平成27年度

中等部1学年 第3回 道徳感想文

6月1日実施

 

 
 【1組】 なぜ私ちは学ぶのか

 今回の道徳のテーマは「なぜ私ちは学ぶのか」でした。そして竹中先生が「何を学ぶのか」、「それだけで十分なのか」という大きく分けて二つのことについて話していただきました。

  まず最初の「何を学ぶのか」ということについては、世界の国々の識字率などを知り、日本だけでなく教育について世界の国々の現状を学ぶことができました。識字率というのはある国や一定の地域で文字の読み書きができる人の割合のことです。日本は99.8%でインドは58%またニジェールという国では17%でした。インドは頭が良い国として有名だと思っていたのでとても意外でした。そしてインドやニジェールなどの識字率が低いのはカースト制や貧富の差、また宗教や身分、性別を差別していることが原因です。全世界で5700万人の人が学校に通うことができないという日本ではあり得ないことが他国で起っていることにとても驚きました。このような現状を知ることができたのでこれからは、私たちが今学んでいることはとてもすばらしいことであるということを自覚してこれからも勉強に励みたいです。

  次に「それで十分なのか」ということについては、学びとはどういうものなのか、班に分かれて私たちが今学校で学んでいる教科は本当に必要なのかとい事を話し合いました。学びというのは経験や伝聞により新しい事柄を身につける行為のことであり、学ぶことによって 人は変わることができるということが分かりました。そして話し合いでは、美術や書道は将来的に必要ないという意見になりましたが、後で、他の班の発表を聞いて美術や書道も必要であるという意見に変わりました。この二つの教科は今は必要ないと思っていても、いつか将来自分たちが社会人になったとき役に立つときがあるかもしれないと思いました。今回の道徳では学ぶことの大切さを知ることができました。

 【1組】 なぜ私ちは学ぶのか

 今回の道徳では、まず始めに僕たちが何を学んでいるのかについて知りました。僕は先生に教えてもらうまでは地球上のほとんどの人が読み書きができると思っていました。しかし、5人にひとりしか読み書きができない国もあるということを知りました。僕は同じ地球上に生まれてきた人の中にこのような違いがあることはとても悲しいことだと思いました。

  次に読み書きそろばん、(計算)の三つだけで十分なのかということについて学びました。僕の将来の夢は薬剤師になることですが、読み書きそろばんだけでは薬剤師になることはできません。学校の授業の中に美術や音楽があるように学びは読み書きそろばんだけではありません。先生は学びとは経験や伝聞により新しい事柄を身につける行為だと教えて下さいました。

  最後に学ぶ四つの目的を学びました。
  一つ目は豊かな生活を営めるようにするためのものです。貧しい生活を送ることになってしまうと、精神的にもつらい状態になってしまいます。豊かな生活を営むことができれば自分や家族の可能性も広げることができると思います。
  二つ目は自己成長をするためのものです。学ぶことによって知識を得ると視野を広げたり新たな価値観を自らの中に築いたりすることができます。
  三つ目は社会の一員として他者を支えるためです。社会のために役に立つと言うことはとても良いことです。
  四つ目は事実を正しくとらえるためです。僕は根拠や時代背景などを深く探れば今まで見えなかった物事のからくりを見抜くことができるという事を知りました。 今回学んだ事を忘れずに日々の勉強に取り組んでいこうと思いました。
 

 【2組】 命の尊さを知る

 私は、今回の遠藤先生の講話をお聴きして改めて「命」について考えさせられたことが二つありました。
  まず一つ目は、両親が私を産んでくださり、この十二年間いつも面倒を見てくださったことへの感謝です。私はいままで、親が発する言葉にイライラしたり、腹を立てたりするたびに、つい口汚い言葉を吐いてしまったり、そのイライラを行動に移してしまったりしたことがありました。でも、今回の講話の中で出てきた山崎直也君のお話を先生からお聞きしたとき、自分は本当にこれ以上ない幸せな場所や環境で生活していると痛感しました。日々の生活の中で不自由なく生き生きと生活し、家族と一緒に笑いあいながら毎日過ごせる「日常」がどれほど大切な宝物であったかを初めて目の当たりにしました。以上のことを踏まえた上で私は、今までの「親に対する失礼な態度なもう決してとらない」と強く思いました。山崎直也君のように常に他人の幸せを願っている幼い子より も、健康で日々自由な生活を送っている私が、両親に失礼なことを言って迷惑をかけることは本当に情けなく、みっともないことです。

