平成27年度

中等部1学年 第9回 道徳感想文

11月 16日実施

 

 

 
【1組】 いじめのない社会

 いじめは、今まではいじめられた側が悲しむということしか考えていませんでしたが、「いじめは『人権侵害』である」という考え方を今回の道徳で学びました。また、いじめの要因は人の序列化、優劣化や加害者の心の弱さが原因だと教わりました。相手を理解し尊重し、自分の行動の誤りに気づき、それを自分自身で止める心の強さがあれば、本来いじめは起きないはずです。
 話し合いでは、どうしたらいじめはなくなるのか具体的に話し合いました。私たちの班では、原因は人を序列化することや、加害者の自己中心的な態度にあるという考えに基づいて、いじめをなくすには、行動に移す前に相手の個性を認め、相手の気持ちを考えること、理路整然とした正しい言葉で相手に自分の気持ちを伝えることが大切だとまとめました。また周りで見ている人は見て見ぬふりをせず、いじめをなくす努力をしていかなくてはなりません。他の班の意見には、加害者はいじめを自分のストレスの発散の場にしてはならない、相手の悪いところだけでなく良いところを探すようにするといった意見があがりました。ストレスがいじめをしてしまう要因の一つであるといわれていますので、ストレスため工夫をしなければいけないと思いました。
 最近もいじめが原因で自殺をしたというニュースが多く取り上げられています。命は一つしかない大切なものなので、いじめにより失われてしまうことがあってはなりません。これからもいじめの問題についてはしっかりと考え、お互いを大切にしながら生活していきたいと思いました。 
 
 【1組】 いじめのない社会

 いじめはいじめられている人の人権を侵害するもので犯罪です。しかし、いじめが社会の中からなくならないのはいじめを犯罪だという認識がなく、軽く考えてしまっている人や自分がいじめているという自覚がない人が多いからでしょう。私たちは社会の中で生きているので、どうしても他人と意見が合わなかったり、自己中心的な考えをしてしまうことがあります。しかし、そこで自分勝手な行動を取ってしまわずに相手のことを互いに尊重し、思いやりのある行動をとれるようになれば、協調性のある、よりよい「社会」ができ上がるはずです。
 最近もいじめが原因で自殺してしまう人がいるというニュースをよく聞きます。その原因は、相談できる人がいなかったり、周りの人が見て見ぬふりをしているからだと思います。実際にいじめがあった学校の多くは、同級生達はいじめをただ見ているだけだったようです。自殺してしまった後ではもう取り返しがつきません。いじめを見たら注意をする。もしできなければ先生や親、友達に相談するようにしたいです。
 私はいじめられた経験はありませんが、小学校の頃、友達でいじめられている子がいました。その子は小学校に来ることが少なくなってしまいました。その時の私が相談に乗ってあげたりできればよかったと思います。
 小学校でもいじめについて学習しましたが、それほど深く考えることはなく、江戸取ではじめて、いじめはいかなる理由があろうともいじめた側が悪いということを学びました。それまではいじめられた側にも原因があり、そこを直さなければいじめはなくならないと思っていました。これまでの考え方を改め、いじめのない社会を作っていきたいと思います。
 

