平成27年度

中等部1学年 第13回 道徳感想文

2月 15日実施

 

   

    

 

 【1組】 家族について考える
  最近はいつもすぐ腹を立てたり、冷たい態度を親に取ってしまったりすることが多くなっています。それはいつも私のことを考えてくれている親に申し訳ないことです。厳しい意見を言ってくれるのも、私が幸せになるようにと願っているからだと手紙を読んで気づきました。こんなにも私のことを大切にしてくれる家族がいるというのは本当に幸福なことです。普段は感謝の気持ちを伝える機会がないので、この機会を利用して「ありがとう」と伝えたいと思いま す。「かけがえのないもの」という作文を聞き、私も改めなくてはいけないと反省しました。私も親との会話がめんどくさいと思ったことがあります。学校のことや友達のこと、両親は心配してくれているのに、適当に済ませてしまうことが少なくありません。けれども震災のようにいきなり大切な人が突然、 あっけなくいなくなってしまうこともあるのです。今日や明日、急に家族がいなくなってしまうかもしれないと思うと,一日一日を大切にしなければいけないと痛感します。そのことに改めて気づくことができました。当たり前なことが当たり前であることに感謝するべきなのです。
 家族は最も小さい単位の社会といわれます。だから、まずは家族の関係をよいものにしないと、大きな社会の中でも上手くやっていけません。「親しき仲にも礼儀あり」といわれるように家族に対しても感謝し、言葉遣いに注意することが必要なのです。受験の時、いつも健康のことを気遣ってくれたり、塾の送り迎えをしてくれたり、そうした家族の支えがあって江戸取に入学できました。日々家族に感謝し、さらに努力を重ね、難関大学を突破し、目標である科学者になり、恩返ししたいと思います。
 
 【1組】  家族について考える
  今回の道徳で改めて大切だと思ったことは、もっと家族を大切にしなければならないということです。家族はいつも自分のことを考え気遣ってくれる存在です。それなのに反抗するということは親に対して失礼であり、するべきではありません。例えば大きな災害が起こり、家族を失って しまったら、その時はじめて家族の大切さに気づくというのでは手遅れであり、後悔だけが残るにちがいありません。いつ家族と別れてしまうのかわからないのが人の運命というものです。だからこそ家族と過ごす時間を大切にする必要があるのです。親に反抗するようなことがあってはならないのです。今回、母からの手紙の中で 、困った ことがあったときには早く相談してほしいということが書かれてありました。今後、困ったことがあった時は一人で悩まず、母に相談しようと思います。
 自分が小さかった頃のことですが、一年間プランクトンの研究をしたことがありました。毎日手賀沼へ行きましたが、一人では危ないので、母は暑い日も寒い日も付き添ってくれました。感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉だけではなく、何らかの行動で示していきたいと思います。学校の勉強の成績を上げることも親孝行の一つではないでしょうか。成績のことで親に心配をかけないようにしたいと思います。また今後、もしも親と急に別れることになっても後悔しないよう、毎日仲のよい親子として生活していくことを心がけます。自分を支えてくれる家族の存在に感謝し、自分のためにがんばってくれている家族を心から大切にしたいと思っています。
 
 【2組】  文化の多様性を考える
  日本には昔から受け継がれてきた文化や文明があります。歴史や地理を学び、各地域にはそれぞれ独自の伝統芸能や美術、工芸品などがあることを知りました。1年を通して行われる様々な季節の行事には深い意味があり、面白いものです。2月3日の節分日には、私の家では玄関に柊に鰯の頭を刺して飾ります。これにも長い歴史があり、平安時代からあるそうです。鰯を焼いた時の臭いと煙、柊のトゲが近づいてくる鬼の目に刺さり、退治してくれるということです。トゲで追い払い、さらに豆まきで追い打ちをかけます。はやり病や疫病で命を落とすことが多かった平安時代、陰陽道があった頃、時代の苦しみは鬼の仕業だと考えられていたからなのでしょう。毎日使用する食器 も、年中行事に合わせて発達していきます。祖父の家には桐箱に収められたとても美しい漆器がそろっています。普段は格納されていますが、お祝い膳にはそれらを使います。木曽地方の学校では、給食に漆食器を使うことがあるそうです。木曽の漆文化を子供達に伝えたいという願いがそこに込められています。漆が 剥がれたらきちんと直してくれる職人がいるというのも、物を大切にする精神が受け継がれているのです。
 時代と共に日本古来の文化に接する機会は減少しつつあります。日本の文化を大切にしなければならないのは、日本人としての心を保つためではないでしょうか。食洗機で洗えないからと漆器を避けたり、年賀状を出さず、簡単なメールで済ませてしまうのはどうでしょうか。やはり、年の初めには年賀状を出し、節分には豆まきをする、日本文化を知り、その 中で生きることが、世界の異文化への理解にもつながると信じています。僕達はこれからも日本の文化を見失うことなく、守っていかなくてはならないのです。
 
