1組 「社会の一員として」 Kさん

 私は今回の道徳の授業を受け、「社会」という言葉は人と人とが支え合っているから出来ている言葉だと感じました。私は今まで「支え合う」というのは、ある集団の中で誰かと誰かが助け合うものだと考えていましたが、今回、支え合いについて考える中で、ある集団の中だけでなく、出会った全ての人が互いに支え合っているのではないかと思いました。高校受験のための勉強において、くじけそうになった時には同級生の頑張っている姿に刺激を受け、そして支えられました。また、高校に合格したあとは、誰一人として友達がいない世界に飛び込んでいく上で不安になったときは、中学の友達に会いたくなり、なぜか涙しながら電話したこともありました。そのときも親友の優しさに支えられました。高校に入ってからは慣れない高校生活を一から教えてくれる友達、一緒に頑張ろうと言ってくれる友達に支えられました。このように私は多くの支えを受け、一歩一歩成長できているのだと思いました。
 自分が歩んでいく道の中で、人生を選択する中で、友や家族の存在はとても大きいと思います。小中学校の友達は今でも仲は良いですし、高校で出会った友達も家族と同じくらい大切な存在です。だから私は友達に出会えたことに本当に心の底から感謝をしていますし、こんなにすてきな友達と出会わせてくれた両親にも感謝しています。これからも出会いを大切にし、支え合うことを忘れずに過ごしていきたいです。

 

         

 

1組 「命の尊さを知る」 S君

 今回の授業では改めて命の大切さを認識しました。写真を見ると生まれた直後の自分がこんなにも小さかったのかと驚くと同時に、名前に込められた両親の願いを幸せに感じ、今までの15年間、両親や家族に支えられてここまで大きく成長できたことを改めて実感しました。
 2011年3月11日、東日本大震災は約2万人の尊い命を奪い去りました。僕はそのとき小学校6年生で、卒業式を間近に控えていました。震災の時は小学校の体育館でクラスの皆と遊ぼうとしていたところでした。その後、僕は友達の家に一時的に避難しました。そのときにテレビを見て、初めて東北の様子を目の当たりにしました。その衝撃的な光景に言葉を失いました。津波はみるみるうちに迫ってきて、家や車などを根こそぎ流していったのです。今回の授業では実際に被災された方の話を聞き、さらに被災地の当時の状況が生々しく伝わってきて、被災された方たちがどんな辛い思いをされたのかが分かりました。
 授業の最後に「生きたくても生きられない人がいる」ということを再認識しました。病気などによって自ら生きたいけれど生きられないという人が世界中にたくさんいます。その一方で生きられるにもかかわらず生きるのをやめようと自死の道を選ぶ人もいます。生きることがどうしても辛くなって自殺してしまうのかもしれません。しかし、生きている限り、辛いこと、悲しいこともありますが、生きられることに幸せを感じて、自分の命を大切にすることが重要なのだと思います。

 

 

 

9組 「社会の一員として」 M君

 私は社会の一員として、いろんな集団に属しています。まず、一つ目に家族があります。授業中に家族の何か手伝いをしているのかと問われていろいろと考えてみましたが、自分がやっているのは、たまの風呂の掃除くらいであることに気付きました。ただ助けてもらうだけでなく、少しずつ手伝いを増やしていかなければならないのではないかとも思いました。私は部活動ではサッカー部に所属していますが、怪我をして、夏休み前から十分に参加することができなく、自分では悔しい思いをすることとなりました。遅れた分を取り返すように、多くの練習ができるよう、早くから練習に参加するようにしています。これからも努力を継続していきたいと考えています。また、私は家族・学校・部活という集団に所属するものとしての共通の責任として学習があると考えています。今、自学習を朝1時間・帰宅後2時間実践できるようになりたいと考えて、学習時間を少しずつ増やしています。最初は厳しいものがありましたが、できるようになりつつあるので、目標達成を目指して頑張りたいと思います。それから社会に出て行くためにも、集団の中でコミュニケーションを大事にしていきたいと思います。常によりよいコミュニケーションを保ち、身近な人に不快な気持ちを持たさないようにして、みんなが心地よく過ごせる環境を作る努力をしていきたいです。 

 

                   

 

