2003年1月3日(金) 第56回 RICE BOWL 
                     立命館大学パンサーズ 対 シーガルズ

試合開始:14:00  試合終了:
天候:雪のち雨    会場:東京ドーム 
チーム名 1Q 2Q 3Q 4Q TOTAL
立命館大学 パンサーズ 3 7 3 23 36
シーガルズ 0 13 0 0 13
 2002年度国内最後のボウルゲーム、第56回ライスボウル。このゲームを見に来たのは何年ぶりだろう。関東高等学校連盟の理事だった頃、ハーフタイムでディズニーランドがハーフタイムショウを行う企画がありそのときに生徒を連れて引率した(あのときは国立競技場だった。)のが最後だったように思う。対戦カードが何処であったかも覚えていないのですが・・・。
 昨年も関西学院大学が同じく関西のアサヒ飲料と対戦し、学生が日本一となったゲームが鮮烈な印象があるが、今年も連続学生日本一を立命館大学がなし得るか注目の一戦だった。
主将、礒谷幸始君の決意
オーロラビジョンに映った
姿はとても誇らしかった。
(表彰式にて)
 昨年の春だったと思う。怪我でリハビリ中だった礒谷君が、『立命館大学の主将となりました。』と知らせてくれた。大学アメリカンフットボール部では、よくラインやLB特にディフェンスの選手が主将となるケースがある。RBやQBが主将となるのは希なケースだと思う。また、それに関西の大学である。これを聞いたとき、正直厳しいシーズンを送ることになるなあ、と思った。関西出身の選手が関東で活躍するケースはよくある
日本一本当におめでとう。
が、その逆というのはあまり見たことがない。(これは私の見た中でのことですが・・・。)また、140名ほどいる大所帯をまとめ、また選手としても活躍しなければならない。だからとても心配だった。でも、逆な立場から見ればそんな状態であるにもかかわらず彼が主将に選ばれたのだから、心身共にふさわしい人物として立命館大学関係者の中で評価されたことはとても誇らしいことでもあった。
 大学は大人の社会を学ぶ最高の環境である。子供から大人への脱皮はこうした環境を経て行われるもの。環境は人を変えるといいけど、まさに人生の中で主将という任務はいい学習だと思う。その礒谷君が言った言葉が、『日本一になる。』ということだった。立命館であれば難しいことではないとは思ったが、それを達成することの難しさを、昨年の関学が教えてくれているはずだろうし、勝って当然といわれる環境もそれがどれだけ難しいことかはよく分かり、これは大変なことになったなと思ったことを思い出した。
私的なリベンジ!?
 これは、江戸取的狭い範囲での考え方。(これはパスワードを入れないと見ることが出来ないような以前のHPの方がいいのですが・・・。)何がリベンジかというと、あのシーガルズの世利勲選手(専修大学出身)。専修大学出身のOB(増川君・関沢君ですよ)には申し訳ないのですが、当時、横浜スタジアムで日本大学が4連覇をねらったパルサーボウル(現クラッシュボウル)で、日本大学#80渡辺哲弥君をタックルして負傷退場させた選手。当時観客席からは『日大が痛がってるんだから、ほんとに痛いんだぜ、きっと・・!』といっていたのを聞いて、タックルした選手はだれかなとメンバー表を見て世利選手という珍しい名前を覚えた。また、『早くおいで、うちへ〜。待ってるよ〜。』とこれも当時のリクルートの選手が観客席でいっていた。
 そんな世利選手に第1Q、QB高田君からもらったオプションピッチを右サイドへ進み、タックルに来たLB世利選手と1対1で勝負。相変わらず当たりに行くタイプのRB礒谷選手の真骨頂がここで発揮され、世利選手が負傷退場するシーンがあった。誰も何も思わなかったプレーだけど、俺自身の中では結構満足したプレーだった。(世利選手はその後プレーに復帰しました。ごめんなさい。でも、渡辺君は野田東部中、礒谷君は野田川間中、どちらも野田の同郷なのです。笑)
第56回 ライスボウル
 さて、試合展開ですが、詳しい内容は専門のHPをご覧下さい。(なんんだそりゃ・・・?)でも、今回は立命館大学オフェンス特にランプレー(RB陣)は強力シーガルズディフェンスにほとんどゲイン出来なかった。解説の河口選手も立命館大学のショットガンフォーメーションからのタイミングの遅いランプレーはでないだろうと言ってました。(標準で録画してしまったので前半で録画が終わってしまい、河口選手のおもしろいコメントを聞くことが出来なかった。帰ってから速攻でCSに切り替えて、今度は関西学院大学監督の鳥内監督の解説は、コテコテの関西弁でこれまたおもしろかった。また、NHKはシーガルズサイドを映し、スカイAはリバースアングルで立命館サイドを映すという2本のビデオ録画はおもしろい。)
 印象的なのは(それほど専門的ではないけど)ライトスタンドバックスクリーンあたりで観戦していて、シーガルズが左トリプルか何かでセットしていて、右にロールアウトしたプレーだった。トリプルの外側だったと思うけど誰もついていないプレーがあった。(ロールしたから見切ったのだと思うけど・・・。)あの立命館でさえ、人数的にノーマークの選手をダウンフィールドに出すこともあるんだなあ。「あ、やばいっ!」とおもったけれど、さすがにロールしてスローバックすることは出来ず、事なきを得た。また、すごいと思うのはタックルしながらボールをかき出すことだ。今では当たり前のこだとは思うけど、タックルに行きながらボールをかき出すこと、次のタックルラーは必ずボールを腕からかき出しているところ、本当に訓練されている。(当たり前か・・・。)
 試合は第4Qに急展開を見せた。高田君のパスは故障上がりからか、きっちりスパイラルのかかったパスは見られなかったが、それでも少ないチャンスを確実にものにしてロングゲインのTDを2回演出した。しかし、圧巻だったのはディフェンス陣で、特にシーガルズセカンドQB岩本の投げたパスを立命館LB#99八木君のインターセプトはすごかった。一方、シーガルズは確かに4Qに入り得点差が開いてしまっていたので一発TDを狙おうとするのは分からないでもないけど、見ていて感じるのは、強豪といわれる関西の高校、大学そして社会人は4Qに入ってからのラスト2分でのクロックマネージメントというのは本当に参考になるしアメリカンフットボールらしい展開をしてくる。あれがアメフトの醍醐味ではないのかと思うのだが、シーガルズの展開は強肩のQBがいる高校の地区予選みたいに、最後は1発TDねらいのロングパスばかりで、見ていて「ちょっと無策過ぎませんか。デイビットさん?」と思いたくなるプレーが多かった。勿論、ビハインドの場合シーガルズは1発TDを狙ったロングパスを放り逆転の足がかりを作る作戦を準備しているのだろうけど、あれじゃあディフェンスする方も楽なのでは・・・・。また評論家になってしまいました。ごめんなさい。

