平成27年度

中等部1学年 第7回 道徳感想文

9月14日実施

 

 
 【1組】 国際社会に生きる

 今回の千葉先生の道徳では国際社会について学び、国際社会に生きる上で必要なことを考えました。まずはじめに僕は国際社会の意味について学びました。国際社会という言葉は国際連合や国際会議など様々な言葉についています。僕は最初国際は多数の国が集まってできた集団のことだと思っていましたが 、辞書で調べると、諸国家と関わっていることだという事がわかりました。社会は共同の生活を営む人々の集団のことです。したがって、国際社会は様々な国家との交流を基礎として成立している人々の集団という事になります。江戸取は国際社会を意識した教育活動を行っていると聞きました。また、その具体的な行事などについても聞きました。その中で一番興味を持ったのが立命館アジア太平洋大学での国際交流です。この大学には様々な国の人が集まっています。そのため、様々な国の文化や考え方について学 ぶことができるのではないかと考えています。
 最後に国際社会で大切なことについて考えました。まずマナーやルールをしっかりと守ることが大切だと思いました。マナーやルールを守ることができなければ他の人に迷惑をかけてしまったり、信用が なくなってしまうからです。また英語力をつけてコミュニケーション能力を高める必要があると考えました。英語ができなければ外国の人と会話することも難しく、コミュニケーション能力がないときちんと考え意見を相手に伝えることができません。そして国際社会で生きていくためには様々なこと を学んで人格を高めていく必要があると思います。これからはリーダーになれるようにしっかりと勉強して知識を蓄えていく必要があると思いました。人格を高め 、人間として成長できるように努力していきたいです。
 
 【1組】 国際社会に生きる

 今回の千葉先生のお話をお聞きして「社会」は大切だなと思いました。私は「社会」を作り上げていくためにはいろいろな人と交流を深めていくことが大事だと思っていましたが、同じ班の人と話し合って出てきた意見やほかの人たちがまとめて出してきた意見の中には「ほかの国の文化を大切にする」、「戦争をしない」、「尊重する」、「うまく接する」などもありました。私はこのことを聞いて納得しました。これらが実践されることによってすべて社会の輪が広がるはずです。
 もう少しで紫峰祭が始まります。その準備はクラスの中の輪が広がるチャンスですので、参加できる日は積極的に参加したいと思います。私たちが大人になるころには就職するために頭が良いだけではなく外国人とも社会を作り上げていくことが大切になると思います。今も日本で働く外国人が増えていて、社内の公用語を英語にしている会社もあります。私が今足りないのは人とうまく接していくコミュニケーション能力と様々な国の言葉を覚えることです。そのために今こうして学校で勉強しています。コミュニケーション能力は友達や先輩とお話しすることで生まれてくると思います。友達や先輩、先生方の「社会」からいろいろなことを学び、育み、新しい「社会」を創っていくのはまさに「社会の輪」が広がっていくみたいだと感じました。紫峰祭でより「社会の輪」を広げクラス全体が一つになり、仲が深まるといいなと思いました。そのために人の意見を尊重し、協力するという事を考えてクラスのために活動したいと思いました。

