第5回(中等部) 6月30日実施

1年1組テーマ「ルールについて考える」

 「ルールを守り、注意をする」

 今回のお話で時崎先生は「ルールとは何か」、「ルールはなぜ必要なのか」をお話ししてくださいました。私はこの二つのことと「ルールをどう守っていくのか」について感想をもちました。
 まず一つ目、「ルールとは何か」についてですが、私は最初ルールとは法律、つまりしっかりと決められているものだと思っていました。だから「ルール」といわれると「必ず守るもの」というイメージがとても強く浮かびました。私は時崎先生のお話をお聴きしてからは文字になっていない、つまり目に見えにくいものでも大切なものはあるということを知りました。
 次に二つ目、「ルールはなぜ必要なのか」について先生は「ひとりひとりの生活を気持ちよくするため」とおっしゃっていました。これは「思いやり」につながる言葉だと思います。そうしないと相手からの信頼が薄れていってしまいます。また、先生は「ルールはみんなに平等である」とお話ししてくださいました。このことは人が平等に生きるためには欠かせないことだと思いました。ルールを破って人を嫌な気持ちにさせ、危害を加えるならば、もしかしたら平等に生きられなくなる恐れもあります。私はルールを守ることに対しての重みを今回のお話で感じました。全部のルールをいっぺんに守ること難しいことかもしれませんが、自分は今、どうするべきなのかを考えて行動にしていきたいと思いました。
 そして最後に「ルールを守るために何をすればよいのか」について考えました。私は一つ目に「自分がされて嫌なことをしない」ということが大切だと思います。まず、自分のしようとする行動や言動を自分自身が「もしそうされたら、言われたら」と置き換えていくことが大切だと思います。そして二つ目に、「やってはいけないことをしている人がいたら注意する」ことが必要だと思います。注意がないと、また別の人の気分を害するかも知れません。学校の友達だとなかなか言いにくいときもあると思います。そういうときは優しく「やめたほうがいいと思うよ」と注意してあげれば歯止めがかけられると思います。また、他人のことだけでなく、まず自分の方に目を向けて、自分がルールを守れているか確認してルールを守っていきたいです。そして思いやりを持ち続けることができる人になりたいです。

 「思いやりの心をもってルールを守る」

 今回はルールがどんなものかということについて学びました。 私たちの周りには、たくさんのルールがあります。 私が考えたルールは公共の場では騒がない、信号無視をしない、列に並ぶときは一番後に並ぶなどがあります。 友達は、廊下は走らない、ゴミをポイ捨てしないこともルールだと言っていました。 私は今回の授業を受ける前、法律とルールはきまりという点で似ているから、同じものなのかと思っていました。 しかし、辞書で二つの言葉の意味を調べてみると、法律は生活を保つために国民が守るべき国家の規則とあり、ルールは規約とありました。 規約はある団体を維持・運営するための皆が決めた規則という意味です。意味も少し違いますが、一番違うことは、法律は違反すれば罰せられるということです。 その多くは人々の生命や権利を脅かすものから守るためです。 一方ルールは破ったからといって大きな罰を与えられることはありません。 しかし、集団生活を営む上では必要不可欠です。 誰もルールを守らなければ社会は乱れてしまうと思います。
 今、この日本の社会が乱れていないのは日本人がルールを守る人が多くいるからです。 私が昔、海外へ旅行に行ったときですが、その国では歩行者の信号が赤なのにも関わらず、車と車の間をすり抜けるように大きな道路を通る人が何人もいました。 日本では「ルールを守るのは当たり前」という考えが根付いています。 これはお互いに気持ちよく過ごすのは当たり前という意味です。 これは相手のことを第一に考えている素晴らしい考えだと思います。 だから私もこの考えに習い、周りに迷惑をかけず周りのことを考えられる人になりたいです。
 今回の道徳で学んだことの中で一番大事だと思うのは「ルールを守るのは当たり前のことだけれども、思いやりの心を持っていないとルールは守れない」ということです。特別に何かをするのではなく、できることから少しずつ始めて思いやりの気持ちを持っていきたいです。

