今回のお話で時崎先生は「ルールとは何か」、「ルールはなぜ必要なのか」をお話ししてくださいました。私はこの二つのことと「ルールをどう守っていくのか」について感想をもちました。
今回はルールがどんなものかということについて学びました。
私たちの周りには、たくさんのルールがあります。
私が考えたルールは公共の場では騒がない、信号無視をしない、列に並ぶときは一番後に並ぶなどがあります。
友達は、廊下は走らない、ゴミをポイ捨てしないこともルールだと言っていました。
私は今回の授業を受ける前、法律とルールはきまりという点で似ているから、同じものなのかと思っていました。
しかし、辞書で二つの言葉の意味を調べてみると、法律は生活を保つために国民が守るべき国家の規則とあり、ルールは規約とありました。
規約はある団体を維持・運営するための皆が決めた規則という意味です。意味も少し違いますが、一番違うことは、法律は違反すれば罰せられるということです。
その多くは人々の生命や権利を脅かすものから守るためです。
一方ルールは破ったからといって大きな罰を与えられることはありません。
しかし、集団生活を営む上では必要不可欠です。
誰もルールを守らなければ社会は乱れてしまうと思います。 |
私は、貝森先生の「公共心・公徳心を養うために」という授業を受けて、まず「公共心に反する行為」というものを改めて考えてみました。それは「信号無視」や「ポイ捨て」などの周りの人の迷惑になるものばかりで、自分が楽をしている代わりに、他の人が苦しんでいるという、「自分がよければ相手のことはどうでもいい」という考えにつながっていることに気がつきました。このような考えが起きないようにするためには、「公徳心」というものを常に意識していなければならないと思いました。そして、私達が「公共心」に基づいて起こした行動は、自分や周りの人だけではなく、県や国、世界にまで影響を与えることができると分かりました。このことから、「信号無視」や「ポイ捨て」は、誰のためにもならないし、むしろ他人に迷惑をかけている、「自己中心的」であり、「公共心」と「公徳心」の両方に反する最もいけない行為だと分かりました。
今回の道徳の講話は、貝森先生によるものでした。題目は「公共心・公徳心を養うために」です。講話の中で、貝森先生はまず規律と書きました。この意味は、人の迷惑を考えて行動すること、好き勝手に振る舞わないことなどと僕は考えました。規律とは、その通りのことです。しかし規律を守るには、心の強さがなくてはなりません。したいと思うことを抑えることは、僕はとても心が強くなくてはできないと思います。つまり、江戸取の三位一体教育の「心力」の中に規律ある進学校の精神があると思います。つまり「規律を守る」ということは「心力を強くする」ということなのです。 |
「なぜ私たちは学ぶのか」の2番目で先生が挙げられた「社会人の学ぶ理由について」、私は「世の中の人のためにできることを実行する力をつけるため」に勉強するのだと思いました。社会人になると、もう進学や就職などの目標がなくなってしまいます。それはほとんどの人がなることだと思いましたが、「目標がない」という現状は避けるべきだと思います。なので、今のうちから学ぶ理由を明確にしておきたいと思いました。
僕は今回の道徳の授業を受けて考えたことがあります。 |
私は今まで登下校などで、相手に気を配る事は人のためになると思っていましたが、先生のお話で、人のためだけではなく、自分の命を守るための事にもなることが分かりました。ますます人に気を配る事の大切さを知りました。そして、東日本大震災で亡くなった方や行方不明になった方々の三分の一は、自分だけ逃げていれば助かった人だと聞きました。その中には、たくさんの人の命を救うために、最後まで、「大津波が来るので、早く逃げて下さい」と放送してくれた宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんも行方不明になってしまったと聞きました。そのような人が、亡くなった方や行方不明者の三分の一もいると思っただけで、今自分がどうして良いか分からなくなってしまいます。
