平成27年度

中等部1学年 第5回 道徳感想文

6月29日実施

 

 
 
 【1組】 ルールについて

 今回は木村先生がルールについて話して下さいました。身の回りにあるルールや重要性について深く考えさせられました。
まずなぜルールがあるのか、スポーツを例に挙げて話してくださいました。スポーツにルールがあるには当たり前で、その理由まで考えたことがありませんでした。いろいろな人の意見を聞いて感動しました。みんながルールについてこんなにも詳しく考えていたんだなと驚きました。私もこれからはもっとルールについて考えていくべきだなと思いました。
  また法律とルールの違いについて聞かれたとき私は明確に答えをいうことができませんでした。今まで考えた事がなかったのでなかなか思いつきませんでした。法律が犯罪の防止のための決まりであることを知ってとても納得することができました。そしてルールを守ることは相互に尊重しあうことで、自分自身が人間的に成長をすることができることを学びました。私もマナーを守り、モラル、道徳心を忘れずに人間的に成長できるよう日々心がけようと思いました。
 いつもルールの大切さを忘れがちですが、私たちに身の周りにある身近なルールにも理由があるんだなと思いました。たとえば江戸時代のルール、校則にも大切な理由があることを知りました。心身共に江戸取生としての成長を願うためであったり、生徒が安心して学校生活を送るためであったりします。いつもはめんどくさかったりいやだなと思ってしまうルールや校則も実は私たちのために出来ているものだと知り、これからはもっとルールを大切にし守っていこうと思いました。
 
 【1組】 ルールについて
  「ルール」とは何か、私に思い浮かんだことは決まり、規則です。というのも前回、公共心、公徳心についての道徳を受けました。そこでルールによって世の中が保たれている。ということを学びました。そうした中、今回さらにルールについて学びました。たとえばスポーツです。スポーツでは様々なルールがあります。サッカーではキーパー以外基本手を使ってはいけません。また野球ではベースを踏むことで点数を取ることができます。もしもルールがなかったら、一人の人が破ったらいったいどうなってしまうのでしょうか。きっと楽しめないどころか危険な状況になってしまいます。そうすればスポーツは成り立たなくなってしまいます。そこで私は社会でもそうなのではないかと考えました。もしも誰か一人でも社会のルールを破ったりしたら社会は成り立ちません。それは家庭でも学校でも同じことです。
 ではそのルールとは社会でいうとどのようなものなのでしょうか。たとえば法律や憲法です。憲法の条文は国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三つを柱としています。その っ憲法を決めた偉人たちはいったい何を考えていたのでしょうか。それは日本の未来、そして私たちが幸せに暮らしていけることだと思います。そんな先人たちの思いをふまえて私はどのように生活していけばよいのでしょうか。今回の授業で私の守るべきことを明確にすることができました。それ はモラル、マナー、法だと思います。モラルとは道徳及び公秩序のことです。それは倫理観を身に付けることで守ることができると思います。マナーを守ることは校長先生の講話などで学びました。そして法です。法とはいえ校則など身近なものもたくさんあります。私はこれからこれらのことを守っていきたいと思います。
 
 【2組】 公共心・公徳心を養うために

 今回、貝森先生の授業を受けて、良い意味でも悪い意味でも、自分の行動一つ一つが様々な社会とつながっていることがわかりました。今回の授業のテーマは「公共心・公徳心を養うために」でした。どちらにも公という 漢字がついており、私は社会という言葉を連想しました。社会というと、私にはまだあまり関わりのない大人の世界のように感じ、遠い存在のように感じられました。しかし、授業の中で、教室内や学校にも小さな社会があるということを知り、自分にもその「社会」を意識した行動ができるのではないかと思いました。また、募金や節電、マイバッグなどという面からも社会につながっていることがわかり、これからも続けていきたいと思いました。
 さて、そんな身近に社会とつながっていることがわかった今、私にはどのような心持ちが大切かといったことを考えてみました。まず、言葉使いを丁寧にしていきたいなと思いました。言葉は、人の心を救うとてもすばらしいものであると思います。しかし、使い方によっては凶器にもなります。実際に今、日本では心ない言葉のせいで、深く傷ついている人がいることがよく報道されています。言葉は、とてもすてきなものであるはずなのに、このような報道が後を絶たないことは、とても残念なことだと私は思います。丁寧な言葉を使うということも、ひとつの公共心につながると思うので、実践していきたいと思いました。また、その中で、江戸仕草のようなさりげない心遣いができるようになりたいです。今回の授業を通して社会について考えることができ、また、生活態度についても考えることができました。私たちが未来のリーダーになるためにも、まずは小さな社会でしっかりと土台を作っていきたいと思いました。今回の授業で学んだことを様々な場面で生かしていきたいです。