 【2組】
 文化の多様性 を考える
 文化とはその人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式。また、それによって創り出されたもののことと学びました。日本の文化、たとえば着物などの「衣」の文化も、器や箸などの「食」の文化も、精密な技術が必要な「住」の文化も、どれも素晴ら しく、私はそのような文化に誇りを持っています。今回の講話をお聞きし、もう一度日本の文化について考えてみました。
 私が最も誇りを持っている日本の文化は、「言葉の美しさ」です。日本語は、漢字、ひらがな、カタカナの三種類で構成されています。日本人はそれらを用いて、短歌や俳句などの歌、詩をつくってきました。五七五や、五七五七七という、限られた短い文の中には、詠った人が見た風景や、想いなどがたくさん込められています。日本語を美しいと思う理由は、少ない言葉でもさまざまなことを伝えることが可能だからです。
 このような話があります。ある学者が外国で研究をしていた時、外国人に日本の文化について教えてほしいと言われたそうです。その学者は、松尾芭蕉のあの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句をなんとか英訳して伝えたところ、外国人は不思議そうな顔をして「それで、続きは?」と聞いたそうです。短歌や俳句などの文化は、日本人の豊かな想像力と、何が言いたいのか感じ取ろうとする気質があってこそなのかもしれません。
 日本が誇る文化はたくさんあります。衣食住の文化だけでなく、礼儀や思いやりの精神、季節ごとにある行事や祭り、安心安全な技術…これらの文化や伝統は、先人達の努力、願いによって築かれてきました。現代に生きる私たちも、未来の人たちが誇れるような新たな文化を創り出せたらすばらしいと思います。

 
 【3組】  家族について考える
 2月15日の道徳で、「家族」とは何か、また僕らは「家族」 からどんな影響を受けいるかを考えることができました。
 「人間」は、社会的な生き物で、共同生活を営んでいます。「家族」は、共同生活を営む上での最小の単位です。「社会」は、家族の広がりによって形成されているものです。僕は世界の中で一番大切なものは「家族」だと 考えます。「家族」の広がりで社会が形成されているのなら、この世界は人と人とが支え合う社会になる はずです。しかし、今でも世界から争いが消えないのは、「家族」に対する考え方に違いがあるからかもしれません。それが原因で争いが生じているとすれば、とても悲しいことです。
 また、子は親の愛情によって育っていくといわれます。子が親から受ける愛情とは、「他者を深く思いやり、慈しむ気持ち」 と学びました。その愛情を受けた子供が、やがて自分の子供や友人へ同じ愛情を注いでいくという連鎖で、この世界が回っていけば、優しさや思いやりに満ちた世の中になるでしょう。しかし残念なことに、地球上のすべての子供たちに愛情が注がれているかは疑問です。それが争いが絶えない理由の1つのような気がします。愛情を知らない子供がいなくなることが、世界平和の実現のための第一歩です。僕には愛情を注いでくれる「家族」がいます。その幸せに感謝して、これからも生きていこうと思います。