1年2組テーマ「公共心・公徳心を養うために」

 「公共心・公徳心を意識する」

 私は、貝森先生の「公共心・公徳心を養うために」という授業を受けて、まず「公共心に反する行為」というものを改めて考えてみました。それは「信号無視」や「ポイ捨て」などの周りの人の迷惑になるものばかりで、自分が楽をしている代わりに、他の人が苦しんでいるという、「自分がよければ相手のことはどうでもいい」という考えにつながっていることに気がつきました。このような考えが起きないようにするためには、「公徳心」というものを常に意識していなければならないと思いました。そして、私達が「公共心」に基づいて起こした行動は、自分や周りの人だけではなく、県や国、世界にまで影響を与えることができると分かりました。このことから、「信号無視」や「ポイ捨て」は、誰のためにもならないし、むしろ他人に迷惑をかけている、「自己中心的」であり、「公共心」と「公徳心」の両方に反する最もいけない行為だと分かりました。
 次に、そのような行為に対してどう対応したらいいのかを考えてみました。まず、「落書き」について考えました。壁の落書きは、消すことは難しいとしても、防ぐことは可能ではないかと思いました。他にも、ゴミのポイ捨てを防ぐためには、友達と歩いている時に、自分はポイ捨てをしないように、友達がポイ捨てをしかけたら、遠回しにでも注意するなどを少しずつでも実行するべきだと思います。また、そのような行為を防ぐことも、「公徳心」に基づいた行動だと思いました。
 また人はなぜそのような行為をしてしまうのかについて考えました。それは、「自分だけなら大丈夫」「ルールを守るのが面倒」などの自己中心的な考えがあるためにこのような行為が起きているのだと思います。このような行為をなくすためには、そのような行為によって迷惑がかかる人のことを考えて、「公共心」と「公徳心」をまず意識することが大切だと思います。

 「社会に尽くす」

 今回の道徳の講話は、貝森先生によるものでした。題目は「公共心・公徳心を養うために」です。講話の中で、貝森先生はまず規律と書きました。この意味は、人の迷惑を考えて行動すること、好き勝手に振る舞わないことなどと僕は考えました。規律とは、その通りのことです。しかし規律を守るには、心の強さがなくてはなりません。したいと思うことを抑えることは、僕はとても心が強くなくてはできないと思います。つまり、江戸取の三位一体教育の「心力」の中に規律ある進学校の精神があると思います。つまり「規律を守る」ということは「心力を強くする」ということなのです。
 この講話の題目は「公共心・公徳心を養うために」ですが、「公共心」の意味は、自分や身内などの利害関係のある人だけでなく、社会一般の利益を図ろうとする精神です。「公徳心」は、自分が社会の一員であるとの自覚に基づき、社会生活の中で自分が守るべき道を持つことです。要するに、「社会に尽くす」ということです。では社会とは何でしょうか。社会とは人が何かをしようと集まった集団のことです。つまり社会に尽くすとは人に尽くすこと、思いやりを持つということです。貝森先生は、道徳は思いやりが根底にあるとおっしゃいました。これをたどると、道徳とは「公共心・公徳心を養うこと」になります。つまり今回の「公共心・公徳心を養うために」はまさしく道徳的な考え方を育てるということです。より道徳的な考え方を育てるということは社会に尽くすことのできる立派な大人になるということです。
 この江戸取で道徳を学び、心を強くして、将来立派な大人になりたいと思います。またそのことで社会がよくなると信じたいです。

