1組 「公共心・公徳心」

 私は今回の道徳の授業で自身が属している社会・集団の中でどのような考えを持ち、行動するように努めるべきなのかを知ることが出来ました。私はこれまで多くの人びとがいる空間で他の人の迷惑にならないようにしようと注意していました。そのため、公徳心にあたる点はある程度意識することが出来ていると思います。しかし、公共心はどうかと言われると、疑問が出てきました。今回の授業で自分の改善点を発見することが出来ました。
 まずは人の目を気にしないこと。私はどうしても多くの人がいる場では行動を起こすのをためらってしまう傾向にあります。それは、人からどう見られるかが気になってしまっているからだと思います。これからは行動を起こすかどうか、心の内で迷ってしまう自分を変えていきたいと思います。そうすることで本来自分が考えている社会全体への貢献となるような行動も起こせるようになると思うのです。
 他にも、将来医師を目指す者として自分の利益など考えずに行動する、まさに公共心そのものとも思えるような存在、自分の体調が悪かろうとも人を助けるために全力を注ぎ、極限まで集中力を高める。それはきっと自分のためだけに行う何かであれば、成しえないものだと思います。自分にとって大切な誰かのためにと考えたときにこそ、発揮できるものではないでしょうか。そうだとするならば、世界のすべてが大切なものだと考えることの出来る人間、つまり公共心のある人間にならなくてはならないと思いました。

 

 

1組 「自由と責任」

 普段の生活の中で「自由と責任」について深く考えたことがなかったので、今回の道徳はとても貴重な時間となりました。私は今生活していることが「自由」だと感じています。それは入学したかった江戸取の医科コースに入ることができ、毎日がとても充実していることを実感しているからです。今回の授業でこのような自分の感じる「自由」以外にも様々な「自由」があることを知りました。そう考えると、今回の事前アンケートで「自分自身が自由でない」と書いた人も、自分が知らないところで「自由」なのではないかと思いました。
 「責任」について特に心に残ったのは「他者との関わりに対する責任」です。これは自分が紫峰館授業などで夜遅く帰っても両親が帰りを待っていてくれることや、先生方にもたくさんお世話になっているので「感謝することが責任だ」という意見が、班での話し合いで出ました。先生方も両親も私たちの将来の夢を叶えるためにサポートしてくれているので、そのためにもしっかりと学校生活を頑張りたいという気持ちが改めて強くなりました。自分自身が夢を叶えるために一生懸命努力することが、自分の責任であるという気持ちを持ち、医師になるという夢を実現させたいと思います。

 

 

 

9組 「自由と責任

 最初に事前調査の結果が発表になりました。その数字が発表されるまでは「自由は必要である」と思う人が全員であると思っていましたが、「あまり必要でない」と感じる人がいたのには驚きました。また、「自由とは何であるか」という質問がありました。自分は「何もかも自分で決め、自分で動き、自分でその責任を負うことである」と思いました。しかし、他の友人一人一人の考えを聞いていると、やはり自分が考えている「自由」の内容と違うなと改めて思いました。「自分のやりたいことだけやる」や「名目だけで実際は意味のないもの」という意見も出ていました。また、皆の話を聞いてみて良かったと思うことは、一人一人育った環境によって考え方は変わるということでした。
 次に「本当に自分であるのか、そうではないのか」という判断をさせられる問いかけがなされました。「みんなが化粧をしているので自分もそのように化粧をしなければまずくなる。また、部活動でかなり苦しい運動をさせられているが、心の中ではその苦しさを楽しんでいる。果たして、この二人の場合は、どちらが幸せであるのか」というものでした。私にとっては後者こそが幸せなのであると思いました。本人が楽しい、やりがいがあると思っているならば、これ以上の自由・幸せはないと思います。
 まとめとして、「自由とは他者に求めるものでなく、自分の内に求めるものである。自分の良心に従って行動することが自由というものではないのだろうか」というお話がありました。この言葉は自分にとって、大きく考えさせられる内容でした。この体験をこれからの生活に役立たせていきたいと考えました。

