1組 「ルールについて考える」
 今回の道徳では、社会にはたくさんルールがあるということを改めて感じました。授業でもあったように社会ではルールはあまり文章で表されていません。 暗黙の了解として守るのが当たり前であることが多いと思いました。ルールを守らない人がいた場合、周囲の人々は不快な気持ちになります。 それは、周りの人がしっかり規範意識を持っているからです。自分の周りの人々と楽しく、そして安心・安全に過ごすためにもルールは守っていこうと思いました。 もし、自分の周りにルールを守っていない人がいたら、お互いに注意し合うなどして、より良い人間関係を築けるようにしていきたいです。私は高校に入学して間もない頃、「校則が厳しい」と感じる時期がありました。 しかし、中入生たちは、校則をきちんと守り、生活している様子を見て「私も見習わなければ」と思いながら生活をしていました。学校に慣れてきて感じたことは「ルールの中でどれだけ楽しめるか」ということです。 ルールがあるから楽しみが少ないのではなく、その中でも楽しんでいる人が多くいます。今は、ルールを守りながら学校生活を楽しんでいます。このことは社会に出ても必ず役に立つことだと思うのでこのまま継続していきたいです。 今回は「社会になぜルールが存在しているか」というテーマで話し合いをしました。私は社会で生きていくためにはルールは必要不可欠だと思います。 ルールを守って行動すれば、人に迷惑をかけることもなくなり、人は過ごしやすい環境を作っていけます。 また、ルールを守ることで「自分が社会の一員である」という自覚が生まれ、自然と意識が高まり、社会の雰囲気も自然とよくなると思うので、そのような社会になればいいなと思いました。 世界の中でも、日本はルールがよく守られている国の一つです。自分たちだけが良ければよいという意識を持つのではなく、「周囲の人も」という気持ちを持って生活するべきだと思いました。 今後も、自らしっかりルールを守るようにしていきたいです。

 

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2組 「公共心・公徳心を養うために」
 公共心や公徳心というものが、今だけでなく、これからの社会の中でどれだけ重要になっていくか、また自分自身が社会の一員であることを自覚しなくてはならないということを感じました。 言葉では「公共心や公徳心」と簡単に言えますが、今、社会において、その言葉通りの振る舞いができている人がどれだけいるのだろうと考えると、特に若者を中心にそれほど多くはないと思います。 例えば、歩道や電車、バスで座り込む人々がいます。昔は「座り込み族」と言うと、見た目ですぐに分かりましたが、最近は、制服姿やジーパン姿の男子、中にはワンピース姿の女子までもが「座り込み族」と化しています。 原因はいろいろあると思いますが、その一つに、P−DOSの若者の増加が挙げられると思います。 P−DOSとは、自己認識力の低下によって、自分の動機、感情とは矛盾した行動を考えることなく起こしてしまうという症状で、与えられる課題をクリアーすることに専念してしまうことで、自分の行動の意味を考えず、言わば本能のままに自己責任能力に欠けた人になってしまうと考えられます。 その結果、自分の行為そのものが恥ずべき行為かどうか判断もままならず、前述の「座り込み」のような公共心に欠ける行動につながるのではないかと思います。 私はこれまで教えていただいたことを、将来、医師になったとき、これらの問題と向き合い、解決に努めたいと思います。

 

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9組 「ルールについて考える」
 今回の道徳のテーマが「ルール」に関することだとお聴きしたとき、最初は堅苦しそうな内容だと感じました。僕の中では、「ルール=堅苦しい」というイメージが定着していました。しかし、この道徳の授業はそのイメージを変えてくれるものでした。
 「ルール」というものを説明しようとすると、実はとても難しいということが分かりました。本当の意味を説明しようとするとなかなか的確な言葉が出て来ません。
 授業では毎日の生活の中で、ルールが存在しないところはないということに改めて気づかされました。また、意識しない中で、自然とルールが出来ているということも分かりました。
 毎日、自然に出来たルールの中で自分は生活をしているのだということが分かった瞬間、自分の中で「ルール」のイメージが変わったような気がしました。
 「ルール」は日常生活を送るときやスポーツをお互いに楽しむときに危険から守ってくれるとても役立つものであり、必要不可欠なものです。安全に物事を行うためにはなくてはならないものだということも理解できました。 ルールがなくなり、法律もなくなってしまうと人それぞれがやりたい放題で無秩序になり、罪を犯しても平気になってしまいます。それはとても恐ろしいことです。
 「ルール」というものについて、これまでの固定観念を捨てて、常に自分たちはルールの中に存在していて、それが安心につながっているのだということを自覚しながら生活していきたいと思います。

 