 次に、二つ目は、「自分の将来の夢をあきらめない」ということについてです。私はこの講話を聞くにつれて、将来の夢である「医師になる」という夢を明確にしました。 そして病気や障害を持った子供たちの未来を少しでも明るくしたいと思っています。そして世界中のすべての子供達に「将来の大きな夢を持って、全力で努力してほしい」と願っています。小さな子供たちの命を一人でも多く救える医師になるためにも、今は学習をコツコツと積み重ねていき、努力を惜しまずにしていきたいです。そして将来、規律ある、立派な江戸取の卒業生として、未来のリーダーになり、世界へ貢献していきたいです。そして今回、学んだ「命の尊さ」のことについて、これからもっと理解を深めていき将来の自分に役立てていきたいです。

 【2組】 命の尊さを知る

 今回は遠藤先生の命の尊さについてのお話をお聞きしました。
  まずは、自分・家族のことについてです。私は、いつも生んでくれてありがとう、と思っていましたが、この学習を通して改めてその気持ちが増しました。誕生日は親に感謝する日と聞いたとき、確かに誕生日は親が命がけで私を産んでくれた日なので、来年からその気持ちを忘れずに誕生日を迎えたいです。また、誕生日だけでなく常に感謝の気持ちを持ち続けていきたいです。

  次に東日本大震災についてのお話がありました。この地震で私は恐怖を体験しましたが、被害はそこまで大きく ありませんでした。しかし東北では死者も大勢出て、深刻な問題となりました。大変な状況であったのに、自分の命を犠牲にして でも他人を守る人が多くいて本当に感動しました。
  また、梶原裕太君の答辞を聞いたときは本当に勇気づけられる文章だと思いました。辛かったと思うのに前向きに考える力強さに感動しました。

  最後に『がんばれば幸せになれるよ』という本のことについてお話がありました。私はこの話を聞いているときに涙がこぼれそうになりました。まだ幼いのにとても重い病気を患ってしまった直也君。それなのに直也君は、自分中心ではなく、お母さんのこと、弟のことを心配しています。いつ死ぬか わからない、あと少しで人生が終わってしまうかもしれない、それなのに他人への思いやりの気持ちを忘れずに生活していることが本当に すばらしく、強い男の子だな、と思いました。「お母さんの心の準備ができるまでぼくは死ねない。 」よくそんな言葉を言えるな、と思いました。自分の病気を幼いのに受け止め、周りの人に心配をかけさせない、その心がすごいと思います。私も力強く生きられる人になりたいです。最後の言葉は弟を気遣う言葉でみんなとお別れをした直也君。直也君は悔いなく、天国に行き、元気な家族を見守っていると思います。本当にこの話には感動しました。
  黒板に書かれた「命というのは自分に与えられた時間」「命は代われない」、この言葉を心に置いて、私がもらった命を大切にして、毎日楽しく生活していきたいです。そして、要求の気持ちより感謝の気持ち、愚痴より感謝の言葉とプラスの気持ちをもち、他人が不快になる言葉を口に出さず、みんなが楽しい、このクラスが一番、と思えるようなクラス、そして大切な瞬間が一人一人にある最高のクラスを作っていきたいです。
  

 【3組】 友人の多様性を受容する

 今回の道徳の授業では、ジョハリの窓を利用して自分自身について分析する機会を得ました。その結果、自分が周囲からどう思われているのかがよく分かりました。私は「開放の窓」より「盲目の窓」の方が多かったです。そして、その盲目の窓の内容を見た時にはとても驚きました。なぜならば、私自身の自己認識と大きく違っていたからです。特に驚いたことには「人に慕われそう」という項目が上がっていたことです。私自身は、あまり人から慕われるようなことをしているとは思っていません。それにもかかわらず、「人に慕われそう」と他の人に思われていることに驚きました。私の好きな歌の歌詞に「自分を愛さない限り人を愛せない」「大事なのは自分認めてくこと」というものがあります。これは武居先生がおっしゃっていた内容とほぼ同様です。私は盲目の窓が多くあるということは、自分を愛せていない、認められていない証拠だと思います。ということは、他人に対しても認められていないということを意味していると思いま。だから友人の多様性を受容できていないのかもしれません。今後は自分を認めていき、友人の多様性を受容し、盲目の窓を少なくしていきたいと思います。

