1組 「友人の多様性を受容する」
 私たちは毎日、集団の中で生活しています。その集団に属する人はそれぞれ性格も異なり、良い面、良くない面があるはずです。 今回の道徳の授業では、「友人の多様性を受容する」というテーマについて、グループの皆で自分の性格が相手からどう映るのか、そして相手の性格を自分はどう見ているかを話し合いました。 私が自分は、人からこう見られていると予想していたものとは違い、友達からはそうは見られていなかったり、自分が気付いていなかった面を知ることができました。 普段の生活では余り深く考えることのない、人の性格です。 しかし、私は、人はそれぞれ違った性格で、違った良い面や悪い面があるからこそ、集団生活は成り立っているのだと思います。 成長するにつれて、少なくなっていく、友人同士のケンカを例に挙げて考えてみると、幼い頃は、まだお互いの性格を理解することや、相手を尊重することが難しいのだと思います。 しかし、日々の学校生活や人との関わりを通して、相手を一個人として認めることができるようになってくることで衝突も減ってくるのだと思います。 これらのことから、日常生活を有意義なものにするためには、まずは相手を理解し、それを受け入れることから始まると思います。「友人の多様性を受容する」、これを心掛けることで良好な人間関係を築いていきたいと思います。

 

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2組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 今回の講話は、私にとっては最も考えさせられる内容でした。 その理由は「なぜ私たちは学ぶのか」という質問に対し、これまでの私は「自分の夢をかなえるため」という考えしか持っていなかった私に、自分の夢を持てることがどれほど幸運なことかを気付かせてくれたからです。 例えば、識字率ですが、他の国で低いことより日本が100%でないことに驚きました。どのような人が、この日本で識字が出来ないのだろうかと考えたところ、戦時中に生きた人たちがそれにあたるということでした。 私は、字が読めない世界を想像できません。 しかし、そのような人たちが、お金を得るために幼い頃から仕事をしなくてはならない現状を考えると、私たちは何かをしなくてはならないと思います。 字が読めて、すでに「学ぶ」ということのスタートラインにいる私たちは、大変恵まれた環境に身を置いていると思います。 私たちは親に、学費を払ってもらい、何不自由なく、恵まれた環境で勉強することができます。 私は、この恵まれた環境で、悔いを残すことなく残り2年半を、本気で進路目標の実現に向かって、力強く歩んでいかなければならないと決意しました。 今一度、生活習慣や学習の仕方を見直し、謙虚に先生方の助言、指導を受けながら、目標に向かって前進していきたいと思います。

 

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9組 「友人の多様性を受容する」
 私は、今日の道徳で、自分と友人の感じ方の違いを改めて感じました。 普段「相手からどう思われているのか」ということをあまり考えたことはありませんでしたが、「ジョハリの窓」というワークシートを行ってみて、開放の窓が1つもないことには驚きました。 いつも友達と休み時間に話すときなど相手の長所、短所などは全く気にしていませんが、これからは少し考えてみようと思いました。 中学の時の道徳で、見方によって相手との関係も変わっていき、仲良くなってからでもそこに上下関係ができてしまったら、そこからの修復はとても大変で、元には戻せないという授業がありました。 中学校のときに仲の良かった友達とは、まだ仲良くしていますし、高校に入ってからできた友達とも良好な関係です。 このような友達は互いに良いところや悪いところも分かり合っていますし、悪いところは悪いとお互いに言える関係です。 やはり本当の友達、一生付きあっていく友達となると、お互い良いところしか知らないというのでは、いつかは壊れてしまうのではないかと思います。 悪いところも知ることによって、お互いにフォローし合いながら良い友人関係が築けるのだと思います。高校で出会った友人との付き合いは、まだ8ヶ月程ですが良いころも、悪いところも理解し合えるようになりました。 さらに良き友人関係を築いていきたいと思います。相手を尊重し、相手と自分の考え方の違いを理解しながら、多くの人たちと親しく付き合っていけるように努めていきたいと思います。

 

