1組 「公共心・公徳心を養うために」 Iさん

 今回の授業を受ける前まで、「公共心」に対する私のイメージは「~をしないこと」というような消極的なものでした。しかし、今回の授業で実は積極的な意味であることを知り、自分の公共心の持ち方も変わってきました。私は今まで様々なボランティアをしてきましたが、これからはより積極的に広範に影響を及ぼすボランティア活動をしていきたいと思っています。
 日本では江戸時代の頃から、例えば相手の足を踏んでしまった場合、踏んだ側も踏まれた側も謝るという風習がありました。これは日本人にしかできないものだと思います。このような古くからの大切な伝統を日本人として守っていかなければならないと思います。公共心を大切にするために、身近なことから心がけていかなければなりません。例えばゴミのポイ捨てです。簡単にやってしまいそうなことかもしれませんが、小さな積み重ねがやがて大きなものになってしまうことをきちんと心得ておきたいです。他にも公共機関でのマナーなど、自分が守らなければならないことはたくさんあります。これからも日本人としてそういった気持ちを大切にしていきたいです。




 

1組 「自由と責任」 S君

 実際に社会で生きていくとなると、自分はこのようにしたい、あのようにしたいと思っても全てそのようにできるわけではありません。社会の中で生きていくためには、他の人と協力し合って助け合っていかなければなりません。自己主張をするばかりでは駄目なのです。また、自由というものは、相手の自由を認めなければならないので制限があります。自分以外の人の自由を尊重するために自分の意志は押さえなければならない、相手の指示や考えに従わなければならないこともあるのです。
 責任は、自分自身や他者、社会に対する責任を考えると沢山あります。例えば、自分自身に対する責任は「初志貫徹」や自分に限りをつけないこと、社会に対しては職に就いて働くことや社会貢献をすること、僕たち生徒という立場においては学ぶことなどが挙げられます。
 自分がどの選択をするするのかは自由ですが、その選択によって及ぼす他への影響を常に考えて行動しなければなりません。つまり、そこには責任が必要なのです。 

 

 

 

9組 「公共心・公徳心を養うために」 Mさん

 私の中の公共心というイメージは、「お互いに支え合うこと」や「協力すること」だと思っていました。辞書的な意味の「自分や身内などの利害関係のある人のみでなく、社会一般の利害を図ろうとすること」と、私が思っていたこととは少し違っていましたが、少しは近いのかなと思っていました。社会一般の利害を図ろうとすること、それは、例えば、ボランティアをすることや、募金をすることが当てはまります。私は、あまりボランティアに積極的に参加することが無かったので、公共心を養うためにも、まずは、小さなことからできればいいと思いました。2011年に東日本大震災が起きて、電力の供給が間に合わなくなってしまったとき、私が節電を心がけていたことも、公共心です。私がそのときに当たり前だと思ってやっていたこともよく考えれば公共心につながると思いました。私は、公共心を養うためには、普通に日常生活を送る中で、自分があまり意識するのではなく、当たり前だと思って取り組むことだと思いました。その場において、その場の状況を見ながらしっかりと考えて判断しながら行動することができるようになりたいと思いました。 

 


 

9組 「公共心・公徳心を養うために」 T君

 今回の道徳は公共心・公徳心がテーマでした。この2つの言葉には、自分に直接関係する人だけでなく社会全体に対して利益を図るという意味があることを学びました。公共心・公徳心には思いやりやマナーに似た、自分から積極的にはたらきかけるようなポジティブな印象を受けました。自分なりにできることを考えてみると、募金活動が思い浮かびました。小さな心懸けですが積み重ねることで大きな成果となり、達成感も得ることができます。まずは社会に関わるという意識を持つことが公共心・公徳心を養う第一歩だと思いました。日本では「相手を思いやる精神」を重視しており、本校での規律も日本の精神を反映したものであると思います。数年前に日本人観光客によるイタリアの歴史的建造物に対する落書きがありました。その際の日本側(勤務先・在籍校)の対応の厳しさに、イタリアの新聞では「日本の重い罰は教訓になった」と述べる記事もあったようです。他国から認められていることはとても光栄なことであると思います。近年、「相手を思いやる精神」はやや薄まりつつあるように感じます。公共心・公徳心は現代の日本において、見直すべきことであり、私自身じっくりと考えていきたいと感じました。

 

 

 

10組 「自由と責任」 Kさん

 私は今回の道徳の授業を受けて、自由とは人それぞれであり、その自由は他人からはわからないものだということを理解しました。
 私が今まで自由でいいなと思っていた事や人が、当の本人からすると実は周りの目を気にして、したくもないことをしなくてはならないので自由ではないと思っていることがあるということで、やはり、自由かどうかは赤の他人は決められないと思いました。私は今の自分の生活をあまり自由ではないなと思いましたが、他の誰かが私と同じ生活をしてみたらとても自由だと感じるかもしれません。それは一人ひとりの自由に対する感覚が違うからだと思いました。私は今まで、一人の時は自由ということだけを感じて、自分に対する責任をしっかり守れていなかったと思います。
 
自由には必ず責任がついてきます。その責任を一人一人、きちんと理解し、果たしていくことが大切だと思います。 






10組 「自由と責任」 N君

 自由とは何かということについて、自分の中で自由とは、好きなことができることだと思っていましたが、そもそも自由には憲法などにもあるようにたくさんの種類があることを忘れていました。「人から強制、束縛されない」ことは憲法でいうと「身体の自由」に当てはまり、「自分の好きなことができる」ということは別種の自由であることを思い出しました。そして、それらの制限も存在しているおかげで、自由のバランスがとれているのではないかと思いました。自由が見た目で判断しづらい場合、時々、勘違いや誤解を生み出してしまうと思います。だから、このようなことが起こった場合には、しっかりと話を聞くなどして状況を整理できらいいなと思います。
 責任とは何かという質問の答えが上手く見つかりませんでした。その後に先生から、責任とは、役割や使命を果たすことや人として果たすべき事であることをお聞きして、なるほどと納得しました。
 今回の授業で、自由と責任について、どのようなものかはっきりと分かりました。これからは、高校生としての責任を持って行動したいと思います。