 【2組】 公共心・公徳心を養うために
   
 
私は今回の貝森先生のお話をお聞きして、自分のできることや、自分が様々な人といろいろな形で関わり合っていると言うことを考えることができました。私にできることは少しの時間だけでもたくさん思い浮かびました。約束、校則、ルール、マナーを守ることや、時と場所をわきまえて礼儀正しい行動をすること、節水、節電、募金、ボランティア、エコバッグの使用、ごみの分別などです。これらのことも行いつつ、特に意識して行っていこうと思うことがあります。それは「あいさつ」です。あいさつはした方もされた方もすっきりとした気持ちになります。みんなですっきりとした気持ちで過ごせるように、あいさつを積極的に行っていきたいです。人としての生活に必要な公徳心と周りの人の役に立てるような行いをしようと思う公共心、そして人は誰かと支え合うことで生きることができ、一人では生きていけないということを忘れずに生きていこうと思います。
 ところで、私はずっと規律と規則の違いがわからずにいましたが、今回のお話をお聴きして理解することができました。規則を守ることは当たり前ですが、もう一歩進んだ、善い行いと悪い行いを自分で判断して実行する規律を守る心も養うために、正しい判断力と他人を尊重する心を豊かにしていきたいと思います。この、規律ある進学校である江戸川学園取手中学校という小さな社会で、人としてのあり方、心持ち、礼儀など、様々なことを学んでいこうと思っています。そのためには、一日一日の一分一秒を大切に過ごし、だれかの役に立てるようなことをしていきたいと思います。小さな心遣いで、他の人を少しずつでも幸せにすることができるというのは、とても良いことだと思います。この幸せを今までよりもたくさんの人に分け与えられるよう、さまざまなことを経験し、いろいろなことを学び、得た知恵や思いやりの心を活用していきたいと思います。
 

 【3組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
  今の社会は求める能力が段々と高くなっています。私達は社会の役に立とうとするために、その能力を身につけようとします。この身につけるということは、自己成長にもつながりますし、豊かな生活をするということにもつながります。これは、私達 の学ぶ理由が三つも含まれています。今の日本は学力や技術が無いと生活できません。また、他人より目立ちたいという欲を持つ人が多くいるので必死で学びます。社会の動きを正しくとらえるためにも学びます。しかし、それだけでは個性のない機械のような人間になるので、私達は道徳を学びます。このように私達は様々なことを学べるのですが、他の国はどうでしょう。そろばんはおろか、字の読み書きさえできない人がたくさんいます。私は日本に生まれてとても幸せだと思います。自由に学べる国は世界でも数少ないです。こう考えると以前まで、勉強が面倒と思っていたのが恥ずかしくて仕方ありません。今後はこの環境に感謝し学んでいきます。さて、ここからは私の意見になりますが、学ぶということは人間に欠かせないことだと思います。人間の脳は学べるようにできているので、人間は学び、自らの生活を豊かにしなければなれません。つまり、学ぶことは人間にとっては義務なのです。しかし、マララさんの出身地は武装勢力によって学べないのです。これは人間の自由をほとんどうばってしまうことと同じです。私は力でしか人を動かせない人をとことん嫌います。早く武装勢力が無くなってほしいことを願ってやみません。これから世界は更に発展していきます。その中でも私が社会を支え、他人よりも国際社会での存在感を高めたいです。そのためにも今できる勉強をしっかりとマスターし、夢の実現への道に一歩前へ進みたいです。