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10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 「なぜ私たちは学ぶのか」ということについて小学生の頃、疑問に思っていました。しかし,中学校に入学する頃にはそのような事を思わなくなっていました。 小学生の時は今、勉強している事が将来、何の役立つのか、いつ使うのか、ということが分かりませんでしたが、学年が上がるにつれ、習った事が日常生活の中で役に立ち、普段、何気なく起こっていることの原理が解るようになるにつれて、あまり「なぜ勉強するのか」ということについて考えなくなりました。 授業でも先生が仰っていた通り、解ることが増えると興味を持つことが増えて楽しかったです。中学生の頃は「なぜ勉強するのか」ではなく「なぜ一生懸命勉強しなければならないのか」と考える時がありました。 特に受験生だった時は、そのことをずっと考えていました。志望校に受かるためという理由はありましたが勉強が辛くてどうしてもやる気が出ない時によく考えがちでした。 今は、あまりそのような事は考えなくなりましたが、ずっと納得できるような自分なりの答えをまだ見つけられてはいないと思います。授業では今まで思いつかなかった学ぶ理由があり、とても驚きました。 特に世の中を生き抜く力を身に付けるためという理由が印象に残りました。これから大人になっていく中で、たくさん我慢しなければならないことや嫌なことを一生懸命やらなければならないことがあると思います。 そんな時に、忍耐力などが必要になります。それらを身に付けるための一番身近な方法が勉強であると思えば、苦手でなかなかやる気が出ない教科も頑張れると思いました。 私は部活動で吹奏楽に所属していますが、音楽も勉強もコツコツ努力し,サボらないというのが一番の成功への近道だと思います。誘惑に負けてしまう時もまだありますが、だんだんと自分を律して努力し続けられるようになりたいと思います。 そして2年後に迫った大学受験を笑って終われるようになりたいです。また、受験科目でないものも、他の教科と変わらず勉強したいと思います。



 

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10組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 私は両親に何度も「なぜ勉強するのか」という質問をしたことがあります。 その質問に対する両親の回答は「子供は勉強するのが仕事」、「将来の幅を広げる」、「強い精神力を身に付ける」、「勉強のやり方を学ぶ」、「仕事に役立てる」などというものでした。 特に、中学校を卒業すると、バイトや両親の手伝いなどで仕事をする人たちがいるため、「子供は勉強するのが仕事」という言葉をより実感します。 また、高校を卒業すると様々な専門分野について学ぶので「仕事に役立てる」という言葉は、より実感が湧きます。さらに、センター入試や大学の二次試験によって合否が決まるので「将来の幅を広げる」という言葉も同様に実感できます。 しかし、私は、私たちが勉強する理由とは、世の中の様々なことを「理解できるようにする」ためだと考えた方がしっくりきます。 なぜなら、物事を理解できた方が、その後、自分はどうすればよいのかがはっきりとわかるからです。 例えば、職場で社員と会話をする際、当然のことながら、その職業に関する専門用語が出てきます。 しかし、その言葉の意味が分からなければ会話はおろか仕事すら出来ません。上司から受けた指示の内容が分からなければ仕事に取りかかることもできません。 そして私は、私たちが、何年もかけて多くのことを学び、理解することで、分からない事による不安や悩みから来るストレスを少なくすることができると思います。 例えば、学校の授業で解らないことが出てきた時に、私たちは悩みます。そして、それをそのままにして放っておくと不安が募り、ストレスがどんどん溜まっていきます。 しかし、先生や友人に質問して解ったとき、私たちはそのストレスから解放され、もっと学びたいという意欲が出てきます。このように、勉強するということは、社会で生きていくにあたり、自身の気持ちを安定させるためにもなると思いました。

 

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11組 「公共心・公徳心を養うために」
 今回の道徳の授業では「公共心・公徳心を養うために」というテーマで学習をしました。  私たち人間は、どんなときであっても「社会」の中にいます。家族や学校、自分たちが住んでいる地域など様々な社会があります。そして、社会には必ず規則があります。私たちが社会で生きていくためには、その社会の規則を守らなければなりません。規則は、社会によって様々ですが、規則は社会に必要不可欠であるということはどの社会においても共通して言えることだと思います。
 では、なぜ社会に規則が必要不可欠なのでしょうか。社会とは、人が何かしようとする集団のことです。社会には一人ではなく、複数の人が属して活動しています。この「一人ではなく、複数の人」というところに規則の存在理由があるのだと、私は考えました。一人なら、何をしても自分以外の人に迷惑をかけることはありません。しかし、複数の人がいる社会の中で自分勝手な行動を取れば自分以外の人にどんな形であれ迷惑をかけてしまいます。自分のせいで、自分以外の人に迷惑をかけるということは、どんな事情があるにせよ絶対に良いことだとは言えません。周りの人に迷惑をかけるような行動を取ることがないように規則があるのだと思います。
 私たちは幼い頃から「周りの人に迷惑になるようなことはしてはいけない」と教えられてきましたから、周りの人の迷惑にならないように周囲に気を遣おうとする人が多いと思います。このような気遣いが、今日のテーマである「公共心・公徳心」なのだと思います。そして、この「公共心・公徳心」が「気配り」という目に見えるものなのだと思います。 先ほども述べたように、私たちはこの「公共心・公徳心」というものをあまり意識することもなく、周りの人への気配りを欠かしません。これは「育てられ方」が関係していると思います。 私たち日本人は衛生的で勉強のできる環境で育てられました。礼儀もしっかり教えられました。これは、とても有り難いことであり、日本人としての誇りでもあります。 この有り難みを決して忘れることなく、今後も「公共心・公徳心」を持って生活していきたいです。

 

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