 
 【2組】 社会の一員として

 二人集まれば社会は完成する。今回の授業を通して学んだことの一つです。授業の最初の方で、「人が何人集まれば社会ができるか」と先生がおっしゃいました。日常生活で「社会に出てから」や「社会のみんな」などということをよく耳にするので、私は混雑する取手駅を思い浮かべました。しかし、それは大きな社会であって、同じ社会でも、もっと小さな社会が存在することがわかりました。小さな社会の例として、家族があります。母との会話の中でも社会というものはできているということが分かりました。社会が成立するということは、そこに一定の秩序があるということです。家族においても言葉の丁寧さ、行動の正しさに気を配りながら生活をしていきたいと思います。
 次に大きな社会です。私が想像していたのはこの「大きな社会」であり、たくさんの人間が関わっているものです。私たちが多く関わる「大きな社会」の中に、通学中の公共交通機関があります。それらすべてに、江戸取生らしい行動が求められています。江戸取生らしい行動とは、大声で喋らない、必要のないときに携帯電話を使用しない、などの自分で気をつけるべきことから、席を譲る、困っている人の手助けをするという利他の心が必要なものまで多くのことがあります。利他の心とは「他人の利益を優先した心」です。他人の幸せを優先するということは、自分の利益を減らすことになる可能性もあるので、難しいことです。利他の心を持つにはどうしたらよいか、先日の校長先生の講話内容にもつながりますが、それは、みんなを大切にする気持ちを持つことです。クラスメイトのみんな一人一人に大切な家族や心があります。それらを尊重しようと思えば、自然と利他の心はできるのです。また、社会の発展にも利他の心が必要だということが分かりました。社会の中で掲げられているルール、他人を大切に思う心、それこそが社会の発展につながって いくことだと思います。
 これから先、さらにグローバル社会となっていくこの時代、人と人とのコミュニケーションをより良いものとし、どんな場面であっても 臨機応変に対応していく力が求められます。中一も残り半分となった今、少し「社会」について興味がわいてきました。まだ早いなど、自ら社会を遠ざけるような発言をせず、一つ一つの行動が周りとつながっていることを自覚し、10年後、20年後、自分が社会で活躍できるようにするための行動を心がけ、生活していきたいです。今回の授業は私にとって自分の行動を振り返る良い機会となりました。

 【2組】 社会の一員として

 
私は青野先生の授業を受けて社会について深く考え知ることができました。特に社会の一員として自分ができることについて深く考えることができました。私は江戸取に入るまではグループに積極的に参加する方ではありませんでした。友達が数人いればいいと思っていて、自分とは性格が正反対な人たちは苦手だから近づかないようにしていました。江戸取に入っていろいろな性格の人たちと接してみて、正反対な人達だから苦手だと思うことはすごい偏見だったんだと感じました。確かに苦手な人もいます。でも、全員が苦手なわけでもないということに気づきました。小学校の時、もっといろいろな人と接していれば、コミュニケーション力がついていたのかなと思いました。江戸取に入って、いろんな人と喋る機会が出きたので、今まで抱いていた偏見に気がつきました。小学校の時のまま中学校生活を送ってしまっていたら、社会に出たときに人間関係を築くことすらできなかったと想像しただけで怖いなと思いました。社会の中には様々な性格の人がいて、最初から拒絶したら自分の知識も教養も広がらないと考えました。様々な人と接すれば、その分、いろいろな意見や知識を持った人に出会え、自分の意見もはっきりとしたものになっていくものだと思います。そうい う機会がなければ今の世界が私の全てになり、とても狭い世界で過ごすことになります。自分の意見が揺らぐことはないとは思うけれど、その意見は、ある特定の人にしか理解をしてもらえず、質問されても明確に答えるという 簡単そうな行為が全くできなくなる可能性が高いです。広い世界で身につけた知識によって作った自分の意見ならば多くの人に理解され、質問をされても明確な答えが出て、実際に伝えることも可能だと思います。情報を受け取って伝える能力、コミュニケーション能力も広い世界、いろいろな人と接する中で自然と身につくと思います。これから私のやるべきことはいろいろな意見を持った人の意見を否定するのではなく、受け容れることだと感じました。江戸取という社会で実践していきたいと思います。
 