 日本人は、自己主張や自己表現が下手だと言われます。それには理由があると思います。それは、はっきり自分の意見を言うと周囲から変な目で見られるからです。要するに日本人は、周囲と同じような意見、多数派の意見に弱いのです。日本ではよくこんなやりとりがあります。「○○という意見が良いと思います。」「それもいいですが、やはり××という意見の方が良いのではないですか?」「は、はい…。そうですね。」このようなやり取りを見ていると日本人は意見に反対されることに弱いように感じます。それは多様性を受容していることでは無いように思います。もし、日本人が自分の意見やそれに対する反対意見などを含めて、意見の多様性を本当に受容できるようになれば、日本は一気に良くなると思います。

 実は私は、以前までいじめられていました。容姿のことでいつも馬鹿にされていました。いじめている人は多様性を受容できず、自己満足のために好き勝手に言っていました。日本ではいじめがとても多いように思います。一年間だけ留学をしていたことがありますが、その時にはいじめられることはありませんでした。これは留学先の社会が相手の多様性を受容できていることを示しているように思います。今、クラスはどんどん仲良くなっています。だからこそ、礼節を忘れてはいけません。今の友人やクラスメートの多様性を受容して、本気で切磋琢磨していける仲間を増やしていきたいと思います。

   【3組】 友人の多様性を受容する

 私は小学6年生の時に、友達とけんかをしました。原因は私の友達が先生の悪口や友達の悪口などをしつこく言っていて、それが原因で男子ともけんかをしたりしていました。私は受験中で、それに巻き込まれたくなかったので、突然、その人達とは話をしないようにしました。この件で私はとても反省しました。なぜならば、例え悪口を言っていたとしても、突然話さなくなるのは良くないことであるし、私自身も友達の悪口に関してきちんと注意をしたり、自分の気持ちを説明したりすれば良かったと思うからです。最終的に仲直りはできたので良かったとは思います。しかし、相手がどのような気持ちで、悪口などを言っていたのかを聞くことができませんでした、私の気持ちを説明することもできなかったので、後悔しています。このような経験を通して私は、色々なタイプの友人を受け入れていかなければならないと思うようになりました。そして、私もありのままの自分をみんなに見せたいと思うようになりました。

 今回の道徳は、ジョハリの窓を利用して、自分自身の性格などを調べました。授業で自分の性格や相手の性格を調べた時に、私は盲目の窓が一番多く、その内容がとても意外でした。例えば、「行動力がありそう」や「社交性がありそう」、「根性がありそう」などです。私は、口では簡単に言えるけれど、実行するときには少しためらうことが多いので、そのような自分自身の認識と他人との見方が違っていたことに驚きました。「社交性がありそう」に関しても、自分ではとても人見知りで、初めて会った人とはなかなか仲良くなれないと思っています。また、根性もあるようには思えません。しかし、他の人には、私が気づいていないことが見えているのかもしれません。ですから、今回の授業ではそのことに気づくことができたので、とても貴重な経験になったと思います。

 一方で、秘密の窓に関する項目も多くありました。私にはまだ人に知られていない性格が多いようです。例えば、私はプライドが高く、頑固なのですが、友人からはそういう性格に見えないといわれます。秘密の窓が多いということは私が他の人に対して知られていないこと、もしくは隠していることが多いということです。ですから、自分自身をもっと知ってもらうためにも、積極的に自分を出していきたいです。と同時に、私もみんなのことを知っていきたいです。そのためにクラスの一人一人のことをもっと細かく見ていくようにしたいです。その際、悪いことよりも良いことを見ていくようにするべきだと思います。また、親しい友人に対しても礼節をもって接していきたいです。

 自分の認識と他人の見方が違っていることがありますし、その逆もあります。ですから、私は、一年三組を、それぞれ一人一人がありのままを見せ、協力して助け合い、それぞれが一人一人の性格をしっかりと分かっている、そんなクラスにしていきたいと考えています。
 