 【2組】 働くことの意義

 社会の一員として今回は働くことの意義についてのお話をお聴きしました。私が思っていた働くことの意義は、「社会に貢献する・人のために働く・大切な人のために働く 」です。ところで「働く」の語源は「傍楽」で「そばにいる人を楽にする」という意味があるそうです。お金を稼ぐこともとても大切ですが、働くことの根本にあることは、他人のために、利他の心を持ち、奉仕することだと思います。この心さえ忘れなければ、自分に就く仕事に達成感を得ることができるはずです。私にもなりたい職業がありますが、自分にあった仕事が何か、今ははっきりとは分かりません。これからは視野を広げて、たくさんの職業を調べてみて、自分にあった、長く続けられるような仕事を見つけたいです。
 社会に出て仕事をする際、お金などの目に見える報酬も必要ですが、達成感や人間としての成長といった目に見えない報酬こそが重要ではないでしょうか。私は自分で選んだ仕事を一生続けたいと考えています。長く続けるには、人からも求められ、必要とされる人にならなければなりません。そういう人になるために、この江戸取で人格を磨くことに努めています。今は基礎の段階で、不十分なところもありますが、人格的にも人の範となるようこれからも努力したいと思っています。授業では、「もし10億円が当たったら働くか、働かないか」について話し合いました。私は、たぶん働き続けると思います。少し、家を大きくしたりはすると思いますが、仕事を続けると思います。やらなければならない仕事が何もないと、かえって楽しく充実した生活を送ることができないと思うからです。
 また、離職率が高くなっているという話は印象的でした。大学を卒業した人の10人に3人が仕事をやめてしまうそうです。様々な職業について調べ、職業選びをしっかりと行い、自分の与えられた役割を全うして、多くの人々に貢献できる仕事をしていきたいです。

 【2組】 働くことの意義

 中山先生の講話をお聴きして、改めて「働く」ことの意味や大切さを学ぶことができました。「働く」という言葉を聞いて、私が最初に連想したことは「大人」です。授業では「働く」の語源は「傍楽」で、意味は「周囲の人を楽にするために人が動くこと」と学びました。つまり、「働く」とは大人になってからすればいいというものはないことがわかりました。
 社会人として働くのは、人生を八十年とするとその半分の四十年間です。私には理学療法士という夢がありますが、私はまだ世の中について何も知らないので、どんな仕事があるのか、世の中の仕組みを学んだ上で、自分の本当にやりたいと思える職業に就けるよう努力したいです。
  また、離職率をお聴きして、思っていた数よりも多いことがわかりました。自分で選んだ仕事でも、最初は雑用ばかりで本来の仕事はさせてもらえず、つまらないと思う人がいるのかもしれません。しかし、何事においても最初は雑用や基礎からだと思います。私は小学校の時からスポーツをやっていましたが、最初から試合に出してもらうことはなく、雑用や基礎練習ばかりで、学年が上がるにつれてようやく試合に出してもらえるようになりました。仕事も同じだと思います。任されたことをしっかりひとつひとつやっていけば、いつかは大きなことを成し遂げることができ、この道を選んで良かったと思う日が来るはずです。ですから、少しくらいの苦労や嫌なことで簡単に物事を投げ出さないようにしなければなりません。
 今回は、「何のために働くのか」についても考えることができました。クラスの意見では、「お金のため」、「生きていくため」など、様々な意見が出ました。私は「お金のために働く」というのは少し抵抗があります。私は、働くのであれば、社会をより良くするためや、人の役に立つために働きたいと思います。人のために働き、何か人の役に立つことができたときは、相手も自分も幸せな気分になるにちがいありません。今は、働くための基礎をしっかり作るため、自分がすべきことをひとつひとつ着実にやっていきたいです。
 

