タイトル

 

1組 「自由と責任」
 今回副校長先生の「自由と責任」のお話をお聴きして思ったことは、今僕は自由だということです。お話しをお聴きする前までは、自由ではないと感じていました。学校の勉強や紫峰舘の授業があり、全く暇がなく自分の趣味をする時間がなかったからです。しかし世界に目を向けてみると、奴隷のいる国があったり、表現の自由が認められていない国もあるのです。それを考えると僕は将来医者になるために、自分で選択してこの江戸取の医科コースに入り、勉強をしっかりとすることができるという恵まれた環境にいるのに、自由ではないと言っていることに恥ずかしさを感じました。
 また、自分の気持ちが大事であるということもお話の中にありました。今まではただ出された宿題をやったり、テストの前に慌てて勉強するという感じでした。つまり強制的にやらされて学習しているという気持ちがありました。この考え方を根本から改め、自分の進路実現の1つの段階だと考えるようにしてみました。すると意思の弱かった僕が、自分から積極的に学習するようになり、宿題以外のこともしっかりとできるようになりました。先生のお話しが本当のことであると証明ができ、自由の意味が分かった気がしました。
 責任について、班で話し合いました。責任というものは人間が行う当然のことだと思います。責任をしっかりと果たすことが社会の中で一人前だと認められる第一歩だと思います。
 そのような責任感をしっかりと持った生活を送っていきたいと思います。

 

1kumi1.jpg(64887 byte)        1kumi2.jpg(59426 byte)

 




2組 「友人の多様性を受容する」
 私は「友人の多様性を受容する」前に「友人の多様性を理解する」ということが必要だと思いました。 なぜなら、今まで「自分と性格が似ている人」や「話が合う人」と多く関わってきたからです。 まずはできるだけ多くの友人と呼べる人を作り多様性をきちんと把握することから始めようと思いました。 また、自分の性格もしっかり相手に伝えていくようにしたいと思います。 先生がおっしゃっていたように、ありのままの自分を受け入れようと思っているので、性格が似すぎているといわれる父を参考に、自分の性格を把握するようにしたいです。
 授業で行ったジョハリの窓にはとても驚きました。 やはり「自己分析した自分」と「相手が思う私」が同じイメージだと嬉しいなと思いました。 まだ入学してからあまり時間がたってはいませんが、短期間で理解してもらえることはなかなかないので、お返しできるようにしたいと思います。 Bの窓が思ったより多く、うれしい半面、自分で自分のことを分かっていないのではないかと、とても不安になりました。 またこれが○+のイメージだったから良かったものの○−のイメージだったら本当に心が折れていただろうなと思いました。 私は「自分のことは自分が一番理解している」という人間になりたいと思っているので、先生がおっしゃっていたように短所も自分自身で知り改善していけるようにしたいです。
 「友人の多様性を受容する」ということは、とても難しいことだということに気が付きました。 受容していると思っていても、相手から逃げ、それを勘違いしていることがあると思います。 私は受容するということができなかったせいか、中学時代には友人がほとんどいませんでした。 私は仲良くなると自己主張してしまうタイプなので「自分の意見を押し付ける」ということがとても多いと思います。 そんな子だと思っていなかったといわれることもとても多いです。 いずれも、自分自身がいけないとはわかっていますが、なかなか上手く接することができません。 自分を否定されたくないと思ってしまうからです。 まずは、自分の性格を見直すことから始めたいと思っています。 高校では失敗しないと決めていたので、今回のテーマであった「友人の多様性を受容する」ようにしていきたいと思います。 ジョハリの窓にある「C」の項目はまだまだ自分も相手も認めるイメージになる可能性があると思うので、これから磨きをかけていきたいです。

 

2kumi1.jpg(64887 byte)        2kumi2.jpg(59426 byte)

 

 





10組 「自由と責任」
 先生の講話を聞くまで私は「自由とは何か」について、好きなときに好きなことができる無制限なものだと思っていました。 しかし、先生の講話を聞き、「自由」とは必ずしも無制限なものではなく、自らの良心に問い、相手の自由も認めることができる思いやりが大切なものなのだと分かりました。 また、お化粧の話や部活の話を聞き、自分の好きなことをして、自分の自由がありそうな人が実は心は反対のことを考えていて、部活できつい練習をして自由がなさそうな人は実は自分にとっては自由だと思っていて、このように、自由かどうかは見た目だけでは判断することは難しいのだと思いました。 私は今回の先生の講話を聞き、自由とは「良心に問う」ということを学び、「自由」というのは人それぞれ感覚が違うことなので、今回学んだことをしっかりと心に留めて「自由」と向き合っていきたいと思います。
 次に責任についてです。今回いろいろな責任、社会に対する責任についてどのようなものか話し合い、考えを深めることができました。 今まで、責任について余り深く考えたことはなかったので、明確に学ぶことができて、これからも責任を果たせるように頑張っていきたいです。
 先生の講話を聞き、「自由と責任」について考えを深めて学ぶことができました。私は「自由と責任」についてよく心に留めて考えてこれからも行動していきたいと思います。「自由」というのは自らに由来という意味であるように、自分の心に正直に本当の自由を見つけていきたいと思います。今回の「自由と責任」についての講話でたくさんのことを知り、たくさんのことを学ぶことができたので、それらをこれから生かしていきたいです。