 【3組】 ルールについて考える

 今回の道徳をお聴きし、ルールとは自分の心を束縛するものではなく、自分の心を清めるためのものだということが分かりました。ルールは、自分が自分を裏切ってしまうのを防ぐためのものだと思います。もしルールを破ってしまった場合、自分の「理想とする自分」とは正反対な自分が表に出てしまい、「理想とする自分」との距離が遠くなってしまいます。だから、自分に忠実に生活するためにもルールを守りたいと考えます。まず、人に不快感を与えないこと、次に利他の心を持つこと、最後に自分に嘘をつかないことの三つを守るべきだと思います。僕は、自分で決めたルールによって束縛されるのではなく、自分の定めたルールを忠実に守ることで、楽しい学校生活を送っていきたいと考えています。自分で決めたルールを守ることで「理想の自分」に近づけば、必ず多くの友達を作ることができると思っています。
 ところで、ルールがどのように決められているのかについて考えると、一人で決定するものの他に、皆で決めるルールもあります。多くの人が考えて決めるルールは、その人々の中で同意がなければなりません。意見の異なる人々が一つのルールを決めることはとても難しいことです。その際には、お互いの意見を尊重して、みんなで共通の理解を得ることが大切です。だから僕は、自分の意見を主張するたけでなく、他人の意見も公平に尊重していきたいと思います。
 これからは、自分で決めたルールを守ることと、皆でルールを決める際には他人の意見を尊重することを心がけていきたいと思います。

   【3組】 ルールについて考える


 私は「ルール」とはけんかや争いが起きないようにするための決まりだと思っていました。しかし、今回の道徳の授業を通して「ルール」は、けんかや争いが起こらないようにするためと、人々が自分の意見を尊重し、相手の意見も理解し合えるようにするためということが分かりました。もし、ルールが無かったら、自己中心的な人達が自分勝手に生活してしまい、社会のまとまりが無くなって、争いや戦争が多発してしまう でしょう。ルールや決まりと言ったら、何か窮屈な気がしてしまいますが、それを思いやりの心や気配りとして守っていけば誰でも出来るはずです。電車やバスなどの公共交通機関では、騒がしくしてはいけないなどの マナーがあります。これも、電車内で静かに過ごしたい人への気配りだと思って行えば、束縛感を感じないはずです。このような意識で行動すれば争いも無くなるはずです。
 また、「ルール」とは、「相互に尊重し合い、自己の人間的成長につながっていくもの」と学びました。確かに、ルールに基づいて相手の意見を尊重し、理解し、それを受け入れることで、他人の気持ちを思いやれるようになり、精神的に成長できると思います。世界には色々なルールがありますが、人の気持ちが最終的に嫌になるルールはないと思います。どんなルールであっても自分が守るべきだと感じるものは、自分の成長につながると思います。ルールを守らない人には自分から進んで注意したり、争いが起こらないような世の中にしていきたいです。2020年には東京オリンピックが開催されます。ここではスポーツを はじめとして様々なルールが適用されると思うので、日本人として恥じないような行動をしていきたいと思います。
 
 【4組】 公共心・公徳心を養うために

 私は「周りの人からの目」を感じることがあります。家の外に出ると、自分の行動がじろじろ見られている感じがして、何となく居心地の悪い思いをしたことがあります。別に私は悪いことをして見られているわけではないので心配することではないのですが、 そうした感覚が染み付いているためか、自然に人に迷惑をかけない行動が身についたように感じます。
 1年位前、教科書で「江戸しぐさ」を見つけました。今回の授業でもそのお話がありましたが、江戸時代は公共心がたくさんの人に芽生えているなと思い、とても感心しました。席をつめたり、傘を傾けたりというのは現在でも十分に必要なことです。また、「社会で生活するために必要不可欠なこもの」を考えてみました。その中に、規則がありました。これがない場合、その社会は混乱に陥ると学びました。規則は守るのが面倒だったり、大変だったりしますが、規則がある理由を考えれば規則の大切さがわかります。社会は一人ではないので必ず規則が伴っ て いますが、他に人がいるから今の自分がいると考えれば規則を守ることは面倒なことでなくなると思います。守るべきことがなくなれば、社会ができません。また生きていくうえで大切なのは、社会の一員であるという自覚をもつことです。
 配布されたプリントの項目三に公共心に反する行為を無くしていくためにはどうすればよいかという問いがありました。私は行いを正すことを呼びかけるポスターを作成したらいいのではないかと考えましたが、今回の授業で学び、他の人のことを考えて行動する大切さを知り、常にそのことを忘れないようにすることが一番の改善策だと思いました。公共心に欠ける、反する行為を見たときには進んで代わりに直すようにする、そんな心が持てるようになりたいと思います。これからも自分の行いに気をつけたいです。