 【3組】 福祉社会

 私は今回武居先生の「福祉社会」という授業を受けて、色々感じたことがあります。まずはそもそも福祉についてです。福祉とは全ての市民に最低限の幸福と社会援助を提供するという理念です。日本は国民の4人に1人が65歳以上という超高齢化社会を迎えているという現状があります。4人に1人とは40人のクラスで10人が高齢者ということです。その上、今後も早いスピードで高齢化になっていき、2050年には3人に1人が65歳以上になっていくのです。その1つの要因として医療技術の進歩があります。高齢化になるということは、平均寿命、健康寿命も延びていくということです。平均寿命は男性が80.56歳で、女性が86.83歳で世界一です。健康寿命は男性が71.11歳で、女性が75.56歳となっています。長生きすることは素晴らしいことだと思いますが、20歳〜64歳の人口(生産人口)への負担がものすごくかかってくるといわれています。さらに19歳以下の人口が減少しているということは生産人口にあたる人々への年金の額がどうなってしまうのか不安です。未来がある子供たちといわれますが、果たしてすべてがいいことばかりなのでしょうか。改めて考えていきたいと思います。
 また私たちの班では登下校の際、バスから降りるとき、そばにいる生徒のバックが邪魔になってスムーズに通れないという問題点が出てきました。私は先に降りて通路を開けておくようにしています。話し合いではみんな邪魔だと思っているのだからお互い我慢することも必要だという意見も出ました。また、バックをどけるよう話すという意見が出たり、見て見ぬふりをする、つまり無視をすると考える人もいました。私は誰にでも優しくできる人になるためにも、これからも困っている人がいたら助けてあげ、反対に助けてくれた人には必ず感謝の気持ちを伝えようと思います。

  【3組】 福祉社会


 駅の近くを歩いているとお年寄りの方とすれ違うことが多くあります。私は上海に住んでいたことがありましたが、そこでは日本ほどお年寄りの方を見なかったような気がします。近年は孤独死や超高齢社会、年金などのワードを見かける機会が増加しています。これは、日本の高齢化が確実に進んでいる証拠です。年をとると、若いときよりも身体に負担がかかるそうです。そうした負担を少しでも減らすために、ユニバーサルデザインやバリアフリーがどんどん普及しています。福祉社会が実現すれば、高齢者が暮らしやすくなります。高齢者だけではなく、身体的に不自由な人や子供までも暮らしやすくなります。福祉とはすべての人が暮らしやすくなること、差別や偏見をなくすことだと思います。
 自分の体験ですが、私は以前に人助けをしたことがあります。道端におばあさんが倒れていました。私は最初、通り過ぎようとしましたが、振り返って見ると、膝をおさえていました。その手からは血が流れていました。ちょうど近くに交番があったので警察にそのことを報告しました。買い物から戻ってくると、救急車が来ていました。私はそのとき初めて、一大事だったということに気づきました。今思い返すと人の協力があってこそ福祉社会が成り立つと思いました。これからはますます、高齢者への配慮や対応が必要になっていきます。すべての人々の協力がなければ福祉社会は実現しません。今後は自分にもできることを積極的に実践して福祉社会を実現させたいと思います。
 
 【4組】 文化の多様性 

 僕は、第9回道徳「文化の多様性」でこれから3つのことを実践しようと思いました。一つ目は日本特有の文化を勉強し、それを大切にすることです。グローバル社会において、相手の文化を尊重することも大事ですが、自分の国の文化について紹介することができることも大切です。外国で暮らしていると、日本の文化を何か紹介してくれと言われることがあるそうです。そんなときに、日本の文化に関する特技を持っていたり、日本の文化についてよく知っていたりすれば、それについて教えてあげることができます。グローバル化が進んでいる今こそ、日本の文化について勉強するべきだと思います。僕は、書写の授業を真剣に受けること、能や歌舞伎などの伝統芸能を鑑賞する機会があれば、興味をもって観ることなどを確実に実践しようと思いました。
 二つ目は、異なる文化をもっている人との接し方です。僕は「なでる」という行為が外国の人から見ると、変な行為であるということを今回の授業で初めて知りました。しかし、だからと言って、外国に行ったら、他の国の文化に合わせる必要はなく、自分の文化を紹介するということと相手の文化を尊重することのバランスを保つことが重要だと思います。今、グローバル化が進んでいるので、これからは二つのことのバランスを保ちたいと思います。また個人個人の関係でも同じことが言えます。
 三つめは、異なる文化をもつ人たちが共存するために必要なものについてです。僕は英語力やユーモアのセンスが必要であると思いました。まず英語を苦手にしないようにしっかりと勉強したいと思います。また日本語でも英語でも楽しい会話でなくては、相手も嫌になってしまいますので、ユーモアのセンスを身につけることも大事です。そうしたことを実践し、6年後には完璧になるようにしたいです。