 そういえば、あのシーガルズQB高橋君・・・、日大一中の頃立教高校Gでオールスターの前座試合で江戸取中と初の中学戦をしたのを覚えている。「あいつ中学生?」というデカさで江戸取中選手をぶら下げて走っていた。といっても、数人しかタックルに行かなかったので、終わってからジャージが汚れている選手はKINGのほか後数人だった。(KINGはなぜ汚れているかというと、QBのプレー後ラインはみんなよけてしまい、あっという間にタックルされてしまうので泥だらけでした・・・。)

 社会人が統合に次ぐ統合とクラブ化により練習不足で下手になってきているのか、それとも大学生がうまくなってきたのか、あるいは、関西の学生集団だけが洗練されているのか。少なくとも、もてる戦力で、勝つための戦略を立てて4Qまでの間にストーリーをつくって攻撃する、ディフェンスするというノウハウについては関西のアメフトという環境の方が圧倒的にリードしているように思う。関東の強豪といわれるチームはもっと研修に行くべきではないだろうか。でないと、西高東低という現状はますます開いてしまうように感じた。


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でも、ドームは広くて、デジカメではあまりい画像が撮れませんでした。ごめんなさい。
甲子園ボウルとライスボウルを終えて
 年が変わった1月6日(月)に関西の審判部に所属している大先輩の吉井さんより、甲子園ボウルの写真と一緒に2002年12月30日付け読売新聞の記事を一緒に送ってくれた。(関西でしか掲載されなかったものです。)あまりHPでは公表する内容ではないとは思うけど、昨年夏に脳腫瘍で亡くなった同級生の水野君に対する思いを寄せた記事である。記事の左上には高校時代の礒谷君と水野君が写っている。ここ数年江戸取アメリカンフットボール部には悲しい出来事ばかり起こっている。
 甲子園ボウルでは私が早稲田ということもあってか(これは後で礒谷君にも皮肉を言われましたが・・・。)早稲田の応援席で応援した。そのときは、これも他界してしまった大樹君の思いに心が痛んだけれども、ライスボウルでは礒谷君が『水野君のご両親を招待するんです。』と話した時、また心が痛んだ。ドームで水野君のご両親とはお会いすることは出来なかったけれど、彼もきっと天国で礒谷君の活躍を喜んでいたに違いない。
 記事を読んでとても感動したけれど、残った事実を考えてみると、どれもみな江戸取アメリカンフットボール部に入部したことにより今があるということは避けられない事実である。よく「彼の分までがんばってくれ。」と激励するが、今出来ることは、この2名の若者の死を教訓に、現役諸君にはトレーニングに励み健康に気をつけることと、決して途中であきらめることなく自分の人生を最後まで積極的に邁進してほしいと思う。

・・・・、という私も、こうした数々のショッキングなことを境に人生を深く考え、教師としてのあるべき姿は何かということについて迷うようになったのも事実である。よかれと思ってやっていることが、実は全くそうではない時もある。教師とは大切に育てた他人の子供を預かって指導している。勝ちたいから、勝たせたいから、負けたくなからといって猛練習するのはいいことなのだろうか、それとも単なるエゴか・・・?昔は猛練習に次ぐ猛練習で勝利をおさめ、それに酔っていたこともある。今そのことで相変わらず迷っている。そんなこともあり限界を感じて顧問を交代したのも事実である。その答えは何処にあるのだろうか?もうしばらく考えてみたい・・・。ただ、今言えることは30番と17番は江戸取では永久欠番であるということだけだ。

でも、礒谷君。そんな中でも君の成し得たことは本当に立派であり、多くの人々に勇気と感動を与えてくれた。本当にありがとうといいたい。