道徳の講話をお聞きして、とても感動しました。自分一人が頑張ってここまで成長し、合格したのだと考えていました。しかし、本当は、周りの支えがあってこそのものだと改めて分かりました。そのため、自分もこれからは中学1年生となったので、感じたことや気がついたことを伝えて、周りの人を支えてあげる側になりたいと思いました。当たり前に思っていることは、決して当たり前ではなく、支えがあってのことなので、感謝が必要だと思いました。3年前の3月11日の大震災を経験し、家の被害は3日間の断水のみで済みましたが、東北地方の甚大な被害に、悲しみを感じると同時に自分にも何かできることはないかと考えました。当時、私の家族はつくば市のボランティア、牛久市のボランティアに参加し、家の布団セットをいくつか提供していました。しかし、まだ自分の心はすっきりすることがなくて、店の募金などに参加しました。早く大人になり、人を支える側になりたいと感じた出来事でした。 |
今回の道徳で学んだことは、周囲の友達の個性的なところをよく理解して、よい友達関係を築いていくことです。友達にはたくさんの個性があり、それぞれ自分と似たところもありますが、やはり性格は人それぞれ異なっています。それを自覚することが大切です。
今回の道徳の授業を通して、本来友人とはどういうものであるべきかを考えてみました。小学校の時は友達とは、単なる遊び仲間であり、軽い関係に過ぎず、向上心とか、共通の目標に向かって一緒に努力するといった経験はありませんでした。しかし、江戸取に入学してからは、毎日が活気に満ちていて、これが本来のあるべき学校生活、あるべき友人関係だと実感しました。試験の点数がよかったからといって冷やかされたり、相手より悪かったからといってけなされたりすることはありません。これからもよい友人達と共に激励しあいながら、互いに高めあえる「切磋琢磨の精神」を持ち続けたいと思います。 |
今回の道徳のテーマは「自由と責任」でした。授業を受ける前にとったアンケートの中に、「あなたは自分自身が自由であると思いますか?」という質問がありました。私ははじめ「あまり自由であると思わない」を選びました。しかし中山先生に古代ギリシャに奴隷がたくさんいたときは、奴隷でないことが自由だったと聞いて驚きました。また現在でも紛争があるところでは、受験をすることはもちろん、学校に通うこともできない子供たちがたくさんいると知りました。その子たちは私の思っていたのとは違う「自由でない生活」を送っています。私の「遊べないから自由でない」と感じる生活は、その子どもたちから見れば、とても自由に見える生活なのだと分かりました。自分の生活を改めて見直すきっかけになりました。
僕は「自由と責任」についてお話をお聴きし、わかったことが二つあります。 |
私は絶対に食べ物を残しません。小さいころから、それがあたりまえだと思っていたからです。しかし、小学校で給食を残す人はたくさんいました。せっかく外国から食料を輸入しても、残してしまっては全く意味がないと思います。だから、これからも私は食べ物を残さないようにしたいです。
僕は松下副校長先生の道徳の授業をお聞きして、日本は他の国よりも恵まれていると思った部分があります。それは、「戦争がない平和な国」であることです。憲法に平和主義について示されていますが、それ以前に国が豊かであることは、争う必要もないことを示しますから、平和が守られているのではないかと思います。 |
私は今回、青野先生の道徳の授業を聞いて、社会とは共同の生活を営む人間の集団で、同類の仲間であるということが分かりました。青野先生が教えてくださった私達の身近なところで社会が出来上がっている場所とは自分のクラスであるという事に気づきました。それまで私はただの一つのまとまったクラスだと思っていました。しかし最近ではこの1年8組が一つの社会だと思いながら生活しています。
社会とは何なのかを今回青野先生に教えていただきました。今までも社会やルールについて考えてきましたが今までとは違う意味の社会という言葉に重みを感じました。社会というものは身近にあるのだと改めて思いました。共同の生活を営む人といえば、家族やクラスメイトだと思います。それを思うとやはり社会を近くに感じます。クラスメイトとはとても大切な存在です。これから自分と共に行動するクラスメイト、今までに行動を共にしたクラスメイト達、そしてこの1年8組の仲間たち。これからも大切にしていきたいです。 |