 【4組】 文化の多様性

 私は、学校で陶芸部に所属しています。また、外部で書道を習っています。これらの日本文化を学べるのは、日本人として、とてもうれしいし楽しいことです。今はこれらをしっかり学び、もし将来、異文化の人たちと出会ったら、これらを紹介したいと思っています。今日の授業を受け、日本文化の中で生活している私は、あまり他国の文化について考えたことがなかったことに気づきました。また、社会地理の授業では、世界の産業や文化について学習しました。興味をひいたのは、世界の文化です。気候によって変わる食材、それに適した料理、衣服、住まいなど、日本と比べると違うことばかりでした。習慣も違います。例えば韓国を学習したときに、韓国では、なぜ片手で食べるのか、と不思議になりました。日本では、両手を使って食べるのがマナーです。でも、文化は昔から築き上げられてきたものなので、片手で食べる動作にも、きっと意味があるはずです。だから、食事の時のしぐさも不思議がる必要はないと感じました。これからは、どんどん他国の人と交流する機会が増えていきます。だから、異文化にも多く触れる機会も増えます。私は今年京都へ行ったのですが、その時も様々な国の人々がいました。5年後には東京オリンピックも開催されます。そのときに、異文化に対して偏見を持つことなく、相手の文化を理解して対応することが大切だと思います。また、同時に、自国の文化に誇りを持ち、接することが大切です。私が日本の文化を楽しいとか、おもしろいとかと思うように、他国の人も自国の文化を尊重しているはずです。そう考えれば、争いも起こらないだろうし、相手の国に対する偏見もなくなると思います。


 

 【5組】 家族について考える

 東日本大震災、それは突然起きました。死者約二万人、行方不明者二千五百人以上、日本にとても大きな爪痕を残しました。テレビでは毎日のように、家族を亡くし泣き崩れる人の姿が報道されました。人々は口をそろえてこう言いました。「失ってから気づくことが多すぎる」今回、先生は家族の絆について話される際、東日本大震災後に書かれた作文を読んでくださいました。かけがえのない家族の大切さ、どうしても自己中心的になってしまう自分の弱さ、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える大切さ。たくさんのことを学ぶことができました。「家族」とは、私にとっていつも一番近くにいて、それぞれがそれぞれを支え合う存在です。どんな困難でも一緒に協力して立ち向かうことができる、そんな家族でありたいと思っています。しかし、それを実際にするのはとても大変なことであることを私は知っています。これから反抗期に入るであろう私は、ますます家族に反発し、怒り、けんかもすることでしょう。今でさえイライラをぶつけてしまうこともあります。どうしても抑えきれず、ぶつけてしまった後は必ず「ごめんね」と言うことにしています。そうすることによって、いくらか怒りが収まるのです。そして、どんな小さなことでも、自分のためにやってくれたことがある時、「ありがとう」と言います。もちろん、朝起きた時や夜寝る時の挨拶も忘れません。言葉を交わすことによって、「家族」は保たれているのだと思います。
 話は変わりますが、今回親に手紙を書いてもらいました。母が今までどんな気持ちでこの十二年間私を育ててきたのか知ることができ、感動しました。あと何年間、共に笑い、泣くことができるのかはわかりませんが、これからもっと家族を大切にして、親孝行したいと思います。