  【3組】  家族について考える

 家族は私たちにとって、一番身近な存在です。一番身近な存在であるからこそ、その大切さに気づかないのかもしれません。子供は親の愛情で育つとあります。確か に子供は親の愛情を受けて育ちます。しかし、愛情を受けすぎると過保護になってしまい、子供にとってマイナスの影響になってしまいます。ですので、親の愛情を受けて育つのは良いことなのですが、愛情を受けすぎてもいけない、ということです。無論、放任はプラスの影響にはならず当然マイナスの影響になります。人間は一人では生きていけないということは以前の道徳でも学びました。人間は組織を形成します。その中でも家族は血縁関係で形成された 身近な組織です。普通の生活をしていれば、私たち中学生は1日に1回は家族に会います。実はこの1日に1回という数字は珍しいのです。クラスという組織でも休日に会うことができないときもあります。そう考え ると、1日に1回は非常に珍しく、この事柄が家族は身近な存在だということを示しています。身近だからこそ気づかない愛情があるのです。今回、私はそのことを実感しました。父親からの手紙です。こんなに家族は自分のことを大切に思ってくれていることを改めてわかりました。今後は家族に恩返しできるように、今はしっかりと学んでいきたいです。
 
 【4組】  働くことの意義
 今回の道徳「働くことの意義」で、働くことの意味について考えました。
まず、「世の中で一番立派なことは一生涯を貫く仕事をすることである」という言葉と「世の中で一番さみしいことは、仕事がないことです。」という言葉についてです。一つ目の言葉を聞いて、僕も一生涯を貫けるような仕事をしたいと思いました。そのような仕事をするためには、今のうちから勉強をしっかりとして、どんな仕事がしたいかという選択肢を増やしていく必要があると思います。これから、しっかり勉強して、やりがいのある仕事に就きたいです。
 二つ目の言葉を聞いて、最初はよく意味が分かりませんでした。仕事のない人は、のんびりできてうらやましいと思っていました。しかし、日本理化学工業に来て働いた2人の話を聞いて、仕事をすることによって、社会のために役立っているという実感を味わうことができ、それが生きがいとなるということを学びました。
 次に、二人の石切り職人の話についてです。一人目の石切り職人よりも二人目の石切り職人の方を見習いたいと思いました。同じ作業をしていても、その作業を面倒なマイナスなことだと思ってやるか、プラスに考えてやるかによって、全く違ってくると思います。だから、勉強や宿題をするときに、「面倒だし、やりたくないな。」と思いながらやるのではなく、「勉強をして、いろいろな問題が解けるようになるのは、楽しいな。」と思いながら、勉強をするように心がけていきたいです。また、二人の石切り職人の話から、働きがいのある仕事に就きたいと思いました。働きがいがない仕事だと働く意欲が薄れてしまいます。仕事をするようになったら、世の人々を幸せにする喜びを味わいたいです。
 「大人の条件」についてのお話では、「自分で稼いで、自分で食べていくという経済的自立ができていること」と いうことを学びました。社会の一員として、「経済的自立」を目指していきたいと思いました。アルバイトを一日3回するような苦しい生活をするのは大変です。そのためにも、これから勉強をしてよい大学に入って、仕事に就きたいです。
 最後に、僕は周りの人を楽にできるような人になりたいと思います。また、周りの人を楽にすることに喜びを感じることができる人になりたいです。そのことをこれからの学校生活で実践し、大人になる頃にはそれが当たり前になっているようにしていきたいです。

 【4組】 働くことの意義
 今回の竹中先生のお話をお聴きし、早く大人になって社会で働きたいと思いました。働くことによってお金を稼ぐということの他に、自分の心を磨くことができると学びました。中学生の僕は、親が働いたお金で生活しています。将来、自分も社会に出て働くことになりますが、父親のように朝早く家を出て仕事場に行き、 長時間仕事をし、そして疲れて家に帰ってくるという自分の姿が全く想像できません。働くことが大変なことなら、働かなくていいと話を聴く前は思っていました。しかし話を聴き、人間は1人では生きていけないことに改めて気づきました。みんなで協力し、この世界を生きていくのです。1人でも多くの人々が働くことによって社会は豊かになっていくはずです。
 今の僕は将来、今勉強していることをフルに使い、リーダーとしての立場で沢山働高と考えています。幼い頃、母親に「どうしてお父さんは一生懸命働くの?」と聞いたことがありました。すると、 「仕事がとてもやりがいがあって、自分と家族を生きていけるようにしたいからじゃない?」と言われました。僕はその言葉を聞いた時、胸にくるものがありました。僕も将来父親になった時、父親と同じような気持ちで働きたいと思います。
 また授業ではダストレスチョークについてのお話がありました。僕はこの話が気になったので、インターネットで調べてみました。僕は誰でも楽しく働ける会社に入って仕事をするのが夢です。今の僕は働きたいという気持ちが溢れるくらい生まれています。
 
