平成28年度

中等部1学年 第1回 道徳感想文

4月25日実施

 

 
 【1組】 友人の多様性を受容する

  私は、「友人の多様性を受容すること」というテーマで武居先生の授業を受けました。この授業を受けて私は、小学校時代の体験や江戸取に入学してから過ごした日々を思い返すことができました。学区内の人間関係を築いた小学校時代と違い、江戸取では様々な場所から、様々な育ちで、様々な思いや考えを持った人たちが仲間となりました。これからの学校生活で多様性のある人間関係を築き上げていきたいと思います。

 武居先生のお話から、相手と向き合うには「自己を尊重し、大切にする。」「自分をほめ、長所を伸ばす。」「短所とも向き合い克服する努力をする。」ということを学べました。今回の道徳授業では、自己の「ジョハリの窓」を作りました。すると、自分の意外な一面を知り、自分を客観的に分析することができました。今回分かったのは、自分は行動力があり、社交性があると周りから見られているということです。私は、小学校時代、いじめ、仲間外れなどを目の当たりにしてきました。自分がいじめられたり、友達がいじめ、友達がいじめられ、傷ついたりと・・・。そんな時、私は低学年の時には「やめて」とも「やめなよ」ともいうことができませんでしたが、高学年になるにつれ、「やめなよ」ということができるようになりました。今まで意識していませんでしたが、これが'”行動力”なのだと今回の授業で気づくことができました。そういう自分の良い面はこれから継続し、またさらに伸ばしていきたいと思います。

 また、これからはいじめる側の人や苦手な人も心の中に受け入れ、良い点を見つけ、悪い点は共感するのではなく、ダメだよと指摘できるような心の広い人間、人格へと成長していきたいと思います。そして自分の短所といえば「自分をコントロールできない」ことだと思います。自分自身を制御する力が欠けており、周りに迷惑をかけることが度々ありました。これからは自分の欠点から目を背けず、しっかりと自分のうちに受け入れ、克服していきたいと思います。自分の弱点を知り、克服する努力を怠らず、良い点を自分でほめさらに伸ばしていき、自分自身を大切に、そして”好き”になっていくことが重要だと思います。様々な友人を批判せず、本人に指摘し、心の中に受け入れていくことが意義のある友人関係を築き上げるのだと学ぶことができました。武居先生ありがとうございました。
 

 
 【1組】 友人の多様性を受容する
 
 ぼくは、今回の道徳で人それぞれいろいろな面があるということを知りました。その多様性を尊重、理解できる能力を身に付ける授業だったとぼくは思います。話の初めに武居先生は私たちの特徴というものをおっしゃっていました。その私たちの特徴とは集団生活を好む一方で、平均以外を偏見視するというものです。これがいわゆるいじめです。ここでいう平均とはあくまで自分の価値基準であり、人には人の考え方、感じ方があるので自分だけの基準で判断するのは良くないと思います。これがテーマにもあった「多様性を受容する」ということだと思いました。

 授業の中でジョハリの窓を使った自分自身の分析を行いました。ジョハリの窓とは自分の性格の公開・隠蔽部分を4つに分類し自分で認識することで、主観的に見た自分と客観的に見た自分のことを知ることができるというものです。8人の班員の紙を見ると自分では気づいていない一面、例えば細かそうだとか落ち着きがありそうだとか、自分は周りからこう見られているのか、こう思われているのかということを知る良い機会となりました。自分が気づいていなくて他人は知っているところが多かったので、これからはその自分が知らず、他人が知っているところを自分で気づき、他人も気づいていることころを増やし、みんなの想像と同じような人になりたいと思っています。

 友人の多様性を受け入れるためには、相手の人間性を尊重し、向き合うことが大切です。相手を大切にするにはまず自分を大切にすることが大事です。なぜなら、自分のことをどうでもいいと思っている人が、赤の他人である相手を大切にすることなどできないからです。ありのままの自分を受け入れ弱点を克服し自分を大切にすることが大事だとぼくは思います。これからは人それぞれ、つまり多様性をきちんと理解し、相手もそして自分も大事にしたいと思いました。

 

