平成28年度

中等部1学年 第3回 道徳感想文

5月30日実施

 

 
 【1組】 なぜ私たちは学ぶのか

  私は今回の道徳の授業を受けて、今の自分の生活がどれだけ恵まれているのかということを改めて実感しました。特に衝撃的だったのは、先生が「もし100人の村だったら、その内26人は電気が使えません。18人はきれいで安全な水が飲めません。」と仰ったことです。私が普段お金や水、電気に困ることなく生活できているのは、当たり前ではないというのが分かりました。また、先生は生活上必要不可欠な読み書きについて、いろいろな国の識字率を教えてくださいました。それによると、日本は99.8%、インドは58%、ニジェールは17%だそうです。私はこのことをお聴きして、私達は小さい頃から字を読んだり書いたりすることを教わってきましたが、先程の「もし世界が100人の村だったら」にあった「100人の内28人が子供で、その内4人が働いていて、12人は小学校に通っていない」というところでも分かるように、世界の多くの子供達は私達と同じように教育を受けてきていないということも分かりました。私はこのことを踏まえ、日本のような恵まれた国に生まれたからには、きちんと勉強することは義務なのではないかと思いました。
 私の将来の夢は医師になることですが、その夢を叶えるためには今後もっとたくさん勉強して大学に入り、より高度な学問を学ばなければなりません。ですから、これからは自分は恵まれているのだという自覚を持って勉強したいと思います。また今回の道徳の授業のテーマである「私たちはなぜ学ぶのか」ということについて、先生が仰った6つのことの中で特に印象深いのは、「判断できるようになるから」ということです。万引きをしてはいけないことや、人に暴力をふるってはいけないことなどの人としてやってはいけないことは、私達は当たり前のように知っていましたが、確かに全く教育を受けていなかったら分からないことだと思いました。
 私は今回の道徳で学んだことを踏まえ、今後はもっと勉強しなければならないと思いました。
 
 
 【2組】  命の尊さを知る
 
  今回、遠藤先生のお話をお聴きして、また親と話してみて、僕は人の命の尊さをよく理解できました。
 親に僕が生まれた時にはどう思ったかと聞くと、ただ感動しかなかったと言われました。ただ感動しかなかったという短い言葉でしたが、僕はその言葉を聞き、うれしさがわき上がってきました。そんな思いをして僕を産んでくれたことに感謝して、これから親の期待以上の人間になりたいと思います。
 この「産まれる」ということの反対に、東日本大震災では多くの命が失われました。僕はその頃一年生で小さかったけれど、その時の記憶は鮮明に残っています。被災地の中学校の卒業式での梶原君の言葉を知って思ったことがあります。「苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくのが私達の使命です。」という言葉について、周りの多くの死を目の当たりにし、大切な人を失ったにも関わらず、その悲しみや苦しみに耐え、前向きに生きていこうとする勇気を感じました。この災害の他にも、病気や事故、事件などで生きたくても生きられない人がいるから、ちょっとしたことで「死にたい」という発言をするのはだめだということがよく分かりました。日野原先生は「寿命とは長さではなく重さです。」と仰っています。僕はよく納得できました。生きたくても生きられない人のためにも、その人の分、自分が質の良い人生を送り、世の中を少しでも良くしたいと思うことができるようになりました。
 
今回この授業を受けて、親に話を聞いて、命について考えて、思ったこと、感じたこと、理解したこと、反省したことが多くありました。そしてそのことをまとめると、誰もが一つのことに行き着くと思います。それは「命は尊い」ということです。この世で一番尊ぶべきものは一人一人の、一つ一つの命です。これからは虫の命、植物の命、動物の命、そして人の命、全ての命を尊び、大切にし、守っていきたいと思います。それと同時に多くの先祖、祖父母、親から受け継いだ命のバトンを次の世代へつなぎ続けます。

