平成28年度

中等部1学年 第5回 道徳感想文

6月27日実施

 

 
 【1組】 ルールについて考える

  私は木村先生の講話をお聴きして、ルールの大切さを考え直しました。私は今までルールに対して、自分の自由を束縛するもののように感じていて、あまり好きではありませんでした。しかし、今回の道徳の授業を受けて考え直すことができました。ルールがあるから安心して安全に生活できることが分かりました。ルールがあるので、その分自由になれるのだというように思えるようになりました。ルールがないと、人々が自分勝手に物事を進めるようになってしまい、社会が成り立たず、安全な生活も出来なくなるのだと知り、ルールや規則の大切さに気づきました。ルールや規則があると余裕が生まれ、自分のことだけではなく、相手のことも考えられるようになります。相手を尊重することができれば、めぐりめぐって自分に良い結果が与えられます。ルールによって様々な不安が少なくなります。だから、ルールや規則に対して束縛感を持つのではなく、自分に良い結果をもたらすことを考えて、ルールをしっかり守ろうと思います。
 将来社会人になったら、今よりもさらにルールや規則などの決まり事も増えるようになると思います。その時に社会や自分のためになるのだと意識してルールを守っていきたいです。そして常に人として守るべき事や人として正しいことを選び、立派な人間になれるようにしたいです。江戸取は規律ある進学校なので、江戸取生として恥をかかないようにしたいです。私はたくさんの目標があるので、少しずつでも目標が達成できるように、日々色々なことに努力し続けて、6年後に充実した日々だったと思えるようにしたいです。そして自分の夢を叶えるようにしたいです。

 

 【2組】 公共心・公徳心を養うために
 
 僕が通っている学校は規律ある進学校です。しかし僕は今まで、規律の意味があまりよく分かっていませんでした。従って、今日のような規律についての道徳はとても良いタイミングでした。今日習ったことによると、規則と規律は違う意味の言葉だと分かりました。僕は規則とは厳しいルールで、それを破ると罪となり、罰せられるイメージでした。それに比べて規律は、人に迷惑をかけてはいけないというイメージでした。
 今回の道徳の話では、二つの言葉は思いやりという言葉が関連していることが分かりました。このことを聞いて僕は規律という言葉について感じたことがありました。それは規律は思いやりがないと保つことができないということです。僕が初めて江戸取に来てトイレに行きたくなった時、江戸取生に「トイレはどこですか?」と聞いたら、親切にトイレまで案内してくれました。普通の中学生なら相手にしてくれないだろうと思っていたため、江戸取生の対応には驚きました。
 このような思いやりを持った人になりたいと思ったことが江戸取に入りたいと思った理由でもあります。そしてこうして江戸取生になって、江戸取で生活できることを幸せに思います。あの時の思いやりを持った素晴らしい江戸取生のようになれるかどうかは分かりませんが、その人に近づけるように日々道徳心を養い、思いやりを持った江戸取生になりたいです。そして東大に合格して、江戸取を最高の状態で卒業したいです。


 【3組】 なぜ私たちは学ぶのか

 私は竹中先生の道徳の授業をお聴きして、「もし世界が100人の村だったら」というお話が印象的でした。そして特にその中でも一番驚いたのが、世界を100人の村として12人が小学校に通っていないということが驚きでした。日本は義務教育制度があるので、みんな学校に通っているのは当たり前だとしても、やはり学校に子供を通わせないと字も書けないし、ある程度の言葉しか話せないので、狭い範囲の仕事にしか就けず、論理的思考力も鍛えられず、保健体育の授業もないので、生活面においても常識的な判断ができなくなります。また他の人とあまりコミュニケーションをとらないので、コミュニケーション能力、そして人間性が薄れてしまうという可能性もあります。私は絶対に子供達を学校に行かせた方がいいと思います。
 しかし世界には日本のような豊かな国の他にも、貧しく、子供を学校に通わせることも難しいという国もあるとテレビのドキュメンタリー番組でやっているのをよく見ます。私はこの「もし世界が100人の村だったら」というものに関心を持ち、詳しく調べてみました。すると、「村人のうち一人が高等教育を受け」と書いてありました。私が調べたところ、日本の大学進学率は47.3%でした。全世界では約1%に対して日本は約50%なので、世界では大学に進学できない人の方が多いということを初めて実感しました。この実態は非常に危険だと思います。なぜなら大学に行かないと専門的な教育も受けられないので、大学進学率がとても低いところだと、やはり医者が不足してしまいます。たとえ外国から医者を連れてきたとしても、ただでさえ貧困による栄養不足が多い中、外国から来た外国の医者だけではやはり足りないと思います。そうするとただ死を待つだけの病人も出てきてしまうので、やはりそういう状況は一刻も早く解決されなければいけないと思いました。


