちにも、これを守ることで日本人に対して良い印象を持ってもらえると思いました。
 授業で取り上げられた「ポイ捨て」や「落書き」についての話し合いでは、私たちの班は「ポイ捨て」について意見を出し合いました。私たちの班では監視カメラをつけるといった案しか出ませんでしたが、他の班から出た意見で良いと思ったのは「吸い殻を投票箱に見立てた吸い殻入れに入れることにより、サッカー選手の人気投票ができる」というものです。実際に外国でもやっており、ポイ捨てが減少していったという結果もあります。私はこれを日本でも導入したらよいと思いました。これによってポイ捨てが減少し、きれいになっていくと思います。「落書き」では多額の罰金を払わせるといったことが挙げられました。しかし、人は刑罰を重くしても、やめることを継続することが難しい人もいます。落書き対策もポイ捨てと同じように何か楽しめるものがあれば徐々にやめていけるのではないかと思いました。このように、公共の場ではひとりひとりがきれいに利用することが大切です。また、電車内といった、多くの人が集まる場所では、自分で考えて行動し、その場に応じた対応をすることが大切です。今回学習したことを、これから通学などで日々実行していきたいです。そして、多くの人が過ごしやすく生活できるような場にできたらよいと思います

     

 

10組 「公共心・公徳心について」
 今日の講話を聞いて、多くのことを学びました。まず最初に公共心についてです。それは、説明にもあったように自分や身内などの利害関係のある人のみでなく、社会一般の利益を計ろうとする精神のことで、例えば、ボランティアやリサイクル、募金などがそれに当たります。これらのことは、直接的ではなく間接的に社会一般の利益にもなることを改めて実感したので、これからはこのようなことを率先してやりたいと思います。
 次に公徳心についてです。公徳心とは、自分が社会の一員であることの自覚に基づいて、社会生活の中で私たちが守るべき道のことです。つまり、僕が考えるに、法律を守る、人としてのマナーを守ることだと考えました。また、自分で考えて行動するというのも大事だと思いました。公共心や公徳心に反することについてディスカッションをして、班のたちの意見を共有したことでいろいろな考えが生まれました。公共心や公徳心に反することにはみんな批判的な考えを持っていました。僕も批判的な目で見ていました。それらに反することはやってはいけないのだと改めて実感しました。このことから、今自分にできることは何かについて考えました。それは江戸取生としての学校生活のルールを守るということです。例えば、挨拶、身だしなみ、校門一礼などたくさんあると思いますが、それらをしっかりと行えば、どんな規則でも守れると考えました。ルールを守れて損はないので「いいな」と思いました。また、これからは自分の意志で判断して何事にも挑戦することが大事だと思いました。今年は生徒会の役員もやってみようかと考えているところですが、高入生の当選は難しいと聞いたのでどうしようか悩んでいます。生徒会の役員にならなくても、人のために尽くせるような人になりたいです。また、人に信頼されるような人にもなりたいと思います。


 





11組 「ルールについて考える」
 私は今回の授業を通して、ルールへの考え方、とらえ方が変わり、守ろうとする意識が高まりました。授業の前半で「スポーツのルール」というお話がありましたが、私は以前、スポーツのルールについて考えたことがあります。中学生のときの体育の授業では、新しい種目になる最初の授業は必ずオリエンテーションでした。オリエンテーションでやることは教科書を読み、先生のお話を聞くことでしたが、その内容はどちらとも「ルール」についてでした。私はオリエンテーションのたびに「ルールの説明なんて少しでいい。」とか「もっと自由にやりたい。」などと考えていました。今、思えば、その時に「ルールのない世界」を考えたことはありませんでした。今回の授業の中で私は「ルールのない世界」を考えました。しかし、その結果、ルールのない世界の悲惨な様子しか思い浮かびませんでした。頭の片隅で考えていた「自由な世界」とはかけ離れていて、各地で争い事が起き、その善悪を判断する基準さえない、混乱した世界があるだけでした。ルールの大切さはその想像一つとっても分かることでした。もう一つ体育の時間に考えていたことがあります。野球やサッカーなど、テレビでよく中継されている競技は、だいたいのルールなら知っているということがあり、「少し知っているから、説明はいらないのではないか。」と思ったことがあります。しかし、実際は実践できるかということが大切なのだと気づきました。ルールを知ることはもちろん大事で、知らない限りは何もこなせませんが、「わかっている」ことと「できる」ことでは大きな違いがあり、「できる」ことこそにルールの意味があると知りました
 ルールを守ることは同時に窮屈に感じることもあります。しかし、ルールや秩序のない世界を考えると、よほど、そちらの方が窮屈になると私は思います。「ルールは縛るもの。」などとは考えず、「道をはずれないように自分を固定するもの」だと考えられるようになりました。
 これまでの私にとって、ルールとは、自分にとって大切なものという意識が強かったです。そのため、先生のおっしゃっていた「ルールを守ることは相手を尊重することにもつながる」という言葉はとても印象的でした。ルールは決して自分だけのために守るのではなく、周りにいる多くの人達のためにも守らなければならないのだと学ぶことができました。今後、私は数多く存在するルールの意味を理解した上で、自分ができるより良い行動を心がけ、人間的に成長できるようにしていきたいと思います。

 

   

 