 【5組】 家族について考える

 僕は今回「家族について考える」ということをテーマにしたお話を聞いて、ある目標ができました。その目標というのは「必ず折れない」ということです。僕はこれから何に対しても心が折れることをなくします。「折れない」という言葉は、様々な場面で用いられます。たとえば、サッカーのプレイ中に、相手に体で負けたとしても、あきらめずに戦う心や、仲間の中で色々と自分と異なる意見が出て来た時に、必ず自分の意見をきちんと述べるなどのことです。僕は今まで何事にもどきどき、おろおろしていました。その自分の情けなさや幼さから、大人に向かって胸を張って生きられる人になります。僕は家族がいて幸せです。お父さんとお母さんがいなかったら、自分はいません。家族がいなかったら私立の学校には行けず、このような重要な道徳の授業も受けられません。僕は今回の授業で紹介された「ゆりちかへ」の動画を親と一緒に観ました。お母さんの残したカセットテープの実際の声を聞きました。その時、僕は家族と共に泣き崩れました。家族というものをもう一度考え直しました。2歳半で母親を亡くすというのは、僕にとっては想像できないことです。以前の「命の尊さを知る」という回の先生のコメントに、「お祖父さんに胸を張って見せられるような生活をしていきましょう。それが何よりの供養になります」と書いていただきました。祖父が亡くなってから4か月半が経過しました。あっという間でした。そのあっという間の期間内では、祖父に胸を張って見せられるような生活はできていません。今回の道徳は、胸を張って見せられる生活することを気づかせてくれました。心に響く授業でした。社会に通じる心豊かなリーダーを作る最高の授業だと強く思いました。

 
 【6組】 働くことの意義

 今回の道徳では、私が将来仕事をするために必要な「働くことの意義」について学びました。小学校6年生の夏休みに職場体験をしました。その時は、親の職場で薬剤師のように軟こうを作ったり動物の細胞を見たりしてとても充実していました。私の将来の夢である医師の仕事に近い体験をすることができとても楽しかったです。その時に感じたことは、職場で働いている大人の方がとても生き生きと楽しそうな感じがしました。これは道徳の授業の中の格言で、「世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことである」ということと同じなのだと思います。私はニートの意味を今回の道徳の授業の前にも何度か耳にすることはありましたが、意味までははっきり知りませんでした。今回、働ける年齢で働ける環境なのに、働かない人のことを意味すると知り、そのようなニートの人は限りのある人生を無駄にしているのだと思います。私は今年の夏休み旅行の前に、夏休みの宿題や課題をできる限り終わらせて、一週間の家族旅行では勉強道具を減らすことにしました。最初は祖母の家にあるピアノで数十曲も弾きましたが、飽きて家の周りの土手をランニングしても飽きてしまいました。4日で飽きてしまい、やはり勉強は私の第一の人生を営むために必要なことだと思いました。この第一の人生の中の勉強が、第二の人生の仕事と同じですからニートやアルバイトではとても時間を浪費しているのと同じです。私の将来の夢は知識や技能を身につけるだけでなく、周りの人への思いやりや博愛の精神を持ち続けることです。。だからこそ、これからは今の第一の人生をしっかり過ごし、「はたらく」の語源でもあるように周りの人々を楽にさせたいと思いました。
 

 
【6組】 働くことの意義

 私は、今回の道徳の授業を受けて、将来のために今頑張ろうと思いました。私は今までとても贅沢な生活をしてきました。お小遣いをもらい、そのお金を自由に使ってきました。しかし、それは私ではなく両親が頑張って働いてくれて稼いだお金です。そのようなお金をお小遣いだから「自分のお金」と言い、自分の為だけに使っていたと思うととても恥ずかしい気持ちになりました。私は親から私立に行けと言われたのではなく、自分から私立に行きたいと言いました。私立に行きたいと言った時、私はどのくらいお金がかかるのかも知らずに言ったのですが、両親は喜んで行きなさいと言ってくれました。両親には本当に感謝しています。「働く」とは傍を楽にすること。今、私の将来を期待して私のためにたくさんの労力を使ってくれている親が良かったと思ってもらえるようにするには、まず自分に合ったやりがいのある仕事を見つけることです。ダストレスチョークの障害者の方の話を聞いて、やはり何をするにしても努力は大切であると思いました。どんなに頑張ってもお金はもらえない仕事を「人のために働けるのが嬉しい」という理由で頑張ったと聞き、私は自分の利益ばかりを考えていたことに気づかされました。一人前の大人として経済的自立ができるよう、何よりも働きがいを感じられるような人格がなければならないと思います。今の私は自分のことばかり考えていますが、口だけでなくしっかりと人の役に立ち、憧れている人になる努力を怠りません。そのために日々の学校生活で切磋琢磨し、たくさんのことを学んでいきたいです。
 