 【4組】 「自由」と「責任」

 私は中山先生の講話を聞いて、思ったことや感じたことがいくつかありました。
 一つ目は、自由についてです。私は前まで「自分は自由ではない、何かによって縛られている」と感じることがたまにありました。その何かとは、学校の規則であったり、礼儀やマナーであったりしました。でも総合学習で世界の子どもたちについて調べた時にとても衝撃を受け、生活が困難な子どもたちに比べれば全然不自由なことなどないと考えを改めました。世界の子どもたちの中には学校に行けなくて教育を受けることができない子や、それ以前に、明日も生きていられるのかという子もいます。だから、私はもっと視野を広くして、目先の事だけにとらわれずに、困った時は心の持ち方を変えてみようと思いました。

 二つ目は自由と自分勝手の違いについてです。少し前は、何が違うのだろうかと疑問に思ったこともありましたが、中山先生の講話や皆の意見を聞いて納得しました。自由と自分勝手は、実は正反対の意味であって、人を思いやることができるかできないかが境です。誰にでも「良心」というものを持っています。したいことをするときは良心に従って、他の人の迷惑になっていないかを考えることが必要だと思います。他の人にも「自由」があることを忘れずに、妨害しないように気をつけたいと思います。

 三つ目は責任についてです。責任とは、自分に与えられた義務のことだと私は思います。しかし、私はその義務をきちんと果たすことがまだできていません。なぜなら、たまに忘れ物をしてしまうことがあるからです。だから、今後忘れものをしないように気を引き締めていきたいと思います。私は施錠係ですが、もし鍵を紛失してしまった場合など、謝っただけでは済まされないような問題なので、責任感を強くもって、施錠したいと思います。そして初志貫徹を心に決めて、今回の講話内容を思い出しながら、意義のある生活を送っていきたいです。

 【4組】 「自由」と「責任」

 僕は今回の道徳の授業を受けて、「自由と責任」について初めてしっかり考えました。自由や責任は、この世の中で生きるためにはとても大切なことだと思います。たとえば、自由は自分のやりたいことが、普通に当たり前にできることです。これがなくなってしまうと人は精神や心がなかなか育ちません。僕は今自分が自由だと思っています。その理由は言葉のとおり様々なことを自由にできたり、行ったりすることが普通にできるからです。だから、僕は自由が本当に大事だと思います。

 次に責任については、これも必要なことです。「責任」というものがないと人々は物事を適当に考えたり、やったりしてしまいます。また人から任せられたりしたことが達成できなければ社会が崩れてしまいます。人々が自由気ままに行動し、「適当がすべて」になってしまうと社会の秩序は保てません。僕は、まずは小さい身近なことから実行していこうと思います。学校生活の中で、何かを配ったり、提出物を決められた日にしっかりと出す、これが規則や決まりの基本です。それができるようになれば、次第に自分の責任もうまく果たせるようになるはずです。今までの僕は自分に課せられた責任を果たしていないときがありました。提出物を決められたときに出せなかったり、提出はできても内容が不十分だったりしたこともありました。そうしたことを反省し、次に同じことを繰り返さないようにしようと思います。今回の「自由と責任」について色々なことを知ることができました。自分の今のあり方を見直す授業を受けることができて良かったです。
   

 【5組】 国際社会に生きる

 国際社会とは、複数の国々の関わりのことですが、その中で生きていくために必要なものは「協調性」であると思いました。他国と協力し合うことができなければ、自分の国にとって利益にならないばかりでなく、世界にとっても損失になることが多くなります。共に支え合い、共に伸びていく関係を築くことが大切です。

 では、どのようにして協調性を作り上げていけばよいのかというと、「日々の生活で、多くの仲間と一緒に、一つ一つ日常的な課題をクリアしていき、お互いを理解していくこと」です。これは、江戸取の学校生活でかなり鍛えられると思います。国際関係をよくしていく土台となるのは、日常の生活であると考える事ができました。

 次に必要だと思うのはコミュニケーション能力です。優れたコミュニケーション能力を身につければ、相手に自分の考えを伝えるのに役立ち、「協調性」をさらによい方向に導いてくれるはずです。ではコミュニケーション能力を身につけるにはどうすればよいかというと、僕はまず英語の学習をしっかりとすることだと思います。現在世界の国々で最も多く使われている言語は英語です。英語をマスターすることは、単に語学力をアップさせるだけでなく、自分自身の社会の幅が広がるように思います。現在江戸取では国際社会を意識したさまざまな行事や取り組みがあるとお聞きしました。それらに積極的に取り組むことで、協調性やコミュニケーション能力を大きく飛躍させることができます。このような江戸取の教育を大いに利用して、クラスメイトと共にさまざまな試練に立ち向かい、協調性とコミュニケーション能力を高めていこうと思いました。英語や英会話の授業にも今まで以上に力を入れて、語学力の向上に努めていきたいとも思っています。国際社会に生きる一人として、今からできることを頑張っていこうと思います。