 【2組】  自由と責任
 
  私が中山副校長先生のお話をお聴きして一番心に残ったことは、「自由かどうかは見た目には判断が難しい」ということです。副校長先生がおっしゃっていた例の化粧や部活のように、見た目は自由みたいに見えていても、心の奥の方では自由ではなかったり、見た目は辛そうに見えていても本当は自由だったりと、見た目では自由かどうかは判断が難しく、その人の「心の有様・心の持ち方」で自由かどうかは決まるのだと改めて実感しました。

 また、まとめにあった、「自由は他者に求めたり、他から与えられるものではなく、自分の内に求めるものです。」という文章は、最初見た時「どういうことなのだろう。」と思いました。しかし、授業の内容をもう一度思い出してみるとだんだん分かってきました。私なりの解釈ですが、最初の「自由は他者に求めたり、他から与えられるものではなく」という部分は、化粧の例にもあったように、他者に求めたりすると自由ではなく、逆に苦痛になってしまいます。また後の部分の「自由は自分の内に求めるものです。」という部分は、本当の自由は心の奥にあるから、そこに求めるという意味だと思いました。そして最後に中山副校長先生がおっしゃっていた「自分の良心に従って行動することを自由と言うのではないのでしょうか。」という部分で、私はこれからは自分の良心に従って行動していこうと思いました。

 「責任」については、「自分に対する責任」、「他者に対する責任」、「社会に対する責任」の三つの責任がありました。私は初め、「自分自身に対する責任」を見た時、よく分かりませんでした。「他者に対する責任」や、「社会に対する責任」は、小学生の頃もよく言われていたので、何となくは分かっていました。また三つの責任について他の班の意見を聞くと、自分達の班とは違う意見もたくさん出て、とても面白かったです。よく分からなかった「自分自身に対しての責任」は、中山副校長先生が「初志貫徹・自分を限らない」とおっしゃっていて、なるほどと思いました。自分で決めた目標を簡単にすぐあきらめてしまうと、自分自身に対しても失礼なので、こういうことをおっしゃったのだと思いました。今回の授業を受け、私達は他の国の人より自由があり、そしてその分、私達にある責任も重いと思いました。少し自分の思うようにいかなくなっただけで自由ではないと考えたりするのではなく、少し視野を広げて周りの人達に比べたら私達はとても自由だということをきちんと自覚し、そして自由の分だけしっかりと責任を果たしたいです。
 

 
 【2組】 自由と責任
 
  僕は今回の道徳の授業が、自由について詳しく考える機会となりました。僕はいきなり「自由」と言われてもピンとくることがなく、自分の好きなように物事が出来ることと曖昧に考えていました。僕が今回の授業の中で印象に残ったことは、「自由かどうかは心の有様や心の持ち方によって変わる」ということです。例として、化粧や部活、病院のお話などありましたが、どのこともそれぞれに利益があり、心の底からやりたいと思っていることが双方の自由に結びつくのではないかと思いました。またそのような問題の中で、なかなか答えが出ないようなものがあり、自由というのは難しいと思いました。それらは良心を持って考えていくのが良いと思います。だから、これから答えの出づらい難問にぶつかった時は、今回の授業で学んだことを活かし、良心に従って解決していきたいと思いました。

 もう一つ印象に残ったことは、自分の責任を考えることの難しさです。班で話し合ってもきちんとした解答が出ず、困ってしまいました。そんな中、中山副校長先生は「自分がこの世に生を受けたのだから、自分の才能を発揮することが責任なのではないか。」とおっしゃっていました。僕はこれをお聴きした時、なるほどと感じました。つまり、この世に生を受けたのだから、何か使命を背負っており、それを発揮することは大きな責任になるということです。それと照らし合わせて考えると、自分の夢が使命だとすると、それを実現することが責任だと考えました。これからは自分の才能を社会に最大限役立てられるような生き方ができる人間になりたいです。今回の道徳の授業を通して、ここまで深く考えられるとは思っていませんでしたが、ここで学び、考えたことを今度は実行していけるように努力していきたいと思います。
 