 
 【3組】 友人の多様性を受容する

 今回、武居先生の道徳の授業を受けて、私は沢山のことを学びました。その中でとても大切なことだと思ったことが2つあります。 
 まず1つ目は、他人と関わり合うことの難しさです。他人のことを、「○○な人である」と思い込んでしまった経験は、私にもたくさんあります。また、「あの人は○○な人」とか「あの人は○○」という噂を耳にしたこと、口にしてしまったことがあります。例えば、「あの人はとてもおとなしい」と思い込んでいても、話しかけてみたらとてもよくしゃべる明るい人だった、という経験があります。もしここで私が、「おとなしい子だから話しかけないでいい」と考えてしまった場合、その人と仲良くするきっかけが無くなっていたかもしれません。他人に対する思い込みは、自分と相手との間に壁を作ってしまう行為でもあると私は考えます。だから、これからは思いこみや偏見を持つことはやめようと思いました。そして、相手と親しい関係になっても、相手に失礼なことをしてはいけません。先生もおっしゃっていたことですが、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、相手を傷つけないように接することが大切だと思いました。
 2つ目は、自分が思っている印象と他人が考えている自分に対する印象が違うということを理解する、ということです。実際に、友達が自分に対して持っている印象と、自分が「自分は○○」という印象とは、違うことが多かったです。自分は、自分の全てをわかっている訳ではないし、友人も、自分のことを違うような印象を持っている人もいると思います。相手が自分に対して持っている印象が、短所のときも、長所のときもあると思います。しかし、そんなときに、短所であるからといって、直さないのではなく、他人に言われたら、自分の短所や、よくない所を自覚し、受け入れて、直せるように努力するとよいと思いました。私は、自分の短所はわかっている部分とわかっていない部分があります。やはり、自分では気づかない、友人や周りの人が数えてくれないとわからないところがあると思います。他人に対してもそうです。本人が気づいていないことで、自分が気づいたら、本人にも伝えます。しかし、相手を傷つけてしまうことがないように、優しく指摘してあげると、その人のためになると思うので、そうしようと思いました。今回学んだことを今後の学校生活に活かしていきたいです。

 

 【4組】 自由と責任

 今回の道徳の授業を受ける前は、自由を得るには規則を守り、責任を果たさないといけないということはわかっていましたが、自分の果たすべき責任は何かということは、はっきり認識できていませんでした。でも、今回の授業でそれをはっきりさせることができました。自分の果たすべき責任は、自分自身に対する責任と、他人に対する責任と、社会に対する責任の3つがあります。
 まず、自分自身に対する責任です。それは、初志貫徹することです。つまり、自分で定めた目標に責任を持って、達成させる努力をすることです。私の場合は、社会に貢献できる仕事に就き、社会に役立つ人間になるという目標に責任を持って、達成させる努力をしようと思いました。また、自分のとった行動や自分の話した言葉に責任を持とうと思います。その行動や言葉によって起こったトラブルは、自分で責任を持って解決しようと思いました。
 次は、他人との約束事や決められた期限を守るということです。それらが守られなければ、相手を不快にしてしまいます。だから、約束事や期限を守る責任があります。また、約束事や期限を守ることは信頼につながるので、日頃から意識しようと思いました。
 あと、命を粗末にしないということも、ひとつの責任です。母がつらい思いをして産んでくれて、一生懸命育ててくれたのに、その命を粗末にしてはいけないからです。
 最後に、社会に対する責任です。それは、少しでも社会に貢献することです。そうすることで社会がどんどん良い方向に向かっていくと思うからです。また、自然環境を悪くしないということも、責任のひとつです。まずは自分にできることから始め、続けていくことが大切なので、これからも努力し続けようと思いました。

 

 【5組】 国際社会に生きる

 今回は、千葉先生が「国際社会に生きる」というテーマで話をして下さいました。その中で僕が特に注目したのは、「国際」という言葉です。いきなり言われると、どういう意味か、なかなか分かりませんでした。それは僕が国と国との関係にあまり興味を持っていないからだと思います。ニュースなどでたまに見ることがありますが、まだあまりよくわかりません。そもそも僕はまず日本のことについても分かっておらず、自分のことで精一杯です。そう考えると、ニュースだけでなく、新聞や本などたくさんの情報から世の中を少しずつ知っていきたいです。
 次に、先生がおっしゃっていた、本校での国際社会を意識した活動についてです。僕は今までに海外に2回ほど行ったことがあります。それは赤ちゃんのときと小学校2年生のときです。ですから、まったく記憶にありません。そうすると余計に高等部のカナダ修学旅行が楽しみです。僕の英語力はいったいどこまで通用するのか、今からドキドキしています。僕は英語は嫌いではありません。幼稚園の頃から英会話を習っていたので英語は好きです。授業でも頑張っています。また、オーストラリア短期留学というのも行ってみたいです。母から、昔、一度だけホームステイに行ったという話を聞き、ずっと行きたいと思っていたので、今から勉強を頑張り、英語力を鍛えていきたいです。そしてそこで僕ら日本人とは何が違うのか、それを発見したいです。
 最後に班で話し合った「国際社会に生きる上で留意すべきことは何か」については、宗教、文化、風習、伝統などの用語が多く出てきました。この内容は僕たちがちょうど今、社会の授業で習った内容です。授業では社会の先生がそれについてとても面白い話をしてくれます。例えば、宗教により休みの曜日が違うなど、いつも聞いていてとても興味深いです。そのように他国についてどんどん知識を取り入れていきたいです。