 

 

9組 「自由と責任

  私は自由とは、自分のやりたいことがやりたいときに他者の迷惑にならないようにできることだと考えていました。しかし、今日の授業を受けて「自由」とは、自分の心のありようだと思いました。また、他人の自由を決めることはできないと思いました。でも、自由の中には規則が必要だと思います。私は自由すぎる世界も怖いと思います。自分が成長していく中で自分の良心を育て、その良心に従って行動できる人になりたいです。
 次に「責任」とは、自分に与えられた役割・使命です。それを分かって生きている人とそうでない人では、凄い差があると感じました。私は、自分の他者に対しての言動や行動は全て責任があると考えます。私が何気なく発している言葉一つ、行動一つで相手がどのように感じたかで大きく違ってくると思うからです。だから、私は相手と話す時や一緒にいる時は、当たり前ですが、自分の言動を特に意識します。社会に対する責任は、“次の世代により良い形で繋ぐこと”が一番だと私は思います。でも、それは、一人ではできないことであり、とても大きなことだと思います。だから、私は、まず小さなことから始めたいと思います。今日、私が一番学んだことは“自由”であるということは“責任”を伴うということです。また、自由に対する考え方の変わりました。自由とは自分の内に求めるものであり、良心に従って行動することだということを忘れないようにしたいです。

 

 

 

10組 「公共心・公徳心」

  今回、貝森先生の話をお聞きして、僕は、江戸取が掲げている「規律ある進学校」という言葉の意味をしっかりと考えていなかったのだと気が付かされました。
 「公共心」の意味で驚いた所は、「自分の身内などの利害関係のある人のみではなく」というところです。確かに利害関係を考えていたら、良い心は持てません。友達との関係も利害関係で考えてはいけません。ここまで、僕が考えたことは、色々と自分が見落としていることや、見ていながらもスルーしていることをもっと深く考えなければならないと思うとともに、利害なんかで友達を選ばないということです。
 規則は校則であったり、どこかが決めて守らせているものです。僕も規則はきちんと守っています。守ろうとしています。昔は、何でこんな事をと思うような規則でも守ってきました。その行動に果たして意味はあったのでしょうか。少なくとも、その時には自分の意志を持っての行動ではありませんでした。しかし、今回の規律という言葉を聞き、規則とは別物だと分かりました。「自分で考えて規則を守る」という言葉に僕は少し感動しました。これは、納得のいかないルールは守らないということでなはく、なぜこのような規則が生まれたのかなどをしっかりと考え守っていくというこをです。これからは、規律を持ち行動したいと思います。

 

 

10組 「公共心・公徳心」

 「規律ある」と「規則ある」だと「規則ある」の方が決められたことが沢山あって大変な感じがします。また、規則だと嫌なところがあります。一方、規律は自分で考えて行動することです。自分自信に規律があれば、やる事が全て正しく判断ができるだろうなと思いました。自分で正しい判断ができれば間違った道に進むこともないだろし、もし間違った道に進んでしまっても、そこで気付くことができると思います。そういう人になっていきたいと思います。
 次に、公共心、公徳心です。授業中に誰かが、公徳心があってこその公共心であると言っていました。確かに公徳心を持つことが第一だと思いました。公徳心を持つには、まず、自分がどんな社会に所属しているのかを把握し、その社会で守らなければならないことを理解すればよいと思いました。公共心は、今までの社会にいた人よりも、もっと沢山の人が関わってくると授業中に書いた図を見て思いました。
 公徳心、公共心、この両方を身に付ければ、立派な大人になると思いますが、今の自分自身では、公徳心だけでも大変だと思います。情けない自分を変えるために、自分の所属している社会で決められたことを考えて理解し、少しずつ公徳心を身に付けると共に公共心も身に付けていきたいと思います。