 【3組】 国際社会を生きる

 今回の道徳の授業では「国際社会」について、千葉先生のお話をお聴きして、そして友達との話し合いをしました。私が「国際社会」と聞いて思い浮かべるのは、世界、外国人との交流、外国などです。辞書で調べてみると、国際社会とは、自国だけにとどまらず、いろいろな国と関わりを持ち、人々が共同生活を営む集団、という意味を持つことがわかりました。江戸川学園取手中学校では、短期留学や外国への修学旅行、国際交流、外国人教師など様々なところで国際社会のための教育をしていることがわかりました。このような機会を大切にして、国際社会でしっかりと生きていけるように努力していきたいです。

 また、国際社会で生きていく上で、気をつけなければならないこともたくさんあります。私が考えたのは「考えが違う人に対し、否定せずに相手を認める」ということです。これは、文化や育った環境、言語などが違う相手に対して、それを否定せずに、一つの考え方として認めるという意味で、外国人の方などとの交流が多くある社会では、とても大切なことであると考えました。友達の考え方は、自分とは違う視点で考えている人、似ている人など様々でした。お互いの文化を取り入れ、相手の意見を聞きながらも、自己主張をする。これは国際社会に生きる上でまず身につけねばならないことだと思います。互いにゆずり合い、相手と協力して行動していくことが大切です。また、コミュニケーションをとる際、差別をしないことが大切だと思います。なぜなら、言葉が違うと、ちょっとした印象の違いで相手を傷つけてしまうことがあります。気付かないうちに差別をしてしまったり、悲しませたりしまうようなことがあると嫌な思いをさせてしまいます。積極的に会話をすることも大事です。苦手な外国語でも、話せば相手の考え方を学べるだけでなく、外国語も上達して一石二鳥だと思います。そして、相手の考え方を認めることも必要です。もし、自分とは違う考え方だとしても「なるほど、そういう考え方もあるんだな。」と認めて、相手にも自分の考えを理解してもらえるように努力することも大切です。これらの事を今回学ぶことができました。これからの国際社会で気を付けるべきことがよくわかりました。

 
 
 【3組】 国際社会を生きる
 
  私は、今回の道徳授業「国際社会に生きる」で千葉先生に授業をして頂きました。まず私はこの授業を受ける前に、「国際社会なんて、自分には関わりが無いどころか近くにも無いから現実感もないし、興味もない」と考えていました。しかし実際に受けてみると、私は国際社会の意味を理解していなかったことに気づきました。本当の意味は「たくさんの国や人々(地域)が関わりをもっている社会」という意味だったので、私はこれまでの「国際社会なんて自分には関わりが無い」という考えは間違いで、小学校の頃は英語の時間にネイティブの外国の先生に教わっていたので国際社会に関わりがあって、今も英会話の時にネイティブの外国の先生に教わっているので今も国際社会に関わりがあることを初めて知りました。そして国際社会が自分の近くにあったことに驚きました。学年があがるとカナダ修学旅行やアメリカアカデミックツアー、オーストラリア短期留学など、国際社会にたくさん関わる可能性があるということも知ったので、意識を高めていきたいです。

 私達は、「国際社会で生きる」ための注意点を班で話し合いました。そこで私達の班は、「宗教の違い」ということを注意点として考えました。そのために、自分たちが他の宗教のことを理解しないでその宗教の人と生活をすると、普段の自分達と違う生活でこちらがその宗教を理解していないがために、嫌悪感を抱いてしまう可能性があるので、私達は、「その宗教を認め、くわしく知る」という対処法を考えました。他にも違う班の発表を聞いて、様々な知識や情報を得ることができるので、コミュニケーション能力や語学力を高めるということがとても大切だと思いました。 

 

 【4組】 社会の一員として

 今回の道徳では、社会の一員として大切なことを学びました。私はまだ、自分も社会の構成員だという自覚がありませんでした。社会は大人の人たちが構成しているという感覚でした。でも、今回の山田先生のお話をお聞きして、自分も社会をつくっているのだという自覚ができてきました。