 【4組】 公共心・公徳心を養うために

 僕は貝森先生の道徳の授業を受けて「公共心・公徳心」について学ぶことができました。まず、規律と規則についてです。僕は今回のお話をきっかけに、規律のある生活をするようにしていきたいと思いました。例えば、挨拶を欠かさずする、勉強するときと、遊ぶときのメリハリをつけるなど、毎日の生活の中で自分ができることを積み重ね、規律ある生活を目指していきたいです。
 次に公共心と公徳心についてです。僕は何度か公共心に反する行為をしてしまったことがあります。今回のお話で、家庭やクラスも小さな社会であることが分かりました。僕は家で、歯ブラシを出しっぱなしにしたり、電気を付けっぱなしにしたりして、いつも母に注意されていました。家では僕一人くらい自分勝手な行動をしても問題ないと思っていましたが、家族も小さな社会だということが分かり、家庭の中でも一人一人がルールを守って生活するべきだと思いました。また、友達と教室でふざけて走り回ったりして、周りの人に迷惑をかけてしまったことがあります。クラスも小さな社会であるので、周りの人に迷惑をかけてしまうような行動はしないようにしていきたいです。また社会とは人が何かをする集まり、先生が書いて下さった図はとても分かりやすく参考になりました。個人やクラスを超えて、自分が社会の一員になるには、ボランティア活動に参加したり、募金や献血に参加したりすることが必要だと思いました。
 先日の大雨で常総市で鬼怒川が決壊し、僕の祖父・祖母が被害に遭いました。現在は県内や県外からも多くのボランティアが集まり、被災した人々を助けています。僕もそんな人たちのように、ボランティアに参加し、被災した人たちの役に立ちたい
と思いました。
 今回の道徳の授業で「公共心・公徳心」について考えることができました。僕は目の前ことに夢中になってしまい、周りに迷惑をかけてしまうことがあるので、これからは気をつけたいです。まずは家族やクラスの友達などを大切にするという身近なことからこつこつと実行し、将来は国や世界などに多く貢献できるような人間になれるようにしていきたいです。

 

 【5組】 なぜ私たちは学ぶのか

 
今回の講話をお聴きして、私たちは学校で様々なことを学べる環境の中で生活できて本当によかったと思います。世界には学びたくても学べない子供たちや大人の方たちが数多くいるのに、私たちは何不自由なく学校に通え、ほしいものがあったら買うことができます。それができない子供たちや大人の方が私たちを見たら、とてもぜいたくなことをしていると思うでしょう。もし世界全体が学校に行かない人ばかりになってしまってはどの国も発展しませんし、私たちも社会貢献することができません。だから、私たちは世界の学校に通えない子供たちや大人の方たちの分まで学び、 そのことによって世界に貢献することが大切なのです。
 
勉強がしたいと思っている国の人々に教えてあげられるようになるために、まず日本を発展させる 必要があると思います。そしてまずは私たちがその国の人々の分まで世界で活躍できる人に育たなくてはいけません。私たちは学校に通えていることに感謝し、次に学校に通えている以上は勉強を一生懸命にやり、予習や復習を欠かさないことが大事だと思いました。
 人間として最も大事なことは、このように恵まれた生活をすることができるのは、家の人が私たちの分まで働いて、私たちを何不自由なく生活させてくれるからです。両親は中学受験の時、いろいろな中学校の説明会に行ってくれたり、入試の日には会場につきそってくれたりしました。そういう親の支えがあったからこそ、今私はこの中学校にいることができるのです。両親の支えがあって、今の自分が存在しています。来年入ってくる中1生にもそのことは分かってほしいと思います。