1年3組テーマ「なぜ私たちは学ぶのか」

 「今、学べることを学ぶ」

 「なぜ私たちは学ぶのか」の2番目で先生が挙げられた「社会人の学ぶ理由について」、私は「世の中の人のためにできることを実行する力をつけるため」に勉強するのだと思いました。社会人になると、もう進学や就職などの目標がなくなってしまいます。それはほとんどの人がなることだと思いましたが、「目標がない」という現状は避けるべきだと思います。なので、今のうちから学ぶ理由を明確にしておきたいと思いました。
 次に、識字率についてですが、日本はこの数値が高いのですが、他の国では低い国もあり、勉強したくともできない人たちがいる、ということで、学校に通えていない人が5700万人、そのうちの3200万人が女子ということでした。そのうちの一人に自分が入っていないということで安心してしまう気持ちが心の中にありました。それはとても情けないことだという気がしました。この立場に甘えるのではなく、人のためになることをできるように、今、学べることをしっかりと学びたいと思いました。
 今の自分を振り返ってみると、学ぶということは、教科の勉強だけでなく、今私たちが何気なく使っているこの言葉もすべて学んだことだと改めて思いました。先生は、私たちが問いかけに答えられなかったときに「マニュアルがないから無理か」とおっしゃった時、、私は悔しさを感じました。そう言われてしまうような自分が悔しいと思います。だからこそ、次からは先生にそのようなことを言われないような自分になっていたいと思います。今の私は、思いつきはしても発表する勇気がありませんでした。弱いなと思います。そんな自分を変えたいと思います。私には足りないところが多くあるということを再認識することができたのです。このような認識をすることができるのが道徳の授業なのだと思います。この道徳の授業でのことを生かして、自分を少しでも良いほうに変えることができるよう、努力したいと思います。
 「なぜ私たちは学ぶか」この答えは一つだけではなく、多くの答えがあるのではないかと思います。「学ぶ」ということが様々あるように答えも多くあるのだろうと思います。「なぜ学ぶのか」に対する私の答えは、私たちは学ぶことができ、それを生かすことができるはずだからということです。

 「将来のために学ぶ」

 僕は今回の道徳の授業を受けて考えたことがあります。
 一つ目は、社会人になってから何を何のために学ぶのかということについてです。僕は、その一つに社会人になって仕事をしているときは、その仕事に関連した内容を仕事の成功のために学ぶと思います。それは、自分の仕事を中心として、生活が成り立っていると思うのでこう考えました。
 もう一つに、人とのかかわり方を学んでいると思います。僕たちが学校という一つの集団の中で生活しているように、社会人になってからも、会社という一つの集団の中で様々な人たちと関わりながら対人関係を自然に学んでいくと思います。そして、ここで学んだ人との関わり方は、その後の人生においても、とても大切な力になると思います。この人と関わる力は、集団を作って生活しようとすると、必要不可欠な力なので、今のうちから、学校という集団の中で、この力をつけながら生活していきたいです。そして多くの人達の役に立ちたいです。
 僕は、高度な学問を学んで、自分の将来や人生に対する選択肢をできるだけ多くして、自分が本当に望んでいる道に進みたいです。自分が自由に勉強できる環境に生まれた幸福を無駄にせずに学習したいと思います。

1年4組テーマ「命の尊さを知る」

 「医師になり、命を救う」

 私は今まで登下校などで、相手に気を配る事は人のためになると思っていましたが、先生のお話で、人のためだけではなく、自分の命を守るための事にもなることが分かりました。ますます人に気を配る事の大切さを知りました。そして、東日本大震災で亡くなった方や行方不明になった方々の三分の一は、自分だけ逃げていれば助かった人だと聞きました。その中には、たくさんの人の命を救うために、最後まで、「大津波が来るので、早く逃げて下さい」と放送してくれた宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんも行方不明になってしまったと聞きました。そのような人が、亡くなった方や行方不明者の三分の一もいると思っただけで、今自分がどうして良いか分からなくなってしまいます。
 私達、助かった人の命はその方々の分まで生きていかなければならないと思いました。私も東日本大震災を体験しましたが、津波で流されそうになった人や、家族が流されそうになってしまった人の気持ちをすべて理解できているかは分かりません。被災地の人々のためになるといっても、たいしたことはできません。だから私は改めて、将来は医師になり、もしもまた災害があっても、たくさんの人の命を救いたいと思います。人生は長い短いは関係なく与えられた時間をどう使うかだと知り、人を助けて亡くなったりした方は例え短い人生だったとしても、その人は自分に与えられた命を大切に、そして、精一杯生きていたのだと思いました。
 そして、先生は、一冊の本を紹介して下さいました。その話を聞いた時、もし自分が同じ状況にあったら、きっと、「自分の事より弟のことを」や「いつも来てくれてありがとう」などと言えないと思いました。この男の子は9年という短い人生だけれど精一杯生きていて素晴らしいと思いました。私はこれから生かされている命を大切に精一杯生きていきたいです。初めの一歩は小さいかもしれないですが、それを毎日毎日積み重ねていく事で、大きな力になっていくのだと思います。私は中学校生活で、一日一日を有効に使って継続していくことで、多くの知識が身につけることができると考えます。そして、私の夢の医師に少しずつ近づいていくと思います。そして、病気の人を救っていくことが、私にとって人生を精一杯生きる事になるのではないかと思います。言葉や文章にするのはたやすい事ですか、それを実行するのは険しいと思います。しかし、私には与えられた命があります。健康な体があります。丈夫に産んで育ててくれた親に感謝して、一日一日を大切に生きていきます。