 社会の一員として大切だと思うことがいくつかあります。一つ目は相手との関わり方についてです。社会では、まずコミュニケーションをとることが大切だと思います。どんな場所へ行っても、コミュニケーションが必要になるからです。次に、協調性を持つことが大切だと思います。どこかの集団と関われば関わっただけいろいろな人に会います。その中に、自分と考え方が違う人がいても、仲間はずれにするというようなことは絶対にしてはいけません。同じ環境で生活する仲間だからです。なので私は自分の考え方を基準にせず、他人を認め協調性を持つことが大切だと考えます。

 二つ目は自分の役割を果たすことです。自分の役割がある場所は主に二つあります。一つ目は、江戸川学園取手中学校です。ここでやることは、自分から進んで大きな声で挨拶や返事をすること、自分で考えて主体的に行動すること、校訓を守り、仲間と切磋琢磨し向上することだと思います。二つ目の場所は家です。ここでのやることは、まず家族を笑顔にすることです。家族を笑顔にするには、自分が笑顔でいることや、挨拶をされたときにしっかりと返事をするというようなことが大切だと思います。次に、家のために働くことです。家族の一員として、家のために働くことは大切だと思います。自分のできることからやっていきたいです。社会を構成する一員として以上のことを意識していきたいです。

 【4組】 社会の一員として
 

  僕は、今日の道徳で山田先生の話をお聞きして、言葉に深い意味があると思いました。今まで、社会は社会だと当たり前のように使っている言葉がとても深い意味を持っていたことが分かりました。まず僕の中では、「社会」という言葉は、世の中とか世間などという意味だと思っていました。しかしもっと深い意味は、人間が相互に関わり合う場ということです。つまり、人間は生まれたときから社会の構成員であるという意味を知りました。たしかに生まれたら、家族という社会に関わり、三〜五才で幼稚園という社会とだんだんと関わっていっているから納得できました。そのことを先生は「成長していくにつれて『社会』が大きくなる。」とおっしゃっていました。きっと中学生はその途中です。まだまだ社会は大きくなります。きっとそのもっと大きくなった社会で必要とされるのが、心豊かなリーダーということでもあると思います。そのためには、お話のように多様性を理解し、それぞれの役割を果たすべきだと思います。

 また、今回は初めてグループで話し合いをしました。内容は、社会で必要なものと、江戸取生の一員としてどうすべきかです。一つ目で納得したのは、意欲と礼儀です。意欲が無いとすべて何もかもが中途半端になってしまいます。礼儀は会社などで目上の人に対して礼儀がなっていない人は、正直言葉は悪いですが、構成員として論外だと思います。二つ目の江戸取生の一員としてどうすべきかでは、その場に応じた行動が大切だと思います。いつ、アクシデントが起こるか分からないので、適応力というものは、江戸取という学校以外でもいえることだと思います。僕は、この二つの話し合いの中の答えが完全にできるようにして、かつ、社会の意味を理解しながら構成員としてこの先の人生を歩んでいきたいです。

 

 【5組】 ルールについて考える
 
  私は、「ルールについて考える」というテーマで、ルールがあることの意味から大事なことを3つ学びました。1つ目は、犯罪です。ルールは、社会の規則とも言えます。ですからルールがなければ、人々は自分の好き勝手な事をするようになります。世の中の人々は、残念なことに全員が良い人ではありません。でもルールがあれば、ルールを守る人や、守っている人を見て、自分も守ろうと思う人が出てきます。そのような人たちが沢山いれば犯罪などが少なくなるのではないかと思いました。

 2つ目は、ルールは、守らなければある意味が無いということがわかりました。ルールは、人々が過ごしやすくなるため、人々が安全に安心して暮らせるようにあると私は思いました。でも、誰か1人が悪いことを行うと、危害や嫌な気持ちになってしまう人が必ずいます。これだと、人々が過ごしやすくなる為のルールではなくなってしまうと思いました。このことから私は、誰か1人が守っているから自分くらいいいかと思うことがどれだけ、相手を嫌な気持ちにしているのかが良くわかりました。

 3つ目は、ルールが無くなってしまたらどうなってしまうか、ということです。私はルールがなくなってしまったら、人として正しい行為ができなくなってしまうと思いました。理由は、ルールや規則が無くなったと思うと、人は、自由になったと束縛感を失い、悪い方向に進んでしまうなど規則がないことで善悪を考えなくなってしまうからです。私は道徳の授業を受けて、ルールを守らないとどれだけの人たちに迷惑をかけてしまうのか、ルールが無くなったらどれだけ怖いことが起きてしまうのかを学びました。これから、ルールや規則を守れていない人がいたらしっかりと注意ができるような人になりたいと思いました。
 