   【3組】 なぜ私たちは学ぶのか
 

  竹中先生の講話をお聴きして、勉強に対する考え方が変わりました。具体的に分けて、二つあります。まず一つ目は、勉強は成績を上げるためだけではないということです。以前までの考え方は、勉強する、イコール成績が上がる。つまり、勉強は、成績を上げるためのものでしかないと思っていました。しかし、この考えは、考え違いで、勉強は、「自分が成長するため」、「物事を正しく見分ける目を持つため」など、成績を上げるためだけが勉強ではないと、今回の講話から学びました。そして、勉強は自ら抱いた夢を叶えることができるものだと感じました。僕は今回、学んだことで、今後の勉強の仕方や向き合い方が変わりました。二つ目は、勉強ができるということは当たり前のことではない、だから、勉強ができることに感謝しなければならないと思いました。感謝の気持ちがあると、勉強するのが億劫だ、嫌だという気持ちがなくなりました。竹中先生から教わるまで、日本の識字率の高さに比べ、ニジェールなどの国では、20%にも満たないことを知りませんでした。今まで、読むことができ、書くことができ、計算できることは、みんな当たり前にできると思っていました。それは、勉強する環境が整っている日本だからだと気付きました。世界的にみると、こうして文章を書くこともできずにいる人が多くいることを知りました。このような中、勉強ができる環境にいることが、いかに幸せなことなのか気付かされました。先日、僕は、中間テストでの順位が良くなく、「勉強なんて嫌だ、いっそのこと勉強なんてなければいい」と思ったことは、とんでもない罰当たりだったと反省しています。中間テストで悪かったのなら、期末テストで頑張れば良いと思いました。講話から気付いた、勉強する意味を忘れず、これからも勉学に励みたいと思います。
 
 【4組】 命の尊さを知る

 私は遠藤先生の講話を聞いて思ったこと、感じたことがたくさんありました。私たちは普段、あまり感じられないけど、親からたくさんの愛情を注がれていると思います。いつも私が健康でいられるように栄養のあるお弁当を作ってくれたり、怪我を負ったり病気になれば熱心に対応してくれます。そして中学受験の一番忙しい時期には、勉強以外の負担をなるべくかけないように毎日気をつかってくれていました。今思うと、私は親がいたからこそ様々な苦境を乗り越えることができたのだと思います。いつでも親は私を見守ってくれました。誕生日は少し前に過ぎてしまいましたが、今からでも遅くないと思います。親に感謝の気持ちを表すべきだと思います。しかし、最近は良くないニュースを耳にします。子が親を殺害してしまった話です。軽率な行動をしてしまったり、深く考えもせずに物事を言うと、相手を怒らせる場合があります。そして判断力が鈍って、やって良い事と悪い事の区別がつかなくなるのだと思います。だから、そのようなことを避けるためにその場その場に適した言動をとるようにしたいと思います。そして最後は生きたくても生きられない人の事について考えてみました。私は何も不自由がなく生活をしています。でも、東日本大震災で若くして亡くなってしまった人、病気で亡くなった人がたくさんいます。そして今回の講話で、家族を亡くしてしまった少女が素晴らしい活動をしていると聞き、もし私がその場にいたら、活動どころか両親を亡くしたショックでふさぎこんでしまうと思います。だから、その少女達の果敢な行動に感動してしまいました。そして、一番心に残ったのは「感謝の気持ちより、要求の気持ちの方が大きいという事はありませんか。」という質問でした。がんと闘病した男の子のように、自分がどんな状況にいても周りに気をつかうことができるような人になりたいです。そして、自分の人生に誇りを持てるようになりたいです。