 【5組】 福祉社会
 私は今回のお話をお聴きして、今まであまり意識していなかった社会的弱者の存在について考える事ができました。先生のお話の中で特に印象に残った言葉は、「ノーマライゼーション」です。「ノーマライゼーション」とは、「障がいのある人もない人も区別なく同じように生活することが当たり前である」という考え方です。私がポイントだと思うのは、「区別なく同じように生活することが当たり前」というところです。確かに「当たり前」でないと「福祉社会」の実現にはつなが りません。格差のある社会は、「福祉」の意味である「幸せ」な社会とはいえないでしょう。
 私の家の近くに障がい者のための学校があります。塾に行っていた頃、障がい者の人とよく電車で一緒になりました。そこで私は、障がい者に対する冷たい視線を感じました。障がいを持った 人たちは何も悪いことをしていません。冷たい視線を受けなければならない理由は何もありません。しかし、障がいを持つ方人たちに対して偏見を持っている人が今もいるのが現実です。このような状況では、決して「幸せ」が実現しているとは いえません。先生がおっしゃっていたように、私たちは「知るべきことを知る」ことが必要です。社会的弱者の存在をきちんと認識して、それから自分のできることを行動に移すことが、「福祉社会」の実現へつながっていくのです。まず私にできることはボランティア活動に積極的に参加することです。私たちの小さな心遣いが積み重なると大きな力になります。この授業を受けた自分たちが実行し、「福祉社会」を実現させたいと思います。

 【5組】 福祉社会

 
「福祉」の「福」も「祉」も「幸せ」という意味です。「福祉」というのは、社会の成員すべてに等しくもたらされるべき幸福・生活環境ということです。今私の 肉親には、社会的弱者と呼ばれる人はいません。けれども以前、私の祖母は今は亡き父方の曾祖母を1人で世話していたそうです。それ以外にも、私の伯父や従兄も一緒に暮らしていたので、食事は別々のものを作らなければならず、また、トイレが一つしかないためにとても時間がかかり、みんな我慢しなければならなかったなど、つらいことがが絶えなかったそうです。さらに祖母は曾祖母が老人ホームに入った後も、毎日のようにそこへ通ったそうです。
 社会的弱者は、その人に何らかの不自由があるため、その分を誰かが補わなければなりません。だから、 社会的弱者は必然的に他の人に迷惑をかけていることになります。そしてその「迷惑をかけている」という意識 は心の負担になり、「自分がいても意味がないのではないか」という思いへと変わっていってしまうことがあるかもしれません。それは実に不幸なことです。
 後から聞いた話ですが、私と同い年の従姉の二人は、よく曾祖母のところへぬいぐるみを持って行き、遊んでもらっていたそうです。その時、私たちが楽しそうに笑っているのを見て、曾祖母の気持ちもかなり救われたのではないかということでした。
 その人が今そこにいる理由を見つけてあげることが大切
なのかもしれません。障がいを持った人たちは、異質な存在に位置づけられ ることを望んでいないはずです。小学校のクラスメイトの中に、少し精神的に障がいがある子がいました。暴力的な行為はしない子でしたが、やはり私たちは、自分たちとは違う存在として接すること がありました。そのようなことにならないように知るべきことを知り、ノーマライゼーション、精神のユニバーサルデザインを広めていければと思います。そのために傾聴ボランティアなどに参加するなど、今できることをやっていきたいです。
 
 【6組】 礼儀について
 今回の「礼儀について」について考えたことがあります。
 まず挨拶についてです。最近私は学校の先生方や友達、家族だけでなく、近所の方や登下校中によく会う方にも挨拶をするようになりました。きっかけは、一人のおじいさんでした。自転車をこいでいた私に「おはよう、いってらっしゃい」と声をかけて下さいました。私は朝からとても良い気分になりました。その頃から私は些細なことでも挨拶をするようになりました。細い道で道をあけてくれた方には「ありがとうございます」と、工事などの仕事中の方に「こんにちは」と。今では、たくさんの方が朝通る私に声をかけて下さるようになりました。このようなことがあったため、挨拶の漢字の意味はとても納得できました。私は自ら働きかけることの大切さをこのことから学ぶことができました。
 次に挨拶だけでなく、全ての礼儀についてです。私は以前、お年寄りが重たそうに荷物を持っていた時、助けてあげることができなかったことを今でも深く後悔しています。それから後は、足が不自由で商品が取りにくそうにしている人を見たり、電車で立っているお年寄りがいる時は助けてあげられるようになりました。そのときその人たちは「ありがとう」と何度も言ってくださいました。 今の私は、礼儀とは少し違うかもしれませんが、電車内のゴミを拾うなど、人が見ていないところでも積極的に活動しています。そうしていると私まで 気分がよくなり、これからも続けていこうと思うのです。
 すべての人が気持ちよく生活できる世の中が作れたらいいと思いました。

