平成27年度

中等部1学年 第1回 道徳感想文

4月27日実施

 

 
 【1組】 友人の多様性を受容する

 私は武居先生のお話をお聞きし、一人ひとりそれぞれ違うところがあり、それを認め合わなければならないということを学びました。私も今までそういうことを日々の生活の中で感じていました。私が初めて感じた時は、幼稚園の卒園式で「世界に一つだけの花」合唱した時でした。この歌の歌詞から、みんな一人ひとり違うよさがあり、みんなきれいな花を咲かせていることを知り、それから自分に自信を持つことができるようになり、また他の友人のよいところも発見することもできるようになりました。
 
 小学校のクラスには毎年、様々な友人がいました。幼稚園の時よりも個性の違いがはっきりしてきました。明るい子もいれば、おとなしい子もいる、自己主張する子もいれば、できない子もいました。明るく積極的な子はいつも大勢の友人に囲まれていました。おとなしい子は一人でぽつんとしている時もありました。でもおとなしくても、花に水をやったり、一度も忘れ物をしたことがない様子を見て、「優しいな」、「しっかりしているな」ということがわかり、その子のよさを感じました。小学校ではいじめはありませんでしたが、それはみんなが、お互いのよいところを理解し合い、尊重していたからだと思います。
 
 私はどちらかというと、おとなしくて発言が苦手なタイプです。けれども、お互いに理解し合うためには、自分の考えを主張できるということは大切だと思います。一人で静かに過ごしたい時もありますが、自分の考えや信念をしっかりと持ち、必要なときは自己主張ができる人になろうと思いました。これからも一人ひとりのことを理解し合い、励まし合い、助け合って、よい友人関係を築いていきたいと思います。
 
 【1組】 友人の多様性を受容する
 
 クラスの皆が学校が楽しいと思えるような居心地のよいクラスを作るために、僕がクラスの一員としてできることは何でしょうか。僕は学校が楽しいと思えてこそ勉強へのモチベーションが上がり、成績へと結びついていくのだと考えています。そこで僕が今、自分にできる身近なこととして実践するべきだと思っていることは、広い心を持ち、他人に優しくなるということです。

 僕は今まで、あまり他人を思いやるということを考えたことがありませんでした。しかし、このまま自分のことだけを考えて生きていったのでは、体だけが大きくなり、心は永遠に大人になれないでしょう。円熟した人になるためにはそれではいけません。優しさや他人を思いやる気持ちは、すぐに身につくものではなく、様々な人生経験を重ねていくうちに徐々に養われていくものです。だから中1の今の時期から人格を高められるように努力していかなければなりません。

 具体的には、周囲にいる人はどういう人で、どのようなことを考えているのだろうということを常に考え、そして相手を拒否したり批判するのではなく、認め受け入れていけるように努めるということです。人は皆それぞれ違います。違うからこそ面白いのです。その違いを個性としてとらえ、一人ひとりの良いところを探し、それを相手に伝えるというコミュニケーションを図っていくことが大切です。成長し続けるためには、現状に満足することなく、常に学び続ける精神を持ちたいと思います。

 

 【2組】  自由と責任
 
  私は今回の講話をお聞きして、まず「責任をきちんと果たせる人」になろうと決意しました。そこで「責任」をどうすれば果たせるかについて考えてみました。
 
 1点目。『自分自身に対する責任』については、不正をしない、命を大切にする、けじめをつけること等、「己の心の管理」が大切だと思います。今後の生活の中で己の心をさらに磨き、良心による判断力を高め、セルフコントロールを心がけたいと思います。
 
 2点目。『他者に対する責任』については、他人の信用に応える、人を不幸にさせる言動はしないなどの「思いやり」が何よりも重要だと思います。目配り、気配り、心配り、思いやりは、心に余裕がなくてはできません。私は徐々に視野を広げていき、自分のことだけでなく、周りのことも配慮できるような、心に余裕のある人になりたいと思います。そのためにも、テキパキ行動することを心がけていきたいです。
 
 3点目。『社会に対する責任』についてですが、与えられたことをきちんとこなす、仲間と協力して大きな壁を乗り越える、人の役に立つことをすることなどがあると思います。人の役に立つことをするには、小さなことを決して嫌がらず、地道に積み上げていく「勇気と努力」があれば、きっとで社会に対しても責任が果たせる人になれる気がします。
 
