平成28年度

中等部1学年 第11回 道徳感想文

1月16日実施

 

 
 【1組】 福祉社会

  今日の道徳で僕は福祉社会にについて学びました。山田先生に最初、日本は福祉社会かどうかと聞かれました。僕は福祉社会であるという方に手をあげました。その理由は年金制度やバリアフリーなどが頭に浮かんだからです。しかし、そうでない人たちの意見を聞いて意見が変わりまた。否定側は優先席であっても御構い無しに座ってしまう人や、優先席がなければゆずれないという人がいるから福祉社会ではないという意見がありました。それを聞いてなるほどと思いました。
 今まで、僕はいくつかのボランティア活動に参加したことがあります。地域を綺麗にしようということでゴミ拾いをした時、周りが綺麗になってとても気分が良くなりました。また、小学生の頃に奉仕作業で学校の校庭で草むしりをしたこともあります。その日、子供からお年寄りまで様々な人達が来ていました。今思うと地域から愛されていた学校だったのかなと思いました。僕の友達もたくさん来ていたので、その友達たちと一緒に草むしりをしたり、みんなが抜いた草を回収したりしていました。その時、ある人から「奉仕作業に参加していて偉いね」と言われました。その後も先生や友達の親などから褒められたことを覚えています。褒められた時は嬉しかったです。それからも何回か学校の奉仕作業に参加しました。

 誰かのために何かするというのはとても良いことだと思いました。これからも自分にもできることをしようと思います。また、ボランティア活動に参加していなくても、荷物が重そうな人や体に不自由なところがある人を見かけたら積極的に声をかけてその人のために役に立とうと思います。

 

 【2組】 礼儀について
 
 私は今まで「礼儀は大事。」「勉強ができることよりも礼儀正しい事の方が社会に出て役に立つ。」と言われて育ちました。また、新体操のクラブチームに所属したこともあり、先輩への礼儀、協力してくださっている周りの皆様への感謝の気持ちを持つなど、たくさんの礼儀を両親から教わってきました。しかし、それはどれも習慣化してしまっているだけで深く意味を考えたことはありませんでした。だから、今回千葉先生の講話をお聴きして、改めて礼儀は大切であると感じました。
 第一に礼儀は相手への配慮を表すからです。食事をする前に「いただきます。」や後に「ごちそう様でした。」というのは、自分のために犠牲になった動物への感謝や農作物を作っていただいた方々への感謝を表します。このような文化は日本にしかありません。相手へ配慮するということは、相手のことを考えるということにつながるので、コミュニケーションを円滑に進める上でも役に立つと思います。第二に、このような素晴らしさを持つ礼儀は次世代に繋げるべきだと思ったからです。
 これからグローバル化が進むにつれて、世界の文化が流入し、日本の文化が薄れてしまうかもしれません。しかし、そんな時でこそ、他国の人々とコミュニケーションをとる機会が増える時こそ、それを滞りなく進める為に礼儀を正し、相手への配慮を忘れずに接していくべきだと思います。それを次世代に伝えていくためには、まず、私たちが実行していく必要があります。
 これからも校門の一礼や授業の号令、挨拶などを怠らずに実行し、習慣的にやるのではなく、常に感謝の気持ちを持って礼儀を正していきたいと思います。そして、周りへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。


 【3組】 いじめの無い社会

 私は、木村先生の道徳の授業「いじめの無い社会」を聞いて、ふと昔の記憶が蘇ってきました。それは小学校1年生から3年生の頃に通っていた学童クラブのことです。学童クラブは、小学校の授業が終わった後におこなわれる小学校の延長戦のようなもので、自分の小学校の人だけでなく、他の小学校からも人が来ていました。そこでは、私は同じ小学校の男友達5、6人ぐらいで遊んでいました。私たちはやんちゃなところがあり、学童クラブで、私たち男グループは毎日のように、じゃれ合っていました。しかし、そのうちに、それがエスカレートし、じゃれ合いなのか、喧嘩なのか分からないほどのものが日常茶飯事になり、週に1回は泣く人が出るほどになってしまいました。やがて、私たち男子グループの内では、喧嘩が強い人のランキングができるようになりました。しかし、これがいけなかったのです。ランキングが出来た結果、ランキング1位の人がみんなのボス的な存在になりました。そして、ランキングの上位陣が下位陣に対して、ちょっかいというか下手をしたらいじめになるようなことをするようになりました。私たち男子グループは、毎回1人だけを仲間外れにしていました。その標的は下位陣のローテーションでした。しかし、仲間外れにされた人も自分の仲間外れがおさまると、またそのグループに戻るのです。これは、そのグループ以外、自分の居場所がないと思っているからだと思います。ちなみに、私は仲間外れにされた時、違う学校の人と遊んでいました。それはとても快適でした。しかし、なぜかわかりませんが、やっぱり元のグループに戻りたいのです。私も1人をその後に仲間外れにしたことがありますが、案外、自分が経験していても、仲間外れにすることには抵抗がありませんでした。経験しているからこそ、抵抗がないのだと思います。
 今となってその時を振り返ってみると、その頃の自分は感情はあっても慈悲が全くなかったのだなと思います。しかし、今となってはそのグループの友達たちは暴力など一切せず、他の学校の生徒会役員を務め、人のことを思いやって行動するような人に成長したようです。江戸取が目指す心豊かなリーダーは、人の多様性を理解できるような心の持ち主であり、いじめで人の心を傷つけるようなことは絶対にしないと思いました。