 【5組】 なぜ私たちは学ぶのか

 「なぜ学ぶのか」ということを今まであまり考えずに生活していました。 今までの自分は、学びたいと思って自ら進んで勉強するか、とことん勉強せずにいるかのどちらかで、人から言われて仕方なく勉強するということがありませんでした。僕は自分で興味や関心を持てないことを無理やり勉強しても身につくものはないと思ってい ます。しかし、この道徳の講話を通して、この僕の考えは、半分は正しく半分は間違っていることが分かりました。確かに自分からあるものに興味や関心を持ち学ぶということはとても良いことで、学ぶということの理想の形と いえるでしょう。つまらないと思いながら学ぶのは意味がない。それも間違ってはいないでしょう。しかし、興味があること以外は学ばないというのはどうでしょう。好きな数学はやるけれど、好きではない国語はやらないというのはよくありません。
 その理由は二つあります。一つは、将来大人になり社会に出てからもやりたくないこと、自分にとっては学ぶ意味などないと思っていることでもやらなければならない時があるはずです。今はその準備期間でもあるのだから、やらなければならないことはやらなければならないと思うからです。もう一つは、たくさん学ぶに越したことはないと思うからです。「心力・学力・体力」すべてにいえることですが、どれかを鍛えるのではなく、どれも鍛えることで自分の可能性が大きくなると思います。今回の道徳を通して、人はなぜ学ばなくてはならないのかが少しわかったような気がします。自分を成長させ、豊かな生活ができるようにするため、夢を叶えるためです。学ぶこと全てに意味があります。僕は今回学んだことを胸に刻み付け、学問を究め続けたいと思います。

 
 【6組】 命の尊さを知る

 今回の道徳のテーマは「命の尊さを知る」というテーマでした。私は今回、先生がお話ししてくださった中で「頑張れば幸せになれるよ」という本のお話が心に残りました。この本の主人公、山崎直也くんは10万人に1人がかかるか、かからないかといわれている小児がんにかかり、9歳で命を落としてしまいます。彼は自分が重い病気にかかっているのに、自分より家族のことを考え心配をしていました。その話を聞いて、もし私が同じ立場だったらと考えていました。私にも彼と同じく弟がいます。私が入院しているときに弟が家で待っているから帰ってあげてとはお母さんに言えませんでした。なぜ彼はそのようなことを言えたのか考えてみました。弟のことをとても大切に思っていたからからではないかと思います。彼がもし生きていたら中学三年生ぐらいです。もっと長生きしたかっただろうと思います。長生きしたいけ れども病気に勝てず幼いうちに命を落としてしまう人もいれば、自ら命を絶ってしまう人もいます。命は尊いものなのでもっと大切にしなければなりません。自ら命を絶つ中高生の原因はイジメが多いと思います。イジメがない世の中になるといいなと思います。それと、私はなんて良い環境で育ったのだろうと思います。健康であるし、自分の通いたかった中学校にも通わせてもらっています。今まで育ててくれた両親や家族に感謝の気持ちで一杯になりました。この本の中に、「命は代われない」という言葉が書かれています。自分の命と他人の命とは絶対に交換ができません。今という自分に与えられた時間を大切にしなければならないと思いました。勉強や運動、友達との時間を大切にしていきたいと思います。
 