 【7組】 福祉社会
 
 今回の講話をお聞きして、私を含め、多くの人が気づくべきことに気づいていないのではないか、ということを感じました。私たちには「気づく力」が必要だと思います。バリアフリーの設計や、マタニティマークなど、特別に設計されている物や、その人がどのような状況なのかを示すマークがあります。それは、他の人に対して、それがどのような人を対象にした物なのか、あるいはその人がどのような配慮を必要としているのかを示しています。しかし、今回のお話の中でもあったように、「誰も使ってないし、目的地に近いから」という理由で「障害者のための国際シンボルマーク」のある場所に駐車してしまうなど、周囲の社会的弱者に対する配慮のない人がいるのも確かです。その人たちは、単純に気づいていないか、あるいは気づいているにもかかわらず、自分の都合を優先して気づかないふりをしているのか、どちらかだと思います。
 先日、私が階段を登っていると、1人の女性が前方から階段を下りてきました。すれ違おうとしたところ、その女性が少し横によけて通りやすいようにしてくれました。その女性はよく見ると目が不自由な人のようでした。私はそれまで、目の不自由な人だということに気づきませんでした。このような時は、目の不自由な人であることに気づいて、私の方が横にずれたり、声をかけてお手伝いしたりしなければならないと思いました。障害者に対してだけではなく、道いっぱいに広がっておしゃべりをしていたとき、後ろから歩いて来る人がいれば、それに気づき、よけて道を空けるなど、「気づく力」というのはさまざまな場面で役に立ちます。まずは自分が気づかなければ行動できません、だから私は「気づく力」を身につけたいと思います。そのため、よく周囲を注意深く見る、ということを日頃から心掛けていきたいです。「このマークの意味は何だろう」とか、「どうしてこのような工夫がされているのだろうか」など、疑問があればすぐに調べてその意味を理解し、他人に対する配慮を心掛けていきたいです。自分が目も耳も手も足もすべて自由に動かせることを幸せに思い、障害者の人たちの力になりたいと思います。
 
 【7組】 福祉社会

 私は、今回の道徳の授業で、今までの自分の行動を改めようと思いました。
 私の家の近所には、色々な障害を持った人たちが集まる施設があります。そのため、障害を持った人たちによく会います。私が、小学校4年生だったとき、塾に行くために家から歩いてすぐのバス停からバスに乗っていくよう母に言われ、バス停でバスを待っていました。すると、障害者の人が5人、バス停に向かって歩いて来て、私の乗るバスに乗りました。私は「あまり関わりたくない」と思い、目を合わせないように、障害者の方を見ないようにしていました。正直なところ、近所に障害者の施設があること自体、少し嫌だと思っていました.毎週毎週バスに乗って塾に行かなければならなかったのですが、ある時、普段と違ってバスが混雑していて、座れる席が限られていました。私は、リュックが重く、また30分以上乗っていなければならなかったので、座りたいと思い、2人掛けの席に座りました。すると、隣に口に指を入れている障害者の人が座りました。私は、「どうしよう」と内心とても困ってしまいました。そう考えているうちに、隣の障害者の人はバスを降りていきました。私はほっとしてしまいました。その後、私は学校から直接塾に行くようになり、障害者の人と同じバスに乗ることはなくなりました。
 今回の授業を受けて、「自分がどうしたいか」ではなく、あの時もっと相手の気持ちを考えて行動すべきだったと思いました。障害者の人は、なりたくて障害者になったわけではないし、何も悪いことはしていないのに障害を持つことになってしまっただけです。それなのに私は、なるべく目が合わないようにだとか、話し掛けられないようにとか考えてしまっていました。あの時、健常者と変わらないように、自然体で隣に座っているべきだったと思います。私は障害のない体で、今、生活することができています。自分が障害を持っていないからといって、障害を持つ人がいる現状に対して、何もしないというのは違うと思います。障害を持っていないからこそ、持っている人たちのためにできることをしなければならないと思います。私にできることは限られているかもしれませんが、できることに積極的に務めていきたいと思います。
  