 

10kumi1.jpg(64887 byte)        10kumi2.jpg(59426 byte)

 

 

10組 「自由と責任」
 私達の最初の考え方である自由とは、好きなことを好きなだけでき、強制されず束縛されないことだと思います。 しかし、自由とは無制限に何でもしてよい訳ではないと教えていただきました。 それが自由であるならば、人を殺してもよい、盗んでもよいということがまかり通ってしまうことでもあるからです。 ここでまた自由とは相手を認めることから始まると知りました。 思いやり、尊重することで、伸び伸びとと自由を楽しめることもできるのです。 しかし、見た目だけでは相手が自由かどうかは判断できないということも重要です。 例にもあった通り、自由を楽しんでいるように見えて実はそうではなかったり、束縛されているように見えて実は自由を楽しんでいたり、つまり、自由とは心の在りよう、心の持ち方によっていかようにも変化していくのです。 さらに、それは他に求めたりせず、他から与えられるものでもない、自分の内に求め、確立していくことでもあると思います。 そこには、良心がいつもあり、良心なくして自由なしと言えてしまうほど大事なことだと考えます。 また責任はいつも自由の裏に隠れています。自分自身に対して責任を負うのは、自分の自由を許容する上で大切なことです。 初志貫徹し、自分を限らず、妥協せずに頑張ることが重要です。 他者に対して責任を負うのは当たり前です。 先程も述べた通り、自由は相手を認めることからも始まるので、相手との約束を守り、思いやりと感謝をもって接するのです。 社会に対しても同様です。集団の和を乱さず、ルールを守り、自分に与えられた役割をこなしていくこと、そうすることで初めて、個人の自由とは、周りからも許されていくのでしょう。 最初からやろうとするのは難しいことです。しかし、身近にいる人達に対し、感謝して生きて、自由と責任を同時にこなしていきたいです。



 





11組 「友人の多様性を受容する」
 私は、今日武居先生のお話を聴いて、一つ自分について気付いたことがありました。 それは「私は先入観が強かった」ということです。 武居先生は、今日の授業の中で自分の昔について思い出してほしいとおっしゃいました。 そこで、自分で思い出してみたところ、いくつか思い当たる節がありました。 そのうちの一つとして「食わず嫌い」があります。 私は小さいころから好き嫌いが多く、親を困らせていました。 それは今でも治っておらず、むしろ嫌いなものは増えています。 しかし考えてみれば「食わず嫌い」こそが先入観の塊ではないでしょうか。 そう思いながら今日のお弁当を開いてみたら、キノコという私の一番嫌な物が入っていました。 しかしこれは試してみるチャンスではないかと思い、食べてみました。 そうしたら、なんと食べられたのです。 大嫌いだったキノコが食べられるようになりました。 それは、私が一回「まずそう」という先入観を捨て、まっさらな状態にして食べたからです。
 これは人間関係にも言えることだと思います。 最初から「この人はこういう人だから」と決めつけた状態で相手を知ろうとするのではなく、付き合ってみて、話してみて、初めて相手を知る。 先生がおっしゃったように、相手を尊重し、受け入れることができるなら、それが一番良い人間関係を作ることができるポイントだと思います。 確かに、誰だって人と違うところはあるし、変わっている人もいます。 しかし、そこを短所ではなく長所としてみることができたなら、相手を受容することは簡単になります。 先生のおっしゃった「相手を尊重し、受容する」ということは、「相手の長所と付き合っていく」ことだと、今日の授業を受けて考えました。
 また、授業中に行った「ジョハリの窓」を通しては、自分の知らなかった自分を知ることができました。 例えば「意志が強そう」、これは自分でも絶対に無いなと思います。 私はすぐに自信を無くしてしまうので、志が長くは続きません。 しかし、周りからそうみられているということは、それなりの理由があるはずです。 ですから、なぜそう思われるのか、どうして意志を強く持てないのか、ということを考え、自己分析していかなければいけません。 今日の授業を通して、「友達の多様性を受容する」とは、人の長所を見つけ、そこを尊重し、見習う事であり、また自分自身の事もしっかりと見つめ、受け容れることができて初めてできることであることがわかりました。 私も、他人の事をしっかりと見つめ、受容できるようにしたいです。

 

11kumi1.jpg(64887 byte)        11kumi2.jpg(59426 byte)

 