 周りを見渡せば、やらなくてはいけないことがたくさんあります。それと同じように、今の自分にもできることもたくさんあります。これからは、自分の「自由と責任」をバランスよく保ち、自分 にできる限りの力を、良心に従って発揮していこうと思います。
 
 【2組】 自由と責任
 
 私は、今回の授業を受けて二つのことを考えました。
 
 一つ目は、「自由とは何か、責任とは何か」ということです。今まで私は「責任ある行動をとりたい」とか「自由になりたい」と思うことがありましたが、今回の授業を受けて改めて「自由」と「責任」という言葉の本当の意味を真剣に考えるようになりました。私の考えていた「自由」や「責任」の意味は、本当の意味とは少し違っていたようです。言葉の意味は一つだけではありません。言葉は気をつけて使わなければならないということを学びました。
 
 二つ目は、ルールについてです。ルールを守ることにも責任が伴うということを実感しました。私は「つくばバス」で通学していますが、バス内では江戸取生しかいないからといって、大きな声で喋ったりしている生徒を時折見かけます。これは公共のマナーとしてはよくないなと思った時もありましたが、みんな大きい声で喋っているからまあ、いいやと自分も同じように大きな声で喋ってしまいました。大きな声で騒いで楽しんでいる人もいれば、迷惑だと感じている人もいるということにも気づかずに。今度からは周りにいる人のことを考えて、一つひとつの行動を慎重にしていきたいと思います。
 
 ルールはバスの中だけではありません。いつ、どんな時でもルールを守れるようにしていきたいと思います。この二つについて、さらに考えを深め、相手も自分も不快な気分にならない行動を実践していきたいと思います。そして、自分の内に自由を求め、社会のルールを身につけて、自分や世界が輝けるようにしようと決心しました。夢を叶えたいという思いがまた強くなりました。

 

 【3組】 国際社会を生きる
 
 江戸取では、国際社会を意識して、アメリカ・アカデミックツアーやオーストラリア短期留学、立命館アジア太平洋大学との交流、カナダ修学旅行、イングリッシュ・カフェなどが用意されています。特にイングリッシュ・カフェでは、月曜日から金曜日のコミュニティホールで、お昼休みにネイティブの先生と気軽に話すことができます。私は時々英会話の中で日本語が混ざることがあるので、完璧な英語を話せるようになりたいと考えています。また、国と国との交流ではお互いの文化や特徴などを受け入れ、お互いを尊重し合うことも大切であることがわかりました。
 
 私の将来の夢は国連の職員です。国連の職員として、偏見のない、差別のない、自由で、平和な社会を築くことに貢献したいと思います。また、先進国だから○○して、発展途上国だから○○するという区別はせず、みんな平等な立場で話し合いをすることが大切だと今回の授業を通してわかりました。武力でものごとを解決するのではなく、話し合うことでものごとを解決することの大切さがわかりました。戦争は人類最大の敵です。ですから、話し合うことは大切なのです。まずは、身近なところから、クラス内でもめごとがあれば、仲良く公平に解決していきたいです。
 
 【3組】 国際社会を生きる
 
 僕たちは、今、国際社会の中で生きています。そこで、国と国とが交流する場合、どのように交流するかについて考えてみました。
 
 一つ目は、相手の意見をしっかり聞くことです。相手が何を言いたいのかを理解して意見を言うことが大事です。また、自分の意見を一方的に言うのではなく、どちら対等の立場で双方向に意見を交わせば、現在問題となっている公害問題や領土問題の解決につながるのではないでしょうか。
 
 二つ目は、自国の文化や伝統を尊重することです。ただ、相手の意見を聞いているだけではなく、自国のよいところも紹介し、日本が誇れる文化や伝統を相手にわかってもらうことで、日本という国そのものをも尊重してもらえるのではないでしょうか。
 
 世界には、190か国以上の国が存在し、人種や領土、考え方の違いから紛争や戦争が頻繁に起こっています。さらに、貧富の差の拡大、地球温暖化など国際社会には問題が山積しています。これら問題は簡単に解決できるものではありません。
 