 【5組】 国際社会に生きる

 「国際」という言葉には、「外国」というイメージがあって、今までの私にとってはあまり身近な感じがしませんでした。でも、今回のお話から、案外自分の身近にも国際社会に関係することがあるのだなと感じました。すでに自分も国際社会の一員なのだという自覚が必要だと思うようになりました。

 次に「国際社会で生きていく」ために必要なことは何か。一つ目は「語学力とコミュニケーション力を上げていくこと」です。最近、日本と外国とのつながりが強くなったような気がします。例えば、日本にやってくる外国人観光客の姿をよく見かけるようになりました。これからはさらに増えていくかもしれません。これからの日本では、外国人とコミュニケーションを取る機会が増え、英語をしゃべれるようにすることは、私たちにとって絶対必要な条件になるかもしれません。ですから、まず英語の授業には力を入れていきたいと思います。

 二つ目は、「マナーを守ること」です。外国の人たちは、日本人のことを、「礼儀正しい民族である」と思っているそうです。震災の時にも略奪などは起きず、みんな落ち着いて食糧が配られるのを待っていたことが、海外から称賛されたとお聴きしました。そのイメージをこれからも維持して、日本人に対するよいイメージを壊さないようにしたいと思っています。

 三つ目は、「相手を尊重すること」です。どの国でも協調性は大事だと思います。相手の意見に流されるというのではなくて、相手の意見を聞き入れ、自分の意見を述べるということです。私はたまに自分の意見があるのに、相手の意見に 合わせてしまうということがあります。これからは「相手を尊重する」ことを意識して、自分の意見を主張できるようにしていきたいと思います。一つ驚いたことがありました。それは、江戸取には「国際社会」を意識した活動がたくさんあるということです。そういう教育に積極的に参加して、外国がより身近な存在になったらうれしいし、少しでも将来の夢に近づけたらいいなと思いました。
 

 【6組】 社会の一員として

 今回の道徳は、「社会の一員として」というテーマでした。社会とは、「複数の人が集まり、決まり事を守って生活している集団のこと」です。二人集まれば社会となると先生がおっしゃった時、少し違和感を覚えました。なぜなら、社会はもっと大きな集団を考えていたからです。社会で生きていくために、うまくやっていくことで必要なものは何か、先生のお話を聞いて考えました。一番大切なものは道徳心だと思いました。ルールを守り、協力し、互いを尊重し合わないと集団行動はできません。人として尊敬される人間になりたいと思いました。尊敬されるためには、相手のことも尊重する気持ちを持つことが大切だと思いました。

 次に社会の一員として、今の私ができることを考えてみました。まず、友人関係においては、相手を思いやり尊重すること。学校生活においてはルールを守ること。時間厳守、学習、挨拶など、江戸取生として恥ずかしくない行動を心掛ける。そして家族の中では、両親に感謝し家事の手伝いをする。地域社会においてはボランティア活動に参加する。私は小学校の時に、公園清掃のボランティアに参加したことがあります。当時の私は「どうして私たちがやらなくてはいけないのだろう。」と思って参加していました。しかし、今回の授業を受けて、あの活動は社会の一員として役割を果たしていたことになるのだと思いました。これからは積極的にボランティア活動をしていきたいと思いました。私たちは、社会からたくさんの恩恵を受けて生活していると思います。私が社会の一員として出来ることは、まだ少ないと思います。社会に恩返しができるように勉強に励み、自分の心を磨きたいと思いました。

 【6組】 社会の一員として

 「社会の一員として」というお話をお聞きして、3つ学んだことがあります。1つ目は、社会で生きてく、上手くやっていくためには、規則やルールを守ることが大切だということです。社会は複数の人が集まり、決まりごとを守って生活している集団です。その集団の中でルールや規則を守らないでいると、その集団でのチームワークがなくなったり、人間関係にヒビが入ったりして、お互いに上手くやっていけなくなります。ですから、江戸取の集団でも自分が上手くやっていけるように、規則やルールを破らないようにしていきたいです。