 
 【6組】
 礼儀について
 礼儀についての今回の道徳では、「親しき仲にも礼儀あり」ということわざを思い出しました。日本人は外国人より礼儀正しいといわれます。なぜなのか考えてみました。
 まず、礼儀を重んじる文化があるからだと思います。礼儀の一つとして挨拶があります。私は小学校の時、学校行事として「あいさつ運動」をしたことがあります。「あいさつ運動」とは、小学三年生以上の学年がクラスごとに順番に校門の前に朝の登校の際に立って挨拶をするというものです。当番の時は、早起きをして学校に行かなければならなかったので、私はあいさつ運動に嫌々参加していました。今考えてみると、この行事は私達児童に挨拶の大切さを伝えるための行事だったと思います。他にも校長先生が校門の前に立って登下校の時に挨拶をして下さったり、教務主任の先生が校長先生と同じように校門の前に立って挨拶をして下さっていたことを覚えています。挨拶は礼儀の中でも基本ですので、これからも大切にして いきます。
 言葉遣いも礼儀として大切だと思います。乱暴な言葉遣いは、相手を不愉快な気持ちにさせます。私は普段から丁寧な言葉遣いになるように心がけています。相手を不愉快な気持ちにさせないことも礼儀の一つです 。これからも言葉遣いに気をつけていきます。
 今回の道徳の授業を受けて、改めて礼儀についてを考えることができました。これからも積極的に挨拶をし、丁寧な言葉遣いをするように心がけたいと思います。

 
 【7組】 いじめのない社会
 今回の道徳の授業を受けて、まず、自分の居場所について考えました。自分の居場所は周りとコミュニケーションを取ることで作るものだと思います。コミュニケーションを取って友達を作ること ができれば、その場にいることが苦にならなくなり、楽しくなります。しかし集団の中で、堂々とした態度がとれず、友達を作ることが苦手な人もいます。そのような人がいたら、こちらから話しかけていくことが大切だと思います。
 次に、いじめはなぜ無くならないかを考えました。それは人は、それぞれ精神的・肉体的な個性があり、互いにそれぞれの個性を認めないときがあるからだと思います。日本人は、意見をあまりはっきり主張しないことが長所でもあり、短所でもあるといわれます。しかし、相手が傷つくことが予想できれば、そのようなことは言わない方がよいのが当然です。相手の気持ちを察して、状況に応じて自分の行動を変えることは大切なことです。
 次に、いじめを見て見ぬふりをすることについてです。今回、衆人環視についてお聴きして、周りの空気に流されるということについて考えました。空気を読むというのは、楽しく生活を送る上で必要不可欠なことだと思います 。自分が空気を読んで行動しなかったために他人を傷つけることもあります。それもいじめにつながってしまいます。また、いじめの場合、ある人が誰かをいじめているのを見た場合、次は自分が標的にされたら嫌だという理由で、周囲の人が見て見ぬふりをすることがあります。 それは空気を読みすぎてしまったために、反って何もできなくなってしまったということかもしれません。自分が周りの人の立場でも、加害者に注意をすることはたぶん難しい気がします。しかし、何もしないのではなく、被害者と話をしたりして、傷ついた心の負担を少しでも軽くし、支えてあげたいと考えています。
 コミュニケーションをとって自分の居場所を作ること、何事にも関心を持つことを意識して生活していきたいと思います。
 