11組 「友人の多様性を受容する」
 僕は、今回の道徳で前よりも自分を知ることができました。また、他の友達のことを少し深く考えることができました。僕は自分のことを考えてみたり、思ったりする機会はありませんでした。今回の道徳では、自分は友達からこんな風に思われているのかと感じました。 自分では考えていなかったが友人から「落ち着きがありそう」と思われていたことは驚きでした。これからは自分で気付かなかった性格に気付けるよう、自分を見つめていきたいと思います。また、江戸取に来てから友人の事を深く考えたのは今回の道徳が初めてでした。江戸取に入学して良い友達を作り、良い時間を作っていくことを目標にしていました。ところが自分は友達の事を深く考えていなかったことに気付きました。これからの高校生活を充実させるために、これからは友達の事を深く思い、一生の友達にしていきたいと思いました。
 また、今回の道徳の題名である「友達の多様性を受容する」ためには、しっかりと、他人の性格などを受け止めて大切にし、自分の長所はより伸ばせるように、短所は改善していくことが必要だと思います。
 人はそれぞれ個性というものを持っています。しかしそれを受け止めないということは、その人の個性を否定していることと同じだと思います。 また、それが発展していっていじめなどにつながっていくのだと思います。それらを止めるためには、それぞれ持っている個性をしっかりと受け止め、大切にしていく必要があると思います。また、相手を尊重し、色々な事について受け止め、向き合うことも必要だと思います。そうすれば、必ず良い友達を作ることが可能なはずです。そして、自分の短所をもっと知り、改善して、長所を作っていけば、自然と人に慕われ、信頼されていくと思います。今回の道徳で学んだことを、これからの友達との付き合い方に活かしていき、充実した高校生活を送っていきたいと思います。

 





12組 「ルールについて考える」
 私は、今回初めてだった道徳の授業で、「ルールについて考える」ということを学びました。 「ルールとは何か」を自分一人で考えてみた時、最初の方は「守らなければならない、そういうものだから」「当たり前のこと、常識のことだから」としか思いつきませんでした。 また、小学校や中学校の時の道徳の授業では、あまり考えなくても良かったので、何も新しく学ぶことが無く、何となく終わった感じでしたが、今回、この学校での道徳の授業を受けてみると、頭を使うことがとても多く、様々なことを学び、江戸取での道徳の授業の大切さがよくわかりました。
 例えば、スポーツをする上でルールがあるのはなぜかという疑問に対して、「公平な条件で競技ができる」「相手に危害を加えない」「観客が安心して観戦できる」とありましたが、これらのことから、ルールは自分のためにはもちろん、相手やその周りの人たちのためを思うことも必要だということが学べます。 ルールとは、皆が快適に過ごすためにあるものなのです。 これまで考えたことが無かった私がルールについて深く知ることができたことを嬉しく思います。
 また、その後の班内討議ではそれぞれの班でルールの意義と効用・モラルとマナーとは何かを考え、発表し、自分には無かった考え方を班内、そして他の班で知ることができとても面白かったです。 こうして自分と一緒に学べる人がいてくれることに私は感謝したいです。 そして、木村先生がお話ししてくださった江戸取のルール、「実践五項目」を常に意識し、守っていきたいと思います。
 江戸取に入学した当初は、正直「この学校は校則が厳しく、とても多い」と思ってしまっていました。 しかし、「今、どんなに小さいルールでも守れない人は、自分が社会に出るようになってから困る」ということ、そして今日学んだ「他者を尊重し、自己の人間的成長につなげる」ということを忘れずに、これからは生活したいです。

 

12kumi1.jpg(64887 byte)        12kumi2.jpg(59426 byte)

 

12組 「ルールについて考える」
 今回の道徳で僕は、普段意識せずに用いている「ルール」について考え、それがどれだけ大切なものなのかを知ることができました。 今日までにも沢山のルールが作られていて、その多さには僕も驚いていましたが、根本的に「なぜルールが必要なのか」と考えたことはありませんでした。 しかし、今回の授業を機にルールの無い世界を想像してみると、皆が己の欲のためだけに生きる、とてもおぞましい世界が心に浮かび、その必要性をひしと感じられました。 ルールの無い世界では物事の正か悪かを判断することも難しいため、僕たちが住んでいる世界はルールありきのものだとも思いました。
 では、必要最低限の決まり事である法律の他に、なぜ校則等のルールを増やさなければならないのか、と僕は疑問に思いました。 そしてその答えは、他班の発表から解消することができました。 それは、ルールとは「相互の信頼」を得るため、というものでした。 ただ単純に人を殺さず、麻薬を持たずといった類のルールでは、相互の信頼につなげることはできません。 法律により得られるのは「身の安全」のみであり、それが自分の安心につながることは無く、支え合い、協力することの重要な社会において、法律ではない「ルール」は必要不可欠なものであると言えます。 そう考えると、ルールとは、法律と等しく大切で、失うことのできないものと考えられ、絶対に守らねばならないと心の底から思うことができます。
 たまに、電車内での携帯の使用や、空き缶、たばこをポイ捨てする人を見かけます。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とは正にこのことで、一瞬自分もやりそうになります。 ですが、どんなに面白そうでも、それは他人にとっての「安心」を壊すものかもしれません。ルールを守り、人間的に成長したいと思います。