 
 【8組】  礼儀について
 
 今回は千葉先生の道徳の授業を受けました。テーマである「礼儀」について自分で考えたり班の友達と話し合ったりして考えを深めることができました。自分で考えた礼儀については、挨拶をしっかりとすること、マナーを守ること、言葉遣いを気をつけることの3つが主に思い浮かびました。千葉先生の授業では礼儀はお辞儀が形、敬語が言葉にあたることを教わりました。自分が思う礼儀もやはりその二つから成り立っていますので、どちらかが足りなくならないように自分の礼儀を常に見直していこうと思いました。
 それから国語の便覧で確認した「平家物語」の合戦の場面では敵に向かって名前・身分・出身地等を名乗り、鏑矢が飛ばされて戦闘を開始するという昔の礼儀を学ぶことができました。礼儀に関してこんなに伝統があるのだという驚きがあったので、家に帰ってから「礼儀」を辞書で引いてみると、人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式、敬意を表す作法と書いてありました。このことから礼儀は非常に大切なものであり、学校でいう先生と生徒、会社でいう上司と部下などの上下関係において必要なものなのです。そういったことを文化の一つとして私たちは先人から受け継ぎ、そして後世にも伝えていかなければならないと思います。
 他にも礼儀とは人間関係を良好にするために人間が築いてきた古来からの知恵と書いてありました。これは「平家物語」にもつながり、時代が変わっていくごとに変化するものだと思います。
 最後に、身の回りの礼儀についての話し合いではあいさつや人の話を聞くこと、正しい言葉遣いをすることなどが出ました。それらの礼儀を確実に実行すれば、失礼な態度をとって相手を不愉快にさせることはないに違いと強く感じました。

 【8組】 礼儀について

 今回のお話をお聴きしてもう一度自分を見直さなければいけないと思いました。学校に慣れてきて調子に乗ってしまったこともあり、また、自分の気づかないところで失礼なことをしたこともきっとあったはずです。気を引き締めなければならないと思いました。
 「平家物語」の時代には戦いのときにも礼儀があったそうです。一方、第二次世界大戦のときに宣戦布告をしないで攻めたことはその正反対で、礼儀知らずな行為のように感じました。国内の戦いでは同じ基準の“礼儀”の中で戦いをしても、世界中で戦争するときにはそうはいかないことを考えると、文化の異なる国が対立し戦争に発展する前に、互いに相手国を理解しておかなければ大変なことになると思いました。
 また、今回礼儀には「形」と「言葉」という2種類があることを教わりました。自分の場合、「言葉」の方は気をつけてできていても「形」の方ができていません。例えば同じマンションの人に鍵を開けてもらった時に「ありがとうございます」という言葉と一緒に頭を下げることができればよいと思うのですが、僕の場合どちらかが欠けてしまう事があります。挨拶についても、疲れている時などは周りの人に気づかずに忘れてしまうことがありますので今後注意したいと思います。先日エレベーターから降りてきた人に「こんばんは」と挨拶をしたら無視されてしまいました。その時の気持ちを正直に言うととても腹が立ち、いらいらしました。でもこの逆の場合も何回も経験があります。僕に挨拶をしてくれた人は僕があいさつをしなかった時にどんな気持ちだったかを考えるととても申し訳ない気持ちになりました。これからは人に嫌な思いをさせないようにしようと思いました。

 

 

 

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