 【4組】 命の尊さを知る

 私は今回の遠藤先生の講話をお聴きして思ったことがあります。最初は私の名前の由来についてです。小学2年生の時に自分のアルバムを作ったり、小学4年生の時に2分の1成人式のために「自分史」を書いていたので、自分の名前の由来は大体知っていました。今回あらためて母に私の名前の由来を聞いて、日本だけでなく海外の人とも仲良くできる国際人になってほしいという願いが込められていることを知りました。私の友達は花の名前などのとてもかわいい名前でうらやましく思っていましたが、今回の道徳を通して、自分の名前に両親の願いが込められていることを知ることができて良かったです。
 次に東日本大震災についてです。私は当時小学1年生で、ちょうど教室で帰りの会をしていました。当時は生まれて初めて経験した大きな揺れで、恐怖心よりもただただ驚いていました。小学校でも避難訓練はしていて、机の下に隠れましたが、その時もずっと驚いていました。次第に恐怖心が出てきましたが、周りには同じクラスの友達と担任の先生がいたので、泣くほど怖くはありませんでした。揺れが収まると外に出て、友達と無事に帰ることができました。私の身内は誰も被災しなかったのですが、遠藤先生がおっしゃっていた気仙沼市立階上中学校の生徒のように大きな被害を受けていた人もいたのだと、今回その中学校の卒業式の答辞の動画を見て思いました。3人の犠牲者が出て、全員で無事に卒業することができずに卒業式を迎えてしまった無念の気持ちが込められていると思いました。一番心に残ったのは、遠藤先生もおっしゃっていた「命の重さを知るには大きすぎる代償でした」という言葉です。この答辞を聞いて、私達は経験しなかった地震の恐ろしさを知ることが出来ました。
 最後に、生きたくても生きられない人についてです。遠藤先生が紹介して下さった『がんばれば、幸せになれるよ』は24時間テレビのドラマになっていて、ドラマでは『君がくれた夏』という題名でした。まだ全部は見終わってないのですが、涙がぼろぼろ落ちてきました。直也君がまた病気が再発して、お母さんが必死にお医者さんを呼んでいるところが一番印象に残っています。最近私は両親に反抗してしまう時がありますが、これからはたくさん感謝できるようになりたいです。

 

 【5組】 友人の多様性を受容する

 今回の道徳のテーマは「友人の多様性を受容する」でした。私は今回初めて、主観的に見た自分と客観的に見た自分を知ることができる「ジョハリの窓」というものを知りました。私の場合、自分は気づいていないが他人は知っている事故(盲目の窓)が一番多く、次に誰からもまだ知られていない自己(未知の窓)が多かったです。この結果を知り、私はまだ自分のことがよく分かっていないのではないかと思いました。自分がよく知っておかなければならない自分の良いところ、悪いところを理解することも、友人の多様性を受容することにつながるのではないかと思います。人間誰しも性格が合わなくて苦手だ、嫌いだと思う人はいると思います。私も苦手だ、嫌いだと思っている人はいます。好き嫌いがあることは仕方がないことだと思いますが、一方的に苦手な人だから、嫌いな人だからといって相手を悪いイメージ一色に決めつけるのはよくないと武居先生のお話を聞いて思いました。たとえ苦手な人や嫌いな人でも、その人の良いところを見つけて理解していくことが大切なことだと思いました。
 私は武居先生がおっしゃっていた「心理的距離を再確認する」ことがとても重要だと思います。なぜなら、心理的距離を相手が不快だと感じると、相手との関係が悪くなったり、自分が相手のことを傷つけてしまうかも知れないからです。たとえ仲が良い友達でも、冗談で言ったことやからかって言ったことが相手を傷つけてしまうかも知れません。このようなことが無いようにするためにも、相手のことをよく知って理解し、心理的距離を再確認することは、友達と仲良く付き合っていくためには必要不可欠なことだと思いました。