 2つ目は社会の一員としてどう行動すべきかということです。僕は、家族の一員としてお風呂掃除程度しかやっていないです。青野先生のお話をお聞きして、もっと家族のために出来そうな仕事はないだろうかと思い、自分の仕事を増やそうと考えました。考えた結果、たまにしかやらなかったゴミ出しをこれからは自分がやるようにしました。また、江戸取の一員として、規則やルールを守るのはもちろんのこと、校門での一礼や時間厳守をするなどの再確認ができました。

 3つ目は、社会の一員としての自覚を持つことです。他人に迷惑をかけないことや、社会のルールに従うこと、常識やマナーを弁えたり社会の一員であることを自覚した行動をします。また、その中でも僕はマナーが大切だと思います。マナーを弁えることで相手に好印象を与えるだけでなく、周りからの目を気にしないで済むようになります。これからは社会の一員としての自覚を持ち、規則やルールを守って他人と良好な関係を築いていきたいです。
 

  【7組】 ルールについ て

 私は今回の木村先生の授業で、「ルール」についてたくさんのことを学びました。まず、スポーツのルールでは、相手に危害を加えないため、観客が安心するため、という理由があることを知りました。そして、確かにスポーツを行うとき、ルールがないと、大勢の人が怪我をしてしまったり、それを見て、観客が不快な思いをしてしまうと思いました。

 次に、校則についてです。校則には、みんなが安心して学校生活を送れるという意味があると思っていましたが、それだけでなく、社会のルールを体得していくための過程だという意味もあると知り、今までよりもっと校則の大切さを感じることができました。
 法律については、法、命令、条例、条約など今まで何となく分かっていたような言葉の違いや意味を知ることができました。これからは、違いや意味がよく分からないことやはっきりしないことを見付けたら、自分で調べるようにしていきたいです。そうすることで、たくさんの言葉を知ることができ、知識もより深まってゆくと思います。法や命令や条例があることで、犯罪が防止され、今の私たちの安全な暮らしが守られ ます・ルールが無かったら(ルールを無視したら)、まとまりがなく混乱してしまいます。

 クラスでの話し合いでは、ルールの存在理由について話し合いました。「スムーズに行動するため」「周りの人と協力するため」「一つのまとまり(チーム)を作り、社会が安定するため」「よりよい生活にするため」「安全を守るため」「社会のもとを作るため」など、たくさんの意見が出ました。どの意見もすごく納得できるものばかりでした。そして、木村先生のおっしゃっていた、「お互いに相手を尊重し、自己の人間的成長に繋げる」ということができるようにしていきたいと思います。今回の授業により、ルールの大切さを改めて実感し、クラスの中で話し合って、自分とは違った意見を聞くことで、自分自身の考え方が広がり、人間的成長に繋げられたと思います。これらのことから、窮屈なことかもしれませんが、やはりルールは不可欠なものだと思いました。これからもルールを守って生活したいです。
 
  【7組】 ルールについて
 
 木村先生の道徳の授業を受け、まず学んだことは、スポーツのルールについてです。僕が思ったのは、どのルールも、スポーツを公平な条件で行うため、また安全に行うためのものである、ということです。スポーツはやっても見ても楽しいことが大事なのですが、そのためには、まず安全が第一です。だから、ルールを守ることがスポーツを楽しむことに繋がるのです。ルールは、一見束縛感があり、面倒なものに思えるのですが、実は楽しく行動するために不可欠なものであることが分かりました。
 
 次に、校則について。校則というのは、一般的には、「安心して学校生活を送るためのもの」という認識があります。もちろん、それも間違いではないのですが、その認識では、その場だけで役立つ だけものということになっていまいます。しかし、この道徳の授業を受けて、今までの認識を改め、「社会のルールを体得していくための過程」ということを学びました。僕は、この認識に改めることにより、校則が将来に繋がると考えるようになりました。そうすると、校則を守ろうとする気持ちも強まります。だから、校則を守るには、校則に対する意識を改めるのが良いと思いました。
 