 
 【5組】  ルールについて考える
 
  今回の初の道徳の授業で、ルールについて考えました。僕は、ルールと聞くと、堅苦しく窮屈というイメージがあります。実際、自由に遊んで良い公園にルールが多くなってきています。ぼくは、何でもかんでもルールで縛りつけるのではなく、最低限度守らなければいけないことをルール化すればよいと思います。ぼくは、今回の話し合いで、リーダーを務め、話をまとめました。今までやったことのなかったリーダーは、思ったより大変で、なかなか話がまとまらなかったので大変でした。この話し合いでルールについていろいろと考えました。ルールがあるのは、人が安心して暮らせるようにするため、という理由やルールがないとみんなが好き勝手に行動してしまうから、など他にも意見が出ました。

 ぼくが思うルールがある理由とは、みんなが気持ちよく過ごすためだと思います。例えば、取手駅からの通学のルールについてですが、高校生と中学生が2つに分かれて行くことで、道が混雑することがなくなり、地域の人たちの迷惑にもなりません。このことから、ルールが大切なのが、実感できました。ぼくは、今回の道徳の授業を受けて、窮屈だと思っていたルールが、無いと不便なことに気づきました。先生が授業の初めにおっしゃっていた、スポーツのルールを守るという話で、相手に危害を加えないという言葉が出てきて、大切なことだと思いました。たとえ敵であってもスポーツをする仲間として危害を加えないことは素晴らしいことだと思いました。これからは、相手に親切な自分になっていきたいと思いました。
 

 【6組】 公共心・公徳心を養うために
 
  公共心・公徳心は人として常に持ち続けていなくてはいけない心だと思います。社会一般の利益を図ることや、社会の一員としての自覚を持つことは、公共心や公徳心などといった言葉としてではなくても、今までどこかで教わったことがあるような気がしました。それは学校で授業としてもそうですが、私の場合はとても身近な友達から日々学んでいたのだと思います。その友達は、私と同い年の人で、小学校一年の時から親しい頼れる友達です。家も近く、一緒に受験も乗り越え、この江戸取に一緒に入学することもできました。しかし、普段一緒に登校するほどの仲なのに、身近すぎてその人の行動に気付くことができませんでした。その人は誰にでも優しく、相手の嫌がることは決してしません。そしてその親切さ、優しさは親しい人だけでなく、見ず知らずの人に対してもそうです。常に相手のことを考えているようで、私はその人に傷つけられたことは一度もありません。その人は私にとって一番身近な憧れの人であり、目標の人です。友達のこんなに素晴らしい姿に気付かせていただいた今回の道徳の授業に感謝しています。これからも道徳の授業を大切にしていきたいです。

 私は毎日徒歩で家から学校まで通っています。違うクラスの友達とも話したり笑ったりできる唯一の時間である登下校は、私にとって無くてはならない時間です。でも今までの自分を見直すと、三人で横並びになっていたりして、一般の方々に迷惑をかけていたかも知れません。そして横並びの問題だけでなく、今回話し合った全てのことに言えるのは、相手の気持ちを考えるということ、また何でも自分中心ではなく、相手を尊重し、お互いに過ごしやすくするということだと思います。これからは相手の気持ちを尊重できる公共心・公徳心を養い、規律ある江戸取生として努めていきたいです。

 

 【6組】 公共心・公徳心を養うために
 
  僕は「社会」という言葉は知っていても、意味を聞かれると答えられませんでした。でも貝森先生のお話をお聴きして、集団で生活することの意味が分かりました。また自分は家族に支えられ、国に支えられ、地球に支えられているということも分かりました。僕はそういう人達に常に感謝の心を持つべきだと思いました。これは江戸取の五つの心の誓いにもあります。これをきちんと守って、自分も人に役立つ仕事に就き、誰かを支えられる大人になりたいです。規律とはルールや決まりのことだと今まで思っていました。でも良いことをする、人として正しくない行動をしないという意味もあることをお聴きして、自分は考えが浅いと感じました。これからは何事も深く考えられるようになりたいです。