 
 【6組】 自由と責任

 
今回の道徳は「自由と責任」というテーマの講話でした。僕は初めは「自由」と聞いても、あまり「これだ」という考えはありませんでした。しかし、今回の道徳を通して「自由」とはどのようなことなのか想像できるようになりました。以前は自由が必要かと言われても分からなかったけれど、道徳を通して、自由とは好きなことを誰にも強制されず、束縛されずに「自分で決める」ということが分かりました。自由は他力本願ではなく、自分のうちに求めるものなのだと思いました。そして今は人としてある程度の自由は必要であると思っています。そして人に助けを求めて「決めてもらう」のではなく、自分の中で答えを自分なりに出し、その答えを自分の中で信じていきたいと思います。もし自分が自由でないと感じることがあったら、自分自身に問いかけ、答えを導き出していこうと思います。そして、相手の「自由」も認め、尊重し、お互い思いやりを持って、一つの「生」を受けたこの世界の構成員として、「責任」をもって生きていこうと思います。
 次に「責任」です。私達はこの世界に一つの「生」を与えられて生まれてきた構成員です。私達は世界の構成員であるがゆえに、何かその場所に応じた「責任」があるはずです。その場に応じた「責任」が何かということを今回の道徳の授業を通して考えました。まず自分に対しての「責任」です。それは僕は自分自身を裏切らない、自分に嘘をつかないということだと思います。すなわち、初志貫徹をし、他人にも自分にも誠実で素直な心を向けることだと思います。次に少し範囲を大きくして、他者に対する「責任」が何かについてですが、僕はそれは他者の期待に応えることだと思います。それもやはり強制ではなく、あくまで自分の意志を尊重した上で他者の役に立つということだと思います。このように僕は自分の「自由」「責任」について考えることができました。自らの意志による「自由」と人としての「責任」をこの世界の構成員という立場で考えられるようにしたいと思います。これからは今まで以上に規律ある学校生活を送れるように意識して過ごしたいと思います。


 

 【7組】 国際社会に生きる

 
今回の道徳をお聴きして、自分なりに考えて出した最終的な答えは、国際社会に生きる人間は平等であり、お互いに対等でなければいけないということです。なぜなら、一部の人間が権利を独占していたり、他人を差別するような言動をしていては、社会を生きる全員が自己中心的な考えとなり、身勝手な行動をするおそれがあるからです。そうなれば、社会全体の発展が停滞するだけでなく、そのまま崩壊する危機すらありえる状況となってしまいます。人間は生まれながらにして社会の一員であり、その後の生活する時間はほぼ同じです。その地位や財産や立場に違いはあっても、人は誰もが対等であるということを認識しなければなりません。初めから人は誰もが対等だと考えていれば、人と人、あるいは国家間の関係もより良くなっていくと思います。
 自分と相手が対等であることを伝えるためにも、より良い関係を築き、相手と協力し合うためにも、コミュニケーション能力や礼儀、信頼は必要不可欠なものだと思います。相手に対して平等に、誠意をもって対応すれば、相手もそれ相応の対応をしてくれると思います。そして相手の考えを受け止め、理解した上で相手に自分の考えを伝えることで、両者の意思疎通を図ることも可能になります。これを社会全体が行えば、人と人、国と国とが衝突することも無くなると思います。
 もちろんそれだけで全ての問題が解決するとは思いませんが、少なくとも現在よりも問題が解決できると思います。そのために僕は人と会話をする時、相手の主張を聞き、自分の主張もしっかりと相手に伝えられる関係を築きたいと思います。そしてその関係を持てる人を増やしていき、より良い人間関係を広く、深く広げていき、互いの考えをより多くの人が聞き入れ、それに少しずつ全員が自分の考えを加えていき、最終的により多くの人の意見が取り入れられるような社会を作っていきたいです。
 
 
 【8組】 社会の一員として


 今回、山田先生のお話をお聴きして、人との関わりをより良いものにしていこうと思いました。今まで社会とは国同士の関わりのことだと捉えていました。でも、今回の先生のお話では、一人一人の人間関係が社会だとおっしゃっていたので、これから成長し、社会に出て行く時には、人との接し方から改めていくことが大切なのだと考えることができました。また、生まれた時から社会の一員であることに初めて気づき、今からでも家族のため、みんなのために働いていくことは可能だと知り、普段から「自分以外の人に幸せを与えていく生き方をしよう」と考えられるようになりました。
 今回の授業を受けて、「江戸取生の一員」として出来ることはなんだろうと考えてみて、「自分のすべきことを自覚し、相手のことを常に考える」ということだと分かりました。そのことを実践していけば、江戸取生としてだけではなく、日本社会全体、世界全体に通用する人間になってゆくのだと感じました。そこで、私はまずクラスの係活動などの身近なことから始めていこうと思いました。今回、山田先生のお話をお聴きして、社会は本当に小さなものから大きなものまで存在し、成長していくにつれてどんどん社会が広がっていくと学ぶことができました。自分に出来ることを精一杯やることが今の私達の使命なのだと実感することが出来ました。そしてこれからも相手のことを思いやる心や自分の個性などを伸ばしていけるように努力します。

 

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