 「自分にできることを考える」

 道徳の講話をお聞きして、とても感動しました。自分一人が頑張ってここまで成長し、合格したのだと考えていました。しかし、本当は、周りの支えがあってこそのものだと改めて分かりました。そのため、自分もこれからは中学1年生となったので、感じたことや気がついたことを伝えて、周りの人を支えてあげる側になりたいと思いました。当たり前に思っていることは、決して当たり前ではなく、支えがあってのことなので、感謝が必要だと思いました。3年前の3月11日の大震災を経験し、家の被害は3日間の断水のみで済みましたが、東北地方の甚大な被害に、悲しみを感じると同時に自分にも何かできることはないかと考えました。当時、私の家族はつくば市のボランティア、牛久市のボランティアに参加し、家の布団セットをいくつか提供していました。しかし、まだ自分の心はすっきりすることがなくて、店の募金などに参加しました。早く大人になり、人を支える側になりたいと感じた出来事でした。
 今、生きている自分、そして、人の支えになることのできる可能性のある自分を大事にしていきたいと思います。日々、自分に何ができるのかを考えて、意味がある人生を送っていきたいと思います。
 また、周りの人、一人一人それぞれもまた、かけがえのない命だと思います。一人の気持ちを尊重し大切にすること、そして、その考え方もまた、自分と違っていても大事にするということを学びました。
 これからの学校生活で自分のしたい事、楽しみたいことばかりを考えずに、何をすべきか、後悔のない、自分を恥じない日々を送ることができるように努力したいです。

1年5組テーマ「友人の多様性を受容する」

 「友達関係を大切に」

 今回の道徳で学んだことは、周囲の友達の個性的なところをよく理解して、よい友達関係を築いていくことです。友達にはたくさんの個性があり、それぞれ自分と似たところもありますが、やはり性格は人それぞれ異なっています。それを自覚することが大切です。
 また、自分が周りの友達にどう思われているかを考えることも大切です。友達同士、お互いによいところを尊重し合い、思いやりを持って生活していくことが大切だと思います。
 しかし、人間関係は必ずしもいつもうまくいくわけではなく、毎日一緒に生活していればトラブルも発生します。できるだけそういうことが生じないよう、互いに相手の性格をよく理解しておくことが大切だと思います。そうしておけばトラブルを解決する時にどうすれば相手に自分の気持ちが伝わるかわかるはずです。そしてもっと大切なのは、何事をするにしてもみんなが仲良く、いさかいを起こさないようにする、「和を以て貴しとなす」ということを実践することです。そうすれば毎日快適に暮らせるはずです。自分の意見は率直に言うべきだと思いますが、意見が衝突すると感情的になり、そこからいじめが発生することもあります。そういうことが起きないよう、自分の意見にこだわりすぎることなく、また、相手の意見をよく聞き理解して、皆が対等の立場で平等に話し合いができれば、いじめに発展することはないと思います。
 今回学んだことは、集団で生活していく以上はまず皆の性格や個性を理解して、自分の心を広く持ち、他者の意見を受け入れてみることです。皆の意見を聞いていれば、共感できるところもあるかもしれませんし、それが土台となって、新しい自分の意見が生まれてくるかもしれません。今回の道徳を終えて、自分にたくさんの友達がいるということは、とても幸せなことなのだと改めて思いました。友達は時にはライバルになることもあるかもしれませんが、そういう友達に感謝し、これからも友達関係を大切にしていこうと思います。