 【4組】 命の尊さを知る

 私は今回の遠藤先生の授業で改めて命の尊さを感じました。(先生の話を聞いているときに少し泣いてしまいました。)私の名前の由来は知的で、「宮内」と字画が合っている「理」と「沙」を併せてできたそうです。誕生のときのエピソードは、へそのおが首に巻き付いて産まれて少しの間、産声が聞こえずに心配したということです。「でも健康に産まれてきてくれたから」と言ってもらえてうれしかったです。授業の中で「生きたくても生きられない人がいる」というテーマの話にでてきた兄弟がとても思いやりのある人たちで偉いなと思いました。自分が闘病で苦しんでいるときに弟のことを最期まで気にかけていたり、逆に弟も兄のことを考えて「僕が代わりに死んであげれば良かった。」などと言っていたりするところが、兄弟のお母さんが言っていたように人生の先輩だなと思いました。もし自分が闘病生活をしていたら人のことを気使うよりも自分のことのために要求することの方が多いだろうと思います。私は二人のように人のことを考えられる人になりたいです。他にも東日本大震災の時に地域の人を助けるために放送を流し続けていた遠藤さんも自分の命を代わりにしてまで人の命を助けるのは相当勇気のいることだと思いました。このような事を聞くと健康に生きているだけでも幸せなのに、私立にまで行かせてもらえているということは本当に幸せなのだと改めて感じました。世界でもこのように苦しんでいる人がいます。日本ではほとんどない安全な所ですが、テロや紛争ととなり合わせで、常に「恐怖」を感じているはずです。両親が大変な思いをして産んだはずですが、その尊い命が続々と失われていくことが同じ地球の中で起きていると思うと、「何故同じ人間なのにそんなことができるの?」と思ってしまいます。また、そうして人を殺してしまう人たちも、親は本当は立派な大人に育ってほしいと願っていたはずです。今回の授業を聞いて、今まで自分は両親が苦労しながら育ててくれた恩に報いることができているかな、と思いました。時にはぶつかることもあって、特に受験生であったときはあまりうまくいかない時期もありました。それでも今、江戸取生として勉強ができ、何不自由なく学校生活を送れているのは、両親の支えのおかげです。私の誕生日の時にしっかりと感謝の気持ちを伝えたいです。それと同時に、周りの友達も自分と同じように親から大切にしてもらっている存在だと思います。だから、傷付けるような言い方だとか悪口・いじめも絶対にあってはならないものだと思いました。相手の両親も自分の子どもが一番大切だと思うからです。他にも、「君・さん付け」は相手の人格の尊重にも繋がります。授業中に配られたあいだみつをさんの詩が私の心に響きました。今の私ができるまでに、二人の両親だけではなく、無量の命を受け継いで今を生かされているのだと思ったからです。そのたくさんの先祖から受け継いだ「命のバトン」を私も次の世代に継がせるために、まず今を精一杯生きようと改めて感じさせられました。
 

 【5組】 友人の多様性を受容する

 私が今回の道徳で最も強く感じたことは、友達との関係の難しさです。初対面だと友達として仲良くなりたいと思いますが、いざ友達になってだんだんと親しくなる うちに、言葉遣いなど、相手に対する礼儀が崩れてくると思います。そして、それがトラブルやいじめにつながるのだと思います。今回のお話の中で、私たち日本人の特徴として「集団で生活することを好む一方で、平均以外を偏見視する傾向がある。また、自己表現が下手 だが、逆にそれが奥ゆかしさにもなり、日本の美徳となっている」とありました。このことは、日本でいじめが起こる原因の一つになっているのではないかと思いました。友達と親しくなればなるほど、自己表現が上手にできないことによるトラブルが起こる可能性が増えてきます。私も自分の思っていることが上手く伝えられないことがあって、自分のことが嫌になることがあります。でも先生は講話の中で、「自分以上に他人を愛することは出来ない。ありのままの自分を受け入れなさい」とおっしゃっていました。私は今回の道徳で、まずは自分をきちんと知り、それから、友達に礼儀正しく接することが大切だと思いました。親しくなればなるほど、礼儀に欠けていくことを感じているので、気をつけていきたいと思います。私が通っていた小学校では、一度そのようなことがあり、クラスで話し合いをしました。からかっている本人に「いじめている」という意識は全くありませんでした。でもからかわれている側の人の気持ちとしては「いじめられている」という意識が強いと思います。ちょっとしたからかいも、相手の受け取り方によっては「いじめ」となるかもしれません。仲良くなったからこそこれからの生活、友達関係に気をつける時期だと思います。私は今回の道徳の授業で、いじめというものを深く考えることができました。このように書くと大げさに思えるかもしれませんが、私は今回のお話から、「いじめ」は身近なところで起こることを感じました。「主観的に見る自分」と「客観的に見る自分」は違います。どの面から見た自分も受け入れるべきだと思いました。まずは自分のことを受け入れ、次に礼儀を忘れずにつきあっていくことが大切だと思いました。この授業を機に、私は「いじめ」というものを意識し、仲良く慣れた友達と話すときの言葉遣いは特に気をつけて、相手に失礼の無いように学校生活を送っていきたいと思いました。