 
 【6組】 社会の一員として

 
今回のテーマは「社会の一員として」でした。社会とは、人間が相互に関わり合う場です。自分は一人ではないのです。生まれたときから家族という小さな枠の中で、社会の中に存在しているのです。また成長していくにつれて「社会」という枠が大きくなります。たとえば幼稚園に入園することにより、家族という枠が少し大きくなり、小学校に入学するとまた少し大きくなるというようになっています。つまり、社会の中というのは自分一人なのではなく、家族や友人の支えで生活しているということを理解しなくてはいけません。社会で生活していくために、この間の学年部長講話の時に山田先生が「想像力」についてお話してくださったように、相手の気持ちを思いやり、しっかり考えることが大切だと思いました。
 次に社会で生活していくために必要なものについて考えました。私たちの班は、人と人との人間関係や信頼、常識、コミュニケーション、相談し合い解決すること、人を思いやる気持ちを持つことが大切だと考えました。コミュニケーションをとり、信頼関係を築くことで自分の気持ちをしっかり伝えられるし、相手も自分の気持ちをしっかり伝えられるからです。
 最後に社会の一員としてです。まずは江戸取生の一員として、家族の一員として、最後に社会の一員として考えました。まず江戸取生の一員として時間厳守や挨拶、礼儀正しくすることに気を付けたいと思います。簡単にいうと校則を守ることです。次に家族の一員として、家族を元気づけたり、場を和ませたりしたいと思います。まだ自分たちは自立できずに親の元に居るので、自分でできることを率先してやろうと思いました。最後に社会の一員としてですが、社会での役割によって様々な責任が生じます。その責任を一つ一つ果たしていくことが成長につながることだと思いました。

 
 【7組】 ルールについて考える

 
今日の授業では、木村先生がルールについてお話してくださいました。そして改めて自分でもルールの大切さについて考えてみました。考えた末、私が思ったルールとは、結局たくさんの人々が毎日を安心で安全に生活する為にあり、それらのルールがなければ世界が不安と危機にあふれることになってしまうという結論になりました。
 例えば、犯罪をしてはならないというルール(法律)が無ければ、殺人やスリやテロが多発してしまい、世界がバラバラ、メチャクチャになってしまい、たくさんの人が不幸になってしまいます。このようなことが起こらないようにするために、ルールはあるのだと思います。
 私は、ルールを守っていない人を見て、とても嫌な思いをしたことがあります。電車に乗って家に帰る途中の出来事です。電車に乗っていたら、急に電車が止まったのです。理由は線路内に降りて遊んでいた人がいたからです。それから一時間ほど電車が動かずとても大変な思いをしました。このように、一人がルールを守らず、好き勝手に行動すると、大勢の人がその人のために時間を無駄にすることになります。だから、私はそのように人に迷惑をかけないように、自分の行動の一つひとつを、他の人のことも考えて動くように心がけます。もしも自分が見えているところで人が嫌だと思うような行動をしている人がいたら、注意をします。そしてルールの大切さ、この授業を通して学習したことを周囲の人に広めていこうと思います。
 私は戦争が大嫌いです。国、あるいは集団が、世界で決められている約束、ルールを破って自分の好き勝手に行動することにより起こるからです。そのようなことが起きないようにするにはまず、自分の意識から変えていく必要があります。ルールの大切さについてきちんと知った今、立派な行動が出来る人になろうと思います。
 
 
 【8組】 公共心・公徳心を考える


 今回の講話には学びもありましたが、自分の反省がとても多かったです。前まで自分は「あの人もやっていたから…」と思って、守るべきマナーを守っていませんでした。それはただ、そういうことはやってはいけないと思っている自分に対してごまかしているだけの言い訳だということに気づきました。悪い自分に克つのは考えているより勇気がいると思います。人は辛いことよりも楽な方へ行きたい思いが強いと思います。しかし、そんな思いを克服できることは、自分自身に克つということです。克己心という言葉がありますが、それをバラバラにして意味をとらえてみると、己に克つ心になります。自分に克って初めてひとは成長できるのだと思います。
 
また、貝森先生がおっしゃっていた規律と規則の違いについて、私としては規律は守るべきマナーだと思います。そしてそしてその守るべきマナーはとても面倒なものだと思います。しかし、その面倒なことを乗り越えてこそ、人としての意識や周囲を大切に出来る強さ、力が身に付くのだと思います。楽な方へ流されては自分はいっこうに前に進めないと思います。
 今の私は、自分に克てるような強さも実力もありません。しかし、こんな自分になりたいという目標があれば、自分の努力次第で少しずつでも変わっていけると思います。まずは、鏡の中の自分から変えていきたいです。周囲を、日本を、世界を変えたいのなら自分から変わりたいです。次からは自分の良心に、本当にこんな事をやって良いのかと、自分に問いかけてから行動したいと思います。

 

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