 僕が今できることはまず、英語をしっかり勉強することです。国際社会で意見を言ったり、相手の国の人々の考え方を理解したりするためにも英語は必要です。同時に日本のことをよく学び、日本という国についての教養を深めることによって、初めて対等に話ができると思います。そして世界の国の人達が平和に生きるためにはどうすればよいのか、これからも真剣に学び、考え続けていきたいと思います。

 

 【4組】 社会の一員として

 『社会』とは人がいる生活の中で人の存在を大切に考えて生活することです。つまり『社会』とは自分達の身の回りに普段からあるのだということを改めて認識しました。

 僕たちが『社会』の中で生きていくために、ぜひ必要なものがあります。僕が考えている必要なものとは、人に対する思いやりと自立すること、そして目標を持つことです。
 

 思いやりは『社会』の中で生きる上で最も大切なことだと思います。それは人が人を助けたり、人が人に助けられて成り立つものです。僕も多くの人たちの思いやりによって幸せな生活を送ることができています。
 
 自立することについては、挨拶や時間厳守をするにあたって、「いま○時だからあいさつは○だな」や「僕はうっかりしているから○分前に行動しよう」などと考える上で、自立していることは不可欠であると考えています。
 
 僕は本当にその目標を実現させたいと思うならば、たとえつらい思いをしても耐えられるだろうと思います。江戸取という『社会』で過ごす中で、「思いやり」、「自立」、「目標」についてさらに考えを深めていきたいと思います。
 
 【4組】 社会の一員として
 
 私は、「社会」という言葉の意味をほとんど考えたことがないことに気つきました。「社会」とは、科目にもあり、授業の中でもよく使います。しかし、正直なところ「社会」の意味を知りませんでした。今回「社会」という言葉の意味を考えられたことで、少しずつですが、これから「社会」とうまく付き合えるようになると思いました。
 
 私は社会の一員として大切なことは「ルールやマナーを守ること」だと思います。それらを守ることで周りの人を不快な思いにさせることなく、自分も気持ちよく社会の中にいられるのです。反対にルールやマナーを守らないと周りの人を不快にさせてしまうし、自分自身周りの人から白い目で見られたり、守らない人のマネをする人が出てきたりします。そうすると社会が壊れてしまいます。
 
 私は、社会を壊さないために次の二つのことを大切にしていきたいと思います。
 
 一つ目は「思いやりの心」を持つことです。電車やバスなどの公共機関でお年寄りとかが乗ってきた時に席を譲ってあげるとか、そういう些細なことから、行動していきたいと思います。
 
 二つ目は「コミュニケーション能力」を育てることです。コミュニケーション能力を育てるために大事だと思うことは、挨拶だと私は思います。挨拶からコミュニケーションは始まります。挨拶がしっかりできればその後のコミュニケーションもとりやすいものです。
 
 この二つのことを大事にすることで協調性が生まれます。協調性があれば「社会」を混乱させることはありません
 
 また、江戸取生の一員として、私は、江戸取の校則や規律を守ることが大切だと思います。校則には悪いことをしないようにするためのことが書かれています。校則を守っていれば、悪いことはできません。学生時代に人生の土台を作るのですから、ここで人生の土台を 作り損ねると、人は悪い道に走ってしまうかもしれません。私は、江戸取の校則にはしっかりと守り、人生の土台をしっかりと作り上げていきたいです。そして、そのしっかりと固めた土台を足場にし、立派に自立 していきたいと思います。私は将来、リーダーとなれるようにしっかりと安定した足場を作れるように、頑張っていきたいと思います。

 

 【5組】 ルールについて考える
 
 私はルールについて、今回、道徳の授業を受け、しっかりと考えることができました。学校のルール、公共の場でのルール、そしてスポーツのルールなど、私たちの周りには、たくさんのルールがあるということに気が付きました。学校には「校則」があります。それは、みんなが安全に、安心して学校生活を送るために必要なものであるということがわかりました。
 
 公共の場では、例えば「ポイ捨て」をしてはいけないというルールがあります。みんな頭では「ポイ捨てはいけないことだ」とわかっていると思います。でも「まあ、いいや」と思ってしまう人が少しでもいると、道が汚くなってしまいます。こういう身近なところにもルールがあると気づくことができました。
 