 【4組】 礼儀について

 私は、「礼儀について」というテーマで中山先生のお話をお聴きして、礼儀というものは形だけではなく、気持ちを込めて行うもので素晴らしくなるのだと思いました。私は「礼儀」というのは、他人に迷惑をかけないようにし、良い人間関係を築くために必要なことだと考えます。礼儀をわきまえて他人に接することが出来なければ、相手を傷つけてしまい、不快な思いをさせてしまうことがあるかもしれません。また、相手を尊重し、思いやりの心を持って接することで人に好感を与えることができ、信頼関係を築けると思います。
 中でも、私は挨拶がとても大切な「礼儀」の一つだと思います。挨拶はしてもされてもみんなが明るく良い気分になるからです。中山先生が「言葉はその人の人間性を表す」とおっしゃっていたのをお聞きしたので、私も人によく挨拶をしていきたいです。授業前に配られたプリントでの質問で、校門一礼をしっかりとほぼ全員が行っているのだと知り、とても驚きました。私も校門一礼は習慣として毎日行うことが出来ていましたが、一回一回をきちんと考えることはしていませんでした。私の考えとして、校門一礼をすることで「今日もこの学校で一日頑張ろう」と気合いを入れることができると思うので、一回一回の校門一礼を気持ちを込めてしようと思います。
 昔の日本は「江戸しぐさ」というものがあるほどに謙虚さや礼儀が素晴らしかったのだと思います。今の日本は昔よりもそういったことが出来ない人が多くなったと聞いたので、私は一人一人が他人の気持ちを考え、尊重して生活することで周りも意識するようになるというような良いサイクルが出来上がると良いと考えます。だから、私も日常生活における些細な気遣いも出来るような人になりたいです。言葉遣いなどを学んで身に付け、礼儀正しい振る舞いが出来るようにしておこうと思います。

 

 【5組】 いじめの無い社会

 私は、小学五・六年生の時、地域の小・中学生が集まり、「いじめ」についてプレゼンし、話し合う、という行事に参加しました。その時、いじめは「被害者」「加害者」「観衆」「傍観者」で成り立っていることを知りました。加害者は、昔いじめに遭っていた人、というケースがある、という事も知りました。また、傍観者は、加害者に注意をすると、次は自分がいじめられるのではないか、という恐怖で注意をしないそうです。
 私が小学生の時は暴力などのいじめはありませんでしたが、ひやかしたりあげ足をとったりすることはよくありました。今回の「ケーススタディ(男子編)」のように、私もクラスの男子にいじられることは日常茶飯事でした。始めのうちは誰にも相談せずに心の中にしまっておいていました。しかし、長い間我慢できるわけでもなく、何回か先生に相談し注意してもらった事もありますが、それでもやめてもらえませんでした。自分でやめてと言ってはいますが、彼らには言っても無駄だと思いました。また、自分は何か言われても笑って過ごしていることが多く、顔がこわばっていないため、彼らに気持ちが伝わっていないことが分かりました。そのうち、自分はクラスのいじられキャラなのだと思うようになり、真剣な表情でやめてほしい、と言ってはいけないような気がしてきました。彼らとはよく話し、頼み頼まれあうような仲で、親しい仲でした。今では中学校も異なり、会う機会も減り、気持ちが少し楽になったような気がします。
 