 【7組】 いじめのない社会
 今回の道徳で、いじめの恐ろしさを知りました。私の小学校では、いじめはなく平和だったため、いじめの恐ろしさ、いじめの起こる原因がわかりませんでした。しかし、ちょっとした友達関係のトラブルや、小さないじりあいのトラブルが、いじめに発展 することがあると知りました。また、いじめにならなくても、知らず知らずのうちに相手の心に大きな傷を残してしまうことがあるということも知りました。私も気づかないうちに、友達の心を傷つけてしまったことが これまでなかったでしょうか。これからは誰にでも優しい心を持って話そうと思いま す。そして、誰か元気をなくしている人がいたら、「どうしたの?」と声をかけて、悩みを聞き、その人の傷を少しでも 和らげる力になってあげようと思いました。
 今回の「いじめがなくならないのはなぜか」という質問の、私の答えは、五つの心の誓いの二番目、「人への思いやりの心を持つ」が欠けているからだと思います。思いやりの心さえ持てば、相手の気持ちをちゃんと考え られるから相手を傷つけるような行為は絶対にしなくなります。これから先、自分がいつの間にかいじめをしていたということが絶対にないように、五つの心の誓いをしっかりと心に留め、思いやりの心を持って生きていきたいと思いま す。社会科見学で、佐原の町並みを見に行ったとき、「いじめは犯罪、絶対に許さない!」と大きく書かれたポスターを見ました。「いじめは犯罪」というくらいの気持ちでこの問題に関わるべきなのだと、このポスターと今回の道徳授業で強く思いました。
 
 【8組】 文化の多様性
 今回の道徳で、文化の一つひとつが今自分が生活しているものに強く関係しているのを改めて感じることができました。家に帰ってきたら玄関で靴を脱ぐということや、ひな祭りがある日の少し前からひな人形を飾ること、食べる時におはしを使うこと、今はあまりないですが、着物を着ることなどたくさんありま す。また、日本人は自分の意見をあまり主張しないこと、目上の人を敬うという心がすごく強い ことも文化の一つといえます。日本特有の文化の中で暮らしていると他の国の文化と触れ合った時、これは変だな、なんか違うなと感じることがあります。他の国の生活習慣に は不思議に思うことがたくさんありますが、考えてみると、海外の人も日本の文化を不思議に思っているのではないかと感じました。他の国の文化を不思議に思うことがあっても 、もっとその文化について深く知ると同時に、日本の文化も海外の方に伝えていきたいと思います。調べてみると日本の中の世界遺産は文化遺産が15、自然遺産が4の合計19あることがわかりました。私は日本の中にこんなに多くの世界遺産がある ことを知りませんでした。昔からのものを大切にに受け継いでこなければ、世界遺産は残っていなかったはずです。それはこれからも同じです。文化の多様性を理解する中で 、世界遺産に興味をもって調べたおかげで文化について少し詳しくなりました。この文化をこれからもずっと残していけるように、次世代に伝えていく取り組みに協力していきたいです。また、世界遺産だけでなく、節分や正月におせち料理を食べるといった習慣も日本特有の文化ですので、これらも継承し、それと同時に海外の人たちにもこ うした文化が日本にあることを知ってもらいたいと思います。

 【8組】 文化の多様性
 今回の道徳を受け、今まで先人から受け継がれてきた文化を今後も後世につないでいこうと思いました。世界文化遺産は日本にもたくさんあります。それはユネスコで決めたものですが、日本には世界遺産に登録されていないものでも、それと同じくらい重要な文化がたくさんあります。そうした文化もこれからも大切にして守っていかねばなりません。伝統的な芸能、音楽、武道などがそれにあたります。 また、文化は日常生活そのものであり、人々が時間をかけて成熟させた生活様式の全体であると学び、テレビ番組で紹介されているような有名な文化だけでなく、日本特有の昔からある地味で目立たない文化の中にもすばらしいものがあると知りました。
 僕は江戸取のオーストラリア短期留学への参加を希望しています。留学の目的は英語の習得はもちろん、相手を理解、尊重すること、自分自身を主張することを実践することです。そのためにも留学に行く前に 「日本」についてしっかり理解することが必要です。そして現地では、生活習慣の違いから生まれてしまう異文化の壁を打ち破りオーストラリアの文化を 受容することから始めるつもりです。今回の道徳をお聴きしてオーストラリアへ行く心の準備が1つできたような気がします。
 

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