 「和を以て貴しとなす」

 今回の道徳の授業を通して、本来友人とはどういうものであるべきかを考えてみました。小学校の時は友達とは、単なる遊び仲間であり、軽い関係に過ぎず、向上心とか、共通の目標に向かって一緒に努力するといった経験はありませんでした。しかし、江戸取に入学してからは、毎日が活気に満ちていて、これが本来のあるべき学校生活、あるべき友人関係だと実感しました。試験の点数がよかったからといって冷やかされたり、相手より悪かったからといってけなされたりすることはありません。これからもよい友人達と共に激励しあいながら、互いに高めあえる「切磋琢磨の精神」を持ち続けたいと思います。
 また、今回の道徳では研修旅行で実施されたアンケートの集計結果を教えていただきました。それをお聞きして、小学校時代、からかわれたり、周囲から浮いてしまったように感じたりした経験を持つ生徒が意外に多いことがわかりました。人間関係が円滑に進まないのには必ず理由があり、武居先生は「日本人は平均以外を一掃したいという傾向があるから」とおっしゃっていました。言われてみれば確かに日本人は集団行動をこよなく好み、その集団の価値観から外れた人を差別することが多いように感じます。けれども、そのようなことはあってはならないことです。聖徳太子が残した言葉「和を以て貴しとなす」は「何事をするにしても皆が仲良くいさかいを起こさないことがよい」という意味ですが、現代においても未だにそれが全うできていないというのはおかしなことです。集団行動で大事なのは、「皆の意見を平等に聞き入れ、誰にも不満がない結果にすること」です。「和を以て貴しとなす」はこのことを実現させるための言葉なのだと感じました。

1年6組テーマ「自由と責任」

 「自由と責任について考える」

 今回の道徳のテーマは「自由と責任」でした。授業を受ける前にとったアンケートの中に、「あなたは自分自身が自由であると思いますか?」という質問がありました。私ははじめ「あまり自由であると思わない」を選びました。しかし中山先生に古代ギリシャに奴隷がたくさんいたときは、奴隷でないことが自由だったと聞いて驚きました。また現在でも紛争があるところでは、受験をすることはもちろん、学校に通うこともできない子供たちがたくさんいると知りました。その子たちは私の思っていたのとは違う「自由でない生活」を送っています。私の「遊べないから自由でない」と感じる生活は、その子どもたちから見れば、とても自由に見える生活なのだと分かりました。自分の生活を改めて見直すきっかけになりました。
 先生は「自由」についていろいろな角度から話してくださいました。私は「自由」とは自分が自分勝手にしたいことをすることだと思っていましたが、「自由」の本当の意味は、無制限に好きなことができることとは違うのだと教わりました。
 さらに、自由の捉え方も人それぞれであることを教わりました。たとえば部活動をしている生徒です。運動部の部活動をしている人がつらい思いをしているように見えても、自分の最終目的のために自ら望んで厳しい練習をしていることもあるのだというお話を聞いて、そういう見方もあるのだと思いました。見かけだけで判断はできないということだと思います。
 また、今回の講話では「責任」についても学びました。責任とは単純に、自分がやらなければならないことだとだけ思っていましたが、自分に対する責任、他者に対する責任、社会に対する責任といったように、様々な考え方ができることを知り、新しい考え方を知りました。今回学んだことを生かして、「自由」「責任」のことについて、これからもっと深く考えていきたいと思っています。