 スポーツにもルールがあります。公平さを保つ、相手に危害を加えない、安心して観戦するためにスポーツにはルールが必要であるということがわかりました。
 
 私はルールが必要な理由を考えてみました。

一つ目は、みんなが自分勝手に行動しないため、二つ目は、みんなが幸せに生きていくためです。また、他の班の発表で「ルールの存在意義」についての意見を聞き、「自分勝手な行動をする人が出てくると、社会が混乱するからルールは必要である」という意見や、ルールとは「みんなが守らなければいけない最低限の決まり」であるという言葉が印象に残りました。みんなが平等に幸せに生きていくために必要なルールを守り、お互いに思いやりの心を持って生活していきたいと思います。

 授業の最後に先生がおっしゃった「お互いに相手を尊重し、自己の人間的成長を図る」という言葉を忘れずに、これから生活していきます。
 
 【5組】  ルールについて考える
 
 今回ルールについて学びました。ルールとは、公平さを保ったり、相手に危害を加えないようにしたりするためのものだと改めて知りました。学校に校則や実践五項目があるのも、安全に、そして安心して学校生活を送るためです。しっかり守れば毎日を安心して過ごすことができますが、守らなければ一日のリズムが崩れたり、何かのトラブルに巻き込まれたりする可能性が高くなります。
 
 法律や条約についても学びました。法律は犯罪を防いで人々が安心して暮らせるための土台であり必要不可欠なものです。現代においても、まだ戦争や紛争、凶悪な犯罪などが後を絶ちません。それを少しでもなくしていくことがこれからの私たちの使命なのです。 条約は国家間で交わされる大規模な約束事でありルールです。それがなければ、世界の秩序は保つことができません。条約は国家間の大切な取り決めであり、条約が締結した以上、それは守らなければなりません。
 
 班員と今回のテーマについてディスカッションしました。僕たちの班では、ルールの存在意義について、「社会のまとまりがなくなったり、自分勝手な人が出てきて、平和が崩れ、社会が混乱してしまうことを防ぐために必要なもの」というまとめをしました。他の班では、「ルールは最低限度守るべき決まりである」という意見や、「優しい世界を作るために必要なものである」という意見や、「信頼関係を崩さないために必要なものである」という意見が出ていました。特に「優しい世界」や「信頼関係」という言葉は、自分の頭の中にはまったくなかった発想で、なるほどと思い、ディスカッションのよさを実感することができました。今回学んだことをしっかりと頭の中に入れ、今後の生活に生かしたいと思います。

 

 【6組】 公共心・公徳心を養うために
 
 私は今まであまり公共の場で公共心や、公徳心を意識していませんでした。これからの江戸取生活で少しずつそれらについて学び、社会生活に活かしていきたいです。
 
 公共心・公徳心を考える上で大切なことは、1つ目は、「電車の中で年配の方に席を譲る」ということです。電車内で私は、いつも朝は眠くて座りますし、帰りも疲れていて座ることがあります。「マナーを守ろう」とか、「礼儀正しい行動をしよう」とかいう抽象的な言葉だけでは行動に移せないものです。しかし、「電車の中で座らずに年配の方に席を譲ろう」と具体的に示されれば、改善することができると思いました。
 
 2つ目に、何かをしてもらうという受け身の生活をするのではなく、「もっと広い世界や社会に目を向け、自ら働きかける」ということです。今の私は家族やクラス、あるいは地元の狭い地域の中でだけで人々と関わっているだけです。しかも、自分から人々に働きかけるという経験をまだしていません。献血や募金、地域清掃等、具体的な行動を通して公徳心を養いたいと思います。
 
 3つ目に、「公共心に反する行動をしないように心がける」ということです。私は電車の中で周囲への気配りを忘れ、友達と騒いでしまったり、空席があれば他に譲るべき人がいないかどうか、確かめもしないで座ってしまう癖があるので、それを改善しなければならないと思いました。その他に、ポイ捨てをしてしまったこともあります。これからは他人に迷惑がかかっていないかどうか、常に気を配っていきます。