11組 「ルールについて考える」
 ルールというものについてあまり深く考えたことがほとんどなく、守らなければ自分が罰せられるという理由のもとルールを守ることを心がけていましたが、なぜ、ルールがあるのか、なぜ、ルールを守らなければならないのかということを考えてみると、色々なことが見えてきました。
 まず、身近にあるルールとしてスポーツのルールが挙げられますが、ルールがないと競技として成立しないため、私達は楽しむ際、無意識にルールを気にしていると思います。しかし、それだけではなく、見ている人のためにもルールがあるという事を今回の講話で気づかされました。僕はスポーツを見るのも好きですが、見ていて楽しめる背景には選手達がルールの下、競技を行って安心して見ていられる事があるのだと思います。安心、安全という点では、交通ルールなどがありますが自分の身を守るために無意識のうちに守っていると思います。このように、ルールは常に身近にありますが、よく注意して見ていないと気づけないものだと思います。また、江戸取にもたくさんのルールがあってそれを守らなければ生徒指導など罰せられてしまいますが江戸取のルールには江戸取特有のルールとして生徒手帳などに書かれているものと一般的な常識として守らなければならないものがあります。江戸取のルールは他校と比べてみても厳しいと思いますが、その分揉め事やトラブルも減ると思います。ルールは守ることでその人を守ってくれるものでもあるのだと思います。また、ルールと法律の差や違いを考えてみたときに法律は国で決められたルールであり、普通のルールを破ったときよりも厳重に処罰が下される重い物というイメージがあります。法律が何かの物事に対して善悪を判断するにはとても効果的で大切だと思います。何かの物事を善ととらえるか悪ととらえるかは人によって変わってくると思うので、国民共通の善悪の基準として法律はとても重要であると思います。法律だけでなく、国と国を結ぶ条約なども国同士の中立を保つのにとても大切だと思います。互いの国の合意の下結ばれ決められた事を守らなければ国同士で対立が始まり、やがては戦争になってしまう可能性もあります。戦争が起きてしまえば多くの人々が犠牲になってしまいます。このようにルールは私達の身近にあるもので常に私達を守ってくれているという事に気付き、守らなければ誰かや何かが傷ついてしまうということを心がけながらルールを守れるように行動したいと思います。また、ルールの大切さが理解できればルールを守ることは苦にならないと思います。
 





12組 「友人の多様性を受容する」
 僕は今回の道徳でやった「ジョハリの窓」が印象に残っています。武居先生がおっしゃっていた自分の思っている自分と、他人の思っている自分が全然違っているということが分かりました。具体例を挙げると、学校では落ち着いて常識や行動力のあるように振る舞っていたつもりでした。ですが、それぞれ四人のうちの一票や二票しかありませんでした。他にも、自分ではそうは思っていませんでしたが、他人から見るとそう見えるというものも分かりました。まじめそうや、細かそうがそれぞれ三票ずつ入っていたので、それに当たると思います。自分としては細かいというのはたまに感じるところはありましたが、自分のことを真面目だと思ったことは無かったので、少し意外で驚きました。
 他人から自分がどう見えているのかを知ることで自分の性格を知ることもできるし、客観的に見た時のイメージも知ることができて面白かったです。班の中でほとんど交流の無い人もいたので、より新鮮な意見を聞くこともできました。
 今回の「ジョハリの窓」では、十七つの要素はすべて良いことしかありませんでした。選択肢の要素を悪いことや、改善すべきところに変えてやってみれば自分の短所を知ることができ、面白いと思いました。
 自分は「先入観」を持たないようにしています。ちょっとした仕草や態度でその人の印象を決めてしまうことは、良い印象なら良いけれど、悪い印象だった場合もったいないと思います。せっかくその人と関わる機会があるのだから、ちゃんと相手のことを知らないともったいないです。ほとんど話したこともないような人が悪口を言っているのもおかしいと思います。その人のことを話すならちゃんと知らないと話す資格すらないと考えました。

 

           

 

12組 「友人の多様性を受容する」
  私は今回の道徳の授業を受けて、友人の多様性を受け入れることについて考えることができました。人はさまざまな性格で、それぞれ良い所や悪い所があるので、そこを受け入れて行くことができたら、今回の道徳のテーマである「友人の多様性を受け入れる」ことができるのかなと思いました。
 江戸川学園取手高等学校に入学し、さまざまな人々と出会いました。入学当時は、皆本当の自分を出していなかったので、その印象だけで、この人はこういう人なんだと決めつけてしまいました。しかし、だんだんと日にちが経つにつれ、皆が自分を出すようになり、入学式の日と、今の印象が全然違う人もいるようになりました。私も、多くの人に最初の時と全然印象が違ったと言われることが沢山あります。しかし、まだまだ本当の性格が分からない人がクラスに沢山いるので少しずつ分かって行きたいと思います。今回の道徳の授業でもあったように、まずは自分の弱点を知り受け入れて行きたいと思います。そして、周りの人々から信頼してもらえるような自分なりたいです。私は、自分の本当の性格をありのままに出したら、嫌がられると小さい頃は思っていました。しかし、本当の自分を出してみると、一緒に話したりしていて、本当の自分を出していない頃と比べ、気が楽になって行きました。本当の自分を出した時に相手が受け入れてくれたことが、嬉しかったです。また、真の友人関係を築くことにも一歩近づくことだと思いました。これからの日常生活では、相手を自分の思う印象や価値観で決めず、先入観を無くして行きたいです。また、自分の弱点を受け入れ、相手に本当の自分を出して行きたいです。そうすることで、自分も相手を受け入れ、相手も自分を受け入れてくれると思うからです。それが江戸川学園取手高等学校の目標でもある「真の友人関係を築く」にもつながってくると思います。