 公徳とは、社会生活で守らなければいけない大切なことで、この学校では規律や校訓、五つの心の誓いがあります。僕はまだ五つの心の誓いが実行できていないのでそれを実行できるようにして、公共心・公徳心を養っていきたいです。
 今回の道徳のまとめの「周囲を見る目を持つ」ということは、今までの講話などでよくいわれてきた挨拶をすること、感謝の気持ちを持つことにつながります。挨拶は出会った先生にはしていますが、近所の人や友達には挨拶をされた場合にしかやっていませんでした。これからは誰にでも積極的に挨拶をして、周囲を見る目を持てるようになりたいです。
 僕は一度決めたことを続けることが苦手で、すぐに忘れてしまうということが何度もありました。それでもこれから苦手なことを克服し、継続することを得意にしたいです。良いことを続けて、自分の決めたことを守り、夢を現実にできるように頑張ります。

 

 【7組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
 竹中先生の講話をお聴きして、改めて私達は何のために学ぶのかということを考えてみました。日本は小学校、中学校と義務教育を誰もが受けることのできる大変恵まれた環境にあります。私達は当たり前のように毎日学校に通うことができ、色々なことを学ぶことができます。日本の識字率は99.8%ですが、インドでは58%、ニジェールでは17%と、必要なことさえ満足に学ぶことができない人たちがいることに驚きました。日本では、小学校、中学校は誰もが通うことができ、知っておくべき必要なことを学ぶことができます。私達の成長に合わせて国語、数学、理科、社会、英語以外にも体育、技術・家庭科、音楽、美術などの様々な分野を学ぶことができます。それは私達が生活していく中で必要になることです。さらに、日本では高校・大学へと進む人がたくさんいます。大学では色々な学部に分かれて専門的に学ぶことができます。大学で専門的な分野に分かれて学ぶことで、将来の夢や希望が広がっていきます。色々なことを学ぶことで、勉強の仕方や視野も広がっていきます。専門的なことを学ぶことで、豊かな生活を営めるようになります。

 今まで、当たり前のように思っていたこと、感じていたこと、学べることの大切さや幸せを改めて感じることができました。でも時々ですが、勉強することも辛く大変だと思うこともありました。しかし、私には将来なりたい職業があります。そのためには日々自ら学んで、努力することが大切だと思っています。勉強は誰のためでもなく、自分のためのものであるということを理解し、これからも学ぶことのできる環境に感謝をして、一日一日大切な時間を過ごしたいと思いました。また、私は学ぶことで視野が広がり、将来の自分の目標に向かって頑張っていきたいと思いました。そのために苦手な分野も頑張っていこうと思いました。

 

 【7組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
 今回「なぜ私たちは学ぶのか」というテーマのもと道徳の授業を受け、竹中先生から「何を学ぶのか」「なぜ学ぶのか」という二つについて教えて頂き、その上で一人一人お互いの意見を出し合い、班ごとの意見をまとめ発表しました。一つ目の「何を学ぶのか」では識字率について教えて頂きました。日本では、戦前の小中学生であった現在の80〜90代の方々は学びたくても学べない環境であったにも関わらず99.8パーセントと非常に高くなっているのに対し、高い理数能力を誇るインドでも、収入の格差により58%と6割にも満たないそうです。また、ニジェールでは17%とほとんどが読み書きできず、知識がないために子供の死亡率が高いなど様々な問題点について教えて頂きました。そして、普通の状態で学ぶことのできる私達はとても贅沢なのだと教えて頂き、だからこそ「大学で高度な学問を学び、それを活用する」のだと学びました。

 二つ目の「なぜ学ぶのか」では、勉強の意味について学びました。竹中先生に勉強を洋服に例えたり、将来の選択肢の幅を広げるといった現実的な視点で教えて頂きました。ここで教えて頂いた六つの中で、特に後半の三つが心に残りました。「勉強は、将来の豊かな生活を営むために必要である」という話は、勉強によってものの見方を学び、物事を様々な角度から見ることができるようになると知りました。「勉強のやり方を学ぶ」では、勉強の型を作り、それを場に応じて応用するということを学びました。「判断できるようになる」では、それまでに学んだことを生かし、選択の連続である人生をよりよくできるよう自分で判断することの大切さを学びました。