 今回の道徳で、少しだけ公共心・公徳心が理解できたように思います。これからの江戸取での生活がより充実したものとなるように公共心・公徳心を持って行動していきます。

 
 【6組】 公共心・公徳心を養うために
 
 僕は今回のテーマ「公共心・公徳心を養うために」というテーマを聞いて、1つ思ったことがあります。それは、電車内で友達とうるさくしてしまい、当時通っていた塾に苦情の電話がかかってきてしまったことがあります。他の人から苦情を受けるということは、その時は珍しいことだったので、自分がしてしまった ことの重大さに気づいて反省しました。このことは、公共心に反する行為だったと思います。
 
 道端にポイ捨てをしている人を見ることがしばしばあります。また、僕もポイ捨てはいけないことであるとわかっていても、したくなってしまったことが何度かあります。そのゴミが邪魔であったり、荷物になったりするとゴミをすぐに捨てたくなります。
 
 人は、楽しいことや楽なことに流されてしまいがちです。ポイ捨ても捨てたほうが楽だからしてしまうものだと思います。だから、そのような行為をなくしていくためには、自分が社会の一員であることを自覚し、自ら社会の利益を図るようなことを行うべきであると思います。そのためにも、地域のボランティアやゴミ拾いに積極的に参加して、ポイ捨ては絶対にだめであると身をもって実感しようと思います。

 

 【7組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
 第1回の道徳のタイトルは、「なぜ私たちは学ぶのか」でした。まずさまざまな国の識字率について竹中先生は話してくださいました。日本は99.8%と、他の国に比べて圧倒的に高い数値でした。そしてインドは58%、ニジェールは17%でした。私はこの話を聞くまで、「字を読めること、字を書けることは人間としてあたりまえだ」と思っていました。ですがインドでは42%の人々が、またニジェールでは83%もの人々が、字の読み書きができません。これは貧困などが理由で、学校で教育を受けられなくなってしまった人々だと思います。
 
 日本には義務教育の期間があり、教育を受ける権利があります。これは貧困国や発展途上国などの国々ではありえないことです。私はこれからは常に日本はとても恵まれているということを頭に置き、これからは学校へ行けない子供達の支えになるよう少しでも協力していきたいと改めて思いました。そして、このような素晴らしい国に生まれることができたという感謝の気持ちを忘れることのないようにしていきたいと思います。
 
 次に竹中先生は「私たちが学ぶ目的」について話してくださいました。その中でも強く印象に残ったことが二つあります。
 
 まず一つ目は「自己成長をするため」です。自己成長をするということは、自分の夢への第一歩です。私は将来医者になるという夢があります。私は自己成長をし続け、少しずつでも医者になるという夢に近づいていきたいと思いました。
 
 二つ目は、「事実を正しく捉える」ということです。私は何事も正しく捉え、また、物事に対する興味や意識を高めていきたいです。そして、どんな時にも明るく元気でいたいです。
 
 【7組】 なぜ私たちは学ぶのか
 
 私は、今回の「なぜ私たちは学ぶのか」を聞いて、学ぶことがどれだけ大切か、よく分かりました。読み・書き・そろばん(計算力)の生活上不可欠なことをあたり前に学んでいるのはとても幸せなことです。
 
 各国で、識字率に圧倒的な差が出ています。武装勢力などに支配されているため、教育を受けることができない人たちも大勢います。私は、その人の人生は、その人自身が決めるものだと思います。だから、無理矢理自分たちより弱い人たちの自由を奪うのは間違っていると思いました。
 
 また、教育を受けることは自分を病気から守ったり、犯罪に巻き込まれないように警戒することにつながると学びました。読み書きができると、書類や契約書の意味や内容がわかり、悪事から身を守れます。女性は、特に男性よりも教育を受けることが認められていないことが多いようです。私は日本に生まれて本当に良かったと思います。
 
 私が大人になってできることは、マララさんのような女性になることです。どんな女性かというと、ちゃんとした社会人になってまわりの人に自分の意見を伝えていける人です。女性もちゃんと発言して社会に出ることが必要だということを少しずつでもまわりの人に伝えていきたいです。そうして、そうしたいと思う女性が増えれば、社会の風潮も変わるのではないかと思いました。ほんの少しずつ、少しずつでも自分にできること、自分がやって改善できることがあれば実行していきたいです。また、日本は先進国で技術も進んでいるので、貧しい国や教育を受けられない国を援助することが大切だと思いました。私も募金やベルマーク集めなどで貢献していきたいです。
 