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9組 「友人の多様性を受容する」
 今回の道徳では、班別活動で自分自身の性格について考えたり、友達からどのように思われているのを知ったり、自分が友達をどのように思っているのかを客観的に知ることができました。なぜこのようなことをするのが効果的なのかということを考えてみると、ある人が自分のことを○○と思っているのに、周りは△△と思って接していると、そのある人にとっては、とてもつらいのではないかということです。ジョハリの窓で言う、「盲目の窓と秘密の窓」のことです。
 僕はこの結果から、一つ残念だったことは、自分では回りの空気が読めると思っていたのですが、友人はそう思っていなかったということです。僕自身、このことで傷つくことはありませんが、このようなことがもっと大きくなると、いじめに発展してしまう恐れがあるので、気を付けなければならないと思います。
 相手をよく知ることは、良好な人間関係を作る上で不可欠です。そして、いじめを防ぐためには最も必要なことです。これまでのAはBであるという周りの印象も、本当にそうなのか、どうかということを見極めなければなりません。 それにはコミュニケーションをしっかりとる必要があると思います。そして友人の異変にすぐに気付けるような関係も大切だと思いました。
 今回は良い面についてのみ、「ジョハリの窓」を行いましたが、逆に悪い面についても行ってみると、自分自身のことも、相手よりもっと、深く知ることができると思います。

 

 





 

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10組 「命の尊さを知る」
 命が大切なのは当然のことですが、命を軽視するような発言をしまうことがあります。なぜなら今日の道徳でもお聴きしたように、人は死に直面すると自分の命と対峙しなければならないからです。 命に真剣に向き合えずに、人生が終われば、それは悔いの残る人生だと思います。そうならないように私たちは、命というものに対して、真摯に向き合わなければなりません。 その一つの手がかりとして、東日本大震災のことを振り返り、知ることは重要なことです。当時、私は小学生でしたが、高校生になった今、改めて振り返ってみるといろいろなことが理解できるようになりました。 授業でお聴きした遠藤未希さんの話は大変感動しました。死ぬ間際まで人を助けようとする姿勢を貫いたことは本当に素晴らしいことです。自らの命の危険も顧みず、多くの人を助けた遠藤さんは命の大切さを私たちに伝えてくれました。 命を大切にする人が増えれば世界中に優しい人が増えていくと思います。今回の道徳の授業のプリント学習で自分が生まれた時について知りました。自分の赤ちゃんの頃の写真を見て、これは本当に自分なのかと不思議な気持ちになりました。 また、親は自分を産む時、とても大変だったのだろうと思いました。 誕生日は自分を生んでくれたことに対する感謝の日なのだということを教わりました。来年からは、感謝の気持ちを親に伝えられるようにしていきたいと思います。

 

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11組 「なぜ私たちは学ぶのか」
 私は、今回の道徳の授業を受けて「なぜ私たちは学ぶのか」という問いに対する答えを、自分なりに導き出すためにいくつかのことを考えました。
 まず一つは、私たちが学ぶ「生活上必要不可欠なもの」とは、決して読み書きや、計算に留まらないのではないか、ということです。 確かに読み書き計算ができれば最低限困ることはありませんが、人と関わり合う社会の中で生きていく以上、そのなかで上手くやっていくために必要な知識があるのではないか、ということです。例えば人とのコミュニケーションで注意すべきことや、大人になったときにしなければいけないことなどは、社会生活の中で必要不可欠なものであり、しかも私たちの経験だけではどうにもなりません。こういったことを学ぶために道徳や家庭科等の教科があるのかもしれない、と考えを深める中で思いました。
 そして次に私が考えたのは「物事が面白くないのは無知だからである」ということについてです。 これは、言い換えると「物事をよく知っている人はあらゆるものが面白い」ということです。 私たちが今、苦しみながらも学ぶことで、世界が面白く見えるということです。そして勉強という一つのプロセスの中でも、自身が努力をして内容をしっかりと理解して「よく知る」ということを行ったならば、その後の勉強が楽しくなるのではないでしょうか。現在の勉強の中で「わからない」とは別に「つまらない」という感情を抱いたならば、それはきっと素質以前に勉強する量が足りないのだと気づきました。 また、しっかり勉強し、それがいつか「楽しい」へと変化したとき、自分の将来への可能性が広がるのだろうと思いました。これは「なぜ学ぶのか」について教わった「物事を的確に判断できるようにする」「社会の一員として、社会の役に立つ」という点にも通じるところがあるように感じました。
 今、私たちが江戸川学園で学んでいる全ての科目や礼儀作法などは、私たちが学ぶ必要があるということが存在理由なのです。その必要性は、いつか私たちが「無知」ではなくなったときに、ようやく分かるのかもしれません。 私たちがこれからの進路選択や職業選択において自分自身を高め、社会の発展に貢献できるような将来を創造していくためにも、私たちはやはり今、学ばなければならないのだと思います。

 

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