9組 「社会の一員として」 Yさん

 学校生活にもだいぶ慣れてきて、仲間も増えて毎日充実した生活を送れているような気がします。しかし、最初から友人とそのような関係だったわけではなく、今の友人関係は、自分から積極的に話しかけたり、相手の好き嫌いなどを聞いて共通の趣味を探すなど、お互いにそのような努力をした結果だと思います。自分とは違った意見でもしっかりと相手の意見を聞き入れて受け止めることで、今まで考えつかなかった発想も生まれてくると思います。だから私は「社会の一員とは」と問われたときに、周りの人を理解し、尊重する努力ができることだと考えました。クラスの人、部活の人、先生方など周囲の仲間の指摘やアドバイスを受けた時に、反発するのではなく自分の知らないことを発見したと思って自分にプラスしていき、それを繰り返すことができたら、自分の力を少しずつ伸ばしていけると思います。また、それを学習面にも生かして友人と教え合ったりできたら、お互いを高めていけるのではないかと思います。
 江戸取では生徒一人ひとりの学習に対する意識が高く、私も頑張らなくてはと自然と思わせる環境があります。そのような環境が学年や学校全体にあるというのはとても恵まれたことだと思います。江戸取生の一員として、今回の道徳の時間にもあげられた学習、部活、そして一つひとつの行事を大切にして、その全てに一生懸命に取り組むことはとても大切だと学びました。

 

 

 

10組 「命の尊さを知る」 U君

 僕は今日の道徳の授業を受けて毎日どう過ごすべきなのか改めて考え直すことができました。まずは東日本大震災を通してです。あの日、僕はまだ小学生でした。震源より少しははなれた茨城県土浦市でさえものすごい揺れでした。でも僕はテレビのニュースを見てもっと衝撃を受けました。あの日、亡くなった人たちがどうしても生きたかった、今、この瞬間を生きることが出来ているというのに、そのことを忘れてきてしまっています。ですが今日の道徳でもう一度命の重さを感じることができました。家族、親、友達を失ってそれでも天を恨まず、自分はこうしたい、と夢を持って生きている人がいる。自分が死ぬと悲しみ、つらい思いをする人がいる。僕も負けられないと思いました。そのためにはどうすればよいのか。ただダラダラ過ごしてしまっていたら、ダメだと思います。与えられた日々を無駄にしないために、そのためには僕は目標を持って生き、毎日一歩ずつ夢に近づいていくことが大切だと思います。明日やろう、明日やろう、と先のばしにしていくと、一生夢は叶えることが出来ないと思います。僕も夏休み勉強しようと、思っていたのですが結局あまり結果を残すことができませんでした。そしてこのまま、このように何かをやりたい、と思ってもできずに一生が過ぎてしまったらどうしよう、と不安になりました。だから今日から少しずつでも、小さな目標でもよい、親に生んでもらえたこのかけがえのない命を大切に生きていきます。

 

          

 

10組 「命の尊さを知る」 K君

 自分は、東日本大震災が起こったときは小学六年生であり、最後のクラブ活動でした。とても楽しく終えて教室に戻り、いつものように帰宅するはずでしたが、丁度帰りの会が始まる前のことでした。少し地震の揺れは感じましたが、地震はよくあることなので、はじめはそれほど気にしていませんでした。しかし、揺れはどんどん大きくなっていき、クラスの水槽の水が揺れによってほとんどこぼれてしまったのを今でも覚えています。そして最終的に約2万人もの人々が災害によって亡くなったことをニュースで知ったときは、あまりにも数が多すぎて全く想像出来ませんでした。三年半がたった今の自分たちの記憶から消えそうになっていた当時の気持ちを今回の授業で思い出すことができました。
 日野原重明先生のお話で、「命とは自分に与えられた時間、寿命とは長さではなく重さ」という言葉を知りました。今までの自分は、何もしていなくただ生きているという時間がよくありました。しかし命がある限り必ず死があるので無駄な時間をつくらずに、その時に自分ができることをしようと思いました。また相田みつをさんの「いのちのバトン」という詩です。これを読んで思ったことは、自分は多くの人々の命がつながって、今存在しているということです。自分もしっかりと命のバトンをつないでいけるように、命のバトンを落とさないように毎日生活していきたいです。