 研修旅行で遠藤先生がおっしゃっていたように、今を精一杯を生きることが一番大切だと思います。マララさんに憧れたり、募金したりベルマーク集めをすることももちろん大切ですが、それ以前に、自分自身のこと をきちんとできるようにしていきたいと思っています。それができて初めて、他人を支えたり、助けてあげたりすることができると思います。
 
 こうして考えると、全部つながっていることが分かります。一つひとつ順調にこなしていくことで、目標や夢に到達するのだと思いました。日本という国は恵まれています。恵まれている国に生きている私達だからこそできることがたくさんあるということがよくわかりました。まずは、自分にできることをしっかりやっていきたいと思います。

 

 【8組】 命の尊さを知る
 
僕は命は世界にたった一つしかない、代われないもの、買えないもので、命を大切にするということは与えられた人生を精一杯生きることだと考えています。今回の道徳の授業を受けてそれを改めて認識しましたが、僕は平日、休日両方に少し無駄な時間を作ってしまっていることにも気づきました。これからはこの無駄な時間を作らないように努力しようと思います。
 
 また、今回、僕が生まれる時の様子を母親に聞きました。僕が生まれるのを待っている間、母は自分で育てられるか不安だったそうです。しかし生まれた時は五体満足で生まれたことに安心し、感動を覚えたそうです。なぜ、僕の名前が「柾」になったのかを聞いてみたところ、強くまっすぐ育つようにという思いが込められた名前だということがわかりました。このようにみんな大切に命が与えられて人生を精一杯生きようとしているのに、それを邪魔をするような「うざい」「きもい」などの言葉を発するのはよくないと思いました。今回僕は、言われて嫌な言葉、言ってはいけないと言葉を思い浮かべることができたので、せめて自分だけは使わないようにしていこうと思いました。
 
 そして今回遠藤先生が話された東日本大震災の話では被災地の中学校での「命の重さを知るには大きすぎる代償でした」という言葉や、「津波が押し寄せているので避難してください」という防災無線を、防災庁舎の人たちも避難した後もアナウンスを続け、地元の人を救った遠藤未希さんのお話を聞いて、今まで以上に命の重さや尊さを知ることができました。僕たちがすべきことは東日本大震災の記憶を風化させないためにこのような話を覚えて、伝えていくことだと思います。
 
 また、最後に世の中には生きたくても生きられない人がいるという話の中で、難病にかかった子供の話を聞きました。限られた命の中で生かされている命に感謝し、弟のことを自分のことよりも心配していたという話を聞いてとても感動しました。これからも命の大切さを常に考えていこうと思いました。
 
 【8組】 命の尊さを知る
 
 私は遠藤先生の道徳の授業で命の大切さを改めて考え直しました。母に私の誕生時の話を聞いてみると、母は私が生まれてきたことに対してとてもうれしかったと言っていました。遠藤先生からそんな両親に対して「感謝の気持ちより要求の方が多くないか」、「感謝の言葉より愚痴の方が多くないか」と言われてはっとしました。一生懸命育ててくれた親に感謝の気持ちをあまり 伝えていないことに気づいたのです。これからはこのことをすぐに思い出し、文句や愚痴を言わないように気をつけたいと思いました。
 
 昔、命というのは心臓のことだと思っていました。しかし「星の王子さま」という本を読んで、大切なものは目に見えないものと書いてあり、考え方が変わったのを思い出しました。
 
 私は遠藤先生の話を聞き、生きたくても生きられない人がいること、自分の生まれた地域を守るために命をかけた人がいることを知りました。その話を聞いて自分だったらどうだっただろうと様々な場面を考えてみましたが、とても聞いた話に出てきた人と同じようなことはできないと思いました。特に重い病にかかった5歳の子の話では、病気にかかったにもかかわらず思いやりが強く、前向きな考え方で、愚痴のひとつも言わずに生きているのに、元気な私がこんなにたくさんの愚痴をを言ってはいけないとここでも感じました。この5歳の子からたくさんのことを教えてもらった気がします。

 これから私にはどんなことがあるかわかりません。ですが、これから起こることは私に与えられた尊い命の中の運命だと受け止め、その運命を恨まずにこの先の自分のことを考えていきたいです。

 

                                                                         江戸取ホームページ