 【5組】 友人の多様性を受容する

 私は今回の講話をお聞きして、人それぞれの個性を悪く思ったり羨ましく思ったり、自分を受け入れずに他人をずっと意識するのはあまりよくないことだと感じました。確かに、人のよいところを真似するのは大切なことです。しかし、自分だけにあるよいところや特徴、そして自分はどのような人なのかをしっかりと知らなくては、自分が自分でなくなってしまいます。また、いろいろな個性があるからこそ、この人といれば楽しい、この人といれば心地よくなるなど、色々なよい感情が持てます。つまり、私は人それぞれの個性があるから、日々が明るく楽しくなるのだと思います。しかし、私はそんな自分の個性や長所、短所、性格をしっかりと理解していなくて、道徳の時間に行った「ジョハリの窓」という自分を知る機会では、「盲目の窓」という自分は知らないけれども他人は知っているという部分が圧倒的に多くなり、驚きました。私はこの事実を知って、今までは私のことは他人は分からず、自分のことは自分が一番理解していると思っていたので、改めて自分を見直すことができました。そして、私は一人一人の個性を書いているとき、やはりひとそれぞれに個性があるなあと実感しました。普段は何気なく話している友達でも、その人その人で性格は違い、その性格をしっかり理解して、その人特有の一緒にいる楽しさを味わっているんだなと感じました。そして、その特有の性格同士がお互いに思いやったり協力したりして、この楽しい生活は成り立っているんだと思いました。しかし、そのように性格が一人一人違うからこそ、思いが食い違い、ケンカになることもあります。楽しいままで生活するためには、やはり礼節を知り、相手の心や性格をきちんと理解する必要があります。親しい友達だから雑な言葉で話すのではなく、親しい友達だからこそ相手を思いやって話すことが大切だと思います。このように、人間には人それぞれの個性があります。私たちは人それぞれの個性を、まず自分自身が理解して大切にしていくことが必要です。そのようにすることで、一緒にいて楽しいと感じられるようになっていくのだと思います。個性は自分の誇るべきもので、欠かせないものであると思いました。
 
 【6組】 自由と責任

 私は今回の道徳で改めて考えなくてはいけないと思ったことがあります。一つは「自由」ということについてです。私たちが考えている「自由」は、世界の子供たちが思っている「自由」とは異なっています。日本にいる私たちの「自由ではない」と感じることも、もちろん異なっています。日本の「自由ではない」ことは、世界だと「自由」と感じられるというようなことを中山副校長先生がおっしゃっており、私は理解できました。また、周りから見ると、自由に見える人や、自由ではないように見える人がいます。自由かどうかということは、周りが見ていても見た目と心でどのように感じているかは違うこともあるということでした。私は心の中では自由に見える人を、決して自分が自由ではないと思ったときに、「あの人は自由だな」と勝手に思い込んでいました。私は道徳の授業を受けて、このことを思い出しました。本当は自由でなかったかもしれないのに、自由に見えるだけでその人を自由だと決めてしまっていたので、これからは絶対にしないように生活していきたいです。また、「責任」についても改めて考えようと思いました。「自由」については、その単語はどのような漢字から成り立っているか、ということを説明してくださっていたので、私も今度から単語について説明しなさい、と問われたら漢字を思い出し、その意味自体を考えてわかりやすい説明が出来るようになりたいと思いました。また、「良心」を忘れずに、今回の道徳で学んだことを生かしていきたいです。