 「周りの人から信頼される」

 僕は「自由と責任」についてお話をお聴きし、わかったことが二つあります。
 一つ目は、自由は自分の良心に従って行動することであるということです。僕は今まで「自由」とは自分の行動が自分の思い通りにできることだと思っていました。そのため先生が「周りの人に合わせるためにしたくもない化粧をしている女性」の話をされたとき、その女性は自分の思い通りの行動をしていないのだから、その人は自由ではないと思いました。しかし、先生は「周りに合わせてしたくもない化粧をしているのだとしても、化粧水のふたを開けるのも、化粧水を自分の顔に塗るのもすべて自分ですることなのだから、これは自らが選んだ行動であり、自由と言えるのではないか」とおっしゃいました。そこまでお聴きして、僕は初めてそのような考え方もあるのだと知りました。周りに合わせようとしている場合でも、それを決断したり行動に移したりするのは結局自分です。僕は、自由とは他から与えられたものではなく、自分の内に求めるものだと分かりました。 「自由」とは単に自分の思い通りにすることだと考えていた自分にとって、この考え方はとても新鮮でした。僕の「自由」の考え方を変えてくれ、本当に「自由」なのかどうかを判断する力を身につけさせてくれたように思います。人とのコミュニケーションの向上にもつながると思いました。「自由」の考え方が変わることで、人の行動の見方や、それを僕がどう受け止めるかも変わってくると思うからです。今回の講話を踏まえて、きちんとした見方ができるようにしたいと思います。
 二つ目は、「責任」は社会の中で必ず存在するものだということです。責任は辞書では「自分に与えられた役割、使命」という意味です。授業ではその「責任」を、自分・他者・社会、それぞれに対してのものに分けて考えました。責任は社会で暮らす者として果たすべきことです。たとえば身近なところでは家族、そして江戸取の一員としての責任を果たしたいと思います。そして、そこからどんどん責任を果たす範囲を広げていければいいのではないかと思いました。自分に対する責任を果たすには、初志貫徹の精神が必要であることも学びました。頼られる人は何事も最後まで諦めない人です。僕は頼られる人になりたいと思っています。係活動や清掃、学習など、様々な責任を果たし、規律をしっかりと守ることで、周りの人の信頼を築いていきたいと思っています。学校生活の中で今回学んだ「自由と責任」についての考えを生かしていきます。


1年7組テーマ「国際社会に生きる」

 「信頼し合い、協力する」

 私は絶対に食べ物を残しません。小さいころから、それがあたりまえだと思っていたからです。しかし、小学校で給食を残す人はたくさんいました。せっかく外国から食料を輸入しても、残してしまっては全く意味がないと思います。だから、これからも私は食べ物を残さないようにしたいです。
 フィリピンの子供達の夢が「大きくなること」と聞いた時にはびっくりしました。毎日死と向き合いながら生きている同年代の子供に、何かしてあげたいと思いました。小学校のときに「将来は大きくなりたいです」と言った男子生徒がいたのですが、その時にみんなと一緒に笑った自分が情けなく思えました。まずは募金やペットボトルキャップを集めることから始めたいです。
 私は、さまざまな国があるこの世界にせっかく生きているのだから、もっと外国の人と交流しようと思います。オーストラリアの学生とのスカイプ交流に私も参加しましたが、恥ずかしいのと言いたいことが表現できないのでうまく話すことができませんでした。これから中学三年生までの間に、積極性と英語力・単語力を身につけ、短期留学へ行きたいと思います。私はこれから"Think globally, and act locally."という言葉を胸にいろいろな活動がしたいです。といっても、身近なことから簡単に環境保全を進めるのは難しいので、イベントへ行き、環境保全のことについて学び、ゴミ拾いなどをしていこうと思います。
 私は、他人との関係は「自分と相手が互いに尊重しながら、いろいろな面で交流すること」だと思うので、相手の尊重できる一面を探すために相手を理解したいです。もし相手と自分の意見が違っても、すぐに受け入れられる心が広い人間になりたいです。そして、仲間を信頼し、仲間からも信頼される人間になりたいです。困った時みんなで協力し、互いに励まし合いながら生活できることが一番良いことなのだろうと思いました。