 次に、「法律」について。法律には、色々な種類があります。法律は、一般的には犯罪を防止したり、人々が安心して暮らしたりできるようにするためのものです。それについては既に知っていましたが、僕が更にこの授業で学んだことは、「相互尊重をはかるためのもの」ということです。これについては、江戸取の実践五項目についても言えると思いました。なぜかというと、実践五項目には、「君、さん付けをする」というようなものがあります。これは、ある人にはあだ名、ある人には君、さん付けをする、というようなことがあれば、それは親しみの度合いを示すことになり、場合によっては相手を傷つけてしまいます。それを防ぐためにあると思います。これは「相互尊重」に繋が っていくのですので、実践5項目の一つである「君、さん付け」を徹底していきたいと思いました。
 
 【8組】 公共心・公徳心を養うために

 今まで私は周りの人の事を考えて登下校をしてきたつもりでしたが、今回の公共心・公徳心のお話をお聞きしてまだ配慮が足りない部分もあることに気づきました。登下校中に大きな声を出したり、横に広がって歩いたりしたら迷惑をかけてしまうことは私だけでなく、みんながわかっていることだと思います。でも友達と話をしながら歩くことは私もありますし、時にはその話に夢中になることもあります。その時に本当に周りの人に迷惑をかけていないかどうかまで考えていませんでした。また、学校生活の中でも移動教室などの時に廊下で同じことを気をつけないとやはり自分の知らないうちに多くの人に迷惑をかけてしまうことになってしまいます。ですから、普段の生活から注意しなくてはいけないと思いました。

 次に「規律」に関して本当の意味を理解することができました。決められたことを守って終わりにするのではなく、他人のことや社会のことを考えるために自分自身で決まりを決めて行動していくことなのではないかと思います。それは基本的なルールから、他の人のことを気遣ってあげることまで含みます。私はもっともっと規律をこの学校で学んでいかなくてはいけないと感じました。規律正しくないと罰せられるという考え方よりも、規律正しくないのはみっともないということなのではないかと思いました。今回お話にあった江戸しぐさのような他の人のことまで考えて行動する例はとても参考になりました。不愉快なことが起きた時に人のせいにするのではなく、お互い様であるという考え方ができるようになりたいです。

 最後に、自分が直接関わっている社会は学校とか住んでいる地域だけかと思っていましたが、自分の食べているものなどは日本だけでなく、世界から運んできてもらっているものもあります。また、自分が離れた世界と関わることはできないと思っていましたが、節電や募金、ペットボトルのふたを集めることなど、今から関われることもあるということがわかりました。他にもあると思うので、自分が地球に住んでいるということを忘れずに広い視野を持って生活をしていきたいです。

 【8組】 公共心・公徳心を養うために

 公徳心・公共心というお話の中で、「社会」という言葉がたくさん出てくるということに気づきました。自分が思っていた「社会」というのはただの人の集まりでしたが、その人の集まりには目的があって、みんなで協力してかなければならない集まりであることに気づきました。人がたくさん集まれば知らない人同士も協力し合うことができればよい集団になります。そしてこれが公共心や公徳心なのだと思いました。

 次に自分が所属している社会はいくつあるのだろうかと考えてみましたが、3個くらいしか思いつきませんでした。しかし授業を受けて少なくとも自分が暮らしている地球全体が社会であり、地球規模で考えていくと数えきれないほどの社会があると知りました。だから僕たちも地球規模で見たり考えたりする必要があると実感しました。でもまだ自分はあまり多くの関わりを世界ともつ機会はありません。だからまずは身近なところから考えていこうと思います。

  話し合いでは優先席を譲るという話がどの班でも出ていました。優先席にはそもそも座らないようにするのは当然ですが、優先席がいっぱいになっている時にも足腰があまり良くない方など、優先席を必要としている人は多くいるので、それを見て見ぬふりをするのは良くないと思います。優先席でなくても席を譲れるようになりたいです。それが電車内という「社会」で自分が協力できることだと思います。電車内にそういう人が一人でもいれば、それを見た人も協力してくれるのではないかとおもいます。また、江戸しぐさは電車の中でもよく見ます。特にこぶし腰浮かせはあまりたくさんは場所を詰めることはできませんが、その気持ちだけでも相手に伝えることができると思うので自分も電車やバスで実践していきたいと思いました。これからの人生で自分の守るべき道を極めていきたいと思います。
 

 

                                                                                                                                                江戸取ホームページ