 この授業で学んだことを踏まえ、班で話し合ったテーマは、五教科以外の教科についてでした。班ごとに話し合った結論を発表し、互いの意見を交換することで様々なことに気付くことができました。一定以上常識範囲内の知識を持つこと、それを教養とすることで人とのコミュニケーションを行うことが大切です。たくさんの知識を得て、自分だけではなく他人のためとなる活動ができるよう、一日一日すべてのことから学び、自分のものとできるように努めていきたいです。

 

 【8組】 命の尊さを知る

 今回、道徳の授業を受けて、関わっている人への見方が変わりました。いつも当たり前のように隣にいる家族や友人は、もしかしたら、一秒後、一分後帰らぬ人になるかもしれないし、自分がこの世から去っていくかもしれない。そのような恐怖と現実を改めて理解することで、普段は恥ずかしくて言えないような言葉が素直に言えたり、何気ない会話も大切にしてみたり・・・と、今自分が生きているということを実感することが前以上にできるようになりました。

 生きたくても生きられないという人が数え切れないほどいる中で、自殺をしてしまう人や、誰であろうと関係無しに殺してしまう・・・というような人は、自分だけでなく家族や友人にも悲しみや苦しみを残していくので、何があろうと絶対にやってはいけない行為だなと思いました。それに加えて、自分も相手がいやがるような言葉や行為を絶対にしないようにしようと思いました。そして、東日本大震災で十日遅れで行われた気仙沼市立階上中学校の卒業式における、梶原裕太君のすばらしい答辞を教えて頂きました。家に帰ってから私も答辞の様子を動画でみたのですが、私達とそこまで歳が離れていない少年が「苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です」と言えるほど、深く現実と向き合っていることに感動しました。地震だけでなく病気なども同じです。山崎直也君はいくら余命が短くても決して諦めず、最後の最後まで人々に感謝し、気をつかい生活をしていました。直也君のお母さんが言っていたように、人間としては自分達より全然大人だという考えにとても共感しました。そして、直也君の弟が代わりに自分が死ねば良かったと言ったとき、お母さんが命は代わることのできないものだと言っていました。私はそんな人達がいる中で、今こうして元気に過ごせていることは奇跡に近いことなのだと理解し、これからもすべての人たちに感謝しようと思いました。
 

 【8組】 命の尊さを知る
 
  今回、遠藤先生は「命の尊さを知る」というテーマでお話してくださいました。ぼくは「命」というものについてあまり深く考えたことがありませんでした。命というものは生まれたときから、誰もが当然持っているものでありながら、重く尊いものだということをこの授業を通して学びました。

 遠藤先生が話の中で紹介された、梶原裕太君の答辞には特に感銘を受けました。梶原君は卒業式の予行練習で隣に座って笑っていた友を突然の大震災によって奪われてしまいました。ぼくもついこの間、卒業式を終えたばかりです。もし、仲の良かった友達を突然の天災により失ってしまったら、そのときの悲しみはどれほど深いでしょう。これほどの悲しみを抱えながらも失った友の命の重みを知り、残された命の責任を感じて前向きに未来に向かって歩き出す姿勢には感動しました。これは、あいだみつをさんの詩にもつながることではないでしょうか。その詩にもあるように、ぼくが生まれるためには百万人以上の人間が必要です。この百万人の一人でも欠けてしまえば、ぼくは生まれてこなかったと思います。これは一つの奇跡ではないでしょうか。

 命をつなぐのは人間だけではありません。虫や動物も命のバトンをつないでいます。しかし、地球上で命のバトンがつながれているということを知っているのは人間だけです。つまり、人間しか命のバトンの重みを知らないのです。だからこそぼくは、梶原裕太君が東日本大震災で亡くなってしまった友の命のバトンを受け取ったようにずっと昔から続く命のバトンを落とさないようにして次につなげたいです。