1組 「ルールについて考える」 S君

 今回の授業では社会の中のルールと法律を比較して考えました。社会のルールは法律と異なり、文字で書かれておらず、「社会常識」と言えるような目には見えないものがほとんどです。これらはたとえ破ったとしても罰せられることがありません。ではなぜルールを守らなくてはならないのでしょうか。
 
私たちは、社会のなかで自分一人だけで生きているのではなく、他人もいるなかで生きています。そのなかで求められるのは「人に迷惑をかけないこと」や「相手の立場や人格を尊重すること」などだと思います。そうはいっても人と人との関わり合いの中で、考えの相違は生まれるものです。それを解決するためにルールが存在するのだと思います。ルールをお互いに守れば争いは起こりません。守れないと周囲から信頼を失うことになるので、ルールを守ることは重要です。ルールを破ったところで良いことは一つもありません。むしろルールというのは自分のためにあるようなものです。特に私たち日本人は世界のどの国よりもルールを守る人種です。僕は日本人としてこれからもその気持ちを持ち、誇りに思いながら行動していきたいです。

 

          

 

1組 「命の尊さを知る」 Hさん

 今回の道徳で改めて今の自分の環境が恵まれていること、当たり前のような日々に感謝すべきであることを感じました。世界に目を向けてみると私たちと同年代のマララ・ユスフザイさんは、私たちにとっては当たり前である「等しく教育を受ける権利」を求めて、どんな困難にあっても信念を持って力強く活動し続けています。世の中には字を書いたり、読んだりすることが出来ない子どもが多くいます。そのためそういう子どもたちは自分たちの状況を外部に主張することができないのです。だからこそ、自由に教育を受けられる私たちは教育の大切さを認識し、世界の状況をもっと知るべきだと思います。そうすれば微力でも何か行動を起こせると思います。そしてそれは、困難な状況にある子どもたちの手助けになるかもしれません。
 世の中には生きることを強く望んでも生きられない人がいます。にもかかわらず世界では争いが絶えず、多くの命が失われています。私たちは命の重さを知り、皆が同じ重さの命を持つことを理解し、尊重しあって生きていくことが大事だと思いました。

 

 

 

9組 「命の尊さを知る」 K君

 僕は未熟児で生まれ命が危ぶまれた状態だったようです。しかし今まで生きてこられたことに対し本当に感謝しています。しかし、世界には小さいうちに亡くなってしまう子供もたくさんいます。遠藤先生に小児がんで早くして亡くなった子供の話をして頂きました。彼は僕より年齢が小さくとも、人間としては大きな存在だと感じました。
 日本は医療も発展し、戦争もなく、とても平和な国になりました。しかし、それが僕たちから死という絶対的な災害から遠いものとしています。身近に死を感じることが少なくなり、命への尊さが今の平和ボケしている日本人にはかけているのではないでしょうか。僕もその一員です。しかし、これからは命と死に正面から向き合い、大事にできる人間になっていきたいと思いました。命を奪うのは病気や災害だけではありません。この世界に太古から今までずっと居座り続けている戦争も人の命を大量に奪うのです。人が文明を築いてから、戦争というものが始まりました。人間が人間である以上、戦争はなくならないのかもしれないと僕は思いました。しかし、現状ををだまって見ているつもりはありません。自分が今できることを精一杯やっていきたいです。

 

                    

 

9組 「命の尊さを知る」 K君

 遠藤先生と同じように僕も教育とは何かと聞かれたら、良いイメージの言葉を多く頭に浮かべます。他の先生や生徒たちもそうだと思います。しかし、先生が話として取り上げていらした院内学級では私たちのように数年先の未来を前提としての勉強をすることがかなわない子供達がいるという現実を学びました。僕たちには時間がありますが、それがなくなってしまった子供達、そして病院内の先生方は何を思うのか、考えさせられました。また、日本のように男女の別なく自由に教育を受けていられるのは、素晴らしいことです。世界にはまだ紛争や貧困・風習によって教育を受けられない子供が大勢います。先生が紹介されたノーベル平和賞を受賞したマララさんの「一つの銃は与えられるのに、一冊の本や一本のペンは与えられないのか」という言葉、改めて受けとめることができました。4年前に起こった東日本大震災ではたくさんの子供達が亡くなりました。津波で学校や子供達が流され、生きる希望を失うこともあったと聞いています。そうした中での梶原くんの答辞での発言は心に響くものでした。僕たちはたまたま自由に教育を受けることもできているのだし、しかも私立に行かせてもらっているということを忘れずに、日々いろんな人に感謝の気持ちを忘れずに活動していこうと思いました。

 

 

 

10組 「ルールについて考える」 Iさん

 私は、今回の時崎先生の「ルールについて考える」という道徳の授業を受け、ルールの考え方が変わりました。私は最初、「ルール=法律」であると考えていました。ルールを守らなければ、法律と同様に罰が下るものであると思っていました。しかし、先生のお話にあったように、飲食店で並んでいる人の列を守らなくても、周りの人に迷惑がかかるだけで、具体的な罰はありません。また、最近は、そのようなことをする人が多く、その人を注意する人はほとんどいません。そのような様子を見る度に私は悲しくなります。同じ人間であるにもかかわらず、ルールを守る人、守らない人の差はどこにあるのでしょうか。私はルールを守らない人に嫌な思いをした人は、ルールを守ると思いました。列に並んでいるのに抜かされたら、私は嫌な気分になりますが、その嫌になった気分を他人にもしようとは思いません。自分が嫌な思いをしたことを他人にはせず、ルールを守ることで学校や会社など社会で暮らしていけるのだと思いました。
 また、「ルールをみんなが守るようになるには、一人ひとりが何をしなければならないか」という問いに対し、自分からルールを守ることが大切だと思います。多数の人間の意見に流されることは簡単ですが、自分の意見、意志を他人に伝え、貫き通すことはとても大変です。だからこそ、自分からルールを守り、他人を注意することができるような人に私はなりたいと思います。

 

          

 

10組 「ルールについて考える」 Kさん

 今回時崎先生のお話を聞いて、共通なルールはありますが、それぞれ独自のルールの方が多くあるのではないかと思いました。例えば、友達の家のルールを聞いて自分の家とは違うときがあります。また、カナダ修学旅行のお話を聞いて、カナダには、日本とは異なるルールがたくさんありました。時々、「それは違うのではないか」と思うルールもありますが、それはそれで独自のルールとして尊重するべきだと思います。しかし、少しでも違う方向にいってしまったルールが存在し、「嫌なこと」が世の中で起きてしまっていることに対しては、それは注意するべきだと思いました。
 また、「法」と「ルール」は違うものであることに気づきました。「法」は罪を犯したら罰せられてしまいますが、「ルール」は罰せられません。しかし、「ルール」は守らなくても良いというわけではありません。「ルール」を破ると、人に不快感を与えると思いました。「ルール」を破られて良い気持ちになる人はいないと思います。「ルール」を破られた側だけではなく、「ルール」を破った側もどちらとも「不快感」を感じるのではないかと考えました。小さなことでも「ルール」はあると思います。小さなことでも「ルール」を守ることは大切だと思いました。もし、「ルール」を破ってしまった時には、反省して「ごめんなさい」と一言でも言うと良いと思います。私もこれからいろいろなルールを知って、その「ルール」をしっかりと守って楽しく過ごせたらと思いました。