 【6組】 自由と責任

 私は、今回の「自由と責任」の授業を受けて自由とは何か、私が行っていることは正しいか考えさせられました。自由は、自由ではなく他人を第一に考えなければならないと思います。私は自分の意志で江戸取に入ることに決めました。姉は公立の学校なのに、私は私立に入れてもらいました。したがって私は、毎日元気に感謝の気持ちを持って頑張っていきたいと思っています。実際私はとても頑張っているつもりです。しかし、周りから見たらしっかり責任を果たせているかわかりません。特に意識せず、無責任な言動をしてしまっていることもあると思います。今まで、自由というのは他人のことを考えず、自分のやりたいことだけを考えているという風に自然と認識していました。しかし、中山副校長先生のお話をお聞きして、社会というたくさんの集団の中の一人として、常に他人のことを考えた上でやりたいことをすること、それが自由だと感じました。私が思っていた「自由」では、ただの「自分勝手」になってしまうことがわかりました。自由は、良心に従い行動することが大切です。私はこれから、相手の心をもっと考えていきたいです。私は、ある程度傷つきにくいので、知らないうちに他人を傷つけてしまっているかもしれません。人に優しくできたから、自由について考えたいです。そして、私は「責任」の中で、「一人前になる努力」が一番大切だと思います。勉強して親孝行すること、人に優しくすること、全て努力がないとできないことだと思います。みんなが気持ちよく自由と責任を果たせるように、良心に従って努力していきたいです。
 
  【7組】  国際社会に生きる
 
 この道徳の授業では、最初に「国際社会」という言葉の意味について考えました。僕は、「世界で共通する社会」と考えました。他の人たちは、「他国人と共生してゆく社会」や「国と国とが協力していく社会」という考えを述べていて、なるほどな、と思うと同時に、それぞれ考えが違うんだなと思いました。次に「国際」と「社会」の意味を辞書で調べました。「社会」の意味として、辞書には「人間の共同生活体。仲間。広い意味での共同生活を営む人々の集団。」ということが書かれていました。これをふまえ、今回の道徳で取り上げる「社会」について、「家族は社会とは呼ばない」とおっしゃっていました。僕は、これを聞いて、以前の道徳で「家族を社会と呼ぶかどうかには問題もある」というお話があったことを思い出し、そういういうものなのだなと思いました。今回の道徳で、「他の私立の中学校も、国際社会に関することをいろいろとやっているのだろうか、と思いました。江戸取では、カナダ修学旅行やオーストラリア短期留学、立命館アジア太平洋大学での国際交流、イングリッシュカフェなどがあります。僕も、イングリッシュカフェでダニエル先生と英語で話をしたことがあります。「英語で話すって、こういうことなんだ」と要領をつかめた気がして、よい経験が出来ました。カナダ修学旅行も、楽しく過ごしながら外国の人と英語が話せる、ということで今からとても楽しみです。最後に、僕たちが国際社会で生きていく上で必要なことについて話し合いました。僕たちの班では、英語力・経済力・人格・判断力・豊富な知識・経験・礼儀・多文化の尊重、など、様々な意見が出ました。僕は、この中でも英語力が特に大切だと思います。だから、今後も英語の授業を大切にしてゆき、予習・復習もふくめてしっかり頑張ろうと思います。 
 
  【7組】 国際社会に生きる

 僕は、今回の講話を聞いて、難しい言葉を単語に分けて考え、それぞれの単語の意味を調べるのが語彙力を上げるのにも良いな、と思い、とても納得しました。その方法で国際社会という言葉を考えてみると、「国際」は、世界の繋がり、「社会」は生活を営む人の集団と考えることができます。国際社会ということを以前まであまり考えたことがありませんでしたが、これを機に考えてみようと思いました。今日では、ギリシャが「デフォルト」という他国からの借金を返せずに経済破綻してしまう危機に陥っています。これにより、世界中の経済に影響することが懸念されています。韓国ではMERSという感染症が流行しています。それは、中東から病原菌が持ち込まれ、さらに別の国にも感染が広まると心配されていました。これらにより、国際社会全体で問題解決の努力が必要だと思いました。このような、国際社会全体で努力する時に、国際社会の中で一人一人が生きていくための力が必要です。その力を作るためには、どのような方法があるかというと、まず基本中の基本が「英語力」です。何事を話すにも、英語が話せないと始まりません。だから、頑張って英語力を付けようと思います。次に思ったことが、コミュニケーション力+積極性」です。これは、どちらもセットであり、コミュニケーションはたくさんの人々に分かりやすく意思の疎通が行われなければなりません。また、自分の意見をどんどん言わなければ話し合いに参加できません。だから、この2点を大切に覚えておき、実践しようと思いました。また、江戸取も国際社会を意識した行事を行っているので、これらの行事の中で、相手のことを思いやりながらも自分のこともきちんと主張できたらいいな、と思いました。
 