 【6組】 命の尊さを知る

 今回の道徳では命の尊さ、人との関わりの大切さを学びました。数日前に常総市で起きた鬼怒川の氾濫があったので色々考えさせられました。命は人としての証、生きているという証でもあると思います。命はとても尊くて大切なものです。それは人間が生きていく上で必要不可欠な考えであるので、大切にしていきたいと思います。東日本大震災でたくさんのかけがえのない命が奪われました。たった1つの命を粗末にしいてはいけないと改めて強く感じました。そのことを踏まえて僕は直さなければならないことがあります。それは喧嘩などをした時に、相手を傷つけてしまうような言葉を軽々しく言ってしまうことがあります。遠藤先生のお話の中で、24時間テレビで取り上げられていた重度の病を患った男の子の話がありました。その子は前向きに日々を一生懸命に生きて、自分のことよりもお母さんの事を心配しており、利他の心を持っていました。この話を聞いて、僕たちが暴言を軽々しく言っている事がとても悲しく、また恥ずかしさすら覚えました。この道徳の時間を機に、今後は相手の気持ちを考え、命はとても大切なものであると日々考えていきたいと思いました。あいだみつをさんの言葉に「いのちのバトン、このバトン、絶対に落としてはいけません。この世のいのちだから全ての人に平等に大事なのです。」という言葉があります。命を持っている者は皆平等であり、大切な存在であることが分かります。命をつなげて次の世代の希望となる事をしなさいといっているようにも思えます。利他の心を意識し生きていく ことが、他人を幸せにするということを胸に刻み、実践していきたいです。 
 
  【7組】  友人の多様性を受容する

 まず、私がこの講話を聞いて初めに思ったことは、積極的に行動していきたいということです。武居先生の書いていらっしゃった「私たちの特徴」は、日本人そのものだと思いました。私は自己主張が特に苦手で、手を挙げられないことが多いです。だから、堂々と手を挙げて大きい声で発表できる人がとてもうらやまし く思います。私は自分が小さい声でぼそぼそとしゃべり、一部の人にしか聞こえないような発表しかできないことがすごく嫌でした。私はそんな状態から抜け出したいといつも思っています。また、私は他の人たちが人の悪口を陰でこそこそと言うのが嫌いです。どちらも日本人の特徴ですが、私は、欧米人のようにはっきりとものを言えるようになることが、社会で生きるには大切なことなのではないかと思います。
 私は今、バレーボール部に所属しています。私はバレーボールが上手になることと、目上の人にもしっかりと発言できるようになることの2つを目標にしています。運動部であれば、練習が厳しく、挨拶や人間関係も大切になるので、はっきりとものを言うことのできる人間に近づけると思いました。
 この道徳の授業では、「ジョハリの窓」を使いました。まわりから見た私の印象が、私自身で思っていた内容とは違う場合が多くて、驚いたり、嬉しく思ったり、とても楽しい授業でした。今回のジョハリの窓では、選択肢が皆、良い内容ばかりでしたが、私が一番怖いと思ったのは、悪い面の「盲目の窓」です。私は気付いていないのに、相手は嫌だと思っているような言動により、知らず知らずのうちに傷つけてしまう、ということがあれば一番怖いと思いました。いくら仲の良い友達でも、「あなたのそういう所が悪い」と指摘してくれる人はあまりいません。だから、まずは自分でも気付いている自分の悪いところを一つ一つ直していかなければならないと思います。自分で気付いていることだけでも、悪いところを直していけば、良い人間に近付くことにつながると思います。今回の講話は、私自身、あまり考えたことのない内容を考えるものでした。他人の意見を聞いて、自分の性格を知っていくという方法は興味深く、今回の講話を聞けて良かったと思いました。自分の良いところを、これからたくさん増やしていきたいです。
 