最後に、もしいじめをしている人を見たら、周りの子が通り過ぎたとしても、私は自分一人でも注意して、いじめの無い社会を作っていきたいと思います。


 【6組】 文化の多様性
 
 
今回のテーマは文化の多様性についてでした。私は見た目だけで判断してしまうことが多く、友達を作るのは穏やかそうな、そしてフレンドリーな人しか仲良くなれませんでした。ですが、今回の道徳の授業を通して、見た目だけで判断するのをやめようと思いました。なぜなら小学生の時も、中学生の時も、友達作りで軽くトラブルになってしまったことがあるからです。見た目が凄く大人しそうな子に話しかけてみたら、とても気が合ったということがありました。私はそれを、本人に「見た目が大人しそうだったから話しかけづらかった」ということを言ってしまったのです。そしたらその友達が「見た目だけで決めつけないで」と言い合いになってしまいました。私はその時見た目で判断するのをやめよう思いましたが、なかなか実践できませんでした。今日、道徳の授業を聞いてまた改めて見た目で判断するのをやめようと思いました。
 また、異文化を尊重し合うことも大切だと思いました。私は偏見だけで「右手は食事に、左手はトイレなどに利用している」国があると聞いた時、初めは汚い国だな、貧しい国なのかなと思いました。ですが、それはその国の常識であり、日常であるということを知り、初めの私の考えはただの偏見だったと分かりました。逆にトイレットペーパーを使っている国は、確かに清潔だと思いますが、木を伐採することで資源の無駄遣いにもなると思いました。また友達とのトラブルの経験があったので、自分のことを主張すること、また相手の意見の主張も聞くことも大切だと思いました。

 残りの学園生活も、相手の意見を尊重していきたいです。そして日本特有の文化を大切にし、また別の国の文化も大切にすべきだと思いました。



 【7組】 家族について考える

 
今回の道徳の授業では様々なエピソードがありました、東日本大震災のレスキューに親が行くことになった話や、急に親の体調が悪くなってしまったときの話などでしたが、全てに共通することは、親や親との繋がりといった大切なものを失ったり、失いそうになってから、はじめてそれが大切なものだと気づいていることです。
 僕も小学校1年生の時に体験した東日本大震災で、親の迎えを学校で待っていた時は、両親が大丈夫だろうかと心配になりました。そして、親に会えたときは喜びでいっぱいでした。このように、遠藤先生が紹介されていた本にもあったように「失われて初めて気づくものが多い」のです。しかし、失われてからでは遅いのです。

 
「最後だとわかっていたなら」という詩に、「明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず。もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから」とあります。ですので、大切な人へ伝えたいことや一緒にしたいこと、やらせてあげたいことなどは後回しにしないで、それらをする時を持つことで、もし明日が来ないとしても今日を後悔することはありません。今回の道徳の授業でそれらをすることができました。
 そのひとつとして、親が書いてくれた手紙があります。そこには自分が知らなかった思いがあり、目頭が熱くなる部分がありました。親の子に対する思いについて次のような話があります。スキルス胃がんに罹り、余命三ヶ月と診断された女性がいました。ある日、諏訪中央病院という病院の病室のベランダで、その女性と医師が話をしているとき、その女性が「先生、助からないのはもうわかっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください。」と言い、続けて、「子供がいる。子供の卒業式をまで行きたい。卒業式を母親として見てあげたい。」と言いました。すると、余命三ヶ月と診断された女性が一年八ヶ月も生きて、二人の子供の卒業式を見てあげることが出来たのです。そして、それから一ヶ月ほどして亡くなりました。
子供の卒業式を見てあげたいという親の子に対する強い思いがあったので、診断された余命を超えて生きることが出来たのだと思います。この思いはどの家族も同じだと思います。ですので、子は親に感謝をすべきだと思います。僕は社会人になったら、より多方向で家族を支えられる人になりたいと思いました。
 
  
 【8組】 働くことの意義 


 今回の授業を受けて学んだことは、働くことの大切さとありがたさです。まず、私は仕事に就くこと就けることは当たり前だと思っていました。ですが、3年以内の離職率の話を聞いて、当たり前のことではないことがよく分かりました。
 なんのために働くのか。これは働くという言葉の語源の話にも出てきましたが、周りの人を楽にする、笑顔にする、安心させるためだと思います。働くということについて、私はジブリの宮崎駿監督の話を聞いたことがあります。「食べるために働くのではない。働くために食べる。」この言葉を聞いて私は、なるほどと思いました。私は今まで生きるには食べる、食べるためには働く、と考えていました。ですが、宮崎監督は、この逆の、「働くために食べる」という考えに基づいて働いてきたのだなと感じました。これによって働くということは、食べていくことが第一目的ではないことがよく分かりました。たとえ就いた仕事が自分にとっての天職ではないとしても、自分には仕事がある、仕事ができるということに感謝しなくてはならないと思いました。
 まずは感謝。それが自分の飛躍の第一歩だと思います。人間であるならば、まずは感謝。感謝することによって物事が始まり、次のステージに進めるのだと思います。何事にも感謝。改めてそう感じました。
生きるためにどうあるべきか、どうなるべきか。もう一度考え直して、学校生活を改めたいと感じました。私は将来、プライドを持ってできて、人にありがとうと言われるような仕事に就きたいと思います。
 

 

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