 「平和な国にするために」

 僕は松下副校長先生の道徳の授業をお聞きして、日本は他の国よりも恵まれていると思った部分があります。それは、「戦争がない平和な国」であることです。憲法に平和主義について示されていますが、それ以前に国が豊かであることは、争う必要もないことを示しますから、平和が守られているのではないかと思います。
 豊かとは言っても、食糧自給率は低いです。しかし、それを輸入することができるのは、外国との付き合いが上手くいっていたり、お金が使えないという状況ではなかったりということが分かります。こういったことを考えると、国際社会というのは、前提として「平和」というものがあるのではないかと思います。
 多くの国が一つにまとまっていくことで、意見や考え方の違いやずれが少なくなり、戦争にはならず、平和になります。国際化を進めていくのと、平和を考えて行動するのは、どちらが先ということは分かりません。まずは身近でできることから、始めればいいと思います。国際社会を人間関係に置き換えると、一人ひとりが互いを尊重し合うことにより、考え方が一つになっていけば、トラブルだってなくなります。国同士の戦争と言われると、恐ろしいものだと思いますが、友達同士のトラブルは、小さな戦争なのではないかと思います。その小さな戦争を一つひとつ無くしていくことで、大きな戦争は起こらず、平和な国へ、国際化が良い方向に進んでいくのではないかと思います。

1年8組テーマ「社会の一員として」

 「役割、責任を果たす」

 私は今回、青野先生の道徳の授業を聞いて、社会とは共同の生活を営む人間の集団で、同類の仲間であるということが分かりました。青野先生が教えてくださった私達の身近なところで社会が出来上がっている場所とは自分のクラスであるという事に気づきました。それまで私はただの一つのまとまったクラスだと思っていました。しかし最近ではこの1年8組が一つの社会だと思いながら生活しています。
 次に私達が生活していくために必要不可欠なものとは、まず規律(その集団のみに適用されるもの)と法律(強制力を伴う罰則)と最後に道徳(自ら律する、拘束がない心)であることが分かりました。もしこの3つがなかったら、その世界は混乱に陥ってしまうという話を聞いて納得がいきました。私はこの3つのことはとても大事であることを痛感しました。
 次に社会の一員についてのお話を聞きました。今回の道徳の授業で取りあげられた社会の一員についての例として家族について深く考えてみました。私が家族という社会で果たしている役割・責任を考えてみると、犬の世話(散歩・えさ・ブラッシングなど)や毎朝家のごみを捨てること、お風呂の掃除などです。それ以外にも私はこれからどんどん社会に貢献できるようになりたいと思いました。最後に江戸取生の一員として果たすべき役割・責任について考えてみました。私が思った果たすべき役割・責任とは礼儀正しくすることや校門の一礼を忘れずにやること、江戸取生として誇りを持つことです。これらはとても大事なことなので、大切にして生活を送りたいです。

 「社会に貢献する」

 社会とは何なのかを今回青野先生に教えていただきました。今までも社会やルールについて考えてきましたが今までとは違う意味の社会という言葉に重みを感じました。社会というものは身近にあるのだと改めて思いました。共同の生活を営む人といえば、家族やクラスメイトだと思います。それを思うとやはり社会を近くに感じます。クラスメイトとはとても大切な存在です。これから自分と共に行動するクラスメイト、今までに行動を共にしたクラスメイト達、そしてこの1年8組の仲間たち。これからも大切にしていきたいです。
 社会の一員というのは一体どういう意味があるのか自分なりに考えてみました。僕は社会というとても大きな世界の中の小さな一部が自分であるという意味だと思います。僕は家族という社会の中ではあまり役に立つことができないなとつくづく感じていました。自分がやっていること以上の事を親はやっているということを思うと、もっと家族という社会に貢献しないといけなと強く感じました。もしも家族に対してできるようなことがあるならばこれからはもっと積極的に行動していきたいです。また、江戸取生の一員としてまずは学習に力をいれて家族を安心させたいのと、部活にも一生懸命参加して勉強と部活の両立できるような中学生になりたいです。そのためにはルールを守り、日頃から自分にできることを積極的にして、社会に貢献できるような人間になっていきたいです。社会というのは身近なところにあるものであり、自分もいずれはこの大きな社会の一部だけど大きな存在となるような人間になっていきたいです。