 【8組】 社会の一員として
 
 今回の道徳は青野先生から「社会の一員として」についてお話を聞きました。社会は“共同生活を営む人間の集団”ということを聞いて、今までそのような考え方はしたことがなかったので、そこから様々な考え方を学ぶことができました。特に自分が関係する社会について考えた時に、自分が関係しているのは家から学校までに関わっているものばかりだと思っていました。家族や学校などは当然同じ場所で生活するので一つの社会ですが、その他に電車の中の知らない人たちでできた空間も一つの社会であることはなんとなくですが感じていました。しかしそれ以外にも自分が意識していないところや見えていないところで自分が社会と関わっているということに気づきました。それは自分が住んでいる地域、市町村、都道府県、国、地球まで発展することです。自分の行動が自分の気づいていないところで良い影響を与えたり、悪い影響を与えたりしていることを常に考えるべきだと思いました。
また、社会で必要不可欠なものとして、礼儀やルールなどたくさんの事を教わりましたが、私はこれらをバランスよく身につけていかないといけないと思っています。というのは、私が小学校5年生のころ、6年生に敬語を使っていたら「なんだか堅苦しいからやだよ」と言われてしまいました。しかしこれを無くしてしまうと逆に「礼儀がなくて失礼」と思われてしまいます。このように少しずつの調節をして相手に会うように考えるのも思いやりの一つで、この調節を上手にできることで初めて社会に不可欠な要素になるのかなと思いました。私は吹奏楽部でチューバを演奏していて、部活も一つの社会なので掃除や片づけを積極的に取り組みたいです。又、演奏中もみんなで一つのものをつくるので、思いやりをもって部活動みんなの事を考えることができたら部活動という社会がよくなっていくと思いました。


 【8組】 社会の一員として

 今回の道徳は「社会」というテーマでした。社会には友達やクラスメイトなどの小さな規模のものから国や社会まで大きなものまで存在していることを教わり、とても壮大なもので、世の中は全て社会という集団で成り立っているのだと思いました。次に社会で必要なものは何かということを教えてくださいました。僕が考えたのは、大切なものはたくさんあるのですが、その中でも一番必要なのは思いやりと礼儀だと思いました。どちらもみんなで協力して何かに取り組むのに必要だからです。班で話し合った結果、ルール、信頼、公共心、自分らしさ、コミュニケーション力など自分の考えと似ているものと、自分では考え付かなかった意見がでました。ここで気づいたことがありました。こうやって5班という班で集まった時点でこれも一つの社会になり、似たような意見を持つ人と自分とは違う意見を持つ人がいるけど話し合うことでお互いを理解しあえるのだと思いました。青野先生も、今就職するときに一番求められている能力がコミュニケーション能力であるとお聴きしたので、社会で一番必要な能力はコミュニケーション能力なのかもしれないと考え方が変わりました。又、社会の一員というのは自分が集団の中の一人として役割や責任を負うことだと聞いて、やはり一人ひとりがみんなのために責任を負う気持ちが大切なのだと思いました。僕は家族という社会の一員として風呂洗いやベランダの植物の手入れやそうじなどをしています。時々忘れてしまうことがありますが、これも責任をしっかりともって家族のために掃除ができるようにしていきたいです。今まで習った公共心や公徳心と共に広い社会に目を向けて生活を送っていきたいと思いました。
 

 

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