  【7組】  友人の多様性を受容する

 僕は、自分の事を「頑固」で「細かそう」な人だと思っていました。でも、友達が書いてくれたカードを見てみると、そんな事は全く書かれておらず、僕の良い点が多く書かれていました。僕にこんなに長所があるとは思ってもいなかったので、すごく嬉しい気持ちになりました。武居先生は、この「ジョハリの窓」だけではなく、他に、友達作りのことなども教えてくださいました。性格が合う人とはもちろん接していきますが、性格もノリも趣味も話も、何もかも合わない人がいても、その人と接していけるようにしていきたいと思っています。そして、相手を尊重することができるようにするために、まず自分を知ることが大事なんだと武居先生はおっしゃっていました。だから、「ジョハリの窓」で、自分も相手の方も分かっていること、自分だけが知っていること、相手の方だけが知っていること、自分も相手の方も知らないこと、それぞれ知ることができたので、これからはこの結果をもとに、友達との接し方を考えていこうと思いました。そして、武居先生は、「自分を愛せない人は、他人も愛することができない」とおっしゃっていました。これからは自分のことで「もういやだ」「やりたくない」等の感情が出てきても、「自分の事なんかもう嫌いだ」と言ったりしないようにしていこうと思いました。これを実行することができないと、自分のことだけではなく、相手のことも大切にすることができな くなり、ひょっとすると相手を自分の手で傷つけてしまうかもしれません。ぼくは、「自分のことなんてもういいや」と思うことがたまにありますが、これを改めていこうと思います。武居先生が、僕に大切なことを教えてくださったことに感謝しています。

  
 
 【8組】  自由と責任
 
 私は今回の「自由と責任」という内容について中山先生のお話を聞いて、自由とは何なのかという事と、責任とは何なのかという事をそれぞれ改めて考えることができました。それは「自由」も「責任」も漠然としか考えたことがなかったからだと思います。そしてそれを深刻に考えなくても生きていけるこの環境がどんなに幸せな事なのかも考えたことがありませんでした。本当に心から自由を求めている人は自由とはどのようなもので、どうすれば自由を手に入れることができるのかをいつも考えているのだというお話をお聞きして自分は自由が保障された日本に住んでいるため、自由とは何なのかということをあまり考えなくても生活することができていたということがとてもよくわかりました。
 また、“自由は自らに由る”と書くように自由は他に求めたり、他から与えられるものではなく、自分の内に求めるものです。「自分の良心に従って行動することを自由というのではないでしょうか。」というお話をお聞きして今まで見えていなかったことが見えた気がしました。自由というものは人から与えられてもらったりするものではなく、自分から自由というものを大切に考えて本当に欲しいと考えなければ得られないものだと思います。しかし私は何も考えなくても自由を得ることができていました。自由を得ることができているという事はそこにはしっかりと責任を果たす義務が生じているはずです。責任には自分自身と他者と社会に対する3つがあるということを知ることができました。私はこの3つとも義務的なことしか思いつかず、受け身の姿勢で考えていました。しかし初志貫徹や自分を限らない事、家事を手伝う事など、様々な事を心がけていけば社会が求 める人材になれることもわかりましたので、すぐに実践していこうと思います。


 【8組】  自由と責任

 今回中山先生の講話をお聞きして僕は自由と責任というものを具体的に理解できたと思います。自由とは見た目だけでは判断しにくいということ、無制限に自分の好きなことをやるのとは違うということでした。自分の思っていた自由とはまさに何をしても良いという発想だったので考えを変えていかなければいけないと思います。そして責任 には自分に対する責任と他者に対する責任、社会に対する責任という3つの責任があることを教わりました。それぞれについて自分で考えましたが、なかなかまとまらず困りましたが、班で話し合った時に友達の意見を聞いたのと、他の班の人の発表を聞いて理解できました。特に自分に対する責任に関しては本当に果たせているかどうかが心配になりました。勉強をするのを後回しにして忘れてしまったり、サボってしまう事は、教科書を無料で提供してもらっていて、それは社会で働いている人たちの税金などでいただいている事を考えたら勉強をしっかりしないことは責任を果たせていないことになるのだと思いました。一生懸命勉強しようと思いましたし、家で両親の手伝いもしようと思いました。そして社会で求められるような人材、期待に応えられるような人材になろうと思います。そして中山先生がおっしゃっていた「自由は自らに由る」という言葉にあるように、人から与えられるものではなく、自分の内に求められるものであることを忘れないようにして、自分の考え方を変えていこうと思いました。道徳を学ぶたびにこのように少しずつ考え方が変わってきているので、これからも社会の期待を背負っていけるような人材になれるよう頑張っていきたいと思います。
 

 

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